星落としの花嫁 ~忌み子の私が血を吸うたび、高嶺の御曹司に執着される~

 
 
 日ノ出帝国。

 五つの島が海に横たわる龍のごとく南北に並び、彩取りの四季が巡る美しい国である。
 だが人類の他に、この国に住まう種族がもう一つ――あやかしである。

 人類が光に生きる存在ならば、あやかしは影に生きる存在。

 彼らは海の向こうでも名前を変えて存在しているのだという。種族によっては人語も操り、対話することも可能のようだが、どの国でも、決して人間とは相容れない。

 なぜなら、彼らの食料は人間の血肉だから。

 だけど、同じ世界に生きているもの同士、いつか交わることもある。
 心が弱った者、血迷った者、事情はそれぞれだが、あやかしと交わったものは総じて『忌み子』と疎まれてきた。



 そんな昨今、日の出帝国の旧家として名高い椿原家には、ひとつの噂があった。
 椿原家は忌み子を飼っている――と。



「夜乃さん、まだ雑巾がけしているのですか!?」
「も、もうすぐ終わります!」

 十八歳になった椿原夜乃の一日は忙しい。

 陽が昇る前に起床し、すぐに朝餉の用意を手伝う。
 その後、椿原家全員洗濯物をこなし、昼食の用意。午後に掃除をしては、あっというまに夕餉の用意だ。夜乃が眠る納屋には電気照明などないので、就寝時間は早い。だけど頼まれれば、寝る時間を惜しんで魚の油を使ったランプを頼りに繕い物をする。

 一般的な使用人なら、こんな生活でも大した問題はないだろう。
 だけど、彼女の名前は椿原夜乃。椿原家の長女である。

 数百年と名を連ねる椿原家の家名を持つ女にもんぺ姿で家事をさせたあげく、その家の同世代の使用人・小梅は容赦なく怒鳴りつけていた。

「まったく、いつまで経っても愚図なおひと」

 そう吐き捨てた妙齢の使用人・小梅は、そばのバケツを蹴り飛ばす。
 汚れた水が縁側の木床の色を濃く染め上げた。

「早くしてくださいね。あなたが掃除すると、いつまでも血生臭くて(・・・・)しょうがないんですよ」
「……申し訳ございません」

 深々の三つ指で頭を下げる夜乃に、小梅は満足げに鼻を鳴らして去っていく。

「あたしたちが昼食から帰ってくるまでに、綺麗にしておいてくださいね!」

 彼女の姿が見えなくなるまで、夜乃は頭をあげなかった。

 これが椿原家の日常。
 夜乃には、彼女らに多大な恩義があるのだ。

(私の正体を何年も黙って、同じ家で暮らしてくれているんだから)

 それは、この椿原家で生活する全員に言えることだ。
 主人である父はもちろん、母も、妹も、そして生活を支えてくれる使用人ら全員。
 居場所をくれているだけで、只人ではない夜乃にとってはありがたい存在だ。

 だから、頭を下げていることに、夜乃は屈辱なんか感じない。

 仕事を増やされたことも仕方ないことだ。小梅も長年想いを募らせていた殿方といい感じだったが、最近想い人が他の人と結婚したらしい。腹の居所が悪かったのだ。

 だから、夜乃が思うことはひとつだけ。

(喉が渇いたな……)

 もう三日もアレ(・・)を飲んでいない。

 喉の渇きは何にも耐えがたい衝動だ。
 もしも、目の前にそれを癒してくれるものが現れたら……。

(昔のように、誰彼構わず襲ってしまうことも……)

 夜乃が人を襲おうとしたのは、一度だけ。
 八歳のとき、どうしても喉が渇いたときに、まだ幼かった妹を――

(あんなこと、二度としてなるものですか)

 下を向いたまま、夜乃は目をぎゅっと瞑り、自分の生唾を何度も飲み込む。
 何度繰り返しても、喉の渇きは余計にひどくなるだけだとしても。

 そのときだった。

「おねえさま、ごくろうさま♡」
桜乃(さくらの)様……」

 夜乃の顔を覗き込んでくるのは、十二歳の少女だった。
 流行りだという青緑色の着物に、袴を履合わせていた。髪型も流行りのコテでウェーブを作ったモダンヘアがとてもよく似合っている。彼女が椿原桜乃。椿原家の愛娘だ。

 そんな桜乃が、夜乃よりまん丸とした目を細めてくる。

「やだなぁ。二人っきりのときは呼び捨てにしてって言ってるでしょ? たった二人の姉妹なんだから」

 桜乃は夜乃が六歳のときに生まれた妹だ。
 そう――かつて、夜乃が襲いかけた可愛い妹。桜乃にそのときの記憶はなく、肩口の傷跡もだいぶ薄くなったとはいえ……両親は、夜乃と桜乃の接触を極力避けさせている。

