翌朝、アラームの音で目が覚めた。
いつも通り、テキパキと行動を開始したところで、はたと気づいた。
「あ、そうか。もう俺は、玖堂の目覚まし担当じゃないんだった……」
だから、こんなに早く起きる必要はないのだ。
ベッドに逆戻りしたけれど、完全に覚醒しているので二度寝はムリそうだった。
仕方なく、ゆっくりと準備を始める。どうして隣室の様子が気になる。玖堂は、ちゃんと起きているだろうか。
自分の身支度を整え、玄関を出ると……。
「え、玖堂……!?」
なんと、すでに準備を終えた玖堂が立っていた。
「おはよう、宮下」
爽やかな朝にふさわしい笑顔だ。
「あ、うん。おはよう……。ちゃんと、起きれたんだ?」
「一日目だもん。それに、自分で言い出したことだから」
「そう、だな……」
うなずきかけたところで「あ」と気づいた。
「寝癖」
「え?」
玖堂の後頭部に、寝癖を発見した。ぴょこん、と髪がハネている。
「ほら、ここだよ」
ちょっとかわいいな、と思いながら俺は手を伸ばした。
寝癖の部分に触れる直前、俺の手を玖堂がさらりと避けた。その瞬間、ずきんと心が痛む。
「触るのは、NGです」
「……俺から触るのも、ダメなのか?」
そろりと上目遣いで玖堂を見る。
「宮下に触られたら、我慢できなくなりそうだから!」
それだけ言って、玖堂は逃げるように自分の部屋に戻った。
寝癖を直しに行ったのだろう。数分後、扉を開けて再登場した玖堂は、やたらキラキラしていた。
目をすがめながら、俺は玖堂を凝視する。
「ついでに、セットしてきた」
俺を見下ろしながら、玖堂が部屋を施錠した。
あ、なるほど。髪型がきっちりしてるから、イケメン度が増したのか。
確かに、格好良さがバージョンアップしているような気がする。俺は歩きながら、じいっと玖堂のことを見た。
俺の視線に気づいたらしい玖堂は、満足そうに笑う。
「髪、整えたら格好良くなった?」
「うん……。だけど」
「だけど?」
「玖堂は、そのままでも十分すぎるくらいに格好良いよ」
決して、お世辞ではない。客観的事実だ。
「もう、宮下~~~!」
玖堂が立ち止まる。そして叫ぶ。いや、唸るという感じだった。
「な、なんだよ?」
玖堂が、大げさにため息を吐く。
「宮下って、本当に魔性だよね」
そう言って、玖堂が恨みがましい視線を送ってくる。俺が魔性なわけないだろうが。
もしも俺が「魔性の男」なら、世の中の男性たちは全員魔性だ。生まれながらにして魔性の属性が備わっていることになる。
「アホなこと言ってないで、ちゃんと歩けよ。俺は、玖堂のこと触れないんだから」
だから、引っ張って登校することもできない。
「冷静にかんがえて、腕組んで登校するとかヤバいよね」
玖堂にヤバいとか、言われたくない。
「……軽率な行動でした」
むすっとした顔で、俺は謝罪した。でも、元々は玖堂のせいだ。歩くのが遅いから。
「そのおかげで、俺は宮下を意識し始めたから。ぜんぜんOK」
そ、そうだったのか……!
思わず赤面した。その顔を見られたくなくて、玖堂に背を向ける。
「……遅刻したくないから。歩いて」
なんだか、意地を張ったみたいな声が出た。
「はーーい」
間延びした返事をしてから、玖堂はゆっくりと歩き出した。
◆
玖堂が、俺にベタベタしなくなった。
相変わらず俺のそばに陣取ってはいるものの、抱き着いたり膝の上に乗せたりといった行動はなくなった。
クラスメイトたちは、その事実にすぐ気づいたようだった。
玖堂からのスキンシップ攻撃がなくなって、まだ一日目なのに……。
常に密着しているのが当たり前だったので、違和感を覚えたらしい。真っ先に吉沢がその点に触れてきた。
「倦怠期?」
昼休み。教室でスマートフォンを触りながら、さして興味もなさそうな顔で吉沢に問われた。
「……別に」
俺は、そう答えるのが精一杯だった。
「良いよね、倦怠期って……」
俺の隣にいる玖堂が、ぼそりと言った。
世論とはかけ離れた主張だ。たいていのカップルは、倦怠期にならないよう努力するものだと思う。
初恋未経験の俺がいっても、説得力は皆無だけろうけど……。
「倦怠期は、ないほうが良いだろ」
吉沢が、まっとうなことを言う。
見た目はチャラいが、吉沢の言動はまともだった。少なくとも、玖堂よりは。
「倦怠期そのものは、ないほうが良いけどさーー。でも、倦怠期があるってことはカップル成立してるってことだろう? 俺たち付き合ってますっていうアピールだよ。そういうのマウントっていうんだよ」
腕組みした玖堂が、真剣な顔で意見を述べる。
玖堂の主張を聞いた吉沢は、ピンときたようだ。
「一進一退?」
俺のほうに顔を近づけ、小声で問う。なんという察しの良いヤツなんだ。
「……まぁ、そんなところ」
俺がうなずくと、玖堂が「あ!」と声を上げた。
「宮下……!」
「何だよ」
「また魔性を発揮してる! まったく、これだから油断できないんだよ~~」
玖堂が天を仰いだ。
その様子を見ていた吉沢は、勢いよくふき出した。
「ま、魔性……!?」
スマートフォンを机の上に置いて、吉沢が本格的に笑う体勢になる。
ひゃひゃひゃ、と心底楽しそうに笑っている。忌々しい。完全にバカにしている。
「玖堂」
俺は、ぎろりと隣のイケメンを睨んだ。
「なに」
「これから『魔性』は、禁止ワードな」
「えぇーーー!」
いや、えぇーーー! じゃ、ねえよ。
「人前では絶対に禁止。いいな?」
譲歩はしつつ、きつく言い含める。
「……わかった」
玖堂が、渋々といった感じでうなずく。なんとか納得したようだ。
吉沢とは平和なやり取りで済んだが、一軍女子たちはそうもいかない。
「ねぇ」
新田さんの声がして、俺は振り返った。
クラスの一軍女子を従えた新田さんが、笑顔で立っていた。にこにこしているというのに、怖ろしさを感じる。
俺は震えつつ、何とか虚勢を張って「どうしたの」と応対する。
「どうして、今日はベタベタしてないの?」
いきなり核心をついてきた。
「そ、それは……。その、ここは、教室だから……」
もごもごと説明していたら、玖堂の「それはね~~」という間延びした声が聞こえた。
「宮下に注意されたからなんだよ~~」
「注意? 玖堂くんが委員長に?」
新田さんの目が、キリリと吊り上がる。どうやら怒っているらしい。
俺が玖堂を注意するのは、新田さんにとっては許せないのかも……。
「そう! なんか、ちょっとやり過ぎだったみたい。恋人じゃないのにイチャイチャするのはダメなんだって。めちゃ叱られたよ~~」
ぽやぽやした顔で、玖堂は語る。新田さんとの表情の対比がすごい。
その新田さんは、玖堂の言葉を聞いて「えっ」と声を上げた。
「恋人じゃない……」
ちょっと呆然としている。まるで独り言のように、彼女は同じセリフを繰り返した。
そして、怖かった表情がウソみたいに消失する。目尻は下がり、口角が上がりまくっている。
「そうなんだーー! 私たち、ちょっと勘違いしていたみたい。だって二人は、すっごく仲が良いから~~」
大はしゃぎする新田さんに対して、玖堂がすかさず「うん。めちゃくちゃ仲良し」と合いの手を入れる。
「それは友だちとして、だよね?」
「うん」
新田さんの問いに、玖堂がうなずく。
彼女は満面の笑みを浮かべた。一軍女子メンバーと一緒に、きゃいきゃいと盛り上がっている。
俺は、ちらりと優等生女子、白石さんと唯川さんのほうに視線を向けた。
二人は素知らぬ顔をしているようだったが、俺は決して見逃さなかった。机の下で小さくガッツポーズしていたことを。玖堂と違って、俺は視力が良いのだ。裸眼でも2.0はある。
狂喜乱舞する一軍女子たち。密かに拳を握りしめる優等生女子。
……なんだか、ドッと疲れた。
これから午後の授業があるなんて信じられない。
チャイムが鳴る直前、玖堂は自分の席に戻っていった。そして、俺の耳元でささやいた。
「今はまだ、ね」
甘ったるい声だった。思わず、体がビクリと反応する。
……今はまだ、友だち。
俺は、咄嗟に耳を塞いでいた。心臓がドキドキする。赤面しそうなのを必死に堪える。
でも、ダメだ。こういう場合「赤くなるな」と思うほどに顔面は熱を帯びるのだ。
◆
その夜、夢をみた。
部屋の中に、幼い自分がひとりで座っている。
例の夢だ。やっぱり両親は遠くにいて、俺の存在に気づくことはない。俺はひとりで人形遊びをしていた。
なぜ、夢に出てくる両親はいつも遠くにいるのだろう。
現実の世界だと、俺と両親は離れて暮らしている。物理的に距離があるから、こんな風に手が届かない設定なのかもしれない。
では、なぜ自分は幼少期の姿なのか。
いつも途中で苦しくなるのは、どうしてなんだろう。
兄の洸が、俺の知っている人物像とかけ離れているのはなぜ?
