最近、玖堂の様子がおかしい。いや、もともとぼんやりしたヤツではあったんだけど。
そうではなくて、やたら俺に密着したがるのだ。たとえば、教室にいるとき。
急に俺を抱きしめたり、膝の上に乗せたりといった暴挙に出るようになった。周囲の目があることを考えて欲しい。
抵抗はしたものの、圧倒的体格差のせいで制圧されてしまう。
面倒なので、俺は受け入れることにした。無駄な体力を使っていては、帰宅後の勉強や家事に差し障りがある。
七月の上旬。
窓の外は、蝉がうるさいくらいに鳴いている。
昼休みになったというのに、俺の神経は休まらない。落ち着かない気分だった。食堂でも玖堂の態度は教室と同じで、俺にベタベタと密着している。
おかげで注目の的になっていた。
視線を浴びながら食べる学食のAランチは、まるで味がしなかった。隣にいる玖堂はBランチを食べている。
「うまい~~」
玖堂がにこにこ顔でナポリタンを頬張っている。かなり美味しそうに食べている。
ちなみに、Bランチはナポリタンとサラダ、コンソメスープという献立だ。ナポリタンの上には、目玉焼きがドドンと乗っている。
「良かったな」
ちょっと憎らしい。俺は、ほとんど味がしないのに。焼き鮭の身をほぐしながら、俺は玖堂に冷たい視線を送った。
「あ、この目玉焼き。今日は良い感じだーー」
玖堂は、たいていBランチを注文している。日によって、目玉焼きの焼き加減はまちまちらしい。
完全に黄身が固まっている日もあれば、半熟の日もあるようだ。まれに、ほぼ火が通っていないのでは? という状態で提供されることもあるらしい。
「半熟?」
玖堂は、半熟が好きだ。
「うん!」
うれしそうに玖堂がうなずく。
その笑顔に、なんだか絆される。いや、癒されるといったほうが良いのだろうか。
「でも、一番すきなのは宮下がつくる目玉焼きだからね」
「俺?」
「うん。黄身はいつも半熟だし、ふちのところがカリカリしてるから」
「あぁ」
俺は目玉焼きを焼くとき、油をちょっと多めに入れている。フライパンの状態が悪いので、そうしないと焦げ付くのだ。
油が多いことで、白身のふちの部分がカリッと揚げたような状態になる。
それが、玖堂は好きらしい。
「今朝のもカリカリしてて美味しかった~~」
そう言って、玖堂がにこっと笑う。
「そうか」
やっぱり、玖堂の笑顔は癒される……。そう思って、玖堂の顔をじいっと眺めていると。
「あの、さすがに食堂でイチャイチャするのはまずいんじゃ……」
向かいに座っていた吉沢が、苦笑いしながら指摘してくる。
「別に、イチャイチャはしてないぞ。玖堂が勝手に密着してくるだけだ」
玖堂からの一方的な行為なので、イチャイチャにはなっていないはずだ、というのが俺の主張だった。
「いや、うん……」
吉沢が曖昧にうなずく。
「それにしても、最近の玖堂って様子がおかしいよな?」
俺は、思っていたことを吉沢にぶつけてみた。
「まぁ、たしかに最近の玖堂は、なんというかギャップがあり過ぎだよな……」
俺の意見に、吉沢が同意する。
「あ、やっぱり! 吉沢もそう思う? 玖堂って、いつでもどこでも、ぽやーーっとしてるじゃん? かなりのぼんやり体質だろ? そのくせ、急に俺にベタベタしてきてさ。本当に意味不明だよな!」
玖堂の話題で盛り上がっていると、その本人から腕を引かれた。
「なんだよ」
「吉沢とばっかりしゃべるの禁止」
そう言って、玖堂がぎゅうっと眉を寄せる。
「ばっかりじゃないだろ」
反論しながら、玖堂の口元が汚れていることに気づく。
「ケチャップ、ついてるぞ」
俺はハンカチを取り出し、玖堂の口元を拭ってやった。
まったく、高校生にもなって。手のかかるヤツだ……。
食堂から戻っても、玖堂は相変わらず俺にべったりだった。
今月に入ってから、気温はぐんぐん上昇中だ。それなのに、玖堂は俺にべったりとへばりついている。椅子に座った状態で、俺の肩にもたれかかっている。暑くないんだろうか。
眠そうにしているので、あわよくばこのまま俺の肩を枕にしようとしているのかもしれない。
昼休みが終わるまで、この状態なんだろうか。勘弁して欲しいと思う。俺は暑い。そして重い。
「宮下~~」
担任の青山から呼ばれた。
「委員長は今、玖堂の寝かしつけをしてまーーす!」
俺のかわりに、吉沢が答えた。あの、寝かしつけって何ですか。
「まったく、玖堂は困ったやつだなぁ。今日の放課後、宮下に手伝ってもらいたいことがあるんだけど」
担任が悲しげな表情で俺にヘルプを求めてくる。いかにも「困っています」という顔だった。まったく、演技派め……。
俺は、玖堂を起こさないよう体勢を維持しながら「分かりました」と担任にOKを出す。
「放課後、残ります」
俺の返答を聞いた担任は、途端に元気になった。
「マジか! ありがとう宮下~~!」
やっぱり演技だったな、と俺が確信していると。
「あの、宮下くん……」
遠慮がちに俺を呼ぶ声があった。
振り返ると、二人の女子が立っていた。白石さんと唯川さんだった。優等生女子……の仮面を被った肉食系女子だ。
「な、何?」
内心、俺はビビッていた。なぜなら、やっぱりどう見ても雰囲気はか弱い可憐な女子だからだ。
擬態が上手すぎて混乱する。俺に一体、何の用なんだ。緊張のあまり、さっき食べた学食のAランチが、胃からせり上がってくるという体調不良に見舞われた。
「宮下くんと、玖堂くんって……」
白石さんが、ちらりと玖堂のほうに視線を移動させる。
俺の隣で爆睡している玖堂。いつの間にか、椅子に座ったままの体勢で俺をがしっと捕獲している。俺からすると、まるで抱き枕にされているような感じだった。
「付き合ってるの?」
白石さんに問われ、俺は目を見開いた。
「え、付き合ってないけど」
俺の言葉に同調するように、吉沢が「そうなんだよーー」と間延びした声で言う。
「これで、まだ付き合ったないんだよ~~」
ケラケラと笑う吉沢を睨む。「まだ」って何だよ。
「そ、そうなんだ……」
唯川さんが、納得しているようなしていないような、微妙な表情で俺と玖堂を見る。
「俺は、時間の問題だと思うんだけどーー」
椅子をギコギコさせながら、吉沢が勝手な私見を述べる。
