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あのとき、星峰蒼剣は驚いていた。
(この女、ここまで美しくなるのか!?)
出かけるときに着る服が着物一着しかないと言うから、洋装を一着プレゼントしてやることにした。
わずかな同情が湧かなかったわけでもないが、宣伝のつもりだった。妹も和服を好んでいるようだが、洋装もいいぞ、と。姉がいい服を着ていれば、羨んだ妹がらみで星峰デパートに金を落とすと見込んでのことだ。
だが、着替えさせた椿原夜乃は見違えるほどにいい女だった。黒い肌に映える陶器のように白い肌。化粧映えした華やかな顔付きがまさに大輪の花のようだ。また身長のそれなりにあるおかげで、黒に負けない迫力ある。海外で連れていても見劣りしない美女だった。
現に、俺の見立てはレストランでも客の目を惹いていたようで、見惚れる男の視線も、嫉妬する女の視線も一身に集めていた。本人は別のものと勘違いしていたようだが。
そんな椿原夜乃は、月影怜司の銀の腕輪に興味を示した。
かつて、迷子な自分を助けてくれた『ヒーロー』が身に着けていたという。
(海外で特注の彫刻を覚えているとは、見る目のある女だ)
あの銀の腕輪は、父が母に求婚するときに贈った代物だったいう。
それを、形見の品として、蒼剣はずっと肩身離さず着けていたのだ……まあ、入隊直後に怜司に決闘を挑んだが負け、次に勝つときまでと預けた過去があるのだが。
そんな事情があろうとも、あの腕輪の本当の持ち主は星峰蒼剣なわけで。
(生きていた……あの子は、ちゃんと生きていた……)
あやかしに襲われた被害者としての事情聴取と、討伐隊員としての情報検分の仕事を終えた深夜。
星が輝く夜空の下で、蒼剣は宿舎の裏庭でひとり素振りをしていた。
虫の声と共に、蒼剣の力強く振り下ろした竹刀の音が響く。
震えた笑い声に、少しの涙も混じっていた。
「はは……生きて、いたんだな……」
蒼剣はひとり思い返す。
自分が討伐隊に入隊するきっかけとなった、甘くて苦い思い出を――。
※
星峰蒼剣は幼少期から自信に満ちた少年だった。
彼にできないことなどなかった。
文字を教えられれば、一度で覚えた。計算だって間違えたことはない。
足も速く、運動もできて、剣術だって年上の幼馴染とタイマンを張れていた。
母は五歳のときに亡くなってしまったけれど、蒼剣はこのまま生きていくだけだと思っていた。たくさん勉強をして、父の跡を継いで、家を大きくする。
そして、いつまでも亡き母の『一番星』でいられるような男になる。
星峰蒼剣のまわりの人たちも、彼はそうやって育っていくと信じて疑っていなかった。
だが、ある日、蒼剣は人生初めての失態を犯す。
それは七歳のとき、蒼剣は社会勉強として、よく店の見学にきていた。暇つぶしといってもいい。
座学のノルマはあっというまに終わってしまい、日々退屈していたとき、店にある小さな客がやってきた。
『メロンくだしゃい!』
赤い着物の少女がカウンターにジャラジャラと出したのは、小遣いか、お年玉か。
だけど店員が数えたかぎり、メロンには足りなかったようだ。
『そのお金じゃ、ちょっと足りないかなぁ?』
蒼剣が店の奥から覗いてみれば、五歳くらいの少女がしょぼんとうつむく。大きな黒い目からは今にも大粒の涙がこぼれそうになっていた。
『どうしても……どうしても、ダメですか? このままじゃ、おかあしゃまが……』
どうやら彼女は母親のためにつかいにきたらしい。
蒼剣の母親も五歳のときに亡くなっている。
寂しさにはとうに慣れたが……それでも、過去の自分が少女に重なった。
蒼剣がいた倉庫には、ちょうど仕入れたばかりのメロンが置いてあった。上等な代物だ。格子模様も美しく、それこそ皇帝に献上してもおかしくない逸品だろう。
それを、蒼剣は思いっきりこぶしで殴った。
『おい』
そして、蒼剣は少女の相手をしていた店員を呼ぶ。ぶつけてしまった果物は早く熟れてしまうため、商品価値が一気に落ちる。そのことを知ったうえで、蒼剣は店員にいった。
『おれがぶつかってしまった。タダで破棄になると父上に怒られるから、あいつに格安で売ってやってくれないか?』
そうしてメロンが少女の手に渡ると、彼女は花が咲いたように笑っていた。
いい商売をした――七歳の星峰蒼剣にとって金より勝る報酬だった。
だが、その日の夕方。いい気分で馬車で帰ろうとしたとき、とある少女が目に入る。
大通りの往来で、大きなメロンを抱えた少女が右往左往しているじゃないか。
完全な迷子である。自分があれだけしてやったのに、迷子だと?