(当然よ。むしろ、桜乃に警戒心がなさすぎるんだわ)

 姉としては、自分に近寄らないように注意すべき……そうわかっていても、夜乃はいつも無邪気に自分に会いにくる妹が可愛くて可愛くて、仕方なくて。

 夜乃はまわりに誰もいないことを確認してから、衝動を堪えてなんとか笑みを作る。

「……それで、桜乃。どうしたの?」
「おねえちゃんもお腹空いたでしょ? いつもの(・・・・)持ってきたよ」

 それは、小綺麗な木箱に入っていた。
 桜乃がうれしそうに開いた箱の中には、ねずみが入っていた。
 腹部から血を流し、かろうじて細い息をしているような、野ねずみが。

 それに、夜乃は思わず歓喜の声をあげてしまう。
 それが、待ち望んでいたご馳走だったからだ。

「すごいわ……今日のはまだ息があるのね!」
「そうだよ。新鮮なほうがいいんでしょ? 土間の隅で見つけたんだって」

 いつも夜乃に与えられるのは、すでに息絶えた獣ばかりだ。
 使用人らがいやいや集めてきてくれるのだが、屋敷の隅っこや近くの山ですでに死んでいるものを拾ってくるだけ。だけど、死後時間が経ってるものは、やはり風味が違うのだ。

「ほら、早く。誰かがこないうちに!」

 桜乃に急かされながらも、夜乃は死にかけのねずみを丁寧に持つ。

(あぁ、まだ温かいわ)

 ぴくぴくと痙攣するネズミに目を細める顔は、まさに恍惚という言葉がふさわしい。

 夜乃はその腹の傷口に直接口を付け――思いっきり啜った。

(おいしい……)

 この瞬間だけ、夜乃は幸福を感じる。生きている喜びを感じる。

 この体質が、夜乃が疎まれる理由そのものだとしても。

 あの夜から――夜乃が忌み子である証だとしても。

「あぁ、今日もおねえさまはかわいいなぁ」

 口元を真っ赤に汚した幸せそうな姉を見て、桜乃も嬉しそうに目を細める。
 この瞬間こそが、椿原姉妹にとっての幸せの形だった。

「こんなねずみ、わたしがいくらでも用意してあげる。だから、ずっと一緒にいようね。桜乃がどこかに嫁いでも、ぜったいにおねえさまもついてきてね」
「それは……」

 だけど、ひとしきり飲み終わった夜乃は返答を言いよどむ。

(忌み子の私が、桜乃の嫁ぎ先についていくなんて……)

 夜乃が忌み子だということは、椿原家の極秘事項である。

 忌み子本人が討伐されるのはもちろん、それを長年匿っていたとなれば、家の取り壊しも命じられるかもしれない。だから夜乃が忌み子になってからは使用人の数も最小限。残った使用人らは辞めることも許されず、強い緘口令を強いているのだ。

 世間からは、椿原家の長女は、幼少期の事故の後遺症で長い間病に伏せっているということになっている。

(その事情を桜乃も理解していなはずがないのに……) 

 夜乃は話を逸らすべく、口元を拭って、にこり微笑んだ。

「でも、どうしていきなりそんな話を?」

 夜乃の質問に、桜乃は目を輝かせる。

「お父様がお客様と見合いがどうこう話していたの! この家で見合いをするような人間って、桜乃しかいないでしょ? どんな相手かなぁ? 素敵な人だといいんだけど……」

 そのときだ。「夜乃!」と荘厳な声で呼ばれて、夜乃の背筋が伸びる。
 椿原家の当主、夜乃たちの父親・一延(いつのぶ)である。額に年齢よりも深いしわを作る父が、普段は夜乃の見せない笑みを浮かべていた。

「喜べ、夜乃。おまえに見合いの話を用意したぞ!」
「おと……いえ、旦那様。私が結婚……ですか?」

 目を丸くする夜乃に、一延はますます目を細くする。

「今日からはわしのことを父と呼ぶように」

 夜乃が万が一外の者に会うときは、表向きは使用人ということにされていた。
 そのため、普段は家族のことを『旦那様』『お嬢様』というように教え込まれてきた。

 それなのに、わざわざ一延を『父』と呼ぶことを命じられるということは……。

(本当に、私が『椿原夜乃』として結婚するということ?)

 だけど、戸惑うのは夜乃だけではない。

「おとうさま、お見合いするのは桜乃じゃないの!?」
「あぁ、勘違いさせてすまないね、桜乃。今回の男は少々訳ありの男なんだよ」

 口を尖らす桜乃の頭を、一延はデレデレ顔で撫でる。
 そんないつもの光景に、夜乃はもう嫉妬すらしなくなったけれど……続く一延の言葉に夜乃はたまらず固唾を呑んだ。

「夜乃の相手は、見合い三十連敗中の問題児、星峰(ほしみね)蒼剣(そうけん)だ」