「おい、吉沢……!」
俺が抗議の声を上げようとしたところで、玖堂が目を覚ました。
「ん……、もう帰るじかん?」
ごしごしと目を擦りながら、予想外れもいいところなことを言う。
「残念だけど、ちがう。今から午後の授業が始まるところだ」
至近距離にある玖堂の顔を見ながら、そう告げる。
「なんだ……」
玖堂が嘆息する。そして「早くかえりたい」と駄々をこね始める。
俺の肩に顔をぐりぐりと押し付けながら「サボりたい」「ねむい」と、まるで二歳児かのごとくイヤイヤと繰り返す。
さすがの吉沢も、ドン引きしたような目で見ていた。
白石さんと唯川さんは、諦めたような表情で自分たちの席に戻っていく。
俺は平和に学校生活を送れるのだろうか。嫌な予感がしてならない。玖堂に抱き着かれながら、密かにため息を吐いた。
◆
その日の放課後。
俺は担任の手伝いをするため、ひとり教室に残っていた。
教室の前方の扉が勢いよく開き、一軍女子がぞろぞろと入ってくる。俺は、あっという間に取り囲まれてしまった。
さっそく嫌な予感が的中したことを悟る。
「な、何か用……?」
通常よりかなり多めに瞬きをしながら、彼女たちに問う。
「委員長って、マジで玖堂くんと付き合ってないわけ?」
一軍女子のリーダー的存在である新田さんが口を開いた。
俺は、こくこくと首を振る。
「付き合ってない」
「これから、付き合う予定は?」
圧をかけられる。バシッと決まったメイクの顔面は強力だ。盛り過ぎな睫毛には、他人を威圧する戦闘力が備わっていると思う。
「そ、そんなものは……」
あるわけない、と言いかけたが玖堂の「友だちからはじめる」という言葉が頭をよぎった。
「委員長」
低い声にビクリとする。
「は、はい」
「否定しないの?」
「み、未来のことは分からないから……」
俺は預言者でも超能力者でもない。なので、未来のことは分からない。うん。間違ったことは言っていない。
もちろん、それで彼女たちが納得するはずもなく……。
背中に嫌な汗を感じる。ビビりまくっていると、再び前方の扉が開いた。助かった、青山が来た! と、思ったんだけど。
教室に入って来たのは、まさかの玖堂だった。
「みんなで、なにしてるの」
玖堂が、こちらに近づいてくる。
そして、一軍女子たちを見下ろす。ゆっくりと髪をかき上げる。
悠然とした態度に、新田さんをはじめ一軍女子たちはちょっと怯んだ顔を見せる。
しかし、俺には分かる。今の玖堂は何も考えていない。なぜなら、いつものぼけっとした顔だから。
モブを助けに来たヒーローに見えるかもしれないが、ぜったいに玖堂は何も考えていない。断言してもいい。
「なにしてるのって、聞いてるんだけど?」
玖堂の低い声が、静まり返った教室に響いた。
これも、決して圧をかけているのではなく。単純に疑問だから、確認しているだけだ。
けれども、女子たちは勘違いしたのか逃げるように教室を飛び出して行った。
ぼけーーっとした顔の玖堂が、パチパチと瞬きをする。
「なんだったんだろう……?」
そう言って、ゆっくりと首をかしげる。
ほら、やっぱりな。何も考えていない。
自分の予想が当たって、俺は苦笑いした。
「玖堂こそ、どうしたんだよ」
とっくに帰ったと思ったのに。
「宮下が残ってるから」
「もしかして、俺のこと待ってるつもり?」
「うん」
自分の席から、玖堂が椅子を持ってきた。どうやら本当に待つつもりみたいだ。
「たぶん、小一時間か……もしかしたら、それ以上かかるかもしれないぞ」
昼休み、玖堂は「早く帰りたい」と駄々をこねていた。そのことを思い出して、俺は忠告した。
「俺も手伝うよ。そうしたら、早くおわるでしょ」
そう言って玖堂は、にこにこと笑った。
失礼ながら、戦力になるんだろうかと疑ってしまった。いや、いないよりはマシか……。そんなことを考えていたら、青山がやって来た。
「悪い、遅くなった~~。職員会議があるのを忘れてて……」
まったく悪びれる様子もなく、青山がプリントをどさりと机に置く。
「これをまとめるんですか?」
「そう、五部ずつ」
「分かりました」
さっそく、俺はプリントに手を伸ばした。
「今日は助っ人もいるのか~~」
玖堂を見ながら、青山が満足そうにうなずく。
「助っ人になるかは分かりませんが、とりあえず頭数が増えたことは事実です」
「がんばります」
俺に失礼なことを言われているのに、気にした様子もなく玖堂が参加表明をする。
「玖堂は良い子だなーー」
青山がうれしそうに、玖堂を見る。
その言葉にカチンときた。
俺はいつも手伝ってるのに。俺のほうが、ぜったいに良い子なのに。
「遅刻することもなくなったし、先生はうれしいぞ~~」
さらにムカッとする。俺のおかげなのに。俺が毎朝、玖堂の目覚まし担当として奮闘しているから……。
胸の辺りに不快感を覚えながら、サクサクと作業を進める。長年に渡って表情筋を鍛えてきたので、こんなときでも俺は「なんでもありません」という顔ができる。
ホッチキスのバチン、という音と感触がストレス発散になることに気づいて、俺は率先してホッチキス係になった。
バチン、バチン、と力を込めながらプリントを綴じる。
狙った場所に、ホッチキスの針がいくように集中する。
バチン、バチン、と繰り返していると、ちょっと冷静さを取り戻した。
自分は一体、どれだけ褒められたいんだ……。
ちらりと視線を上げる。玖堂は、ぽやぽやした顔でプリントの束を作っている。青山もご機嫌だ。
和やかに作業をすすめる二人を見ながら、俺はひとり自己嫌悪に陥っていた。
◆
玖堂は、普通に戦力になっている。
考えてみれば当然かもしれない。玖堂は、フラワーショップの店員として業務をこなしている。それに、こう見えて実はテストの点は悪くないのだ。
朝寝坊したり、着替えるのがゆっくりだったり、ぼけっとしていることが多かったり。
玖堂のダメなところを日々、俺は目にしている。なのですっかり「ダメな子」認定してしまっていた。
……本当は、俺なんかいなくても玖堂は大丈夫なんじゃないか?
急に心許ない気分になった。置いていかれたような。
置いていかれる……?