辻褄が合わないのが夢だといわれれば、それまでなんだけど……。
考えているうちに、苦しくなってきた。息が絶え絶えになる。
でも、大丈夫だ。少し我慢すれば、いつものように兄が来てくれる。そう思って、俺はひたすら苦しさに耐えていた。
◆
翌日、登校すると吉沢から声をかけられた。
「ちょうど良かったんじゃない?」
スマートフォンに視線を落としたまま、吉沢が話を続ける。
「やっぱりさ。タイミング的に」
「……何の話?」
まったく理解できず、俺は首をかしげた。
椅子をギコギコしていた吉沢が、ぴたりと動きを止めた。
「もうすぐ、体育祭の準備が始まるだろ」
俺は「あぁ」とうなずいた。
そうなのだ。うちの高校は、夏休みに入る直前に体育祭がある。
吉沢のいう通り、そろそろ準備をしなければいけない。俺の仕事は増えると思う。体育祭の実行委員なので。
残念ながら、わがクラスには実行委員になりたいという生徒はいなかった。立候補者がゼロだったため、クラスの委員長である俺が体育祭の実行委員を兼ねることになったのだ。
でも、タイミング的に良いというのは一体どういうことだろう。
「昨日、玖堂が交際を否定したじゃん?」
吉沢が、ちょっと声のトーンを落とす。
「……うん」
「そのおかげで、今はクラスが良い感じになってる。まぁ、クラスっていうか女子だけど……」
「なるほど」
俺はうなずいた。
「クラスがまとまってるから、俺も実行委員としての仕事がやりやすいってこと?」
「そういうこと。あのまま玖堂がべったりな状態だったら、宮下は反感を買うだろ? 実行委員としてあれこれ指示してもさ、女子は聞かなそうじゃん」
想像しただけで、ウッとなった。
俺の顔を見ながら、吉沢が苦笑いする。
「嫉妬、マジ怖いね」
どうやら、吉沢に同情されたようだ。
しかし、彼には感謝しかない。
「吉沢って良いヤツだな」
まさか、そんな心配をしてくれるとは思っていなかった。友人に恵まれたなと、ちょっと浸っていたら。
突如として、俺の視界に玖堂がカットインしてきた。
「仮に吉沢が良い男でも、俺は負けないからな! 勝負するっていうなら、受けて立つ……!」
吉沢に対して、突如として敵意を剥き出しにする玖堂に戸惑う。
「玖堂、お前はなにを言ってるんだよ」
思わずため息を吐いた。嫉妬だろうか。だとしたら的外れも良いところだ。まったく頓珍漢なヤツめ……。
俺が呆れていると、吉沢が不服そうな顔になった。
「おい玖堂、『仮に』ってなんだよ。俺はどの角度から見ても良い男だろ」
椅子を前後に揺らしながら、吉沢が不満を漏らす。
たしかに吉沢は、おしゃれだし、今風な感じだし、よく見ればイケメンだ。友人である俺の立場も考えてくれている。良い男なのは間違いない。
よく見れば、なんて失礼な言い方だが、すぐ近くに圧倒的な美しさを誇る玖堂がいるので仕方がない。
そういう意味では、うちのクラスの男子は玖堂のせいで被害を受けている。自動的に凡庸さがアップしてしまう。雰囲気イケメンを目指そうものなら悲惨な結果になると思う。
まぁ、俺は玖堂がいてもいなくてもモブ顔なので、関係ないんだけど。
そんな風にわちゃわちゃしていたら、あっという間に時間は過ぎていった。
「ちょっと、委員長の仕事してくる」
そう言って、俺は教室の後ろから前方に移動した。課題を集めなければいけない。
黒板を背にして、皆の前に立つ。
俺の号令で、ノートが少しずつ集まってくる。
……体育祭か。
行事の中でも、かなり大きなイベントだ。便利屋として、クラスのために奉仕している自分の姿が想像できる。
無事に終われば良いなと、俺は教室を見渡しながら思った。
◆
その日の放課後。玖堂とは教室で別れた。
バイトがあるらしく、名残惜しそうに手を振りながら教室を出て行った。俺は体育祭の実行委員として、会議に参加しなければいけない。
会議室に向かおうとした俺のところに、新田さんがやって来た。
「マジで、さいあくなんだけど……」
げんなりした声だった。目が死んでいる。
彼女も実行委員なのだ。
女子はジャンケンをしたようで、最後まで負け続けた結果、実行委員になってしまったらしい。
「新田さんって、ジャンケン弱かったんだな」
ご愁傷様、と心の中で同情する。
「普段は弱くないんだからね! 選択ミスったーーー! あのとき、グーを出してれば~~~~」
新田さんが頭を抱える。
残念だが、後悔しても時間は巻き戻らない。
ひたすら落ち込む新田さんを見て、教材をまとめていた青山が声をかける。
「まぁ、宮下と新田は一年生だからな。実行委員といっても、上級生の手伝いをするだけだ。そんなに大変じゃないと思うぞ! たぶんだけど~~!」
それだけ言って、青山は教室から出て行った。
たぶんかよ、と心の中でツッコむ。相変わらずいい加減な教師だ。
テンションの低い新田さんと一緒に、俺は会議室に向かった。
棟が違うので、渡り廊下を歩いて移動する。新田さんは、歩きながら「は? 遠いだけど」とか「めんどう~~」とか、ひたすら文句を言っていた。
隣を歩く彼女を見下ろしながら、俺は苦笑いした。
新田さんの気持ちは、分からないでもない。
俺は生来の委員長キャラなので、こういう役割には慣れている。「褒められたい」という欲求もあって実行委員を引き受けたが、新田さんにとってはただの面倒事だろう。
ようやく会議室が見えて来た。中に入ると、ずらりと椅子が並べられていた。
パイプ椅子に腰を下ろし、ホワイトボードを見つめる。会議室内は、静かだけれど熱気に包まれているというか、独特な雰囲気が漂っていた。
その理由は、上級生たちにあった。やる気が漲っているのだ。
自分たちで最高の体育祭を作ろう! 的な気合を感じる。
「……この空気感、苦手なんだけど」
隣に座っている新田さんが、大きくため息を吐く。
「まぁまぁ」
俺は新田さんを宥める。しばらくすると、実行委員長だという三年生の男子生徒が俺たちのところにやって来た。
「実行委員会へようこそ」
薄いフレームのメガネを押し上げながら、実行委員長が微笑む。握手を求められたので、俺は「よろしくお願いします」と言いながら彼の手を握った。
隣で新田さんが震えているのが分かった。俺は外面の良さを発揮して、自己紹介(新田さんの分も)を丁寧に行った。
満足そうな顔でうなずき、立ち去っていく実行委員長の後ろ姿を眺めながら、ホッと胸を撫でおろす。
「え、きも。なにアイツ……」
新田さんは未だに震えている。両手で自分の腕をすりすりしている。鳥肌が立っているのだろう。
「さむいんだけど」
もちろん気温が低いとか、そういう意味ではない。ドン引きしているのだ。
「変わったタイプの熱血だよな」
理論派の熱血というか……。
一日目の会議は、去年の体育祭の反省会から始まった。
反省をいかして、今年はより良いものにしようということだった。時間配分と確認を怠らないようにと、実行委員長がホワイトボードにマーカーで記している。
続いて、Tシャツのデザインをどうするかという議題に移行する。
「Tシャツって、なによ?」
新田さんが、ちらりと俺を見る。
「体育祭の当日、皆が同じTシャツを着るんだよ」
そうすると、一致団結している感じが出る。
背中に漢字一文字を入れたり、スローガンを入れたりするのだ。そういう意味では神アイテムかもしれない。
「あ、それ。SNSでよく見るやつだ……!」
新田さんのテンションが、一気に浮上する。
「はい!」
勢いよく新田さんが挙手する。
「私、色はピンクが良いです! かわいいやつ!」
とにかく映えるTシャツが良いと新田さんは力説する。
積極的に発言したことで、新田さんの案が採用された。Tシャツの色は、ド派手なピンク色に決定してしまった。
「ピンクか。ちょっと、恥ずかしいな……」
高校生男子が着用するには、少し尻込みする色だ。
「委員長は、顔が地味だから似合わないかもね~~」
足を組み替えながら、ふふんと新田さんが笑う。なんという意地の悪い顔だろう。
新田さんは、実は美少女顔なのだ。しかし、ちょっとキツめなので悪役が似合う。今の笑みは悪役そのものだった。
「……新田さんは、似合うかもな」
キツめの悪役顔だから。
「そうでしょ?」
新田さんが、ますます得意げな顔になる。
く、悔しいぃ。どうせ俺はモブ顔だよ……!
ふん! くそが! 悪役美少女め!
表情筋がピクピクする。俺はなんとか平静を装いながら、心の中で罵詈雑言を浴びせまくっていた。
◆
それから一週間後。
俺と新田さんは実行委員として、今日も会議に出席している。
新田さんは腕を組みながら、ホワイトボードにガンを飛ばしていた。ヤンキー顔負けの圧だった。
「だる。マジで早く終わってほしいんだけど……」
きれいに整えられた眉が、ぎゅうっと寄っている。
壁にかかった時計にチラチラと視線を送っているのを見て、「もしかして」と思う。
「予定でもあるのか?」
会議中なので、声のトーンを落として新田さんに話しかける。
「遊ぶ約束があるのよ」
「……なるほど」
俺がうなずくと、新田さんにギロリと睨まれた。
「今、『なんだ遊びの約束かよ』って思ったでしょ」
怖ろしい目で見上げられ、俺はビビりまくる。
「お、思ってないぞ……」
嘘です。ちょっと思ってました。
「友だちと遊ぶことはね、勉強するよりも大事なことなの」
おっしゃる通りでございます。
「そ、そうなんだ」
「将来、後悔したくないから。遊んでおけば良かったって」
「……勉強しておけば良かったっていう後悔は?」
「しない」
断言され、なにも言えなくなる。
彼女の場合、本当にその類の後悔とは無縁の人生を送る気がする。ちょっと羨ましい。
いつだって今を最大限に楽しんでいる。
「そういうわけだから、委員長」
「え?」
な、何?
「私の分もお願いするわ」
「何の話?」
「フラワーペーパー」
足を組み替えながら、新田さんが圧をかけてくる。瞬きをする度に、つけ睫毛がバッサバッサと揺れる。
フラワーペーパーとは、その言葉通り紙で作った花のこと。「おはながみ」ともいわれるらしい。入学式や卒業式でも目にするやつだ。
実行委員が持ち帰って、割り当てられた個数を制作することになっている。
そのフラワーペーパー作りを俺に押し付けようという魂胆のようだ。さすがは悪役美少女。
「いいけど。そのかわり……」
ビビりな俺は、仕方なく承諾した。
しかし、交換条件は出させてもらう。
「家まで運んでくれる? さすがに一人で持って帰れないから」
フラワーペーパーの材料は、袋にまとめて入れられている。会議室の隅に置かれているその袋を見ながら、さすがに二つも抱えて帰るのは困難だと新田さんに訴える。
「……委員長の家って、どこ?」
嫌そうな顔で、新田さんが俺に確認する。
「駅から、ちょっと歩いたところ」
「仕方ないわね」
長い髪をかき上げながら、新田さんが息を吐く。交渉成立だ。どうやら、駅チカ物件だったことが功を奏したらしい。
会議を終えると、俺と新田さんは一緒に学校を後にした。フラワーペーパーの材料が入った袋を抱えながら。
そして、アパートに到着した彼女がひと言。
「ボロいわね」
自分でも常々思っていることだが、他人からいわれると良い気はしない。
「人が住んでる家になんてこと言うんだよ」
「事実じゃない」
まぁ、そうだけど。
「俺の部屋、二階だから」
そう言って、俺は階段を上り始める。
「えぇーー! 二階まで持って行くの? 私が?」
「もちろん」
「エレベーターは!?」
「こんなボロいアパートに、そんなものあるわけないだろ」
俺が肩をすくめると、新田さんは目を吊り上げた。
「委員長のばか!」
新田さんは、小学生かというような反応を見せた。
それでも袋を抱えながら、階段を一段一段上がってくる。
「もう、なんで私が……!」
ぶつぶつと文句を言いながら、なんとか二階までやって来た。
そして、袋を俺に向かって投げつける。ちょうど鍵を開けていたので避けられず、俺の背中にヒットした。
「痛ぇ」
「嘘ばっかり」
確かに、そこまで衝撃はなかったけども。
「ちゃんと運んだからね。あとのことは頼んだわよ!」
命令口調で言って、長い髪をシャラーーーンとかき上げる。いかにも悪役ちっくな仕草だったので、俺は感心してしまった。
やっぱり悪役美少女で間違いない。
彼女は踵を返し、ガンガンと音を立てながら階段を下りていく。
「……新田さん」
「何!」
振り返りながら、新田さんが叫ぶ。
「気をつけて帰れよ」
「まだ帰らないわよ!」
そういえば、そうだった。
これから遊ぶに行くのだ。それで俺が、作業を押し付けられたわけで……。
小さくなっていく新田さんの後ろ姿を見ながら、俺はやれやれとため息を吐いた。
そして、大きな袋を自分の部屋に入れようとしたとき。ガチャリ、と隣の部屋の扉が開いた。
長身イケメンが扉の奥から姿を現す。
「おかえり」
ずいぶんと沈んだ声だ。
「あ、玖堂。ただいま……」
「今さっきいたのって、新田さん?」
「そうだけど」
どうやら、声で分かったようだ。
「宮下って……」
「何だよ」
「新田さんのこと、かわいいとか思ってない?」
あ、これは嫉妬だな。
さすがの俺でも分かる。というか、玖堂が分かりやすいタイプなのかも。
「……かわいいところはあると思うよ」
たぶん。バシバシの睫毛は怖いけど。睨まれると恐怖だけど。
威圧的な態度がなくなれば……まぁ、元々は美少女だし……と考える。
「宮下って、ほんと魔性だよね」
出た。玖堂の俺に対する謎の魔性設定。
げんなりしたが、ここは教室ではないので注意するのはやめた。
「どういうこと? どの部分が魔性なの」
「男子にも女子にもちょっかいをかけるところ!」
ビシッと指を差され、思わず仰け反る。
「ちょっかいって、まさか新田さんのことか……?」
玖堂が、大きくうなずく。
俺は思わず脱力した。さすがに誤解が過ぎるので、訂正しておく。
彼女が、俺の部屋の前まで来ることになった経緯。押し付けられた作業のこと。懇切丁寧に解説してやったのに、玖堂の表情は晴れない。
「だって仲良かったもん!! すっごく親しそうな声が聞こえたもん!!」
いや、そんな力いっぱい「もん!!」を連呼されても……。
げんなりしていると、玖堂が「嫌わないで!」と涙目で縋りついてくる。
嫉妬で喚いてからの泣き落とし。メンヘラなのかお前は。
「……とりあえず、部屋入る?」
こんなところで騒いでいたら近所迷惑だ。
俺は扉を開けて、玖堂に「どうぞ」と促したのだけど。
「は、入っていいの? 本当にいいの? 俺が? 宮下の部屋に……?」
玖堂が震えながら、何度も俺に確認する。さすがに興奮し過ぎだと思う。
「別にいいよ」
そういえば、玖堂の部屋には頻繁にお邪魔していたけど、自分の部屋に招き入れたことはなかった。
フラワーペーパーの材料が入った袋を玄関から引っ張り込んでいると、玖堂が「何これ?」と不思議そうな顔になる。
「だから、新田さんが持って来たやつ」
「あの、ふわふわした花を作る材料?」
「そう」
俺がうなずくと、玖堂が袋をひょいっと持ち上げた。特技が「力持ち」だと豪語するだけある。紙とはいえ、そこそこの重量はあるのに……。
「作るの手伝うよ」
「あ、ありがとう……」
ちょっと、いや、かなり助かる。
さっそくダイニングテーブルに材料を広げた。実際に作りながら、俺は玖堂に手順を説明した。
まずは、紙を重ねてじゃばらに折る。そうして真ん中を輪ゴムでとめる。
一枚ずつ丁寧に開いていく。破れやすいので注意が必要だ。
ちなみに、一枚目は中心の部分になる。しっかりと開き起こすのがコツらしい。実行委員長がホワイトボードの前で力説していた。
慣れてくると、こんもりとしたかわいい形の花になる……と、俺は説明していたんだけど。
向かいの席に腰を下ろした玖堂は、目を閉じたままピクリとも動かない。ひたすら深呼吸を繰り返している。
「……寝てるのか?」
「ちがう」
「じゃあ、何」
「宮下の部屋の空気を浴びてる」
え、きも。
シンプルに震える。どんなイケメンが発してもきもいセリフだ。
理解しがたい人物を目にすると、人間は震える生き物らしい。
あのときの新田さんもこんな感じだったんだな……と今さら理解した。
「……いや、浴びてるっていうか思いっきり吸い込んでるよな?」
深い呼吸を繰り返している玖堂に、俺は思わずツッコんだ。
「人間って、つまらない生き物だよね」
目を閉じたまま玖堂が言葉を続ける。
「急にどうしたんだよ」
悟りでも開いたんだろうか。
「大好きな人の部屋にいても、その空気を肺に入れたら二酸化炭素にしちゃうんだから」
いや、きも。
悟りではなく、ヤバい扉を開きかけている気がする。
「ばかなこと言ってないで、手を動かせよ」
「うん」
「ちなみに俺の説明、聞いてた? 作り方を教えてたんだけど」
「聞いてなかった」
くそが……!
