星落としの花嫁 ~忌み子の私が血を吸うたび、高嶺の御曹司に執着される~


 ◇

 今日も牛肉がおいしい。

 椿原夜乃はすき焼きという食べ方を試してみた。
 甘辛く煮た肉や野菜を、ほんのり甘い卵につけて食べる。どうやら西のほうで流行っている食べ方のようで、桜乃が「食べてみたい!」と立派な卵を買ってきたから、作ってみたのだ。

「ねぇ、おねえさま。おいしい?」
「ええ、とってもおいしいわ」

 桜乃と一緒に鍋を囲むなんて、はじめてかもしれない。
 三時のおやつにはなかなか重い食事だが、たまにはいいだろう。

 いろりに鍋をつるして、仲睦まじい姉妹だけの時間を、通りすがりの使用人たちも微笑ましく見守っていた。

 そんな幸せな時間に、夜乃はくつくつと煮だつ鍋を見つめながらつぶやく。

「お母様も一緒に食べられたらよかったのに」

 現在、母は久しぶりに外出していた。
 古くからの知人に会いにいくということだったが、やはり身なりを整えた母はいくつになっても夜乃の憧れのままだった。

 夜乃が母に想いを馳せる一方で、妹の桜乃は口を尖らせる。

「いなくていいよぉ。おかあさまはすぐ二言目には『椿原の女』ってうるさいんだもん」

 その言葉に、夜乃は思わず苦笑した。
 たしかに近ごろ、母の桜乃に対する苦言が増えていたからだ。やれ字が丸すぎるだの、やれ喋り方が幼すぎるだの……夜乃も背が丸まっているなどと似たような注意を受けているのだが、急な母の変化に桜乃はまだついていけてないのだろう。

(単純に、親に反抗したい年頃なのかもしれないわね)

 だけど、夜乃は気づく。どうして桜乃は鍋に手をつけずに、ずっと夜乃を見つめてニコニコしているのだろう?

 それを尋ねようとするも、桜乃のほうから嬉しそうに話題を変えてきた。

「おねえさま、最近体調はどうなの?」
「すこぶる調子がいいわ。お肉のおかげかしら?」
「ふーん、最近血を飲んでないのにね? もう一週間?」
「言われてみればそうね……」

 言われなければ忘れてしまうほど、最近は血を飲んでいなかった。
 以前ならば、フラフラして仕方なかったのに……。

「この牛肉のおかげね」

 夜乃は箸で持ち上げた肉を、愛しい視線で見つめる。
 この肉も、当然蒼剣が贈ってくれたもの。だから、肉の向こうに蒼剣の得意げな笑みが見えたような気がして……夜乃は思わず小さく笑う。

(そんなことを話したら、さすがの蒼剣様も『貴様は俺を食料にしか見えとらんのか!』なんて怒るのかしら? そんなことないのに)

 そんな怒られる想像すらも、夜乃にとっては幸せな時間だった。
 だって、怒った蒼剣の顔すらも、夜乃はもう可愛いとしか思えないから。

(蒼剣様の血のほうが美味しいと言ったら、もっと怒られてしまうかしら?)

 だけど、夜乃は思わず赤面してしまう。
 そんな夜乃の顔を覗き込みながら、桜乃がにやにやしていたからだ。

「桜乃が星峰様と結婚しても、ちゃんと毎日お肉を届けてもらうからね」

 安心してね、と桜乃が笑う。
 だけど、夜乃には桜乃の発言が理解できなかった。

(蒼剣様が、桜乃の結婚する……?)

 ただの言い間違いにしては、なぜか桜乃の笑みがおぞましいと思えて。
 夜乃は思わず、食事の手を止める。

「私が蒼剣様と結婚したら、の話よね?」
「ちがうよ、桜乃が星峰様と結婚するんだよ!」

 訂正してくる桜乃があまりに無邪気で、夜乃は頭の中に冷える感覚を覚える。

「待って……蒼剣様は私と見合いをしているのよ……?」
「でも、おとうさまも承諾してくれたよ?」

 その言葉に夜乃は慌てて器を置いて、立ち上がった。
 桜乃が「食事中にはしたない~!」と文句を言っているが、夜乃は気にせず走り出す。

 向かう先は、もちろん父・一延の書斎だった。

「お父様、どういうことですか!?」
「夜乃……わしを父と呼ぶのはやめんか」

 振り向いた父の言葉に、夜乃の背筋に寒気が走る。

 忌み子になってからは、一延に『ご当主様』と呼ぶように言われていた。万が一夜乃が忌み子とバレても、家族への被害が最小限で済むようにと。……娘が忌み子なんて認められないという心が透けていたが。

 だからこそ見合いが決まり、『父』と呼ぶよう言われたときは嬉しかったのに……。

(けど、それが撤回されたということは……)

 最悪な事態が頭によぎりつつも、夜乃は震える声で問いただした。

「蒼剣様とは……私が結婚、するんですよね……?」

 その質問に、一延はへらりと笑った。

「蒼剣殿も立派に討伐隊のお勤めを果たすようになっただろう? だとしたら帝からの覚えもよくなるだろうし……討伐隊に残るにしろ、実家を継ぐにしろ、新興貴族とはいえまともな(・・・・)娘が嫁ぐべきだと思うだろう? おまえを厄介払いができなくなったのは残念だが……まぁ、より星峰の金を引き出せると考えたら、悪くもない」

 夜乃は膝が崩れそうになるのを必死で堪える。

(私が、忌み子だから……)

 忌み子だから、まともな娘ではない。
 そもそも一延からしたら、忌み子は娘ですらないのだ。

(だけど、このままだと蒼剣様をとられてしまう……)

 妹と蒼剣が結婚する姿を、自分はどんな顔で見守ればいいのだろう?

