星落としの花嫁 ~忌み子の私が血を吸うたび、高嶺の御曹司に執着される~


 ◇

 あのデート騒動から、また三日。

 星峰蒼剣という御曹司とお見合いしたからといって、夜乃の日常は変わらなかった。
 毎日早く起きて、もんぺ姿で家事に勤しむ毎日。

「痛っ」

 その日も雲一つない空の下で庭の雑草を抜いていれば、草で手が切れてしまった。
 だけど、痛みは一瞬。この程度の切り傷もたちまち塞がってしまう。
 幼い頃はここまでではなかったが、成長するにつれて怪我の治りも早くなっていった。大怪我ならともかく、小さな傷だったら数秒で傷跡さえ見えなくなってしまう。

 気持ち悪い、と吐き捨てる使用人がこの場にいないことが救いだろう。

 だけど、真昼間というのに、しゃがみこむ夜乃のまわりが急に陰る。
 その声は、今日もとても偉そうだった。

「討伐隊員としては素直に羨ましい体質だな」
「蒼剣様!?」

 とっさに顔をあげると、そこには討伐隊の制服をきた星峰蒼剣がいて。

(制服姿もとても凛々しい――じゃなくて、なぜ蒼剣様がここにいるの!?)

 目をぱちくりさせて困惑する夜乃に対して、蒼剣はしげしげと尋ねてくる。

「忌み子は怪我の治りが早いというだけでなく、病にもかからないというのは本当なのか?」
「あの……この身体になってからは、風邪を引いた覚えはなくて……」
「そうか。なおのこと羨ましいな。俺もめったなことでは寝込まないが、まれに風邪を引くと長引いてしまう。まぁ、俺が馬鹿でないということの証明だがな!」
(なら、私は馬鹿ということかしら?)

 そんな皮肉を思い浮かべてしまうけれど、今日も高らかに笑う蒼剣に悪気はないのだろう。夜乃は頭の三角巾を外しながら、おずおずと根本的な問題を聞いてみることにする。

「あの……どうして、蒼剣様が我が家に……?」

 貧乏とて、椿原家は旧家だ。常に門の前で警備をする門番は日中夜問わず立ってくれている。父も妹もでかけているから、客が来る予定もなかったはずだ。

 門番は年配の方だけど、夜乃が生まれる前から務めてくれる忠誠心の厚い方なのに……と夜乃が訝しんでいると、視線の端ににやりと笑う女の姿が見えた。

 本邸の柱の陰から、失恋したばかりの妙齢の使用人・小梅がにやりと笑っている。 

「門のところにちょうど使用人の女がいてな、貴様に会いに来たと話したら、裏口からこっそり中に入れてくれたが……実にもんぺが似合っているな。というか、似合いすぎだろう。家ではいつもそれなのか?」
「あっ……」
(嫌がらせか……)

 どうも小梅は夜乃の見合いが進んでいることに不満を口にしていた。それはそうだろう。どうして忌み子を匿ってあげている自分が失恋したというのに、忌み子本人が上手くいくのかと。使用人も夜乃のせいで通常よりも出会いの機会が限られた環境に置かれているのに。

(だからこんな姿を見せて、私がフラれるように仕向けたのね……)

 今の時代、使用人たちも木綿の着物を着ているのが常である。だけど夜乃がもんぺ姿なのは、それしか与えられないからだ。

 誰よりも哀れでいるように。地味でいるように。
 そう最初に命じたのは、夜乃の母であったと聞いたことがある。

 だから夜乃はうつむいて蒼剣の質問に応じた。

「……動きやすいので……」
「そうか、なら堂々と上を向け」

 言われるままに顔をあげると、やっぱり蒼剣の顔があった。
 今日も青空の下、自信に満ちた笑みを浮かべて。

「今度ズボンを贈ってやろう。海外では女性のズボンスタイルも増えつつあるんだ。この際だから、貴様を広告塔にして日ノ出帝国で流行らせるのも――」
(ズボンとは、蒼剣様が履いているようなもの、よね?)

 男性のような服装を、自分がする?
 いきなりの発案に夜乃は思考が追い付かないものの、蒼剣の咳払いに夜乃も我に返る。

「今日は俺も休憩時間に寄ったから、あまり時間がない。手短に用件を済まさせてもらおう。ご家族の者はどこだ?」

 だから制服なのか、と納得しつつも、夜乃は視線を逸らす。

「父と妹は買い物に出ております。母は……今日は体調が芳しくなく……」

 本来なら、来客の対応は奥方の母がするべきことだ。
 だけど、母が表舞台に出ることなどない。ましてや、夜乃の関係者となると……。

 忌み子になった事件以降、夜乃はまともに母と会話した覚えがない。
 唯一覚えがあるとすれば、桜乃を襲い掛かってしまったときに言われたことくらいだ。

『二度と桜乃に近寄らないで!』

 そんな拒絶の言葉を耳の奥で反芻していると、蒼剣は「ふっ」と笑った。

「ならちょうどいい。土産にメロンを持ってきたんだ。見舞いの品にちょうどいいな」
「メロン……ですか……」

 言われてみれば、彼は立方体の桐箱を抱えていた。きれいな金と赤のリボンで装飾された箱からは、たしかに甘い香りがする。

 きょとんとする夜乃に、蒼剣は片眉をあげた。

「なんだ、母親はメロンが好きなんじゃないのか?」
(蒼剣様に話したことあったかしら?)