拳が震える。しかし、怒っていても作業は終わらない。俺は大きくため息を吐いた。
そしてもう一度、最初から説明を始めたのだった。
◆
当日は、晴天に恵まれた。
吹奏楽部のファンファーレが合図となり体育祭は始まった。
俺は競技に参加するよりも、実行委員としての活動に精を出していた。上級生の指示に従い、ひたすら便利屋として働く。
同じ実行委員である新田さんも、かなり忙しそうだった。スマートフォンで今という瞬間を切り取る作業に追われている。
ド派手なピンク色のTシャツは、彼女によく似合っていた。
クラスの一軍女子と一緒になって、きゃいきゃいとはしゃいでいる。楽しそうでなによりだ。
結局、彼女はペーパーフラワーをひとつも制作することなく今日という日を迎えた。
俺は、頭上にちらりと視線をやった。
巨大な看板がある。『白波高校 第三十回 体育祭』と書かれたこの看板に、俺と玖堂が作ったペーパーフラワーは貼り付けられている。
俺が作成したこんもりと美しい花も、玖堂が不器用さを発揮して作った歪な形の花も、他のペーパーフラワーに混じって看板に彩を添えていた。
体育祭は、予定していた時間通りに進んでいるようだ。
実行委員長の顔を見れば分かる。トラブルもなく順調のようで、俺は安堵する。実行委員の上級生たちが張り切っているので、このまま何事もなく終われば良いなと思う。
午後になって、日陰で休憩していたら玖堂がやって来た。
「宮下、お疲れさま」
ペットボトル飲料を手渡され、俺はありがたく受け取った。
「ありがとう」
「順調?」
「たぶん」
ペットボトルのキャップを開けながら、俺はうなずく。
「たぶんって……。宮下は、実行委員なんでしょ」
「そうだけど。下級生だから」
ゴクリと飲む。炭酸飲料の泡が、喉の奥でしゅわしゅわと弾ける。爽やかなレモン風味だった。
「指示されたことをこなすだけだよ」
だから楽なのだ、と玖堂に説明する。
「……メガネの三年生と、よく話してたね」
どうやら、見られていたようだ。
「あの人が、実行委員長だよ」
「ふうん」
「彼から指示されるんだ」
私的な会話ではなく、指示を受けていただけ。
つまり、玖堂が嫉妬する必要はないことを暗に伝えたのだけど……。
「実行委員長のこと、格好良いとか思ってないよね?」
残念ながら、玖堂には伝わらなかったようだ。
明らかな嫉妬の目で、俺をじいっと見る。
「……まぁ、的確な指示を出すなとは思うけど」
一年生の頃から実行委員をしているようなので、無駄のない采配だった。
「そういえば、誘われたな」
二年生になっても実行委員になって欲しいと言われた。人員確保に苦労しているのかもしれない。
俺の言葉を聞いて、玖堂が明らかな動揺を見せた。
「さ、さささ、誘われた……!?」
真っ青な顔で、口をパクパクさせている。今にも卒倒しそうだった。
「勘違いするなよ。勧誘されただけだから」
苦笑いしながら、俺は玖堂を宥めた。
しばらくすると、アナウンスが流れた。リレー選手は集合するようにという放送だった。
「呼ばれてるよ」
玖堂に声をかける。
運動神経に秀でているので、玖堂はリレーの選手に選ばれていた。しかもアンカー。
「……行ってくる」
しょんぼりと背中を丸めながら、玖堂が歩き出す。
「テンション低いな」
「だって、宮下が」
ふくれっ面で、玖堂が振り返る。
「俺がなんだよ」
「実行委員の仕事で忙しそうだから」
「皆のために、お勤めしてるんだろうが」
身を粉にして、便利屋稼業に勤しんでいる。文句をいわれる筋合いはないはずだ。
「見ててくれる?」
「何を」
「走ってるとこ」
なるほど。俺に見て欲しいのか……。
「分かった。見る見る」
「……本当に?」
玖堂が疑いの目を向けてくる。
そして「返事が軽い」と文句を垂れる。
「ちゃんと見るよ。リレーが始まったら」
「始まったらって……。それじゃあ、見逃しちゃうよ」
「アンカーなんだろ? 余裕」
十分に間に合う。問題ない。俺は「早く集合場所に行け」と急かしながら、玖堂の背中を押した。
◆
クラス対抗のリレーが始まった。
俺は自分のクラスを応援しつつ、出番を待つ玖堂に視線を送る。
玖堂は、のんびりした表情で準備体操をしていた。手をぶらぶらしたり、足首をぐるぐる回したり。しかも、かなりのゆっくりペース。
こんなときまで省エネモードらしい。大丈夫なのだろうか。もうレースは始まっているのに。
というか、準備体操はもっと前に済ませておけよ……と、俺は呆れた。
順当にバトンは渡っていく。いよいよアンカーの出番だ。先頭を走るA組のバトンが、アンカーに託された。
俺たちのB組は、ひとつ順位を上げて三位でバトンを手渡した。吉沢が前の走者を一人抜いたのだ。
吉沢って意外に走るの早かったんだな、と感心する。
観戦している生徒のボルテージが、少しずつ上がっていくのが分かる。
吉沢からバトンを受け取った玖堂は、一気に加速して前の走者を躱した。綺麗なフォームだ。やっぱり脚が長いと有利なのかな、と考えながら声援を送る。
「見てるぞーーー!」
距離的に、俺の声は聞こえないはずだ。それなのに、まるで俺の声が届いたみたいに玖堂のスピードが増した。
ひときわ大きな歓声が上がる。
ゴール直前、先頭を走っていたA組のアンカーに玖堂が追い付いた。
俺が立っている位置からでは判別できなかったけど、どうやら先にゴールテープを切ったのは玖堂らしかった。
多少は息切れしているものの、相変わらずのおっとりした感じで玖堂は喜んでいる。
駆け寄った吉沢が、玖堂の肩に腕を回す。
他のリレーメンバーともハイタッチしている。
その光景を見ながら、青春だなという感想を抱く。
「さすがに格好良さすぎるだろ……」
思わず、言葉が漏れた。絵になるヤツだ。
汗を拭う仕草まで、完璧に様になっている。
ドラマの撮影とかじゃないよな……? と錯覚するほどだった。もしも、ここが撮影現場だったら。
応援しているだけの自分は、間違いなくモブキャラだ。
そんなことを思っていたら、何やら周囲がざわついていることに気づいた。生徒をかき分けるようにして、ゴールテープを切ったアンカーが少しずつ近づいてくる。
不思議なこともあるものだ。モブキャラであるはずの俺のところに、光り輝く主役が近づいてくる。真っ直ぐに、俺だけを見て。
ごくりと息を飲んだ。
しかし、残念ながらヒーローは俺のところにはたどり着かなかった。
途中で女子生徒に呼び止められた。
俺の耳にも「玖堂くん」という澄んだ声が届いた。
玖堂の腕に、細い手が絡まる。
その瞬間、玖堂の視線が俺から外れた。ゆっくりと、玖堂が女子生徒のほうを見る。まるでスローモーションのような映像だった。
俺はその場から動くことができず、ただ見ていることしかできなかった。
しばらくして、俺は我に返った。
目の前には、ブチ切れ寸前の新田さんの顔面があった。
「A組の女子よ……!」
忌々しそうに、新田さんがつぶやく。
「何が?」
「玖堂くんに告白してる子」
「え、あ、告白……」
そうか。さっきの女子生徒に、玖堂は告白されているのか。
今さら理解が追い付いて、俺の心臓はチクリと痛んだ。
「それにしても、A組の男子は悲惨よね」
「何で」
「リレーの最後で玖堂くんに抜かれるし、クラスの女子も玖堂くんに告白してるし」
確かに、そう言われてみれば……。
「地味女子だったのよね」
そう言って、新田さんがくちびるを噛む。
「玖堂に告白してる子?」
「そう。玖堂くん、その子に手を引かれて校舎裏に消えて行ったのよ。今、まさに告白の真っ最中なんだわ……」
またしても、俺の心臓がズキンと痛む。
「やっぱり私の意見は正しかったわね」
眉間に皺を寄せながら、新田さんは静かにうなずく。
「意見?」
「そうよ。私ね、玖堂くんは地味な子に取られると思ってるんだ」
「へぇ……」
そういえば、新田さんは以前からそんなことを言っていた気がする。
「玖堂は、あの子とは付き合わないと思う」
だって玖堂は、俺のことが好きだし。
何気なく、ぼそりとつぶやいた瞬間。ものすごい勢いで新田さんが食いついてきた。
「ちょっと、委員長! それってどういう意味!? まさか、玖堂くんに本命がいるってこと……? その相手、委員長は知ってんの?」
つけ睫毛バシバシの怖い顔が、俺の鼻先にまで近づいてくる。圧がすごい。マジで恐怖だ。
「い、いや、あの」
「勿体ぶってないで、教えなさいよ! 早く! ボコるわよ!」
お願いだから、ボコるのは勘弁してください。
「そ、そんな気がしただけ……。ただの勘。理由とかは、ない」
俺は言葉を濁した。まさか「玖堂が好きなのは俺だよ」とか、言えない。口が裂けても言えない。
ごにょごにょと言う俺を見て、新田さんが舌打ちをする。そして項垂れる。
「……とりあえず、委員長の勘を信じるわ」
そう言って、新田さんはスマートフォンをささっと操作した。俺の隣に立ち、ピッタリと密着してくる。
「な、何……?」
戸惑う俺に、彼女はスマートフォンのカメラを向ける。
「撮るわよ」
どうやらツーショットを撮影するつもりらしい。
「俺と一緒に写って、意味あるのか?」
そう言いつつ、とりあえずカメラ目線を意識する。
「同じ実行委員じゃん」
「……まぁ、そうだな」
新田さんは、ほとんど仕事をしてないけどな。
俺はひっそりと心の中でつぶやいた。
パシャパシャと撮影してから、すぐに加工を施している。
盛りに盛った画像は、もはや原型を留めていなかった。新田さんはデカ目のJK。俺も肌ツヤが良くなっていた。韓流アイドルを模倣しているDKに見えなくもない。
「なるほど。ちょっと、面白いな……」
自分の顔を加工するという経験がなかった。なので、新鮮ではある。
俺は、新田さんの手の中にあるスマートフォンをのぞき込んだ。
風が吹いて、新田さんの長い髪が俺の腕に当たる。ツヤツヤした髪だ。女子だな、という当たり前の感想を抱く。
こんなに長い髪を手入れするのって大変なんだろうなとか、そういえばメイクも気合が入ってるし、毎日本当にご苦労様です、とおしゃれ女子の新田さんを慮った。
そんなことを考えていたら、背後からたくましい腕が伸びてきた。
ガシッと上半身を羽交い絞めにされ、そのまま新田さんから引き離される。
もしかしなくて……いや、俺にこんなことをするのは一人しかいない。
「宮下」
低い声で呼ばれた。
同時に、やっぱりなと思う。
「玖堂くん!!」
新田さんが、急に乙女の顔になる。
俺といるときとは別人みたいに、目がきゅるるんと輝く。
力いっぱい足掻いて、なんとか玖堂の腕の中から脱出した。ちょっと抵抗しただけでは、ビクともしなかった。まったく、無駄に力持ちなヤツだ。
「二人で、なにしてるの?」
玖堂が、にこにこと微笑んでいる。でも目が笑っていない。
「……今という瞬間を切り取ってた」
俺が答えると、玖堂のこめかみがピクピクと反応する。
あ、怒っているなと察する。
「思い出を作るなら、俺とでしょ」
笑顔のまま、静かに玖堂が言う。
「作る! 玖堂くんと思い出つくるーーー!」
勘違いをしたらしい新田さんが、びゅんっと玖堂に接近する。ものすごいスピードというか、身のこなしだった。
こんなに早く動けるなら、新田さんは女子のリレーに出場するべきだったんじゃないだろうか……。
きゃいきゃいとはしゃぐ新田さんを横目で見ながら、俺は「じゃあ」と言って立ち去ろうとした。
なぜだか、今は玖堂と女子の姿を視界に入れたくなかった。
相手がA組の女子でも。
新田さんでも。一緒にいるところを見たくない。
「宮下、どこ行くの」
咎めるように玖堂が言う。
俺は、振り向かないで答えた。
「実行委員の仕事が、まだ残ってるから……」
絞り出すように、それだけを言った。それから、俺は駆け出した。
さっきから、ちょっと心の中がモヤモヤしている。不快感に近い。
まず、告白されるのは良いんだけど!