 そもそも、見守ることすらできないかもしれない。
 もう二度と、蒼剣に会えないかもしれない。

 ――だって、私は忌み子なのだから。

 その事実に目から涙がこぼれそうになるも、夜乃は藁にもすがる思いだった。

「お母様は……なんと……?」
「雪乃にはまだ話していない。が、関係あるか? 最近また意気がりはじめたが、あいつはしょせん女だ。婿とはいえ、今の椿原家の当主はわし。母のことを思うなら、わかるな?」
(お母様に迷惑をかけたくないなら、大人しく身を引けってこと?)

 父の一延は婿養子だ。夜乃が幼い頃は実権を母の雪乃が担っていたが、それは夜乃が忌み子になるまでのこと。心が病み、実際に椿原家を支えてきたのは父の一延だったのは事実だ。たとえ資金がどんどん目減りし、世間からの印象が悪くなっていたとしても。

 だから、どんなに雪乃が反対したとて、ずっと寝たきりだったのにと言われてしまえばそれまでなのだ。

(だったら、私は……)

 政略結婚に、女の……特に娘の意見など必要ない。
 たとえ当人だったとしても、忌み子の自分はなおさらだ。
 そのことで、これ以上母に苦労をかけるなんて耐えられない。

 うつむく夜乃の目から、とうとう一粒の涙がこぼれる。

「蒼剣様は同意しているのですか?」
「そ、それは……」

 あからさまに一延がうろたえる。
 そこに、夜乃は一筋の希望が見えた。再びぱっと顔をあげるも、背後からあざけるような声が聞こえた。

「時間の問題でしょ? かわいい桜乃と、獣の生血を啜るおねえさま。どっちがいいか明白じゃない?」
「桜乃……」

 桜乃はニコニコと笑っている。
 何の悪気もなく、さもこれが当然の摂理とばかりに。

 そんな妹に対して、父も当たり前のように言ってのけた。

「まあ、なにより桜乃が蒼剣殿と結婚したいなら、叶えてやるのが父の務めだろう?」
「わーい、おとうさまだいすき♡」

(桜乃が蒼剣様との縁談を望んだってこと?)
(あんなに蒼剣様のことを嫌っていたのに?)

 夜乃の頭の中には疑問ばかりで、何から聞けばいいのかすらわからない。
 それなのに、桜乃はいつになく嬉しそうに微笑んでいた。

「それにおねえさまには運命の相手が他にいたんだから♡」

 夜乃が「どういうこと?」と聞こうとしたときだった。門番たちの大声が聞こえたかと思いきや、門が無理やり壊されたような轟音が鳴り響く。

 いくつもの騒がしい足音が近づいてくる中、桜乃が嬉しそうに両手を叩いていた。

「ほら、おねえさまの本当の旦那様がきたよ!」

 次の瞬間、ふすまがすぱーんと開かれる。

「この屋敷で忌み子を匿っていると報告が入った!」

 そこに立ち並ぶ人たちは、蒼剣と同じ討伐隊の制服を着ているも……彼と違うところは、全員が敵意に満ちた目をしていること。

(蒼剣様がいない……)

 そのことを喜べばいいのか、悲しめばいいのかすら、夜乃にはわからない。
 だけど、討伐隊の総勢七人の中で、知っている人がひとりいた。

 先頭に出てきたのは、ひとり肩章をつけた隊長、月影怜司である。

「椿原夜乃さん、ですね?」

 その問いかけに、夜乃が固唾を呑んで小さく頷く。

 すると、彼が手を一振りした。なんだろうと目を見開く暇もなく、その手からは冷たい色を放つ鎖が夜乃の身体を縛り上げる。

(これが妖力!?)

 夜乃が身じろぎすると、鎖に触れた肌に急激に痛みが走り、思わず小さな悲鳴をあげる。苦悶に顔を歪めた夜乃に、鎖の端を掴んだ怜司が優しく微笑んだ。

 その腕に、銀色の腕輪を光らせて。

「大人しくしてれば、痛いことはしない――きみはオレの運命の相手なんだから」
(どういうこと?)

 だけど、それを問いただす前に、妖力の鎖が引き上げられる。たとえ焼けるような痛みを感じたとしても、夜乃は必死に抵抗し、二人の家族に手を伸ばす。

「お父様、桜乃、たすけ――」

 だけど、すぐに夜乃の手から力が抜ける。
 二人は夜乃を見ることもなく、口論をしていたからだ。

「桜乃! わしはここまで聞いておらんぞ!」
「そうだっけ~?」

 ただ唾を飛ばす父と、素知らぬ顔の妹の姿が、ただの親子喧嘩を繰り広げていた。
 囚われた自分を無視して。

(私はやっぱり、家族じゃなかったのね……)

 だから、夜乃は抵抗を諦める。

(もう……どうでもいいや)

 もう目から涙すらも落ちない。夜乃は膝をついたまま、項垂れるだけ。

「それじゃあ、行こうか。大丈夫。ここよりはずっといいところさ」

 優しげな怜司の言葉に、夜乃は立ち上がる。
 鎖に繋がれた夜乃が自ら部屋を出ていこうとしても、二人は口論を続けていた。

 うつむく夜乃の腰に、怜司がそっと手を回す。
 少しだけ、夜乃は歩きやすくなった気がした。

 こぼれ落ちたすき焼き鍋を、気にするものは誰もいない。