このまま見捨てるなど、星峰蒼剣の矜持が許せなかった。
『用ができた、先に帰ってろ!』
慌てて乗ろうとした馬車に踵を返した蒼剣が、少女に駆け寄る。
帰路へと急ぐ大人たちの波をすり抜けて、息を整えてから「おい」と声をかけた。路地の片隅で今にも涙をこぼそうとしている、メロンを抱えた少女に向かって。
『上を見ろ! おれの美しい顔があるぞ!』
カンカン帽を被っていても、蒼剣は己の頭脳や能力だけでなく、顔にも自信があった。
だって、亡き母がいつも褒めてくれていたのだ。
――蒼剣は本当にきれいな顔をしているわね。母さんの自慢だわ。
実際、使用人や客にも『坊ちゃんはお顔立ちが整って羨ましい』とよく喜んでいた。
なら、この少女もおれの顔を見たら喜ぶに違いない!
上を向いた少女はきょとんとしていたけど……まあ、泣かなかったから良しとしよう。幼いからきっとまだ美意識に疎いだけだ。
ともあれ、蒼剣は彼女を交番まで連れていくことにした。
馬車で家まで送ってもいいが、彼女の着物からして、それなりの家の娘だということが窺えた。下手に星峰の嫡男が助けたとなれば、メロンの件も公になってしまう。七歳の蒼剣からしたら、気恥ずかしさから避けたいことだ。帽子を目深に被り直す。
そうして少女を誘導しはじめたがいいが、幼い彼女に大きなメロンを運ぶのは大変なことのようだ。自分が運んでやるのは簡単だが……それでは、あんなに一生懸命に手に入れたメロンの価値が下がる。きっと彼女の母も、彼女がひとりでがんばったメロンのほうが嬉しかろう。
『それはおまえの力で手に入れたメロンだ。おれが運んでやるのは簡単だが、おまえが一生懸命持って帰ったほうが、きっとメロンも甘くなるはずだ。がんばれるな?』
だから、蒼剣は彼女を励ますだけにする。「うん!」と大きな返事をして、後ろをえっちらおっちらついてくる少女には、言葉にできぬかわいさを感じた。
そのとき、蒼剣はふと思い出す。
この細い路地を抜ければ、ラムネ屋がいたことを。
ちょうど交番への近道にもなる。ラムネを飲ませてやったら、この子はどんな顔をするのだろうか。まんまるとした黒い瞳がキラキラと輝いた姿を思い描いたら、蒼剣の足は止まらなかった。
そんな気遣いを――蒼剣は心底後悔することになる。
『おにいしゃんっ!』
突然、少女に突き飛ばされた。
何事だ……そう怒る前に、少女が鬼の爪に切り裂かれていた。
少女の悲鳴が途中で潰れ、肉を裂く湿った音だけが路地に響く。
目の前が真っ赤に染まる。
状況を理解する前に、鼻孔を貫く鉄の臭いに、思わず蒼剣はえづきそうになった。
大量の血を流し、倒れた少女の小さな身体をひときわ大きな影が覆い隠す。
――鬼だ。
鬼とは人間を食べるあやかしの中でも最上位に君臨する存在。
蒼剣はその姿をはじめて見たものの……聡明な頭脳が理解してしまう。
自分では鬼に勝つことなどできない。
下手に挑んだとしても、無駄死にするだけ。
だったら……一縷の望みを掴むために自分ができることは、大人を呼んでくること。この場からこっそり抜け出し、討伐隊を呼んでもらうことだけだった。
(くそっ、くそっ!)
鬼の背後をとっさに走り抜けながら、蒼剣は唇を噛み締めることしかできない。
(おれが、あんな路地裏を通ろうなんてしなければ!)
(おれが、もっと鬼を倒せるくらいに強かったなら!)
そうして、蒼剣は大人に助けを求め、討伐隊を呼んでもらった。
だけど、討伐隊が到着したときには、もう鬼の姿はなかった。
路地に残る血の惨劇から、蒼剣が証言は真実とされた。
だけど、肝心の被害者の遺体は何も残されていない。
肉片も、骨の一本すら、跡形もなく。
『そ、そんな……』
蒼剣は討伐隊に腕を引かれそうとも、現場で膝を崩して動けなかった。
その場から彼女とともに消えていた、メロンの行方なども気づかないまま。
その後、迎えに来た父親に連れられて、蒼剣は家へ戻ることになる。
まる一日、飲まず食わずで部屋から出ることはなかった。父や使用人らがたびたび声をかけに来るものの、蒼剣は部屋で膝を抱えたまま、すすり泣くことしかできなかった。
たくさん泣いた。もう二度と立ち上がることなどないかと思った。
だけど、いつか涙は枯れるもの。
窓から差し込む光に導かれるように顔をあげれば、きれいな星が浮かんでいた。
他の星々よりも強く瞬き、月より小さいながらも強い光を放つ、一番星。
それを目にした途端、枯れたと思った蒼剣の目に、最後の涙が流れた。
あたたかい涙は、まるで母が蒼剣の頬を撫でたようだった。
――あなたはわたしの一番星。
そして、蒼剣の目に再び光が宿る。
『そうだ、おれは一番星でいなくてはならないんだ……母上のためにも、あの子のためにも!』
だから次の日の朝、部屋から出た蒼剣は、開口一番、父を見上げて宣言していた。
『俺はあやかし討伐隊になる!』
失態を、そのままでは終わらせない。
この雪辱を晴らすべく、全力を尽くす――星峰蒼剣は昔から変わらない。