モテるから仕方ないけど!
でもさ、大人しく女子に手を引かれてたって何? 手を繋ぎながら校舎裏に行ったってこと? は? 意味わからないんだけど!
というか、校舎裏ってなに!?
玖堂こそ、二人で何してるんだって話じゃん。
想像するとイライラが募る。面白くない。不愉快極まりない。
俺はむすっとしたまま、実行委員の仕事を終えた。
体育祭は無事に終了し、実行委員会は一旦解散となった。
新田さんが中心となって、クラスでの打ち上げが開催されることになったが、もちろん俺は不参加。そういう場は苦手だ。というか、今はムリ。
ちょっと平静ではいられない。
頭の中を整理しないと。
俺は、玖堂のほうをちらりと見た。どうやら、玖堂も打ち上げは不参加のようだ。バイトがあるらしい。こんな日までシフトを入れるとか、どんだけ体力オバケなんだよ。
ざわめく教室から、俺はそっと抜け出した。
悶々としながら帰路に着く。
考えるのは、玖堂のことばかり。
俺はアパートの外階段を駆け上がった。そして、後ろ手で玄関の扉を閉める。
「なんだ、この苛立ちは……」
自分の感情に戸惑う。
最初は、ごく些細な違和感というか。イラッとしただけだったのに。
考えれば考えるほど、胸の中がイヤな気持ちでいっぱいになる。
玖堂が女子に告白された。
その事実だけで、こんなにも不快感を覚えている。
「なんか、新田さんにまで嫉妬しちゃったじゃん……」
自嘲気味につぶやいた一言に、ちょっと衝撃を受けた。
あ、そうか。これって、嫉妬なのか……。
嫉妬。
もし、この感情が嫉妬なのだとすれば辻褄が合う。
「俺は、玖堂のことが好き……?」
友人の好きじゃなくて、そういう意味で好き。
恋人になりたいの好き。
「うん、そうだ」
玄関に座り込みながら、自分の言葉にうなずく。
頭の中に、色んな玖堂の映像が流れてくる。
ベッドの上で、無防備に眠っていた玖堂。俺に手を引かれて登校する玖堂。いつもゆるっとTシャツを愛用している玖堂。でも、バイトのときはパリッとした白シャツを纏っている玖堂。
いつもおっとり笑っている顔。前髪が鬱陶しそうな仕草。俺の作った夕食を美味しそうに頬張っていた姿。俺に好きだと言ったとき。
「うわーーーー! なんか恥ずかしい! 急に恥ずかしくなってきた」
俺は顔を覆いながら、寝室に直行した。
ベッドにダイブして、手足をバタバタさせる。
「あ~~~、初恋だ……」
枕に顔を押し付けながら、くぐもったを漏らす。
相変わらず、玖堂の映像は流れ続けている。どうやって一時停止すれば良いのか分からない。初恋なので仕方がない。
バタバタとベッドの上で暴れながら、俺は気づいたら眠ってしまっていた。
◆
かすかな物音で目を覚ました。
眠い目を擦りながら、スマートフォンを探す。時刻を確認すると、まだ九時過ぎだった。
物音は、玖堂の部屋から聞こえる。どうやら、バイトから戻って来たらしい。
勤務中の白いシャツ姿の玖堂が頭に浮かぶ。キリッとした姿。その玖堂に忍び寄る女性客……。
俺は、ハッとした。
一気に覚醒する。ベッドから這い出て、洗面所に向かう。冷たい水で顔をバシャバシャと洗い、気合を入れる。
「よし……!」
呑気に寝ている場合ではない。
この世は、競争社会だ。早いもの勝ち、なんて言葉もある。
俺は自分の部屋を出て、隣室に向かった。目覚まし係ではなくなったが、まだ合鍵は俺の手元にあった。
鍵を開けて、部屋に突入する。
ドカドカと勢いよく廊下を歩き、ダイニングへ。
「え、宮下……?」
エプロン姿の玖堂がいた。
いきなり部屋に侵入してきた俺を見て、玖堂は目をパチパチさせている。
「な、なに? どうしたの?」
「勝手に部屋に入って、ごめん」
「それは良いんだけど。なにかあったの……?」
心配そうな顔で、俺に近づいてくる。
「玖堂が、バイト中に」
「うん」
「女性客と、触れ合ってた」
「え?」
玖堂が、首をかしげる。自分が意味不明なことを言っているのは理解している。
俺の勝手な想像だった。イメージが頭の中に流れ込んできただけ。でも、実際に触れ合っていたのは間違いない。
いつだったか、玖堂が働いている姿を見に行ったことがあった。
コインランドリーに行った日だ。雨が続いていたから、まだ六月だったはず。
俺はこの目で見た!
女性客が玖堂の指に触れていたことを……!!
「接客していると、そういうこともあるとおもう」
玖堂が、真っ当なことを言う。
「そんなことは分かってるよ。だけど腹が立つ」
「えっと。宮下は、怒ってるの……?」
困惑した顔で、玖堂が俺を覗き込んでくる。
「怒ってるっていうか……。玖堂だって、人のこと言えないだろ」
「俺?」
「いつも、嫉妬してるじゃんか。青山とか、吉沢とか、新田さんとか、あとは……」
俺は、指折り数えた。けっこうな人数だ。
そういえば、実行委員長である三年生にも嫉妬していた気がする。
「好きなら、嫉妬くらいするでしょ」
「そうだよ、だから……!」
「だから?」
「俺も、嫉妬してる。玖堂がバイトしているところ見て、女の人と手が触れてて。あのときは特に何も思わなかった。でも、今は……」
玖堂が、息を飲んだのが分かった。
「……というか。そういえば、今日さ。A組の女子に告白されてたよな?」
俺は、玖堂をじろりと睨んだ。
自分がこんなに嫉妬をするタイプだとは知らなかった。
「う、うん」
「もちろん、断ったよな?」
背伸びして、玖堂に圧をかける。断ったと信じている。そうでないと許さない。
「ちょっと、押しが強かったんだよ」
「はぁ?」
俺のこめかみがピキピキと反応する。
「いや、うん。断ったよ。なんとか断った」
その言葉に、俺はホッと胸を撫でおろす。
ちょっと、こいつは危ない。ぽやーーっとしているから、強引なアプローチをされたら押し切られる可能性がある。
「どうやって断ったんだよ」
「好きな人がいるって言った」
玖堂の答えに満足する。思わず頬が緩む。
「よし、良い子だ」
俺は、玖堂の頭をよしよしと撫でた。
柔らかな髪の感触に、ドキリとする。
「これからは『好きな人がいる』じゃなくて、『恋人がいる』って言えよ」
稀代のモテ男なので、これからも告白される状況は多々あるだろう。
俺は自分の気持ちを告げると同時に、その部分を言い含めようとしたのだが。
肝心の玖堂は、まさかの無反応だった。
真顔で黙り込んでいる。
「く、玖堂……?」
ちょっと焦った。俺の意図というか、気持ちが伝わらなかったのだろうか。
玖堂は、ぼんやりしているところがあるからな。まったく、仕方がない。ここは男らしく、思い切って自分の気持ちを伝えよう。
はっきりと。大きな声で……。
「好きだ」
実際に発声してみると、どういうわけか俺の声は震えていた。
おまけに、消え入りそうなほどに小さい。おかしい。俺の声量は、ごく平均的な男子高校生であるはず。
そんなことを考えていたら、目の前の玖堂に変化があった。ぐず、と洟をすすっている。
ブラウンの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。俺はビビッた。玖堂がめそめそと泣いていることよりも、その麗しさに。顔を歪めているのに、それでも美しい。
美形って、すごいな……。
いや、そんなことよりも。
「な、泣くなよ」
思わず、ぶっきらぼうな声が出た。
好きな子が泣いている、という状況に立ち会ったのは生まれて初めてなので、どう対応すれば良いか分からない。ハンカチを渡すのか? それともティッシュ?
おろおろとしていたら、またしても玖堂が、ズッと洟をすする。
「泣いてないよ」
ごしごしと目元を擦りながら、玖堂が言う。その声が濡れている。
玖堂は、赤くなった目で俺を見た。おずおずと笑う。
あ、かわいい。
胸がきゅんとなる。
イケメンのくせに、かわいいって意味不明だ。いや、もしかしたら格好良いとかわいいは同時に成立するのだろうか。それとも、好きだからかわいく見えるのか……?
