星落としの花嫁 ~忌み子の私が血を吸うたび、高嶺の御曹司に執着される~

「俺が坊やだと……!?」

 夜乃の一言でこんなにも狼狽える姿がまたかわいらしい。
 舌を舐めてから、夜乃は蒼剣の首元に噛みつこうとした――そのときだった。

 背後で「カァッ」とカラスが鳴いたとき、その気配が突如膨らんだ。

「あぶない!」

 夜乃が振り返るよりも先に、蒼剣が夜乃の頭を伏せさせる。
 彼の体の隙間から見上げた場所には、黒い羽を広げた鳥のお化けがいた。

 あやかしは夕方から夜にかけて出現率が急激にあがる。
 近年は星峰家がもたらした防犯道具で襲われる件数は減っているというが……そんなもの、当然忌み子である夜乃は渡されていない。かなり高額な代物であるから、椿原家も愛娘の桜乃がひとつだけあやかし避けの数珠を持っているくらいだ。

 金持ちで、なおかつそれを日ノ出帝国にもたらせた蒼剣は持っていないのか……そんな夜乃の視線に、蒼剣は気が付いたらしい。

「討伐隊があやかし避けなど持っていたら、被害が他に回ってしまうだろう!?」
 
 言われてみたら納得である。あやかし自体の数が減ったわけではないから、道具を持っていない人が襲われてしまうだけ。

(桜乃の数珠も『いやな臭い』がするくらいだから、離れればいいだけだものね)

 忌み子である夜乃がそんなことを思い出している間も、巨大な烏はするどいくちばしの隙間からよだれを垂らし、地面をじゅわじゅわと焦がしている。体長は二メートルほどの赤い目を光らせた存在は、まぎれもなくあやかしそのものだ。

 立ち上がった蒼剣が迷わず刀を抜いた。

「早く行け!」
「しかし、蒼剣様!?」

 空高く飛び上がった大烏が、くちばしで夜乃を狙ってきた。
 蒼剣が即座にくちばしの軌道を刀で逸らし、返した刃でカラスの頬を薙ぐ。

 だけど、キンッと滑っただけで、大烏は何を気にした様子もなく、再び高度をあげた。

(蒼剣様の刃が弾かれた……?)

 蒼剣が舌打ちとともに刀を構え直す。

「認めたくないが……俺に妖力はない。俺の攻撃はやつには効かん!」

 突如現れた大烏に、大通りから悲鳴が聞こえた。
 だけど阿鼻叫喚な喧騒の中でも、蒼剣の声はひときわ通っていた。

「だから早く逃げろ! そのくらいの時間稼ぎ……たとえ妖力がなくても、この星峰蒼剣にできないわけがないっ!」

 その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているようで。
 夜乃はそんな蒼剣の背中を見つめることしかできなかった。

(それなのに、このひとは『私を倒す』と言ってくれたの?)

 先ほどの会話だ。夜乃があやかしの本能に負けて蒼剣を食い散らかそうとしたときは、自分を退治してくれると言った。だから安心して血を飲むようにと言ってくれたのだ。

(本当は、そんな力がないのに)
(私を安心させるためだけに……)

 ただの蒼剣の見栄だったかもしれない。
 どうせバレないからと虚勢を張るための嘘だったのかもしれない。

 それでも、夜乃の胸は熱くなるばかり。

「鳥風情が俺より高い位置にいるなんて生意気だぞ!」

 そんな挑発を受けたわけじゃないと思うが、大ガラスが再び突進してくる。蒼剣が弾くも、キインッとした甲高い音とともに今度は刀が弾かれてしまった。それでも蒼剣は近くのゴミバケツで次の攻撃を防いだりと、なりふり構わず防戦を繰り広げる。

「早くいけぇっ!」

 蒼剣の余裕のない怒声にも、夜乃は足を動かさなかった。
 動かないわけではない。自らこの場に立ち上がることだけを選んだだけ。

(私が……あやかしに堕ちれば……)

 一度、夜乃はあやかしに堕ちかけたことがある。
 まだ七歳のころ、まだ二歳の桜乃が風邪を拗らせてしまったことがある。その世話で屋敷中のひとたちが追われて、夜乃も野ねずみがもらえずにいた。そのため、自分で野ねずみを捕まえようとしたところ、足を滑らせてけっこうな怪我を負ってしまったのだ。

 だけど、野ねずみの代わりに夜乃には得たものがあった。一輪のきれいな花だ。

『これを桜乃にあげたら、元気になってくれるかな?』

 だから、夜乃はこっそりと桜乃に会いに行った。
 忌み子の自分は桜乃から隔離されていたから、誰にもバレないように、こっそりと。

 だけど、そのときは喉の渇きが限界で。
 ふぅーふぅーと細い息で、頬を赤らめた幼き妹が、ひどく美味しそうに見えて。

 怪我をしていた。
 喉が渇いていた。

 そして、目の前においしそうな獲物があった(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 そこから夜乃の記憶はない。
 だけど、角が生え、目の色が変わり、爪が伸びて。