そう思ったとき、スッと胸の奥が冷えた。
ザワザワとした不快感が体の中から湧き上がってくる。
俺の手が止まったことに気づいたのか、玖堂が顔を上げる。
「宮下……?」
名前を呼ばれた俺は「なんでもないよ」と首を振った。
作業を再開して、笑顔で取り繕う。ホッチキスで、バチン、とやったときに違和感を感じた。
一瞬の間を置いて、指先がじくじくと痛みだす。
目を凝らすと、ホッチキスの針が左手の人差し指に刺さっていた。
どうやら目測を誤ったらしい。
針を取ろうとしたところで、玖堂の「ストップ!」という鋭い声が飛んだ。
「保健室に行こう」
「え、いや……」
それは、さすがに大げさだと思う。
「あらら、刺さっちゃったかーー」
青山が立ち上がり、俺の手元をのぞき込んでくる。
「消毒してもらってきます」
玖堂が、青山に宣言する。
「おう」
青山がうなずく。
俺は、玖堂に腕を引かれた。
「えっと、保健室にはひとりで行けるから……」
ちょっと抵抗してみたけど、玖堂には無視された。有無を言わせない感じだ。
「いつも玖堂の世話してるんだからさーー、たまには逆もアリじゃないか?」
青山の言葉に、玖堂が「俺もそうおもいます」とうなずく。
二対一なので勝ち目はない。
俺は仕方なく、玖堂に連れられて保健室に向かった。
教室を出て廊下を歩く。玖堂が俺の腕をがっちりと掴んでいる。
放課後の校舎は、しんと静まり返っている。窓の外から、かすかに蝉の声が聞こえる。
俺は、自分の少し先を歩く玖堂の背中を眺めた。
「……なんか、普段と逆だな」
いつもは、俺が玖堂の手を引いて歩いている。
「そうだね。……いたい?」
玖堂が、振り返って俺に問う。
「ぜんぜん。だって、血も出てないし……」
そう言って、指先を確認すると。
「あ、ちょっと出てる」
最初見たときは、皮膚に針が食い込んでいるだけだと思ったのに。
「ちゃんと、消毒してもらおう」
そう言って、玖堂が保健室の扉を開けた。
「……あれ、先生がいない」
玖堂に続いて、俺の保健室に入る。
消毒液の匂いのする部屋をぐるりと見回した。玖堂のいう通り、養護教諭の姿はなかった。
「仕方ないな。ちょっと待ってみるか」
そう言って俺は、備品や薬品らしきものが収納された棚に視線をやった。
「宮下、こっち。早く消毒しないと」
室内をうろついく俺に、玖堂が手招きをする。そして、ちょっとだけ強引に俺を丸椅子に座らせる。
「保健室に置いてあるもの、勝手に触っていいのかよ」
「大丈夫」
何を根拠に言っているのだ。
「じゃあ、今から俺が保健の先生やるから」
ごっこ遊びでも始まるのかと思った。ピンセットを持った玖堂の顔は、真剣そのものだったけど。
慎重な手つきで、俺の指先に刺さったホッチキスの針を抜く。
針が皮膚に引っかかって、少し痛んだ。
わずかに眉を顰めた俺を見て、玖堂が「いたかった?」と確認してくる。
「ちょっとだけ。平気だよ」
「次は消毒するから」
「うん」
「また、いたむかも」
「いいよ」
消毒液が指先に垂らされる。
やっぱり、ちょっと痛い。
「先生、ちょっと痛いです」
俺がふざけたように言うと、玖堂がきょとんとした顔になる。
それから、ふふっと笑った。
かと思えば、急に真面目な顔になる。
「宮下は、先生がすきなの?」
「え? 先生?」
意味が分からず、俺は首をかしげる。
「青山先生のこと」
玖堂が、まっすぐに俺を見据える。
いつもは、ぼけっとした顔なのに。今は、信じられないくらいに真剣な表情だ。
「青山って……、まぁ、嫌いじゃないけど」
ヘラヘラとした担任の顔を思い浮かべる。
いい加減で、調子が良くて、すぐに生徒を頼りする。正直なところ「いかがなものか」と思わないでもない。
でも、頑張ったら褒めてくれるし……。そういう意味で、俺は担任のことが嫌いではない。
「青山先生は、宮下のことを良いように使いすぎだとおもう」
「……うん。そうだな」
まったくその通りなので、俺はうなずいた。
玖堂が、ぎゅっと眉を寄せる。
あ、これは不機嫌な顔だ。最近、玖堂の表情が分かるようになってきた。
「宮下は、そのことに気づいてたの?」
「まぁ……」
「じゃあ、どうして素直に従ってるの」
「……それは」
俺は口ごもった。「褒められたいから」なんて言えない。さすがに恥ずかしい。
どう言い訳しようか、思考をめぐらせていると玖堂が俺の手首を強く握った。
「痛いって」
……なんだよ。さっきは、心配そうな顔で「いたくない?」って、俺のこと気遣ってくれてたのに。
「宮下は、青山先生がすきなんだね」
「だから、嫌いじゃないって……」
何度、同じことを言わせるんだよ。
「青山先生と一緒にいたいから、放課後に居残りしたり、あれこれ手伝ったりしてるんだろう」
玖堂に断言された。「ん?」と頭の中が混乱する。
一緒にいたいから……? いや、違いますけど?
「い、異議あり……」
さすがに、見当違いもいいところなので訂正させてもらう。
「そういう意味で青山が好きとか、あり得ないから」
「……嘘だ」
「嘘じゃない。俺が、青山の手伝いをしてるのは……」
ごくり、と唾を飲む。
「褒められたいからだ」
言ってしまった。めちゃくちゃ恥ずかしい。
他人からすれば「なんだその理由」って、呆れられると思う。
恐る恐る、玖堂のほうを見た。
しかめっ面をしている。呆れている様子はないものの、ご機嫌はナナメだと推察する。
「……青山先生に褒められたいから、俺の目覚まし係を引き受けたの?」
「うん」
「やっぱり」
玖堂が、くちびるを噛む。
あまりにきつく噛んでいるので、玖堂に掴まれていないほうの手でそっと触れた。
玖堂のくちびるは、少しカサついていた。
「そんなにしたら、血が出るぞ」
玖堂が目を見張る。
そして、ぷいっと視線を逸らした。
「宮下って、魔性の男だよな……」
「は? え……?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
魔性って……。俺には縁のない言葉と思っていたのだが。
「あのさ、俺のどこをどう見たらそんなセリフが出てくるんだよ」
俺は、大きくため息を吐いた。
「好きな人がいるのに、他の男にもちょっかいをかけてる……」
「は? 俺は好きな人なんていないけど?」
「だから、青山先生が……」
しつこい~~~!!