玖堂の泣き顔を見ていたら、ある答えに気づいた。
こういう場合は、ハンカチやティッシュを渡すのが最善の策ではない。抱きしめれば良いのだ。
俺は背伸びして、玖堂の首に腕を回した。
やさしく引き寄せて、よしよしと慰める。すると、玖堂は激しく泣き出した。なぜだ。
まったく泣き止む気配はない。
俺は仕方なく、指で玖堂の目元を拭った。俺の指先が睫毛に触れる。水分を含んだ玖堂の睫毛は、ひどく柔らかかった。
ふいに、新田さんの睫毛を思い出した。
つけ睫毛なので、たぶんゴワゴワしていると思う。あと、無駄に戦闘力が高い。瞬きするだけで威圧されているように感じる。
「新田さんの睫毛って……」
俺が言いかけると、玖堂が「いやだ」と静止する。
「他の子と比べないでよ」
え、なに。
めちゃくちゃかわいいんだが。
なんだろう。この胸の奥が、ぎゅーーっとなる感覚は。
「比べてない」
「……ほんとう?」
「玖堂が、唯一無二でかわいい」
自分でも、何を言っているんだと呆れる。ちょっと玖堂に毒されているのかもしれない。でも、本心であることは間違いないわけで……。
「俺も、宮下のこと。世界で一番かわいいとおもってる」
にこ、と玖堂が微笑む。相変わらず、涙は止まっていないけど。
「世界一かわいいって、俺が……?」
思わず苦笑いした。やっぱり、玖堂には視力検査が必須かもしれない。
そう思いながら、俺はよしよしと玖堂をあやし続けていた。
いつも通り、テキパキと行動を開始したところで、はたと気づいた。
「あ、そうか。もう俺は、玖堂の目覚まし担当じゃないんだった……」
だから、こんなに早く起きる必要はないのだ。
ベッドに逆戻りしたけれど、完全に覚醒しているので二度寝はムリそうだった。
仕方なく、ゆっくりと準備を始める。どうして隣室の様子が気になる。玖堂は、ちゃんと起きているだろうか。
自分の身支度を整え、玄関を出ると……。
「え、玖堂……!?」
なんと、すでに準備を終えた玖堂が立っていた。
「おはよう、宮下」
爽やかな朝にふさわしい笑顔だ。
「あ、うん。おはよう……。ちゃんと、起きれたんだ?」
「一日目だもん。それに、自分で言い出したことだから」
「そう、だな……」
うなずきかけたところで「あ」と気づいた。
「寝癖」
「え?」
玖堂の後頭部に、寝癖を発見した。ぴょこん、と髪がハネている。
「ほら、ここだよ」
ちょっとかわいいな、と思いながら俺は手を伸ばした。
寝癖の部分に触れる直前、俺の手を玖堂がさらりと避けた。その瞬間、ずきんと心が痛む。
「触るのは、NGです」
「……俺から触るのも、ダメなのか?」
そろりと上目遣いで玖堂を見る。
「宮下に触られたら、我慢できなくなりそうだから!」
それだけ言って、玖堂は逃げるように自分の部屋に戻った。
寝癖を直しに行ったのだろう。数分後、扉を開けて再登場した玖堂は、やたらキラキラしていた。
目をすがめながら、俺は玖堂を凝視する。
「ついでに、セットしてきた」
俺を見下ろしながら、玖堂が部屋を施錠した。
あ、なるほど。髪型がきっちりしてるから、イケメン度が増したのか。
確かに、格好良さがバージョンアップしているような気がする。俺は歩きながら、じいっと玖堂のことを見た。
俺の視線に気づいたらしい玖堂は、満足そうに笑う。
「髪、整えたら格好良くなった?」
「うん……。だけど」
「だけど?」
「玖堂は、そのままでも十分すぎるくらいに格好良いよ」
決して、お世辞ではない。客観的事実だ。
「もう、宮下~~~!」
玖堂が立ち止まる。そして叫ぶ。いや、唸るという感じだった。
「な、なんだよ?」
玖堂が、大げさにため息を吐く。
「宮下って、本当に魔性だよね」
そう言って、玖堂が恨みがましい視線を送ってくる。俺が魔性なわけないだろうが。
もしも俺が「魔性の男」なら、世の中の男性たちは全員魔性だ。生まれながらにして魔性の属性が備わっていることになる。
「アホなこと言ってないで、ちゃんと歩けよ。俺は、玖堂のこと触れないんだから」
だから、引っ張って登校することもできない。
「冷静にかんがえて、腕組んで登校するとかヤバいよね」
玖堂にヤバいとか、言われたくない。
「……軽率な行動でした」
むすっとした顔で、俺は謝罪した。でも、元々は玖堂のせいだ。歩くのが遅いから。
「そのおかげで、俺は宮下を意識し始めたから。ぜんぜんOK」
そ、そうだったのか……!
思わず赤面した。その顔を見られたくなくて、玖堂に背を向ける。
「……遅刻したくないから。歩いて」
なんだか、意地を張ったみたいな声が出た。
「はーーい」
間延びした返事をしてから、玖堂はゆっくりと歩き出した。
◆
玖堂が、俺にベタベタしなくなった。
相変わらず俺のそばに陣取ってはいるものの、抱き着いたり膝の上に乗せたりといった行動はなくなった。
クラスメイトたちは、その事実にすぐ気づいたようだった。
玖堂からのスキンシップ攻撃がなくなって、まだ一日目なのに……。
常に密着しているのが当たり前だったので、違和感を覚えたらしい。真っ先に吉沢がその点に触れてきた。
「倦怠期?」
昼休み。教室でスマートフォンを触りながら、さして興味もなさそうな顔で吉沢に問われた。
「……別に」
俺は、そう答えるのが精一杯だった。
「良いよね、倦怠期って……」
俺の隣にいる玖堂が、ぼそりと言った。
世論とはかけ離れた主張だ。たいていのカップルは、倦怠期にならないよう努力するものだと思う。
初恋未経験の俺がいっても、説得力は皆無だけろうけど……。
「倦怠期は、ないほうが良いだろ」
吉沢が、まっとうなことを言う。
見た目はチャラいが、吉沢の言動はまともだった。少なくとも、玖堂よりは。
「倦怠期そのものは、ないほうが良いけどさーー。でも、倦怠期があるってことはカップル成立してるってことだろう? 俺たち付き合ってますっていうアピールだよ。そういうのマウントっていうんだよ」
腕組みした玖堂が、真剣な顔で意見を述べる。
玖堂の主張を聞いた吉沢は、ピンときたようだ。
「一進一退?」
俺のほうに顔を近づけ、小声で問う。なんという察しの良いヤツなんだ。
「……まぁ、そんなところ」
俺がうなずくと、玖堂が「あ!」と声を上げた。
「宮下……!」
「何だよ」
「また魔性を発揮してる! まったく、これだから油断できないんだよ~~」
玖堂が天を仰いだ。
その様子を見ていた吉沢は、勢いよくふき出した。
「ま、魔性……!?」
スマートフォンを机の上に置いて、吉沢が本格的に笑う体勢になる。
ひゃひゃひゃ、と心底楽しそうに笑っている。忌々しい。完全にバカにしている。
「玖堂」
俺は、ぎろりと隣のイケメンを睨んだ。
「なに」
「これから『魔性』は、禁止ワードな」
「えぇーーー!」
いや、えぇーーー! じゃ、ねえよ。
「人前では絶対に禁止。いいな?」
譲歩はしつつ、きつく言い含める。
「……わかった」
玖堂が、渋々といった感じでうなずく。なんとか納得したようだ。
吉沢とは平和なやり取りで済んだが、一軍女子たちはそうもいかない。
「ねぇ」
新田さんの声がして、俺は振り返った。
クラスの一軍女子を従えた新田さんが、笑顔で立っていた。にこにこしているというのに、怖ろしさを感じる。
俺は震えつつ、何とか虚勢を張って「どうしたの」と応対する。
「どうして、今日はベタベタしてないの?」
いきなり核心をついてきた。
「そ、それは……。その、ここは、教室だから……」
もごもごと説明していたら、玖堂の「それはね~~」という間延びした声が聞こえた。
「宮下に注意されたからなんだよ~~」
「注意? 玖堂くんが委員長に?」
新田さんの目が、キリリと吊り上がる。どうやら怒っているらしい。
俺が玖堂を注意するのは、新田さんにとっては許せないのかも……。
「そう! なんか、ちょっとやり過ぎだったみたい。恋人じゃないのにイチャイチャするのはダメなんだって。めちゃ叱られたよ~~」
ぽやぽやした顔で、玖堂は語る。新田さんとの表情の対比がすごい。
その新田さんは、玖堂の言葉を聞いて「えっ」と声を上げた。
「恋人じゃない……」
ちょっと呆然としている。まるで独り言のように、彼女は同じセリフを繰り返した。
そして、怖かった表情がウソみたいに消失する。目尻は下がり、口角が上がりまくっている。
「そうなんだーー! 私たち、ちょっと勘違いしていたみたい。だって二人は、すっごく仲が良いから~~」
大はしゃぎする新田さんに対して、玖堂がすかさず「うん。めちゃくちゃ仲良し」と合いの手を入れる。
「それは友だちとして、だよね?」
「うん」
新田さんの問いに、玖堂がうなずく。
彼女は満面の笑みを浮かべた。一軍女子メンバーと一緒に、きゃいきゃいと盛り上がっている。
俺は、ちらりと優等生女子、白石さんと唯川さんのほうに視線を向けた。
二人は素知らぬ顔をしているようだったが、俺は決して見逃さなかった。机の下で小さくガッツポーズしていたことを。玖堂と違って、俺は視力が良いのだ。裸眼でも2.0はある。
狂喜乱舞する一軍女子たち。密かに拳を握りしめる優等生女子。
……なんだか、ドッと疲れた。
これから午後の授業があるなんて信じられない。
チャイムが鳴る直前、玖堂は自分の席に戻っていった。そして、俺の耳元でささやいた。
「今はまだ、ね」
甘ったるい声だった。思わず、体がビクリと反応する。
……今はまだ、友だち。
俺は、咄嗟に耳を塞いでいた。心臓がドキドキする。赤面しそうなのを必死に堪える。
でも、ダメだ。こういう場合「赤くなるな」と思うほどに顔面は熱を帯びるのだ。
◆
その夜、夢をみた。
部屋の中に、幼い自分がひとりで座っている。
例の夢だ。やっぱり両親は遠くにいて、俺の存在に気づくことはない。俺はひとりで人形遊びをしていた。
なぜ、夢に出てくる両親はいつも遠くにいるのだろう。
現実の世界だと、俺と両親は離れて暮らしている。物理的に距離があるから、こんな風に手が届かない設定なのかもしれない。
では、なぜ自分は幼少期の姿なのか。
いつも途中で苦しくなるのは、どうしてなんだろう。
兄の洸が、俺の知っている人物像とかけ離れているのはなぜ?
