星落としの花嫁 ~忌み子の私が血を吸うたび、高嶺の御曹司に執着される~


 ※

 十二年前のあの日。
 椿原雪乃は、娘のあの言葉ですべてが自分のせいだと悟ったのだ。

『おかあしゃま、メロンだよ。これで、おかあしゃま元気になるよね?』

 娘は、自分のために家から無断で飛び出したのだと。
 砂と血にまみれたメロンは、自分のために彼女が買ってきてくれたのだと。

『だけど……夜乃、喉が渇いちゃった』

 娘が額から二本の角を生やし、赤い瞳孔を爛々と輝かす――夜乃が忌み子になってしまったのは、すべて自分のせいだと。

 それなのに、雪乃は娘を抱きしめることができなかった。
 目の前の忌み子は、まぎれもなく自分の愛する娘なのに。

『血が飲みたい』

 無邪気にそう言い放った忌み子が恐ろしくて、雪乃は変わり果てた娘を受け入れることができなかった。



 だけど、代わりに雪乃は迅速に行動した。
 まず、あの光景を見た椿原家の使用人を激減させた。本当に口の堅い、信用のできる者以外を、多額の口止め料を押し付けて解雇したのだ。そして、親戚付き合いも最小限……いや、ほとんど失くした。

 そのため、どんどんと椿原家は失墜に向かっていくが……構うものか。

 娘が忌み子になったと知れたら、間違いなく夜乃は処刑されてしまう。自分はどうでもいい。だけど、雪乃のお腹の中の新しい命も犠牲にするわけにはいかない。

 夫・一延は今一つ納得してなかったけれど、当主とはいえ、婿養子。そのときはまだ実質的な権力を雪乃が掌握していたことが幸いした。

 ――すべては、娘たちを守るため。

 夜乃をひたすら目立たないようにするため、そして使用人たちからの哀れみを買うために、あえて貧相な格好をさせて、ある程度の嫌がらせも容認してきた。

 たとえ、妹の桜乃が襲われそうになっても。
 かわいい娘ふたりが、とにかく生きていられるように。

 母親の心が、どんなに擦り切れ、砕けていこうとも。



 それなのに、あの日のメロンを、雪乃は一口も食べずに捨てさせた。

『本当に……よろしいのですか? お嬢様が命がけで……』
『そんな汚らわしいもの、いいから早く捨てなさいっ!』

 汚れていた、血まみれだった、理由は様々だったが……一番の理由は『こわい』と思ってしまったのだ。

(もしこのメロンを食べて、自分も忌み子になってしまったら?)
(わたくしだけならまだしも、お腹の子はどうなってしまうの?)

 その決断を、雪乃は今でも後悔している。

『これでいい……これでいいはず……』

 それでも、だんだんと雪乃が部屋に閉じこもることが増えていった。

(今更どのツラを下げて、わたくしが母親面なんてできるの……?)
 


 娘を守りたい自分と、それでも現実を受け入れられない自分。

 娘たちには幸せになってもらいたい。

 どちらかなんて選べない。二人とも自分が腹を痛めて生んだ、大切な娘たち。

 それなのに、自分も死にたくない、殺されたくないとも思ってしまう。




 そんな相反する感情の狭間を、すぱーんとぶち開けられた。

 雪乃は十二年ぶりにメロンを食べる。
 やっぱり、夜乃がくれたメロンは、彼女のやさしい味がする――。


 ※


 母の雪乃は、メロンを食べながら涙を零していた。
 小さく嗚咽しながら、ひらすらに、ひらすらにメロンを平らげていく。

「ほら……食べたわよ……」

 雪乃が淑女とは思えない乱暴さで皿を文机に置くと、蒼剣は腕組みしながら不満をあらわにする。

「なにか娘に言うことがあるんじゃないのか?」

 その言葉に、肩を跳ねさせたのは夜乃のほうだった。

 十分だった。母が目のまえでメロンを食べてくれた。
 その光景を見られただけで、もう夜乃の胸はいっぱいだったのに。

 それなのに、蒼剣に促された母は、夜乃の顔を見て口を開くのだ。

「おいしい……おいしいわ、夜乃」

 このメロンは、蒼剣が持ってきてくれたメロンだ。
 切り分けてくれたのも蒼剣だ。なんなら運んだもの蒼剣だ。

 夜乃は何もしていない。あーんすらも拒否されてしまったのに。

 母の何度も震えた声で繰り返す「おいしい」という言葉は、まるで五歳の自分に言ってもらえたような気がして。

 十二年前のあのときに、言ってもらえたような気がして。

「どう……いたしまして……どういたしまして、おかあさま」

 夜乃はただただ泣き崩れる。
 そんな畳の上で背中を丸めた夜乃を、雪乃は何も言わず抱きしめてくれた。

 母のぬくもりを感じたのは、何年振りだろうか。
 熱い涙を堪えきれず、親子の涙が畳に沁みを増やしていく。

 そんな光景に、蒼剣は胸からわざとらしく懐中時計を取り出した。

「おーっと、俺は仕事に戻らねば。ではまたお邪魔する!」

 蒼剣が外套を大きく翻すも、夜乃はただただひたすらに泣き続けていた。
 ひたすら、ひたすら泣き続ける娘の丸い背中をピシッと叩いたのは母親だった。

「ほら、何をボサッとしているの? 椿原の女ならお見送りくらいきちんとなさい!」

 その鋭いはずの叱責の声すら、少し震えていたけれど。

「か、かしこまりました!」
(お母様から説教されるのなんて、何年振りだろう?)

 顔をあげて、涙を拭った夜乃は、急いで蒼剣のあとを追う。
 その顔には、時期外れの椿の花が咲いていた。



(蒼剣様にお礼を――)

 そう玄関まで走っても、蒼剣の姿はもうどこにもなかった。
 いつもはいるだけでうるさいほどの存在感があるのに、今日にかぎってこんなあっさり帰ってしまうなんて。

「これも蒼剣様なりの気遣いなのかしら?」

 そう小さく笑ったときだ。夜乃は靴箱の上に見覚えのない白い封筒が残されていることに気が付く。

 やたら達筆な文字で『椿原夜乃殿』と書かれていたので開いてみれば、そこにはとある招待状と直筆のメッセージカードが入っていた。

『夕方に迎えに来る。ドレスはこちらで用意するから、風呂にだけ入っておけ。今度もいい肉を食わせてやる!』

 どうやら夜乃は、来週の星峰家創立記念パーティーに招待されたらしい。