イラッとして、思わず拳で玖堂の肩を叩いた。
非力なので、軽い肩パン程度になってしまったが。
「青山のことは、そういう意味で好きじゃないって言ってるだろ! だいたい、ちょっかいかけてるって何だよ! 俺がいつ、男にちょっかいなんてかけたんだよ!」
「さっき、俺のくちびるに触った」
むすっとした顔で、玖堂が反論する。
「それが一体、何だっていうんだよ。触っただけだろうが。お前だって普段俺に触ってるじゃんか。教室で、べったりじゃん」
「俺はいいの」
「何でだよ」
自分のことを棚に上げて俺だけ非難するなんて。見損なったぞ、と思いながら玖堂を睨む。
「好きだから」
「……はい?」
「俺は、宮下のことが好きだから。触ってもいいの。だって、好きだったら触りたいって思うでしょ。でも、宮下は好きじゃないのに触ってる。そういうの魔性っていうんだよ」
思考がショートした。言葉が頭に入ってこない。
今、玖堂は何と言った? 聞き間違いじゃないよな?
「す、好き……」
「そうだよ」
「だ、誰が、誰のことを……」
「俺が、宮下のことを」
どうやら、聞き間違いではなかったようだ。
でも、ちょっと待って。眩暈がする。
視界がぐらぐらしていたら、遠くで青山の声がした。
「出たな、間男……!」
玖堂が忌々しそうに立ち上がる。
いや、間男って。使い方、間違ってないか……?
そんなことを思っていたら、勢いよく保健室の扉が開いた。
「お~い、二人とも、声がでかいぞーー」
間延びした声が、緊迫した空気を弛緩させる。
「痴話げんかは、下校してからにしてくれ」
「いえ……、はい。すみません」
痴話げんかではないと訴えようとしたが、もしかしたらその可能性があるかもと思い、俺は踏みとどまった。
「まったく。どれだけ念入りに消毒してるんだよ。プリントの作業が終わっちゃったじゃん」
やれやれ、といった感じで青山が俺たちを見る。
「え、そうなんですか」
「やればできる先生だよ、俺は」
そう言って、青山が胸を張る。
「だったら、これからは控えてください」
玖堂にじろっと睨まれて、青山が仰け反った。
「何を?」
「あまり宮下を居残りさせないでください」
「お、おう……、分かった」
仰け反った体勢のまま、青山がうなずく。
玖堂に促され、俺は丸椅子から腰を上げた。ぐいっと手を引かれる。
頭が回らない。脳が処理できない事態になった。
ぼんやりしたまま、俺は保健室を出る直前、なんとか青山に「失礼します……」と言って頭を下げたのだった。
◆
玄関の扉を閉めて、俺は大きくため息を吐いた。そのまま、腰が抜けたみたいにズルズルと座り込む。
まだ、心臓がおかしな速さで動いている。通常営業に戻るまでは、まだ時間がかかりそうだった。
あの後、保険室を出てから一度教室に戻った。スクールバッグを取るためだ。
玖堂はバイトのシフトが入っていたようで、途中で別れた。
俺はのろのろと立ち上がり、私服に着替えた。いつものように勉強机に座ったものの、頭がぼうっとして集中できなかった。
玖堂の言葉が、頭の中で勝手に再生される。
『俺はいいの』
『好きだから』
はぁ~~~~!! 頭の中が混乱だーーー!!
告白されてしまった……!! めちゃくちゃイケメン男子に「好き」とか言われたんだけど!!!
……いかん。まだ処理が追い付かない。
なんとか冷静になる努力をして、宿題だけは終わらせた。
しかし、これ以上は集中力が持たない。今日のところは、予習と復習は諦めよう。
引き続き、家事にとりかかる。気を抜くと、すぐに玖堂の声がよみがえる。
『俺は、宮下のことが好きだから。触ってもいいの。だって、好きだったら触りたいって思うでしょ』
……いや、まぁ、思うのは良いとして。
実行に移すのはダメなのでは?
俺の気持ちを無視して、抱き着いたり抱き枕にしたり……。
教室でも食堂でも、奇異の目で見られるし。嫉妬されるし。暑いし。邪魔だし。
予習と復習を阻害されたこともあって、少しずつ怒りのボルテージが上がっていく。
「今日は、和食にしよう……!」
洗濯物をたたみ終わると、俺は立ち上がった。
「こってり味が好きな玖堂のことは無視だ~~~! 今日は、あっさり味の和食にする! もちろん、揚げ物なんてないからなーーー!」
どうだ、参ったか!!
いや、わざわざ玖堂の分を作っている時点で俺の負けだな……。そう思いながら、俺は玖堂の部屋に向かった。
今日のメインは、豆腐ハンバーグにする。
買い置きしていた豆腐と鶏ミンチでささっと作ろう。大根おろしを大量に作って、おろし和風ソースにする。大葉も添えて、さらにさっぱりさせる目論見だ。
味噌汁は、なめこ。なんといわれようと、なめこ。俺の大好物なのだ。玖堂の好きな味噌汁の具は油揚げだけど、そんなものは知らん!
冷蔵庫の中身を確認しながら副菜を考える。トマトがあるので、塩昆布と和えよう。あとは、きゅうりとハムがあるな……。
俺は冷蔵庫を一旦閉めて、戸棚をあさった。たしか先週、買っておいたはず。
「あ、あった……!」
マカロニの袋を発見する。これで、マカロニサラダをこしらえる。
塩とコショウで下味をつけて、マヨネーズで仕上げる。そうだ、ゆで卵を作ってマカロニサラダに追加してやろう。マヨネーズも心持ち、多めに入れて……。
冷蔵を開けると、油揚げが目についた。
いや、ちょっと前からその存在には気がついていたのだが、あえて見ないようにしていた。
逡巡した結果、俺は油揚げを手に取った。賞味期限を確認する。
「……置いておいても、腐るだけだしな。仕方がないから使ってやろう」
別に賞味期限は迫っていないのだが、自分を納得させるために言い訳をする。
そろそろ玖堂が帰って来る時間だ。
副菜をダイニングテーブルに並べ、豆腐ハンバーグを焼き始める。
おろし和風ソースは、想定していたよりもこってり味になった。とろみをつけたせいだろうか。調味料の分量を誤ったか。
「まぁ、美味しいから問題はないんだけど。でも……」
あんなに、あっさり味の和食を作ろうと決意したのに。
マカロニサラダはコクのある味だし、豆腐ハンバーグもしっかり味がついてるし、味噌汁は油揚げたっぷり……。
気づくと、玖堂の好みを反映した食卓になってしまっていた。
なぜこうなる。解せない。味噌汁をかき混ぜながら、俺はキッチンに立ち尽くした。
「俺って、もしかして相手に尽くすタイプ……?」
そんなことを考えていたら、頭の中で再び玖堂の『好きだ』コールが復活する。
お玉を持ったまま、ごくりと息を飲む。
ぼんやりした玖堂と、世話焼きな俺って、めちゃくちゃ良い組み合わせじゃないか……? ナイスカップルの予感……。
いやいや。待って。まだ付き合うとか、決めてないし……。
でもでもでも。玖堂の部屋で、こんな風に料理するのは好きだし。玖堂の目覚まし担当もすっかり板についてきたし、玖堂のことは好ましく思ってるし。
どうしよう!!