『夜乃、やめなさいっ!』

 母の制止の声を聞いてハッとした瞬間、夜乃の鋭い爪が妹の丸い頬を傷つけていた。

『あっ……あ、あっ……』

 夜乃が正気を取り戻したときには、母がギャンギャン泣く桜乃を抱えながら、夜乃を睨みつけていた。
 手足を震えさせて、まるで化け物をみるような目をしていた。

 それに、夜乃は何も言えなかった。
 だって鏡台に映った自分は、まるで鬼のようだったから。

(あのときから、ますますお母様は私に姿を見せてくれなくなったけど)

 夜乃にとっては悲しい思い出で、今もなぜこんな目に遭った妹の桜乃が夜乃を慕ってくれるのかはわからない。

 それでも、夜乃にはそのときの出来事から、ひとつの確信があった。

(怪我を負ったりして、大怪我を負えば、あやかしに堕ちることができる。鬼は最強のあやかしだ。だったら、私もある程度は戦えるはず……少なくても、蒼剣様を逃がすくらいには)

 夜乃はいつのまにか閉じていた目を開く。
 そうなれば、今も刀で必死に大烏の攻撃を防いでいる蒼剣を助けることができるかもしれない。いや、きっと助けることができると、夜乃には確信があって。

「喰うならこの星峰蒼剣を喰いやがれえええっ!」

 大烏が再び高度を下げようとした姿に、蒼剣が夜乃の前で腕を広げる。
 
 ――私は、椿原の女なのだから!
 ――たとえあやかしに堕ちても、母が大事にしてきた誇りを失ってなるものか!

 強い目つきで顔をあげて、身を挺して大烏の攻撃を受けようとしたとき、夜乃の肩が掴まれた。

「大丈夫だよ、お嬢さん」

 次の瞬間、突撃しようとしていた大烏が月光のような鎖で縛られる。

 それとほぼ同時に、空中で大烏の体が二等分に割れた。
 冷たい黄金の妖気を纏った刃が一刀両断したのだ。断面からは黒い瘴気が広がっていく。

 夜乃たちの前に着地した青年が、片方の肩に下げた外套を大きく翻す。

「総員、被害の確認を!」
『はっ』

 青年の凛とした声音に、いつのまにか控えていた黒い制服の男たちが一斉に街へと散開する。

 それを確認してから、その青年は蒼剣に向かってにやりと口角をあげた。

「命を賭して市民を守る――志だけはいつも立派だな、蒼剣」
「つ……月影怜司!?」
「だから隊長と呼べってば」

 月影怜司と呼ばれた男は、優男のような風貌だった。
 軍服のような黒い制服を纏っているものの、その顔つきは少し女性的で、金色の髪は神秘的。まるで月光のごとく静かでやさしい雰囲気を放つ美青年だった。

 大通りのほうからはこちらを通り過ぎる女性らがきゃあきゃあ黄色い悲鳴をあげている。だけど、彼が振るった刀からは、あやかしの赤い血がビシャッと地面に線を作った途端、彼女たちは逃げるように去って行った。

 そんなあやかし討伐隊長の姿に、夜乃が呆然とする一方で、怜司の呆れ声など聴かない蒼剣は「どうしてここに?」と眉根を寄せている。

 それに対して、怜司は肩をすくめて苦笑した。

「非番の部下に代わりに見回りだよ。まあ、途中で知り合いが路地に入ったからね。やましいことをしてないかの確認もあったんだけど?」

 怜司が片目を閉じると、蒼剣は「ぐぬぬ」と奥歯を噛み締めていて。
 そんな二人のやりとりに呆気にとられていると、怜司が夜乃に話しかけてくる。

「きみは椿原家の御令嬢で間違いないかな? 蒼剣が見合いしているという」
「あ、はい……」

 夜乃が小さく頷くと、怜司が自己紹介をしてくれる。

「改めて、オレの部下が世話になっているね。オレは月影怜司。あやかし討伐隊・帝都組の隊長を務めている者だ。一応、年齢的にも、役職的にも蒼剣より上なんだけど……残念ながら、幼馴染みたいに育ったせいか、いっこうにオレを敬ってくれなくて」

 はあ、とため息をつく姿は、まるで先ほどあやかしを退治した張本人には見えない。
 が、それは怒鳴り散らす蒼剣も同様だった。

「年功序列など実力で勝てないやつの甘えだし、隊長の座も近いうちに俺が奪ってやるからな。そのときに貴様が惨めにならないように気を遣っているだけだ!」
「それをオレに助けてもらった直後に言える、おまえの負けん気はほんと尊敬するよ」