辻褄が合わないのが夢だといわれれば、それまでなんだけど……。
考えているうちに、苦しくなってきた。息が絶え絶えになる。
でも、大丈夫だ。少し我慢すれば、いつものように兄が来てくれる。そう思って、俺はひたすら苦しさに耐えていた。
◆
翌日、登校すると吉沢から声をかけられた。
「ちょうど良かったんじゃない?」
スマートフォンに視線を落としたまま、吉沢が話を続ける。
「やっぱりさ。タイミング的に」
「……何の話?」
まったく理解できず、俺は首をかしげた。
椅子をギコギコしていた吉沢が、ぴたりと動きを止めた。
「もうすぐ、体育祭の準備が始まるだろ」
俺は「あぁ」とうなずいた。
そうなのだ。うちの高校は、夏休みに入る直前に体育祭がある。
吉沢のいう通り、そろそろ準備をしなければいけない。俺の仕事は増えると思う。体育祭の実行委員なので。
残念ながら、わがクラスには実行委員になりたいという生徒はいなかった。立候補者がゼロだったため、クラスの委員長である俺が体育祭の実行委員を兼ねることになったのだ。
でも、タイミング的に良いというのは一体どういうことだろう。
「昨日、玖堂が交際を否定したじゃん?」
吉沢が、ちょっと声のトーンを落とす。
「……うん」
「そのおかげで、今はクラスが良い感じになってる。まぁ、クラスっていうか女子だけど……」
「なるほど」
俺はうなずいた。
「クラスがまとまってるから、俺も実行委員としての仕事がやりやすいってこと?」
「そういうこと。あのまま玖堂がべったりな状態だったら、宮下は反感を買うだろ? 実行委員としてあれこれ指示してもさ、女子は聞かなそうじゃん」
想像しただけで、ウッとなった。
俺の顔を見ながら、吉沢が苦笑いする。
「嫉妬、マジ怖いね」
どうやら、吉沢に同情されたようだ。
しかし、彼には感謝しかない。
「吉沢って良いヤツだな」
まさか、そんな心配をしてくれるとは思っていなかった。友人に恵まれたなと、ちょっと浸っていたら。
突如として、俺の視界に玖堂がカットインしてきた。
「仮に吉沢が良い男でも、俺は負けないからな! 勝負するっていうなら、受けて立つ……!」
吉沢に対して、突如として敵意を剥き出しにする玖堂に戸惑う。
「玖堂、お前はなにを言ってるんだよ」
思わずため息を吐いた。嫉妬だろうか。だとしたら的外れも良いところだ。まったく頓珍漢なヤツめ……。
俺が呆れていると、吉沢が不服そうな顔になった。
「おい玖堂、『仮に』ってなんだよ。俺はどの角度から見ても良い男だろ」
椅子を前後に揺らしながら、吉沢が不満を漏らす。
たしかに吉沢は、おしゃれだし、今風な感じだし、よく見ればイケメンだ。友人である俺の立場も考えてくれている。良い男なのは間違いない。
よく見れば、なんて失礼な言い方だが、すぐ近くに圧倒的な美しさを誇る玖堂がいるので仕方がない。
そういう意味では、うちのクラスの男子は玖堂のせいで被害を受けている。自動的に凡庸さがアップしてしまう。雰囲気イケメンを目指そうものなら悲惨な結果になると思う。
まぁ、俺は玖堂がいてもいなくてもモブ顔なので、関係ないんだけど。
そんな風にわちゃわちゃしていたら、あっという間に時間は過ぎていった。
「ちょっと、委員長の仕事してくる」
そう言って、俺は教室の後ろから前方に移動した。課題を集めなければいけない。
黒板を背にして、皆の前に立つ。
俺の号令で、ノートが少しずつ集まってくる。
……体育祭か。
行事の中でも、かなり大きなイベントだ。便利屋として、クラスのために奉仕している自分の姿が想像できる。
無事に終われば良いなと、俺は教室を見渡しながら思った。
◆
その日の放課後。玖堂とは教室で別れた。
バイトがあるらしく、名残惜しそうに手を振りながら教室を出て行った。俺は体育祭の実行委員として、会議に参加しなければいけない。
会議室に向かおうとした俺のところに、新田さんがやって来た。
「マジで、さいあくなんだけど……」
げんなりした声だった。目が死んでいる。
彼女も実行委員なのだ。
女子はジャンケンをしたようで、最後まで負け続けた結果、実行委員になってしまったらしい。
「新田さんって、ジャンケン弱かったんだな」
ご愁傷様、と心の中で同情する。
「普段は弱くないんだからね! 選択ミスったーーー! あのとき、グーを出してれば~~~~」
新田さんが頭を抱える。
残念だが、後悔しても時間は巻き戻らない。
ひたすら落ち込む新田さんを見て、教材をまとめていた青山が声をかける。
「まぁ、宮下と新田は一年生だからな。実行委員といっても、上級生の手伝いをするだけだ。そんなに大変じゃないと思うぞ! たぶんだけど~~!」
それだけ言って、青山は教室から出て行った。
たぶんかよ、と心の中でツッコむ。相変わらずいい加減な教師だ。
テンションの低い新田さんと一緒に、俺は会議室に向かった。
棟が違うので、渡り廊下を歩いて移動する。新田さんは、歩きながら「は? 遠いだけど」とか「めんどう~~」とか、ひたすら文句を言っていた。
隣を歩く彼女を見下ろしながら、俺は苦笑いした。
新田さんの気持ちは、分からないでもない。
俺は生来の委員長キャラなので、こういう役割には慣れている。「褒められたい」という欲求もあって実行委員を引き受けたが、新田さんにとってはただの面倒事だろう。
ようやく会議室が見えて来た。中に入ると、ずらりと椅子が並べられていた。
パイプ椅子に腰を下ろし、ホワイトボードを見つめる。会議室内は、静かだけれど熱気に包まれているというか、独特な雰囲気が漂っていた。
その理由は、上級生たちにあった。やる気が漲っているのだ。
自分たちで最高の体育祭を作ろう! 的な気合を感じる。
「……この空気感、苦手なんだけど」
隣に座っている新田さんが、大きくため息を吐く。
「まぁまぁ」
俺は新田さんを宥める。しばらくすると、実行委員長だという三年生の男子生徒が俺たちのところにやって来た。
「実行委員会へようこそ」
薄いフレームのメガネを押し上げながら、実行委員長が微笑む。握手を求められたので、俺は「よろしくお願いします」と言いながら彼の手を握った。
隣で新田さんが震えているのが分かった。俺は外面の良さを発揮して、自己紹介(新田さんの分も)を丁寧に行った。
満足そうな顔でうなずき、立ち去っていく実行委員長の後ろ姿を眺めながら、ホッと胸を撫でおろす。
「え、きも。なにアイツ……」
新田さんは未だに震えている。両手で自分の腕をすりすりしている。鳥肌が立っているのだろう。
「さむいんだけど」
もちろん気温が低いとか、そういう意味ではない。ドン引きしているのだ。
「変わったタイプの熱血だよな」
理論派の熱血というか……。
一日目の会議は、去年の体育祭の反省会から始まった。
反省をいかして、今年はより良いものにしようということだった。時間配分と確認を怠らないようにと、実行委員長がホワイトボードにマーカーで記している。
続いて、Tシャツのデザインをどうするかという議題に移行する。
「Tシャツって、なによ?」
新田さんが、ちらりと俺を見る。
「体育祭の当日、皆が同じTシャツを着るんだよ」
そうすると、一致団結している感じが出る。
背中に漢字一文字を入れたり、スローガンを入れたりするのだ。そういう意味では神アイテムかもしれない。
「あ、それ。SNSでよく見るやつだ……!」
新田さんのテンションが、一気に浮上する。
「はい!」
勢いよく新田さんが挙手する。
「私、色はピンクが良いです! かわいいやつ!」
とにかく映えるTシャツが良いと新田さんは力説する。
積極的に発言したことで、新田さんの案が採用された。Tシャツの色は、ド派手なピンク色に決定してしまった。
「ピンクか。ちょっと、恥ずかしいな……」
高校生男子が着用するには、少し尻込みする色だ。
「委員長は、顔が地味だから似合わないかもね~~」
足を組み替えながら、ふふんと新田さんが笑う。なんという意地の悪い顔だろう。
新田さんは、実は美少女顔なのだ。しかし、ちょっとキツめなので悪役が似合う。今の笑みは悪役そのものだった。
「……新田さんは、似合うかもな」
キツめの悪役顔だから。
「そうでしょ?」
新田さんが、ますます得意げな顔になる。
く、悔しいぃ。どうせ俺はモブ顔だよ……!
ふん! くそが! 悪役美少女め!
表情筋がピクピクする。俺はなんとか平静を装いながら、心の中で罵詈雑言を浴びせまくっていた。
◆
それから一週間後。
俺と新田さんは実行委員として、今日も会議に出席している。
新田さんは腕を組みながら、ホワイトボードにガンを飛ばしていた。ヤンキー顔負けの圧だった。
「だる。マジで早く終わってほしいんだけど……」
きれいに整えられた眉が、ぎゅうっと寄っている。
壁にかかった時計にチラチラと視線を送っているのを見て、「もしかして」と思う。
「予定でもあるのか?」
会議中なので、声のトーンを落として新田さんに話しかける。
「遊ぶ約束があるのよ」
「……なるほど」
俺がうなずくと、新田さんにギロリと睨まれた。
「今、『なんだ遊びの約束かよ』って思ったでしょ」
怖ろしい目で見上げられ、俺はビビりまくる。
「お、思ってないぞ……」
嘘です。ちょっと思ってました。
「友だちと遊ぶことはね、勉強するよりも大事なことなの」
おっしゃる通りでございます。
「そ、そうなんだ」
「将来、後悔したくないから。遊んでおけば良かったって」
「……勉強しておけば良かったっていう後悔は?」
「しない」
断言され、なにも言えなくなる。
彼女の場合、本当にその類の後悔とは無縁の人生を送る気がする。ちょっと羨ましい。
いつだって今を最大限に楽しんでいる。
「そういうわけだから、委員長」
「え?」
な、何?
「私の分もお願いするわ」
「何の話?」
「フラワーペーパー」
足を組み替えながら、新田さんが圧をかけてくる。瞬きをする度に、つけ睫毛がバッサバッサと揺れる。
フラワーペーパーとは、その言葉通り紙で作った花のこと。「おはながみ」ともいわれるらしい。入学式や卒業式でも目にするやつだ。
実行委員が持ち帰って、割り当てられた個数を制作することになっている。
そのフラワーペーパー作りを俺に押し付けようという魂胆のようだ。さすがは悪役美少女。
「いいけど。そのかわり……」
ビビりな俺は、仕方なく承諾した。
しかし、交換条件は出させてもらう。
「家まで運んでくれる? さすがに一人で持って帰れないから」
フラワーペーパーの材料は、袋にまとめて入れられている。会議室の隅に置かれているその袋を見ながら、さすがに二つも抱えて帰るのは困難だと新田さんに訴える。
「……委員長の家って、どこ?」
嫌そうな顔で、新田さんが俺に確認する。
「駅から、ちょっと歩いたところ」
「仕方ないわね」
長い髪をかき上げながら、新田さんが息を吐く。交渉成立だ。どうやら、駅チカ物件だったことが功を奏したらしい。
会議を終えると、俺と新田さんは一緒に学校を後にした。フラワーペーパーの材料が入った袋を抱えながら。
そして、アパートに到着した彼女がひと言。
「ボロいわね」
自分でも常々思っていることだが、他人からいわれると良い気はしない。
「人が住んでる家になんてこと言うんだよ」
「事実じゃない」
まぁ、そうだけど。
「俺の部屋、二階だから」
そう言って、俺は階段を上り始める。
「えぇーー! 二階まで持って行くの? 私が?」
「もちろん」
「エレベーターは!?」
「こんなボロいアパートに、そんなものあるわけないだろ」
俺が肩をすくめると、新田さんは目を吊り上げた。
「委員長のばか!」
新田さんは、小学生かというような反応を見せた。
それでも袋を抱えながら、階段を一段一段上がってくる。
「もう、なんで私が……!」
ぶつぶつと文句を言いながら、なんとか二階までやって来た。
そして、袋を俺に向かって投げつける。ちょうど鍵を開けていたので避けられず、俺の背中にヒットした。
「痛ぇ」
「嘘ばっかり」
確かに、そこまで衝撃はなかったけども。
「ちゃんと運んだからね。あとのことは頼んだわよ!」
命令口調で言って、長い髪をシャラーーーンとかき上げる。いかにも悪役ちっくな仕草だったので、俺は感心してしまった。
やっぱり悪役美少女で間違いない。
彼女は踵を返し、ガンガンと音を立てながら階段を下りていく。
「……新田さん」
「何!」
振り返りながら、新田さんが叫ぶ。
「気をつけて帰れよ」
「まだ帰らないわよ!」
そういえば、そうだった。
これから遊ぶに行くのだ。それで俺が、作業を押し付けられたわけで……。
小さくなっていく新田さんの後ろ姿を見ながら、俺はやれやれとため息を吐いた。
そして、大きな袋を自分の部屋に入れようとしたとき。ガチャリ、と隣の部屋の扉が開いた。
長身イケメンが扉の奥から姿を現す。
「おかえり」
ずいぶんと沈んだ声だ。
「あ、玖堂。ただいま……」
「今さっきいたのって、新田さん?」
「そうだけど」
どうやら、声で分かったようだ。
「宮下って……」
「何だよ」
「新田さんのこと、かわいいとか思ってない?」
あ、これは嫉妬だな。
さすがの俺でも分かる。というか、玖堂が分かりやすいタイプなのかも。
「……かわいいところはあると思うよ」
たぶん。バシバシの睫毛は怖いけど。睨まれると恐怖だけど。
威圧的な態度がなくなれば……まぁ、元々は美少女だし……と考える。
「宮下って、ほんと魔性だよね」
出た。玖堂の俺に対する謎の魔性設定。
げんなりしたが、ここは教室ではないので注意するのはやめた。
「どういうこと? どの部分が魔性なの」
「男子にも女子にもちょっかいをかけるところ!」
ビシッと指を差され、思わず仰け反る。
「ちょっかいって、まさか新田さんのことか……?」
玖堂が、大きくうなずく。
俺は思わず脱力した。さすがに誤解が過ぎるので、訂正しておく。
彼女が、俺の部屋の前まで来ることになった経緯。押し付けられた作業のこと。懇切丁寧に解説してやったのに、玖堂の表情は晴れない。
「だって仲良かったもん!! すっごく親しそうな声が聞こえたもん!!」
いや、そんな力いっぱい「もん!!」を連呼されても……。
げんなりしていると、玖堂が「嫌わないで!」と涙目で縋りついてくる。
嫉妬で喚いてからの泣き落とし。メンヘラなのかお前は。
「……とりあえず、部屋入る?」
こんなところで騒いでいたら近所迷惑だ。
俺は扉を開けて、玖堂に「どうぞ」と促したのだけど。
「は、入っていいの? 本当にいいの? 俺が? 宮下の部屋に……?」
玖堂が震えながら、何度も俺に確認する。さすがに興奮し過ぎだと思う。
「別にいいよ」
そういえば、玖堂の部屋には頻繁にお邪魔していたけど、自分の部屋に招き入れたことはなかった。
フラワーペーパーの材料が入った袋を玄関から引っ張り込んでいると、玖堂が「何これ?」と不思議そうな顔になる。
「だから、新田さんが持って来たやつ」
「あの、ふわふわした花を作る材料?」
「そう」
俺がうなずくと、玖堂が袋をひょいっと持ち上げた。特技が「力持ち」だと豪語するだけある。紙とはいえ、そこそこの重量はあるのに……。
「作るの手伝うよ」
「あ、ありがとう……」
ちょっと、いや、かなり助かる。
さっそくダイニングテーブルに材料を広げた。実際に作りながら、俺は玖堂に手順を説明した。
まずは、紙を重ねてじゃばらに折る。そうして真ん中を輪ゴムでとめる。
一枚ずつ丁寧に開いていく。破れやすいので注意が必要だ。
ちなみに、一枚目は中心の部分になる。しっかりと開き起こすのがコツらしい。実行委員長がホワイトボードの前で力説していた。
慣れてくると、こんもりとしたかわいい形の花になる……と、俺は説明していたんだけど。
向かいの席に腰を下ろした玖堂は、目を閉じたままピクリとも動かない。ひたすら深呼吸を繰り返している。
「……寝てるのか?」
「ちがう」
「じゃあ、何」
「宮下の部屋の空気を浴びてる」
え、きも。
シンプルに震える。どんなイケメンが発してもきもいセリフだ。
理解しがたい人物を目にすると、人間は震える生き物らしい。
あのときの新田さんもこんな感じだったんだな……と今さら理解した。
「……いや、浴びてるっていうか思いっきり吸い込んでるよな?」
深い呼吸を繰り返している玖堂に、俺は思わずツッコんだ。
「人間って、つまらない生き物だよね」
目を閉じたまま玖堂が言葉を続ける。
「急にどうしたんだよ」
悟りでも開いたんだろうか。
「大好きな人の部屋にいても、その空気を肺に入れたら二酸化炭素にしちゃうんだから」
いや、きも。
悟りではなく、ヤバい扉を開きかけている気がする。
「ばかなこと言ってないで、手を動かせよ」
「うん」
「ちなみに俺の説明、聞いてた? 作り方を教えてたんだけど」
「聞いてなかった」
くそが……!
