星落としの花嫁 ~忌み子の私が血を吸うたび、高嶺の御曹司に執着される~


「そのお金じゃ、ちょっと足りないかなぁ?」

 五歳の椿原(つばきはら)夜乃(よの)にとって、その店員の言葉は死の宣告と同義だった。

 夜乃はつわりで苦しむ母のために、高級商店までひとり買い物にきたのだ。
 なぜなら、父と医者の会話を障子越しに聞いてしまったから。

『このままでは、母子ともに危ないかもしれません』

 母は夜乃が世界で一番大好きな、憧れの存在だった。
 古来より女は男を支えるもの、という風習があるものの、椿原家は、代々陰で女性が家を切り盛りしていたことを自負とする珍しい旧家である。その中でも特に夜乃の母親は美しく、聡明な女性として有名だった。

 ――椿原の女。

 そうよく口にする母は、夜乃にとって厳しくも、大好きな、自慢の母だったのだ。

 そんな母が、つわりで何日も食事をとれなくなったせいで、以前の凛々しい姿からは見る影もないほど弱り切ってしまい、ひどく痩せてしまっていたのだ。

 居ても立ってもいられなかった夜乃は屋敷を抜け出し、お年玉を握りしめてきた。

 つやつやだった黒髪を振り回して。
 小綺麗だった着物を、泥だらけにしながら。

 すべては高級果物であるメロンを手に入れるために。

「どうしても……どうしても、ダメですか? このままじゃ、おかあしゃまが……」

 メロンは最近売られるようになった果物だ。一度だけ母と食べたとき、普段大人しい母が子どものようにはしゃいでいた姿を思い出す。

 メロンだったら、母にも食べてもらえるかも。
 一縷の望みだったメロンが手に入らないと知って、夜乃は今にも泣きそうだった。

 そのときだった。呼ばれたのか、店員が申し訳なさそうに店の奥へと下がっていく。
 だけど次に出てきたときには、大きなメロンを抱えていた。

 夜乃が前に食べたものよりも、ずっと大きくて、ずっときれいなメロンだった。

「少しぶつけちゃったものなんだけど、これでもいい?」

 目をキラキラさせた夜乃は、首をブンブン縦に振ったのだ。



 だけど、夜乃の試練はそれだけでは終わらなかった。

「おうちはどっち……?」

 陽が暮れようとしている。帰路に就く人々の波に呑まれているうちに、夜乃は家の方向がわからなくなってしまったのだ。

 自分の身体の半分近くあるメロンを抱えて、夜乃は立ちすくむ。

「おかあしゃま……」

 自然と視線が下に向いていく。自分の影に、涙が落ちそうになったときだ。
 夜乃の影の隣に、もう少し長い影が並んだ。

「ほら、上を見ろ!」

 背筋がビリッとするような大声に、自然と夜乃の顔があがる。
 すると、麦わらのカンカン帽を被った少年と目があった。
 
 彼の表情は、まるで口角が頬を突きぬけてしまいそうなほど、自信に満ちたものだった。

「よかったな、おれの美しい顔があったぞ」
「…………」

 何を言われたかわからず、夜乃はきょとんとすることしかできない。
 
 とりあえず涙が引っ込んだ夜乃は、素直な疑問をぶつけてみることにした。

「おにいしゃん、だれ?」
「正義のヒーローだ。だから、おまえを交番につれていってやる」

 躊躇うことなく告げた少年だが、夜乃にヒーローという外来語がわからない。
 だけど、それを尋ねるより先に、カンカン帽の少年は大きな歩幅で歩いて行ってしまった。

 夜乃はとっさにヒーローについていくことにするも、思ったよりも大変だった。
 大きなメロンを抱えている夜乃は転ばないようにするだけで精一杯だったのだ。

 どんどん『ヒーロー』の姿が小さくなっていく。

(おにいしゃんにおいていかれちゃう!)

 再び泣きたい気持ちになったとき、再びカンカン帽の少年の声が聞こえた。

「それはおまえの力で手に入れたメロンだ。おれが運んでやるのは簡単だが、おまえが一生懸命持って帰ったほうが、きっとメロンも甘くなるはずだ。がんばれるな?」

 振り向きもしない少年だったが、夜乃は迷わず「うん!」と頷く。

 自分が持って帰ることで、メロンがもっと甘くなる。
 そうしたら、母はもっと喜んでくれるはずだ。

(なら、がんばるしかない!)