 やれやれと肩を竦めながらも、怜司はどこか嬉しそうに蒼剣を見返していて。

(まるで仲の良い兄弟みたいね)

 怜司が年上といっても、蒼剣が十九歳だから、怜司も二十三歳くらいか。
 夜乃は桜乃に助けてもらうばかりだから、こんなに仲良く喧嘩をしたことがない。

 だからこそ微笑ましくも、羨ましく思っていると、怜司が夜乃に向き直った。

「蒼剣には今から事情聴取に協力してもらわなきゃならないからね。代わりの隊員に家まで送らせよう。きちんと蒼剣に今日の詫びをさせるから、またデートしてやってくれ」
(また蒼剣様と会えるの?)

 その言葉に、夜乃は気恥ずかしさのあまりにうつむいてしまう。

「おい、なにを偉そうに!?」
「だから偉いんだって、オレがおまえの隊長なんだから」

 そんな夜乃の様子に男ふたりは気づかないようだが、夜乃の心臓は早鐘のように高鳴っていた。次はどんな場所に連れていってくれるのだろう。どんなものを食べさせてくれるんだろう。自分が忌み子だということも忘れて、つい妄想してしまう。

(今度は、どんな蒼剣様のお顔が見られるのだろう?)

 そのとき、夜乃の視線にひとつのきらめきが目に入った。
 怜司が腕にしている彫刻が施された銀の腕輪に見覚えがあった。

(あの腕輪は……!?)

 忘れるはずがない、あれは自分が忌み子になったときのこと。
 ちょうど今と同じくらいの夕方、迷子だった自分を助けようとしてくれた『ヒーロー』こそが、あの腕輪を着けていたのだから。

(あのとき助けてくれた『ヒーロー』が、討伐隊長の月影怜司さん!?)

 髪がこんな珍しい金色なら、その特徴を覚えていそうだけど……あのときの『ヒーロー』は麦わらのカンカン帽子を被っていたし、記憶に残らなかっただけだろう。

 そんな可能性が頭をよぎれば、夜乃は叫ばずにはいられなかった。

「あの、ありがとうございました!」

 急に頭を下げた夜乃に、怜司は少し困った様子だ。

「え、あぁ。あやかし退治はオレの仕事だから、気にしないで――」
「違います、小さいとき、迷子だった私を助けてくれて……あ、今助けてくれたのも、そうなんですけど……」

 自分なりに説明するが、どんどん声が小さくなってしまう。

 あんな些末な出来事など、怜司はきっと忘れてしまっているだろう。
 自分が忌み子になったきっかけでもあったけど、夜乃にとってはあたたかい記憶でもあったのだ。

 迷子だった自分に気が付いてくれた、重いメロンを運べるように励ましてくれた、そんな優しい男の子は……その後忌み子としてツラいときも、『上を向け』と自分を励ましつづけてくれたから。

 あのとき、自分はまぎれもなく恋をしていたのだろう。 
 淡く、一方的な恋慕を抱いていたのだろう。

「小さいころだったし、覚えてないと思うんですけど……」
「……どうしてオレだと思ったの?」

 怜司の質問に、夜乃は小さく指を向ける。

「あの、その銀の腕輪が同じだと思ったので……」
「……なるほどね」

 怜司がほくそ笑んだことに、夜乃が気づかないあいだに。
 彼はすぐさま人好きのする笑みを浮かべ直していた。

「うん、合わせてどういたしまして。それじゃあ、蒼剣はこちらで預からせてもらうね。また連絡させるから」
「は、はい……!」

 夜乃が再び頭を下げると、怜司は「行くぞ」と蒼剣の肩を叩いて踵を返す。
 送ってくれるという討伐隊の方に声をかけられるまで、夜乃はずっと頭を下げていた。

(今日はいい一日だったな)

 普段は見られない妹の一面が見られた。

 はじめてワンピースに袖を通した。

 はじめてステーキというおいしいお肉を食べた。

 あやかしにまた襲われたのは怖かったけど、今度は蒼剣や怜司が守ってくれた。

 あの腕輪のヒーローに再会することができた。お礼を言うことができた。それも蒼剣がめぐり合わせてくれたようなものだ。

 そしてなにより、蒼剣のいろいろな顔を見ることができた。

 ただひとつ、心の残りがあるとすれば……。

(蒼剣様の血を飲みたかったな)

 だけど、次があるかもしれなくて。
 蒼剣が、また雪辱を晴らしにきてくれるかもしれなくて。

 顔をあげれば、あの日と同じ夕暮れが夜乃の目を焦がす。

 どうやら夕暮れが少しだけ好きになれそうだ。