拳が震える。しかし、怒っていても作業は終わらない。俺は大きくため息を吐いた。
そしてもう一度、最初から説明を始めたのだった。
◆
当日は、晴天に恵まれた。
吹奏楽部のファンファーレが合図となり体育祭は始まった。
俺は競技に参加するよりも、実行委員としての活動に精を出していた。上級生の指示に従い、ひたすら便利屋として働く。
同じ実行委員である新田さんも、かなり忙しそうだった。スマートフォンで今という瞬間を切り取る作業に追われている。
ド派手なピンク色のTシャツは、彼女によく似合っていた。
クラスの一軍女子と一緒になって、きゃいきゃいとはしゃいでいる。楽しそうでなによりだ。
結局、彼女はペーパーフラワーをひとつも制作することなく今日という日を迎えた。
俺は、頭上にちらりと視線をやった。
巨大な看板がある。『白波高校 第三十回 体育祭』と書かれたこの看板に、俺と玖堂が作ったペーパーフラワーは貼り付けられている。
俺が作成したこんもりと美しい花も、玖堂が不器用さを発揮して作った歪な形の花も、他のペーパーフラワーに混じって看板に彩を添えていた。
体育祭は、予定していた時間通りに進んでいるようだ。
実行委員長の顔を見れば分かる。トラブルもなく順調のようで、俺は安堵する。実行委員の上級生たちが張り切っているので、このまま何事もなく終われば良いなと思う。
午後になって、日陰で休憩していたら玖堂がやって来た。
「宮下、お疲れさま」
ペットボトル飲料を手渡され、俺はありがたく受け取った。
「ありがとう」
「順調?」
「たぶん」
ペットボトルのキャップを開けながら、俺はうなずく。
「たぶんって……。宮下は、実行委員なんでしょ」
「そうだけど。下級生だから」
ゴクリと飲む。炭酸飲料の泡が、喉の奥でしゅわしゅわと弾ける。爽やかなレモン風味だった。
「指示されたことをこなすだけだよ」
だから楽なのだ、と玖堂に説明する。
「……メガネの三年生と、よく話してたね」
どうやら、見られていたようだ。
「あの人が、実行委員長だよ」
「ふうん」
「彼から指示されるんだ」
私的な会話ではなく、指示を受けていただけ。
つまり、玖堂が嫉妬する必要はないことを暗に伝えたのだけど……。
「実行委員長のこと、格好良いとか思ってないよね?」
残念ながら、玖堂には伝わらなかったようだ。
明らかな嫉妬の目で、俺をじいっと見る。
「……まぁ、的確な指示を出すなとは思うけど」
一年生の頃から実行委員をしているようなので、無駄のない采配だった。
「そういえば、誘われたな」
二年生になっても実行委員になって欲しいと言われた。人員確保に苦労しているのかもしれない。
俺の言葉を聞いて、玖堂が明らかな動揺を見せた。
「さ、さささ、誘われた……!?」
真っ青な顔で、口をパクパクさせている。今にも卒倒しそうだった。
「勘違いするなよ。勧誘されただけだから」
苦笑いしながら、俺は玖堂を宥めた。
しばらくすると、アナウンスが流れた。リレー選手は集合するようにという放送だった。
「呼ばれてるよ」
玖堂に声をかける。
運動神経に秀でているので、玖堂はリレーの選手に選ばれていた。しかもアンカー。
「……行ってくる」
しょんぼりと背中を丸めながら、玖堂が歩き出す。
「テンション低いな」
「だって、宮下が」
ふくれっ面で、玖堂が振り返る。
「俺がなんだよ」
「実行委員の仕事で忙しそうだから」
「皆のために、お勤めしてるんだろうが」
身を粉にして、便利屋稼業に勤しんでいる。文句をいわれる筋合いはないはずだ。
「見ててくれる?」
「何を」
「走ってるとこ」
なるほど。俺に見て欲しいのか……。
「分かった。見る見る」
「……本当に?」
玖堂が疑いの目を向けてくる。
そして「返事が軽い」と文句を垂れる。
「ちゃんと見るよ。リレーが始まったら」
「始まったらって……。それじゃあ、見逃しちゃうよ」
「アンカーなんだろ? 余裕」
十分に間に合う。問題ない。俺は「早く集合場所に行け」と急かしながら、玖堂の背中を押した。
◆
クラス対抗のリレーが始まった。
俺は自分のクラスを応援しつつ、出番を待つ玖堂に視線を送る。
玖堂は、のんびりした表情で準備体操をしていた。手をぶらぶらしたり、足首をぐるぐる回したり。しかも、かなりのゆっくりペース。
こんなときまで省エネモードらしい。大丈夫なのだろうか。もうレースは始まっているのに。
というか、準備体操はもっと前に済ませておけよ……と、俺は呆れた。
順当にバトンは渡っていく。いよいよアンカーの出番だ。先頭を走るA組のバトンが、アンカーに託された。
俺たちのB組は、ひとつ順位を上げて三位でバトンを手渡した。吉沢が前の走者を一人抜いたのだ。
吉沢って意外に走るの早かったんだな、と感心する。
観戦している生徒のボルテージが、少しずつ上がっていくのが分かる。
吉沢からバトンを受け取った玖堂は、一気に加速して前の走者を躱した。綺麗なフォームだ。やっぱり脚が長いと有利なのかな、と考えながら声援を送る。
「見てるぞーーー!」
距離的に、俺の声は聞こえないはずだ。それなのに、まるで俺の声が届いたみたいに玖堂のスピードが増した。
ひときわ大きな歓声が上がる。
ゴール直前、先頭を走っていたA組のアンカーに玖堂が追い付いた。
俺が立っている位置からでは判別できなかったけど、どうやら先にゴールテープを切ったのは玖堂らしかった。
多少は息切れしているものの、相変わらずのおっとりした感じで玖堂は喜んでいる。
駆け寄った吉沢が、玖堂の肩に腕を回す。
他のリレーメンバーともハイタッチしている。
その光景を見ながら、青春だなという感想を抱く。
「さすがに格好良さすぎるだろ……」
思わず、言葉が漏れた。絵になるヤツだ。
汗を拭う仕草まで、完璧に様になっている。
ドラマの撮影とかじゃないよな……? と錯覚するほどだった。もしも、ここが撮影現場だったら。
応援しているだけの自分は、間違いなくモブキャラだ。
そんなことを思っていたら、何やら周囲がざわついていることに気づいた。生徒をかき分けるようにして、ゴールテープを切ったアンカーが少しずつ近づいてくる。
不思議なこともあるものだ。モブキャラであるはずの俺のところに、光り輝く主役が近づいてくる。真っ直ぐに、俺だけを見て。
ごくりと息を飲んだ。
しかし、残念ながらヒーローは俺のところにはたどり着かなかった。
途中で女子生徒に呼び止められた。
俺の耳にも「玖堂くん」という澄んだ声が届いた。
玖堂の腕に、細い手が絡まる。
その瞬間、玖堂の視線が俺から外れた。ゆっくりと、玖堂が女子生徒のほうを見る。まるでスローモーションのような映像だった。
俺はその場から動くことができず、ただ見ていることしかできなかった。
しばらくして、俺は我に返った。
目の前には、ブチ切れ寸前の新田さんの顔面があった。
「A組の女子よ……!」
忌々しそうに、新田さんがつぶやく。
「何が?」
「玖堂くんに告白してる子」
「え、あ、告白……」
そうか。さっきの女子生徒に、玖堂は告白されているのか。
今さら理解が追い付いて、俺の心臓はチクリと痛んだ。
「それにしても、A組の男子は悲惨よね」
「何で」
「リレーの最後で玖堂くんに抜かれるし、クラスの女子も玖堂くんに告白してるし」
確かに、そう言われてみれば……。
「地味女子だったのよね」
そう言って、新田さんがくちびるを噛む。
「玖堂に告白してる子?」
「そう。玖堂くん、その子に手を引かれて校舎裏に消えて行ったのよ。今、まさに告白の真っ最中なんだわ……」
またしても、俺の心臓がズキンと痛む。
「やっぱり私の意見は正しかったわね」
眉間に皺を寄せながら、新田さんは静かにうなずく。
「意見?」
「そうよ。私ね、玖堂くんは地味な子に取られると思ってるんだ」
「へぇ……」
そういえば、新田さんは以前からそんなことを言っていた気がする。
「玖堂は、あの子とは付き合わないと思う」
だって玖堂は、俺のことが好きだし。
何気なく、ぼそりとつぶやいた瞬間。ものすごい勢いで新田さんが食いついてきた。
「ちょっと、委員長! それってどういう意味!? まさか、玖堂くんに本命がいるってこと……? その相手、委員長は知ってんの?」
つけ睫毛バシバシの怖い顔が、俺の鼻先にまで近づいてくる。圧がすごい。マジで恐怖だ。
「い、いや、あの」
「勿体ぶってないで、教えなさいよ! 早く! ボコるわよ!」
お願いだから、ボコるのは勘弁してください。
「そ、そんな気がしただけ……。ただの勘。理由とかは、ない」
俺は言葉を濁した。まさか「玖堂が好きなのは俺だよ」とか、言えない。口が裂けても言えない。
ごにょごにょと言う俺を見て、新田さんが舌打ちをする。そして項垂れる。
「……とりあえず、委員長の勘を信じるわ」
そう言って、新田さんはスマートフォンをささっと操作した。俺の隣に立ち、ピッタリと密着してくる。
「な、何……?」
戸惑う俺に、彼女はスマートフォンのカメラを向ける。
「撮るわよ」
どうやらツーショットを撮影するつもりらしい。
「俺と一緒に写って、意味あるのか?」
そう言いつつ、とりあえずカメラ目線を意識する。
「同じ実行委員じゃん」
「……まぁ、そうだな」
新田さんは、ほとんど仕事をしてないけどな。
俺はひっそりと心の中でつぶやいた。
パシャパシャと撮影してから、すぐに加工を施している。
盛りに盛った画像は、もはや原型を留めていなかった。新田さんはデカ目のJK。俺も肌ツヤが良くなっていた。韓流アイドルを模倣しているDKに見えなくもない。
「なるほど。ちょっと、面白いな……」
自分の顔を加工するという経験がなかった。なので、新鮮ではある。
俺は、新田さんの手の中にあるスマートフォンをのぞき込んだ。
風が吹いて、新田さんの長い髪が俺の腕に当たる。ツヤツヤした髪だ。女子だな、という当たり前の感想を抱く。
こんなに長い髪を手入れするのって大変なんだろうなとか、そういえばメイクも気合が入ってるし、毎日本当にご苦労様です、とおしゃれ女子の新田さんを慮った。
そんなことを考えていたら、背後からたくましい腕が伸びてきた。
ガシッと上半身を羽交い絞めにされ、そのまま新田さんから引き離される。
もしかしなくて……いや、俺にこんなことをするのは一人しかいない。
「宮下」
低い声で呼ばれた。
同時に、やっぱりなと思う。
「玖堂くん!!」
新田さんが、急に乙女の顔になる。
俺といるときとは別人みたいに、目がきゅるるんと輝く。
力いっぱい足掻いて、なんとか玖堂の腕の中から脱出した。ちょっと抵抗しただけでは、ビクともしなかった。まったく、無駄に力持ちなヤツだ。
「二人で、なにしてるの?」
玖堂が、にこにこと微笑んでいる。でも目が笑っていない。
「……今という瞬間を切り取ってた」
俺が答えると、玖堂のこめかみがピクピクと反応する。
あ、怒っているなと察する。
「思い出を作るなら、俺とでしょ」
笑顔のまま、静かに玖堂が言う。
「作る! 玖堂くんと思い出つくるーーー!」
勘違いをしたらしい新田さんが、びゅんっと玖堂に接近する。ものすごいスピードというか、身のこなしだった。
こんなに早く動けるなら、新田さんは女子のリレーに出場するべきだったんじゃないだろうか……。
きゃいきゃいとはしゃぐ新田さんを横目で見ながら、俺は「じゃあ」と言って立ち去ろうとした。
なぜだか、今は玖堂と女子の姿を視界に入れたくなかった。
相手がA組の女子でも。
新田さんでも。一緒にいるところを見たくない。
「宮下、どこ行くの」
咎めるように玖堂が言う。
俺は、振り向かないで答えた。
「実行委員の仕事が、まだ残ってるから……」
絞り出すように、それだけを言った。それから、俺は駆け出した。
さっきから、ちょっと心の中がモヤモヤしている。不快感に近い。
まず、告白されるのは良いんだけど!