俺、彼氏ができるかもしれない!!
こ・い・び・と、が!! できる~~~!
うわーーー、と心の中で叫びながら、その場で足踏みをする。
非モテな人生よ! さようなら! 長く孤独な日々とも、これでおさらばだ!
「あ~~~! どうしよう!!」
「どうしたの」
「え」
振り返ると、玖堂がいた。
困惑した表情で俺のことを見ている。
まぁ、そうだろう。お玉を握りしめたまま、ハイテンションで足踏みしていたんだから。いくらなんでも様子がおかし過ぎる。
「あ、おかえり……」
「うん。ただいま」
玖堂の顔が、ふわりとゆるむ。
うわ、かっこよ……。
心臓がズンドコと反応する。俺は動揺を悟られないよう、手に持っていたお玉で味噌汁をすくった。
豆腐ハンバーグと一緒にテーブルに運ぶ。あとは麦茶を取ってきて、箸置きをセットして……。
ちょこまかと動いていたら、玖堂が「ハンバーグだ」とうれしそうに声を上げた。
「あ、うん……」
思わずドキッとした。
玖堂は、なんというか舌がお子様なのだ。だからハンバーグは大好き。でも……。
「き、今日のハンバーグは、いつもとは違ってて……」
「ちがうって、なにが?」
着席しながら、不思議そうな顔で俺を見る。
「和風ハンバーグなんだ。豆腐と鶏ミンチで作ってて。だから、あっさりしてると思う」
ちょっとした意趣返しというか。いじわるな感情から、あっさり和食を作ってしまった。なので非常に気まずい。
準備が終わり、俺はしずしずと椅子に腰を下ろした。
「いただきます!」
玖堂が、勢いよく手を合わせる。
そして、迷いなく和風ハンバーグに箸を伸ばした。
「美味しいーー!」
そう言って、ごはんをもりもりとかきこむ。相変わらず食べっぷりが良い。
「あの、味付け大丈夫……? もし味が薄かったら、追加で調味料を足すけど」
俺の問いに、玖堂は首を振る。
「ぜんぜん。ちょうど良いよ」
曇りなき眼だ。俺の良心が、ズキズキと痛む。
「……いじわるして、ごめん」
「いじわる?」
「玖堂は、濃い味が好きじゃん? それなのに今日は、あっさりな味にしたから」
「こんないじわるなら、毎日されてもいいけど」
トマトの塩昆布和えを口に運びながら、玖堂が微笑む。
思わず、胸がトゥンク……! となる。
か、かかか、かっこよーーー! 俺の彼氏って、中身までイケメンーーーー!
いや、気が早い。まだ彼氏じゃなかった。
俺は、ポットからグラスに麦茶を注いだ。そして、がぶ飲みする。
最後の一滴まで飲み干し、空になったグラスをダン! とテーブルに置く。
「く、玖堂……!」
勢いをつけたつもりだったのに、いざ口を開くと蚊の鳴くような声しか出なかった。
「どうしたの」
もぐもぐと咀嚼しながら、玖堂が俺のほうを見る。
「ほ、保健室でのことなんだけど……」
ごくっと飲み込んでから、玖堂が「あぁ」とうなずく。
「な、なんかさ。玖堂は、その、勘違いをしてたみたいだから。改めて説明しようと思って……!」
「勘違い?」
「そう! とりあえず、俺が青山の対して特別な感情を持ってるとか、そういうことは絶対にない! 褒められたいっていうのは、その、誰でも良いというか……。むしろ全人類から賞賛されたいというか。褒められると、安心するんだよ……」
気づいたら、俯いていた。
変なことを言っている自覚はあるから。
「だから、張り切って勉強とかしちゃうし、玖堂の目覚まし係も引き受けちゃうし」
「宮下が、委員長をやってるのはそのため? 褒められたいから?」
玖堂の声が聞こえて、ぱっと顔を上げた。
いつの間にか、玖堂は箸を置いていた。真剣な表情で俺のほうを見ている。
「……うん」
観念したように、俺は玖堂に打ち明けた。
俺が、褒められたい理由。
両親に構ってもらえなかったこと。周囲の人間が、兄ばかり可愛がっていたこと。
玖堂は、ずっと黙って聞いてくれていた。
「ほら、俺ってめちゃくちゃ地味じゃん? 黙ってたら空気じゃん? だから頑張ってるんだーー! 俺みたいなやつは、普通にしてたら注目されないんだよな~~! ちゃんとそこにいるのに、いないみたいな扱いされたらイヤじゃん?」
わざと茶化したように、明るく話をした。
頑張って笑顔を作ったけど、玖堂は一緒に笑ってはくれなかった。
そのことに安堵した。やっぱり、笑ってする話じゃなかった……。
密かに落ち込んでいたら、玖堂が口を開いた。
「宮下は、ぜんぜん空気なんかじゃない」
「え……」
「空気というなら、必要不可欠という意味で空気だけど。俺にとっては」
は、はい?
「あ、呼吸するほうの空気ってこと……?」
「そうだ」
真面目な顔で肯定されて、俺は思わず赤面した。
「宮下は、自分が注目されてないっていうけど。それは、宮下の醸し出す雰囲気が清楚で控えめだからだ」
せ、清楚……? 今、このひと清楚って言った?
聞き間違いだろうか、と俺がひたすら困惑していると。
玖堂が、ぐわっと俺のほうに身を乗り出してきた。
「俺は、運が良かった」
「な、なんで?」
「宮下が目立たなかったおかげで、誰のものにもならずに済んだ」
めっちゃ、熱烈に告白してくるな……。
というか、ディスられてない?
「わ、悪かったな。誰のものにもなったことなくて」
「できれば、俺のものになって欲しい」
「ひょえ」
椅子に座った状態で、ちょっと飛び上がってしまった。
というか、恥ず……。思いっきり変な声が出たんだけど。
だってムリだもん。こんな国宝級イケメンに懇願されるとか。
「まさか、気づいてなかったとは言わないよね?」
「な、何が」
「俺の気持ち」
「保健室で聞いて、初めて知ったけど……」
玖堂が両手で顔を覆う。
「あんなにアピールしてたのに」
アピール!?
「た、たとえば、どんな……?」
「教室で抱き着いたりとか、肩にもたれかかったりとか」
あれか!!
