星落としの花嫁 ~忌み子の私が血を吸うたび、高嶺の御曹司に執着される~


 ◇

 姉が晩餐会に行く日がくるなんて、想像もしたことなかった。

「さすがわしの娘だ。これは結婚も秒読みだな!」
「……お役に立ててなによりです」

 今日の縁側で、父・一延が、姉・夜乃に嬉しそうに声をかけていた。
 空には灰色の雲がどんよりとかかっている。夜乃はそんな空模様そっくりなもんぺ姿で、今日も雑巾片手にうつむいていた。

(そんな薄汚いのが娘だなんてと、今までは邪険にしていたのに)

 そんな光景に、桜乃は思わず爪を噛んでいた。
 今年で十二歳になった椿原桜乃は、姉のことが大好きだった。

 桜乃に物心がつく前に、姉は自分を襲ったことがあるという。

 そのときの傷が肩に少しだけ残っているけど、桜乃はあまり気にしたことがない。光の加減で見えなくなるし、どうせ着物で隠れるからである。母からあまり教育を受けたことがない十二歳の桜乃は、いつか殿方の前で、着物を脱ぐということを知らないのだ。

 それでも物心がついてから、姉が何度も何度も『ごめんね』と顔を合わせるたびに謝ってくるから、むしろ桜乃はこう思ったくらいだ。

 ――この傷があれば、ずっとおねえさまは桜乃の思うまま!

 そのときのことを思い出しながら、桜乃が一延が去るのを待っていたときだ。
 呼ばれたような気がして振り返れば、珍しく母の雪乃がいた。

 しかもいつもの着流しではなく、顔には化粧をほどこし、きちんと帯を締めた姿など、桜乃はほとんど見たことがない。

 改めて、母は女性にしては背が高いことを思い出しながら、桜乃は小首を傾げる。

「おかあさま?」
「悪いんだけど……あなたの着物を夜乃に貸してあげてくれないかしら?」
「えっ?」

 ただでさえ母が自分に頼んでくることが珍しいのに、ましてや夜乃のためだなんて。
 桜乃がきょとんと見開いていると、母は頬に手を当てて嘆息する。

「ほら、夜乃は今日星峰の晩餐会に行くのでしょう? ドレスは星峰さんが用意してくれるという話だけど……だからといって、もんぺ姿で車に乗るわけにはいかないでしょう」

 その姿は、まるで夜乃の母親(・・・・・)のようで。
 見たことのない母の変貌ぶりに、桜乃の声は自然と震えてしまう。

「それなら、前におかあさまがあげた着物があるじゃない……」
「娘の訪問着が一着しかないなんて、それこそ椿原の名折れだわ。わたくしも最近は身なりに無頓着だったから古いものしかないのよ。あなたなら流行りの着物の一着や二着あるでしょう?」

 桜乃は見合いのときから、母のことが理解できずにいた。

 どうして一番大事にしていた着物をわざわざ仕立て直して、夜乃に着せたのだろう?

 一歩間違えれば椿原家の崩壊待ったなしの案件なのだ。母は『椿原家の名誉のため』と言い訳していたが、それならまともな着物を用意せず、とっとと破談にさせたほうが、それこそ椿原家のためだろう。今回の晩餐会も同様だ。どうにか夜乃に恥をかかせて、星峰のほうから破談といわせるのが一番丸いと、十二歳の桜乃でもわかる。目先の金に浮かれる父にはわからないようだが。

 ――だって、夜乃は忌み子なのだから。
 ――殺さない以上、ずっとひっそりと飼い殺すしかないのに。

(まあ、今更おねえさまを殺すとか言い出したら、桜乃が反対するけどね)