 たしかに昔、母がメロンの好物だった。

 だけど、それは夜乃が忌み子になる前までの話。
 あのときから、母がメロンを食べる姿はもちろん、その単語を口にしたところも見たことがない。

「見合いのときも、デートで迎えに来てやったときも、貴様の母親とは会えなかった。ここまで見合いを続けているんだ、母親にも挨拶をするのが筋だろう?」

 つまり、今日蒼剣は夜乃の母親に会いにきたらしい。
 その事実に、夜乃の顔は青くなる。

(あのお母様が、蒼剣様に会ってくれるとは思えない)

 蒼剣の言っていることはもっともだ。
 見合いは家と家との繋がり。蒼剣側はお亡くなりになってしまっているため仕方ないが、存命である以上、本来なら見合いの場から母親も同席しておかしくないのだ。

「あの僭越ながら……お見合いっていつまで続くんですか?」
「な……俺が不服なのか……!?」
「そういうわけじゃなくて!」

 夜乃以上に青ざめた蒼剣をよそに、呼吸を整えてから質問しなおす。

「通常のお見合いは、最初の顔合わせで終わって、あとは婚約するとかしないとかになると思うのですが……」

 いまさらだが、お見合いとは結婚を前提とした相手との初対面の場を示す言葉である。だけど、夜乃と蒼剣はこれで三回目。『見合い』という言葉を使い続けるには違和感しかないのだが……蒼剣はさも当然とばかりに言ってのけた。

「俺がまだ雪辱を晴らせていないのに見合いに結論づけると!?」
「はあ……」

 蒼剣が雪辱と思っていることは、夜乃が蒼剣の血を吸ったときに失態を犯したからだ。本人が一方的にそう思っているだけだが。その失態を挽回するまで、このお見合いは続くらしい。

(あのときのかわいい様も含めて、蒼剣様の魅力なのだと思うけれど……)

 ともあれ、まだ短い付き合いだが、夜乃がどれだけ解いても蒼剣が納得しないのは火を見るより明らかである。

「これだけ年頃の娘の時間を割かせているのだ。母親にも挨拶させてもらうぞ」

 そんな蒼剣がこう言い出してしまった以上、夜乃には止める手段がない。

(どうしよう……)

 だけど、夜乃の指先はどんどん冷たくなるばかりだ。

 だって、忌み子になってから、ずっと避けられてきたのだ。
 見合い相手の前で、母がどんな反応をするのかわからない。

 それを知るのが怖い。これ以上、拒絶されるのが怖い。
 母に嫌われていると蒼剣に知られて、蒼剣に軽蔑されることも想像したくない。

 だから、夜乃はうつむき、ただただ蒼剣が「こっちか?」と進んでいくあとをついていくしかなくて。

 そのときだった。

「おい、そこで覗き見している女」
「はひ!?」

 蒼剣がずっと陰から覗いていた使用人・小梅に声をかける。
 そして、懐からなにかを取り出したかと思えば、ピンッと彼女のもとへ弾き飛ばした。

「チップ……手間賃ってやつだ」
「に……二十円金貨!?」

 金貨とは、大きな取引で以外使われない貨幣だ。そのため、売るところに売れば、その紙幣価値以上の金額がつくこともあるという。新卒の大学生でも月に五十円稼げればいいほうなので、女性である彼女からしたら月の半分以上の稼ぎである。

 それをたやすく投げ渡した蒼剣は、にやりと口角をあげた。

「俺の見合い相手に親切にすれば、これからもお駄賃がもらえるぞ。もしかしたら、うちの有望な従業員を紹介する機会もあるかもしれないなァ?」
「か、かしこまりました!」

 使用人がきれいに頭を下げた横を、蒼剣は高笑いしながら通り過ぎる。
 お金の力ってすごいな、と思いながら、夜乃はひとつの疑問を小さく聞いてみた。

 もうひとつ、別の魂胆を隠しながら。

「どうして、彼女が最近失恋したばかりだとおわかりになったのですか?」
「さっき案内してくれたときに俺を口説こうとしてきたからな。で、母親の部屋はどこだ?」
「それは……」

 だけど、話を逸らすという企みは呆気に崩れる。
 唇を噛み締める夜乃を一瞥するないなや、蒼剣は即座に手近の障子扉を開いた。

「たのもー、俺は椿原夜乃殿の見合い相手、星峰蒼剣だ!」

 その部屋は、たまたま使っていない客間だったが。
 蒼剣は手あたり次第に、屋敷中の部屋を突撃し始めた。