 えっちらおっちら。
 夜乃が雑踏を鼻息荒く歩いていると、少年が「こっちのほうが近道だな」と少し薄暗い路地に入る。

 そのとき、夜乃は薄暗い場所の中でも静かに輝く、彼の腕輪に気が付いた。
 銀製の腕輪だ。細かい彫刻がされており、宝石が埋められているわけでもないのに、わずかな夕陽を受けてキラキラ輝いていて。

 夜乃が「きれい!」と口を開こうとしたときだった。
 周囲が一気に暗くなる。路地裏とはいえ、小さく夕陽は伸びていたはず。

 だけど、彼女たちの前には突如黒い壁が立ちふさがっていた。

「美味ソウナ餓鬼ドモダ……」

 あやかしだった。
 額から一本の角を生やした巨大な鬼が、夜乃たちの進行方向に立ちふさがっていて。

 鬼だった。あやかしの中で頂点に君臨する、人間でいう皇族のような存在だと、夜乃は母から聞いたことがあった。

「マズハ噛ミ応エガアリソウナホウ……」

 そんな鬼の大きな手が、少年へ延びる。
 あんなに堂々としていた少年もさすがに鬼は怖いのか、悲鳴すらもあげられずに、ブルブル震えて腰を抜かしてしまっていた。

 だけど、夜乃はちがった。目の前の『ヒーロー』を助けたかった。
 まだ五歳とて、夜乃はれっきとした『椿原の女』なのだから。

 夜乃はとっさに走り出す。

「おにいしゃんっ!」

 割れたメロンなど目に入らない。
 夜乃が少年を思いっきり突き飛ばしたことで、鬼の手は大きくからぶった。

(やった!)
「邪魔ダ!」

 夜乃が最後に見たのは、鬼の巨大な爪先だった。



 寒い中で、夜乃は聞く。

「ツマミ食イハ良クナイト言ッタジャナイカ!?」

 一本角の鬼が、二本角の鬼に怒られていた。
 夫婦なのだろうか。喧嘩はしているけど、仲は良さそうだ。

 夜乃がうすら目を開けていると、二本角の鬼が振り返った。

「勇敢ナオ嬢サンニ、慈悲ヲ」

 二本角の鬼が、自身の指先を強く噛む。
 その傷口から流れ出た一滴の赤い血が、細く呼吸をする夜乃の口元へ落ちた。

 鬼の血が、夜乃の小さな身体へと染み渡る。

 じわり。じわりと。
 その濃厚な味が、ひどく、ひどくおいしくて――。




 次に夜乃が気付いたとき、空が燃えるように真っ赤だった。

(帰らなきゃ……)

 ヒーローと名乗った少年はいない。先に帰ってしまったのだろうか。
 彼が被っていただろうカンカン帽だけが、路地に隅に落ちていた。

 とりあえず、足元に落ちていた割れたメロンを拾う。

(おかあしゃまに食べてもらうんだ)

 えっちらおっちら、夜乃は歩く。
 すれ違う人々が夜乃を恐ろしいものを見るような目を向けてくるが、夜乃は一切気にすることがなかった。

 ただ、母の匂い(・・・・)がするほうへ、砂まみれのひび割れたメロンを抱えて、歩くだけ。たとえ草履が壊れて、裸足だったとしても。もう、足は痛くなかった。

 ようやく家に着いたときには、もう陽が落ちていた。
 それなのに、門の前が騒がしい。

「夜乃! 夜乃を探しにいかせて、お願いっ!」

 どうやらやせ細った母が暴れているようだ。それを必死に父や使用人たちが取り押さえている状況らしい。泣いた母が何度も夜乃の名前を連呼している。

(帰るの、遅くなっちゃったもんな。心配かけちゃった)
(だけど、夜乃はちゃんとメロンを持ってきたよ)

 だけど、母親は夜乃と目があうと、絶望したように息を呑む。
 母親だからこそ、理解してしまったのだ。

「おかあしゃん……ただいま」

 血塗られたぼろの着物を着て、額の上部から二本の角を生やし、犬歯や爪を異常に伸ばし、赤い瞳をギラギラ光らせている――この鬼のような少女が、自分の最愛の娘であるということを。

「夜乃……?」
「おかあしゃま、メロンだよ。これで、おかあしゃま元気になるよね?」

 母親はおそるおそる手を伸ばす。
 目からボロボロと涙をこぼしながら、娘の悲劇を嘆いて、娘の未来を憂いて、愛する娘を抱きしめていいものか、迷いながら。

 だけど、少女は母親の躊躇う様子を気にしない。目的を達成した満足感と、母に会えた安心感のまま、己の衝動をまっすぐに告げた。

「だけど、おかあしゃま……夜乃、喉が渇いちゃった」

 にっこり笑って。
 ただの無邪気な子どものように。
 はじめてのおつかいで疲れた夜乃は、母親に甘えただけだった。



「血が飲みたい」