「あとは、膝の上に宮下を乗せたりもした」
心当たりがあり過ぎる。
「……玖堂」
「うん?」
「教室は、そういう行為に及ぶ場所じゃないからな」
突如として、俺の委員長としての顔が出る。
「あと、許可なく相手に触るのはダメだ」
「はい」
「自分勝手なのはNG。相手の気持ちを考えないと」
「反省してます」
殊勝な態度だ。玖堂は、深々と頭を下げている。
「でも、最初に触れたのはたぶん俺だから。俺も謝ります。ごめんなさい」
なんといっても、俺には腕組んで登校したという前科がある。
「けど、あれは腕を組んでるっていうか。引っ張ってただけなんだけどな……? 不可抗力というか。遅刻しそうだったし……」
ブツブツとつぶやく俺を見ながら、玖堂が笑っている。
「なんで、ちょっとうれしそうなんだよ」
「宮下が、かわいいから」
「はい?」
またしても意味不明なことを言い出す。
清楚とか、かわいいとか……。
そういえばいつだったか、俺のことを美人とか評していたっけ。
やはり、玖堂は眼球になにかしらの異常があるようだ。眼科の受診をすすめようかと本気で悩む。
「恋人になったら、好きなだけしても良いってことだよね?」
「……それは、俺に抱き着いたり、膝の上に乗せたりとかっていう話?」
「うん」
満面の笑みで、玖堂が返事をする。
「恋人になっても、教室ではダメだ」
「なんで」
「バカップルだから。周りに迷惑だから。公共の場でそんなことはしないの、少なくとも俺は」
「そうなんだ……」
玖堂は、がっくりと項垂れた。
「こ、公共の場じゃなかったら、まぁ……」
ぼそぼそとつぶやいたら、玖堂の表情が晴れやかになる。
どうやら、聴覚のほうは問題がないようだ。
「だったら、恋人になれば問題ないね」
「う、うん」
心臓が跳ねる。あぁ、ダメだ。俺はとうとう……!
とうとう誰かのものになってしまう……!
「あとは、俺ががんばるだけだね」
「……ん?」
玖堂は一体、何を頑張るというんだ?
「宮下にふさわしい男になるために! いつか、宮下と恋人になれるように……!」
「へ?」
玖堂が決意表明をする。俺は、ぽかんとしながらそれを聞いた。
「あ、あの……」
「これからは、自分ひとりで起きられるようになるから」
「え、それって」
俺は、目覚まし係の任を解かれるってこと?
「ひとりで起きられないヤツのことなんて、宮下は好きにならないと思う!」
断言された。確かに、自分で起きれたほうが良いとは思うけど。
「あと、俺の分の夕食を作るのは一旦終わりで良いから」
「え、そんな。何で……?」
「宮下みたいに、ちゃんと自炊ができるようになりたい」
笑顔で言われて、俺は押し黙ってしまった。
「上手に作れるようになったら、宮下に食べさせてあげるからね。それまで待ってて」
「……う、うん」
いや、ちょっと理解が追い付かない。
「もう、玖堂の部屋で料理しちゃダメってこと?」
「宮下がいたら甘えちゃうから、ダメ」
玖堂が、手でバツを作る。
なんだよ。それじゃ、俺がこの部屋に来る理由がなくなっちゃうじゃん。出禁ってこと?
「一緒に、登校はするよな……?」
縋るような気持ちで、玖堂に確認する。
「それは、もちろん」
玖堂がうなずく。俺は、ホッと息を吐いた。
勢いよく夕食を平らげていく玖堂を見ながら、俺もなんとか箸をつけた。空腹だったはずなのに、食欲が湧かない。
咀嚼するのが億劫に感じて、飲み込むのがやっとだった。
◆
その日の夜。
俺は、ベッドの上で何度も寝返りをうった。いつもは電池が切れたみたいに、ベッドに倒れ込んでいる。エネルギーを使い果たしたみたいになる。
でも今日は、なかなか寝付くことができなかった。
考えるのは、玖堂のことだ。
玖堂は、俺のことを好きだと言った。
俺だって玖堂のことは憎からず思っているし、当然付き合うものだと思っていた。
でも……。
俺は、玖堂に好きだと言えなかった。
玖堂が、あまりにも真っ直ぐに「好き」だと言うから。俺は自分の気持ちが分からなくなってしまった。
好きって、どういう感情なんだろう……。
玖堂のことは、人間的に好きだと思う。素直だし、良いヤツだ。ぼんやりしているところも、嫌いじゃない。
一緒にいるとドキドキする。でも、それは玖堂がイケメンだからかもしれない。
類まれなる美貌を前にして、心臓が反応しているだけかも……?
これって、好きだってことで良いんだろうか。なんだか、違う気がする。いや、好きかと問われれば好きなんだけど。
「恋愛対象かどうか、ってことなんだよな。要は……」
人間的に好ましく思っているだけなら、それは友人。
恋愛的な意味で好きなら、恋人。
俺には難問だった。いかんせん、俺には恋愛経験がない。
散々、非モテだといって自虐していたが、それ以前の問題だったことに気づいた。
「俺って、誰かを好きになったことないかも……」
改めて思い返してみると、それは紛れもない事実で。
「え、俺って、初恋もまだってこと……!?」
どうりで、友人としての「好き」か、恋人としての「好き」か、判別できないわけだ。
「マジか……」
衝撃の事実だ。同級生たちは、付き合ったり別れたりを繰り返しているというのに。
その度に、キャッキャとはしゃいで青春を謳歌しているというのに。
俺は、未だに初恋もナシ。
ベッドに仰向けになった。リング上で、大の字でダウンしている感覚だった。
打ちのめされたような気分のまま、気づいたら俺は眠っていた。
そうではなくて、やたら俺に密着したがるのだ。たとえば、教室にいるとき。
急に俺を抱きしめたり、膝の上に乗せたりといった暴挙に出るようになった。周囲の目があることを考えて欲しい。
抵抗はしたものの、圧倒的体格差のせいで制圧されてしまう。
面倒なので、俺は受け入れることにした。無駄な体力を使っていては、帰宅後の勉強や家事に差し障りがある。
七月の上旬。
窓の外は、蝉がうるさいくらいに鳴いている。
昼休みになったというのに、俺の神経は休まらない。落ち着かない気分だった。食堂でも玖堂の態度は教室と同じで、俺にベタベタと密着している。
おかげで注目の的になっていた。
視線を浴びながら食べる学食のAランチは、まるで味がしなかった。隣にいる玖堂はBランチを食べている。
「うまい~~」
玖堂がにこにこ顔でナポリタンを頬張っている。かなり美味しそうに食べている。
ちなみに、Bランチはナポリタンとサラダ、コンソメスープという献立だ。ナポリタンの上には、目玉焼きがドドンと乗っている。