 別に、桜乃は親からの愛情を独り占めしたいわけじゃない。

 ただ、姉に可哀想であってほしいだけ。
 ただ、姉に惨めていてほしいだけ。

 桜乃は人形集めが大好きだった。部屋にもたくさんの人形やぬいぐるみでいっぱいにしてある。だけど、その中で一番のお気に入りが、姉の夜乃(・・・・)なのだ。

 かわいそうで、かわいい。
 それが生まれてからずっと、桜乃のそばにいた宝物なのだ。

 ――桜乃の大切な玩具を壊さないで。

 今日も桜乃はそんな執着をかわいい笑顔で覆い隠す。

「わかったわ。おねえさまが湯からあがったら、桜乃のとっておきを持っていくわね」
「えぇ、頼んだわよ。わたくしは少し休んできますから。あと自分のことを名前で呼ぶのはやめなさい。あなたも椿原の女なのだから、もっと品性を磨かないと」

 小言を残しながらも、去り行く母の足取りは、まだ少し重い。

 桜乃が生まれる前は、椿原家を取り仕切る若き女傑と言われていたそうだが、もう十年以上ずっと引きこもっていたのだ。特に天気が悪い日は体調がすぐれないらしい。この調子ではなかなか昔のように家を仕切れるようにはならないだろう。

 そんな姿を、桜乃は生まれてこのかた見たことがないのだけど。

「ずーっとお部屋で寝ていればいいのに」

 みんな、夜乃のお見合いから変わってしまった。

 桜乃は椿原家がだいすきだった。
 おかあさまは寝たきりで、おとうさまは馬鹿で、おねえさまは可哀想。

 そんな惨めで哀れな家族が一つ屋根の下で暮らしている――そんな箱庭が大好きで大好きで仕方なかったのに!

「ぜんぶ、あいつのせいだ」

 諸悪の根源に歯ぎしりしたとき、父の妙に優しい声が再び耳に入る。

「ほら、そろそろ湯あみをする時間だろう?」

 一延にそう促されて、夜乃が踵を返す。
 そんな夜乃の背中に、一延が声をかけていた。

「忌み子のことは祝言までバレないようにな。なぁに……定期的に生血は届けてやる。子どもさえ作ってしまえば、向こうは新興貴族だ。下手に騒ぐこともできまいよ」

 いびつな笑みを浮かべる一延に対して、夜乃は視線を下げたまま「がんばります」と答えるだけ。

(あぁん、やっぱりおねえさまはかわいいわ!)

 そんな夜乃の姿が、桜乃は大好きだった。

 いつも俯いて、よわよわしく笑って。
 誰も味方のいない、縋る相手は自分しかいない――そんな可哀想でかわいい姉が大好きだった。

 だから、湯あみに向かう姉に向かって、桜乃は恍惚とした笑みを浮かべる。

(どんな手を使っても、絶対に手放してやらないんだから) 

「おねえさまは桜乃が守ってあげなくちゃ♡」



 夜乃が使っている風呂場は外にあった。
 それだけ聞けば露天で贅沢してそうであるが、ようはただの隔離である。

 忌み子がどこから移るかわからないからと、敷地の裏手にある小さな滝のそばに囲いを作り、そこで水浴びをするようにさせていた。無論、冬場でも湯など使わせない。風邪も引かぬ体質だったからこそ、何も問題が出ていなかっただけである。

 当然、夜乃が寒さを感じるということは、知っておきながら。
 夜乃がそんな専用の風呂場に確認してから、桜乃はそっとかんぬきを挟む。

 しばらくすると、扉がどんどんと叩かれた。

「だれか! だれか開けて!」

 当然、姉である夜乃の声だ。
 季節は初夏の少し前。だいぶ暖かくなったとはいえ、陽が沈みかけるとやはりまだ肌寒い。そんな中、水で全身を入念に洗ったことだろう。

「自分の立場を忘れたおねえさまが悪いんだからね?」

 どんどんと揺れる木戸に頬をつけて、うっとりと囁く。

 声はあまりに小さく、誰にも届かない。
 中から必死に扉をたたく、可哀想な姉にも届かない。

 桜乃は足取り軽く、その場から離れる。

 脱衣所は空だ。
 母に頼まれた桜乃の着物など、当然部屋にしまいっぱなしである。

 姉の悲痛でかわいい声がどんどん小さくなっていく。

 桜乃は空を見上げる。
 灰色の空から、ぽつぽつと雨が降りだしていた。