モテるから仕方ないけど!
でもさ、大人しく女子に手を引かれてたって何? 手を繋ぎながら校舎裏に行ったってこと? は? 意味わからないんだけど!
というか、校舎裏ってなに!?
玖堂こそ、二人で何してるんだって話じゃん。
想像するとイライラが募る。面白くない。不愉快極まりない。
俺はむすっとしたまま、実行委員の仕事を終えた。
体育祭は無事に終了し、実行委員会は一旦解散となった。
新田さんが中心となって、クラスでの打ち上げが開催されることになったが、もちろん俺は不参加。そういう場は苦手だ。というか、今はムリ。
ちょっと平静ではいられない。
頭の中を整理しないと。
俺は、玖堂のほうをちらりと見た。どうやら、玖堂も打ち上げは不参加のようだ。バイトがあるらしい。こんな日までシフトを入れるとか、どんだけ体力オバケなんだよ。
ざわめく教室から、俺はそっと抜け出した。
悶々としながら帰路に着く。
考えるのは、玖堂のことばかり。
俺はアパートの外階段を駆け上がった。そして、後ろ手で玄関の扉を閉める。
「なんだ、この苛立ちは……」
自分の感情に戸惑う。
最初は、ごく些細な違和感というか。イラッとしただけだったのに。
考えれば考えるほど、胸の中がイヤな気持ちでいっぱいになる。
玖堂が女子に告白された。
その事実だけで、こんなにも不快感を覚えている。
「なんか、新田さんにまで嫉妬しちゃったじゃん……」
自嘲気味につぶやいた一言に、ちょっと衝撃を受けた。
あ、そうか。これって、嫉妬なのか……。
嫉妬。
もし、この感情が嫉妬なのだとすれば辻褄が合う。
「俺は、玖堂のことが好き……?」
友人の好きじゃなくて、そういう意味で好き。
恋人になりたいの好き。
「うん、そうだ」
玄関に座り込みながら、自分の言葉にうなずく。
頭の中に、色んな玖堂の映像が流れてくる。
ベッドの上で、無防備に眠っていた玖堂。俺に手を引かれて登校する玖堂。いつもゆるっとTシャツを愛用している玖堂。でも、バイトのときはパリッとした白シャツを纏っている玖堂。
いつもおっとり笑っている顔。前髪が鬱陶しそうな仕草。俺の作った夕食を美味しそうに頬張っていた姿。俺に好きだと言ったとき。
「うわーーーー! なんか恥ずかしい! 急に恥ずかしくなってきた」
俺は顔を覆いながら、寝室に直行した。
ベッドにダイブして、手足をバタバタさせる。
「あ~~~、初恋だ……」
枕に顔を押し付けながら、くぐもったを漏らす。
相変わらず、玖堂の映像は流れ続けている。どうやって一時停止すれば良いのか分からない。初恋なので仕方がない。
バタバタとベッドの上で暴れながら、俺は気づいたら眠ってしまっていた。
◆
かすかな物音で目を覚ました。
眠い目を擦りながら、スマートフォンを探す。時刻を確認すると、まだ九時過ぎだった。
物音は、玖堂の部屋から聞こえる。どうやら、バイトから戻って来たらしい。
勤務中の白いシャツ姿の玖堂が頭に浮かぶ。キリッとした姿。その玖堂に忍び寄る女性客……。
俺は、ハッとした。
一気に覚醒する。ベッドから這い出て、洗面所に向かう。冷たい水で顔をバシャバシャと洗い、気合を入れる。
「よし……!」
呑気に寝ている場合ではない。
この世は、競争社会だ。早いもの勝ち、なんて言葉もある。
俺は自分の部屋を出て、隣室に向かった。目覚まし係ではなくなったが、まだ合鍵は俺の手元にあった。
鍵を開けて、部屋に突入する。
ドカドカと勢いよく廊下を歩き、ダイニングへ。
「え、宮下……?」
エプロン姿の玖堂がいた。
いきなり部屋に侵入してきた俺を見て、玖堂は目をパチパチさせている。
「な、なに? どうしたの?」
「勝手に部屋に入って、ごめん」
「それは良いんだけど。なにかあったの……?」
心配そうな顔で、俺に近づいてくる。
「玖堂が、バイト中に」
「うん」
「女性客と、触れ合ってた」
「え?」
玖堂が、首をかしげる。自分が意味不明なことを言っているのは理解している。
俺の勝手な想像だった。イメージが頭の中に流れ込んできただけ。でも、実際に触れ合っていたのは間違いない。
いつだったか、玖堂が働いている姿を見に行ったことがあった。
コインランドリーに行った日だ。雨が続いていたから、まだ六月だったはず。
俺はこの目で見た!
女性客が玖堂の指に触れていたことを……!!
「接客していると、そういうこともあるとおもう」
玖堂が、真っ当なことを言う。
「そんなことは分かってるよ。だけど腹が立つ」
「えっと。宮下は、怒ってるの……?」
困惑した顔で、玖堂が俺を覗き込んでくる。
「怒ってるっていうか……。玖堂だって、人のこと言えないだろ」
「俺?」
「いつも、嫉妬してるじゃんか。青山とか、吉沢とか、新田さんとか、あとは……」
俺は、指折り数えた。けっこうな人数だ。
そういえば、実行委員長である三年生にも嫉妬していた気がする。
「好きなら、嫉妬くらいするでしょ」
「そうだよ、だから……!」
「だから?」
「俺も、嫉妬してる。玖堂がバイトしているところ見て、女の人と手が触れてて。あのときは特に何も思わなかった。でも、今は……」
玖堂が、息を飲んだのが分かった。
「……というか。そういえば、今日さ。A組の女子に告白されてたよな?」
俺は、玖堂をじろりと睨んだ。
自分がこんなに嫉妬をするタイプだとは知らなかった。
「う、うん」
「もちろん、断ったよな?」
背伸びして、玖堂に圧をかける。断ったと信じている。そうでないと許さない。
「ちょっと、押しが強かったんだよ」
「はぁ?」
俺のこめかみがピキピキと反応する。
「いや、うん。断ったよ。なんとか断った」
その言葉に、俺はホッと胸を撫でおろす。
ちょっと、こいつは危ない。ぽやーーっとしているから、強引なアプローチをされたら押し切られる可能性がある。
「どうやって断ったんだよ」
「好きな人がいるって言った」
玖堂の答えに満足する。思わず頬が緩む。
「よし、良い子だ」
俺は、玖堂の頭をよしよしと撫でた。
柔らかな髪の感触に、ドキリとする。
「これからは『好きな人がいる』じゃなくて、『恋人がいる』って言えよ」
稀代のモテ男なので、これからも告白される状況は多々あるだろう。
俺は自分の気持ちを告げると同時に、その部分を言い含めようとしたのだが。
肝心の玖堂は、まさかの無反応だった。
真顔で黙り込んでいる。
「く、玖堂……?」
ちょっと焦った。俺の意図というか、気持ちが伝わらなかったのだろうか。
玖堂は、ぼんやりしているところがあるからな。まったく、仕方がない。ここは男らしく、思い切って自分の気持ちを伝えよう。
はっきりと。大きな声で……。
「好きだ」
実際に発声してみると、どういうわけか俺の声は震えていた。
おまけに、消え入りそうなほどに小さい。おかしい。俺の声量は、ごく平均的な男子高校生であるはず。
そんなことを考えていたら、目の前の玖堂に変化があった。ぐず、と洟をすすっている。
ブラウンの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。俺はビビッた。玖堂がめそめそと泣いていることよりも、その麗しさに。顔を歪めているのに、それでも美しい。
美形って、すごいな……。
いや、そんなことよりも。
「な、泣くなよ」
思わず、ぶっきらぼうな声が出た。
好きな子が泣いている、という状況に立ち会ったのは生まれて初めてなので、どう対応すれば良いか分からない。ハンカチを渡すのか? それともティッシュ?
おろおろとしていたら、またしても玖堂が、ズッと洟をすする。
「泣いてないよ」
ごしごしと目元を擦りながら、玖堂が言う。その声が濡れている。
玖堂は、赤くなった目で俺を見た。おずおずと笑う。
あ、かわいい。
胸がきゅんとなる。
イケメンのくせに、かわいいって意味不明だ。いや、もしかしたら格好良いとかわいいは同時に成立するのだろうか。それとも、好きだからかわいく見えるのか……?
玖堂の泣き顔を見ていたら、ある答えに気づいた。
こういう場合は、ハンカチやティッシュを渡すのが最善の策ではない。抱きしめれば良いのだ。
俺は背伸びして、玖堂の首に腕を回した。
やさしく引き寄せて、よしよしと慰める。すると、玖堂は激しく泣き出した。なぜだ。
まったく泣き止む気配はない。
俺は仕方なく、指で玖堂の目元を拭った。俺の指先が睫毛に触れる。水分を含んだ玖堂の睫毛は、ひどく柔らかかった。
ふいに、新田さんの睫毛を思い出した。
つけ睫毛なので、たぶんゴワゴワしていると思う。あと、無駄に戦闘力が高い。瞬きするだけで威圧されているように感じる。
「新田さんの睫毛って……」
俺が言いかけると、玖堂が「いやだ」と静止する。
「他の子と比べないでよ」
え、なに。
めちゃくちゃかわいいんだが。
なんだろう。この胸の奥が、ぎゅーーっとなる感覚は。
「比べてない」
「……ほんとう?」
「玖堂が、唯一無二でかわいい」
自分でも、何を言っているんだと呆れる。ちょっと玖堂に毒されているのかもしれない。でも、本心であることは間違いないわけで……。
「俺も、宮下のこと。世界で一番かわいいとおもってる」
にこ、と玖堂が微笑む。相変わらず、涙は止まっていないけど。
「世界一かわいいって、俺が……?」
思わず苦笑いした。やっぱり、玖堂には視力検査が必須かもしれない。
そう思いながら、俺はよしよしと玖堂をあやし続けていた。