「良かったな」
ちょっと憎らしい。俺は、ほとんど味がしないのに。焼き鮭の身をほぐしながら、俺は玖堂に冷たい視線を送った。
「あ、この目玉焼き。今日は良い感じだーー」
玖堂は、たいていBランチを注文している。日によって、目玉焼きの焼き加減はまちまちらしい。
完全に黄身が固まっている日もあれば、半熟の日もあるようだ。まれに、ほぼ火が通っていないのでは? という状態で提供されることもあるらしい。
「半熟?」
玖堂は、半熟が好きだ。
「うん!」
うれしそうに玖堂がうなずく。
その笑顔に、なんだか絆される。いや、癒されるといったほうが良いのだろうか。
「でも、一番すきなのは宮下がつくる目玉焼きだからね」
「俺?」
「うん。黄身はいつも半熟だし、ふちのところがカリカリしてるから」
「あぁ」
俺は目玉焼きを焼くとき、油をちょっと多めに入れている。フライパンの状態が悪いので、そうしないと焦げ付くのだ。
油が多いことで、白身のふちの部分がカリッと揚げたような状態になる。
それが、玖堂は好きらしい。
「今朝のもカリカリしてて美味しかった~~」
そう言って、玖堂がにこっと笑う。
「そうか」
やっぱり、玖堂の笑顔は癒される……。そう思って、玖堂の顔をじいっと眺めていると。
「あの、さすがに食堂でイチャイチャするのはまずいんじゃ……」
向かいに座っていた吉沢が、苦笑いしながら指摘してくる。
「別に、イチャイチャはしてないぞ。玖堂が勝手に密着してくるだけだ」
玖堂からの一方的な行為なので、イチャイチャにはなっていないはずだ、というのが俺の主張だった。
「いや、うん……」
吉沢が曖昧にうなずく。
「それにしても、最近の玖堂って様子がおかしいよな?」
俺は、思っていたことを吉沢にぶつけてみた。
「まぁ、たしかに最近の玖堂は、なんというかギャップがあり過ぎだよな……」
俺の意見に、吉沢が同意する。
「あ、やっぱり! 吉沢もそう思う? 玖堂って、いつでもどこでも、ぽやーーっとしてるじゃん? かなりのぼんやり体質だろ? そのくせ、急に俺にベタベタしてきてさ。本当に意味不明だよな!」
玖堂の話題で盛り上がっていると、その本人から腕を引かれた。
「なんだよ」
「吉沢とばっかりしゃべるの禁止」
そう言って、玖堂がぎゅうっと眉を寄せる。
「ばっかりじゃないだろ」
反論しながら、玖堂の口元が汚れていることに気づく。
「ケチャップ、ついてるぞ」
俺はハンカチを取り出し、玖堂の口元を拭ってやった。
まったく、高校生にもなって。手のかかるヤツだ……。
食堂から戻っても、玖堂は相変わらず俺にべったりだった。
今月に入ってから、気温はぐんぐん上昇中だ。それなのに、玖堂は俺にべったりとへばりついている。椅子に座った状態で、俺の肩にもたれかかっている。暑くないんだろうか。
眠そうにしているので、あわよくばこのまま俺の肩を枕にしようとしているのかもしれない。
昼休みが終わるまで、この状態なんだろうか。勘弁して欲しいと思う。俺は暑い。そして重い。
「宮下~~」
担任の青山から呼ばれた。
「委員長は今、玖堂の寝かしつけをしてまーーす!」
俺のかわりに、吉沢が答えた。あの、寝かしつけって何ですか。
「まったく、玖堂は困ったやつだなぁ。今日の放課後、宮下に手伝ってもらいたいことがあるんだけど」
担任が悲しげな表情で俺にヘルプを求めてくる。いかにも「困っています」という顔だった。まったく、演技派め……。
俺は、玖堂を起こさないよう体勢を維持しながら「分かりました」と担任にOKを出す。
「放課後、残ります」
俺の返答を聞いた担任は、途端に元気になった。
「マジか! ありがとう宮下~~!」
やっぱり演技だったな、と俺が確信していると。
「あの、宮下くん……」
遠慮がちに俺を呼ぶ声があった。
振り返ると、二人の女子が立っていた。白石さんと唯川さんだった。優等生女子……の仮面を被った肉食系女子だ。
「な、何?」
内心、俺はビビッていた。なぜなら、やっぱりどう見ても雰囲気はか弱い可憐な女子だからだ。
擬態が上手すぎて混乱する。俺に一体、何の用なんだ。緊張のあまり、さっき食べた学食のAランチが、胃からせり上がってくるという体調不良に見舞われた。
「宮下くんと、玖堂くんって……」
白石さんが、ちらりと玖堂のほうに視線を移動させる。
俺の隣で爆睡している玖堂。いつの間にか、椅子に座ったままの体勢で俺をがしっと捕獲している。俺からすると、まるで抱き枕にされているような感じだった。
「付き合ってるの?」
白石さんに問われ、俺は目を見開いた。
「え、付き合ってないけど」
俺の言葉に同調するように、吉沢が「そうなんだよーー」と間延びした声で言う。
「これで、まだ付き合ったないんだよ~~」
ケラケラと笑う吉沢を睨む。「まだ」って何だよ。
「そ、そうなんだ……」
唯川さんが、納得しているようなしていないような、微妙な表情で俺と玖堂を見る。
「俺は、時間の問題だと思うんだけどーー」
椅子をギコギコさせながら、吉沢が勝手な私見を述べる。
「おい、吉沢……!」
俺が抗議の声を上げようとしたところで、玖堂が目を覚ました。
「ん……、もう帰るじかん?」
ごしごしと目を擦りながら、予想外れもいいところなことを言う。
「残念だけど、ちがう。今から午後の授業が始まるところだ」
至近距離にある玖堂の顔を見ながら、そう告げる。
「なんだ……」
玖堂が嘆息する。そして「早くかえりたい」と駄々をこね始める。
俺の肩に顔をぐりぐりと押し付けながら「サボりたい」「ねむい」と、まるで二歳児かのごとくイヤイヤと繰り返す。
さすがの吉沢も、ドン引きしたような目で見ていた。
白石さんと唯川さんは、諦めたような表情で自分たちの席に戻っていく。
俺は平和に学校生活を送れるのだろうか。嫌な予感がしてならない。玖堂に抱き着かれながら、密かにため息を吐いた。
◆
その日の放課後。
俺は担任の手伝いをするため、ひとり教室に残っていた。
教室の前方の扉が勢いよく開き、一軍女子がぞろぞろと入ってくる。俺は、あっという間に取り囲まれてしまった。
さっそく嫌な予感が的中したことを悟る。
「な、何か用……?」
通常よりかなり多めに瞬きをしながら、彼女たちに問う。
「委員長って、マジで玖堂くんと付き合ってないわけ?」
一軍女子のリーダー的存在である新田さんが口を開いた。
俺は、こくこくと首を振る。
「付き合ってない」
「これから、付き合う予定は?」
圧をかけられる。バシッと決まったメイクの顔面は強力だ。盛り過ぎな睫毛には、他人を威圧する戦闘力が備わっていると思う。
「そ、そんなものは……」
あるわけない、と言いかけたが玖堂の「友だちからはじめる」という言葉が頭をよぎった。
「委員長」
低い声にビクリとする。
「は、はい」
「否定しないの?」
「み、未来のことは分からないから……」
俺は預言者でも超能力者でもない。なので、未来のことは分からない。うん。間違ったことは言っていない。
もちろん、それで彼女たちが納得するはずもなく……。
背中に嫌な汗を感じる。ビビりまくっていると、再び前方の扉が開いた。助かった、青山が来た! と、思ったんだけど。
教室に入って来たのは、まさかの玖堂だった。
「みんなで、なにしてるの」
玖堂が、こちらに近づいてくる。
そして、一軍女子たちを見下ろす。ゆっくりと髪をかき上げる。
悠然とした態度に、新田さんをはじめ一軍女子たちはちょっと怯んだ顔を見せる。
しかし、俺には分かる。今の玖堂は何も考えていない。なぜなら、いつものぼけっとした顔だから。
モブを助けに来たヒーローに見えるかもしれないが、ぜったいに玖堂は何も考えていない。断言してもいい。
「なにしてるのって、聞いてるんだけど?」
玖堂の低い声が、静まり返った教室に響いた。
これも、決して圧をかけているのではなく。単純に疑問だから、確認しているだけだ。
けれども、女子たちは勘違いしたのか逃げるように教室を飛び出して行った。
ぼけーーっとした顔の玖堂が、パチパチと瞬きをする。
「なんだったんだろう……?」
そう言って、ゆっくりと首をかしげる。
ほら、やっぱりな。何も考えていない。
自分の予想が当たって、俺は苦笑いした。
「玖堂こそ、どうしたんだよ」
とっくに帰ったと思ったのに。
「宮下が残ってるから」
「もしかして、俺のこと待ってるつもり?」
「うん」
自分の席から、玖堂が椅子を持ってきた。どうやら本当に待つつもりみたいだ。
「たぶん、小一時間か……もしかしたら、それ以上かかるかもしれないぞ」
昼休み、玖堂は「早く帰りたい」と駄々をこねていた。そのことを思い出して、俺は忠告した。
「俺も手伝うよ。そうしたら、早くおわるでしょ」
そう言って玖堂は、にこにこと笑った。
失礼ながら、戦力になるんだろうかと疑ってしまった。いや、いないよりはマシか……。そんなことを考えていたら、青山がやって来た。
「悪い、遅くなった~~。職員会議があるのを忘れてて……」
まったく悪びれる様子もなく、青山がプリントをどさりと机に置く。
「これをまとめるんですか?」
「そう、五部ずつ」
「分かりました」
さっそく、俺はプリントに手を伸ばした。
「今日は助っ人もいるのか~~」
玖堂を見ながら、青山が満足そうにうなずく。
「助っ人になるかは分かりませんが、とりあえず頭数が増えたことは事実です」
「がんばります」
俺に失礼なことを言われているのに、気にした様子もなく玖堂が参加表明をする。
「玖堂は良い子だなーー」
青山がうれしそうに、玖堂を見る。
その言葉にカチンときた。
俺はいつも手伝ってるのに。俺のほうが、ぜったいに良い子なのに。
「遅刻することもなくなったし、先生はうれしいぞ~~」
さらにムカッとする。俺のおかげなのに。俺が毎朝、玖堂の目覚まし担当として奮闘しているから……。
胸の辺りに不快感を覚えながら、サクサクと作業を進める。長年に渡って表情筋を鍛えてきたので、こんなときでも俺は「なんでもありません」という顔ができる。
ホッチキスのバチン、という音と感触がストレス発散になることに気づいて、俺は率先してホッチキス係になった。
バチン、バチン、と力を込めながらプリントを綴じる。
狙った場所に、ホッチキスの針がいくように集中する。
バチン、バチン、と繰り返していると、ちょっと冷静さを取り戻した。
自分は一体、どれだけ褒められたいんだ……。
ちらりと視線を上げる。玖堂は、ぽやぽやした顔でプリントの束を作っている。青山もご機嫌だ。
和やかに作業をすすめる二人を見ながら、俺はひとり自己嫌悪に陥っていた。
◆
玖堂は、普通に戦力になっている。
考えてみれば当然かもしれない。玖堂は、フラワーショップの店員として業務をこなしている。それに、こう見えて実はテストの点は悪くないのだ。
朝寝坊したり、着替えるのがゆっくりだったり、ぼけっとしていることが多かったり。
玖堂のダメなところを日々、俺は目にしている。なのですっかり「ダメな子」認定してしまっていた。
……本当は、俺なんかいなくても玖堂は大丈夫なんじゃないか?
急に心許ない気分になった。置いていかれたような。
置いていかれる……?
そう思ったとき、スッと胸の奥が冷えた。
ザワザワとした不快感が体の中から湧き上がってくる。
俺の手が止まったことに気づいたのか、玖堂が顔を上げる。
「宮下……?」
名前を呼ばれた俺は「なんでもないよ」と首を振った。
作業を再開して、笑顔で取り繕う。ホッチキスで、バチン、とやったときに違和感を感じた。
一瞬の間を置いて、指先がじくじくと痛みだす。
目を凝らすと、ホッチキスの針が左手の人差し指に刺さっていた。
どうやら目測を誤ったらしい。
針を取ろうとしたところで、玖堂の「ストップ!」という鋭い声が飛んだ。
「保健室に行こう」
「え、いや……」
それは、さすがに大げさだと思う。
「あらら、刺さっちゃったかーー」
青山が立ち上がり、俺の手元をのぞき込んでくる。
「消毒してもらってきます」
玖堂が、青山に宣言する。
「おう」
青山がうなずく。
俺は、玖堂に腕を引かれた。
「えっと、保健室にはひとりで行けるから……」
ちょっと抵抗してみたけど、玖堂には無視された。有無を言わせない感じだ。
「いつも玖堂の世話してるんだからさーー、たまには逆もアリじゃないか?」
青山の言葉に、玖堂が「俺もそうおもいます」とうなずく。
二対一なので勝ち目はない。
俺は仕方なく、玖堂に連れられて保健室に向かった。
教室を出て廊下を歩く。玖堂が俺の腕をがっちりと掴んでいる。
放課後の校舎は、しんと静まり返っている。窓の外から、かすかに蝉の声が聞こえる。
俺は、自分の少し先を歩く玖堂の背中を眺めた。
「……なんか、普段と逆だな」
いつもは、俺が玖堂の手を引いて歩いている。
「そうだね。……いたい?」
玖堂が、振り返って俺に問う。
「ぜんぜん。だって、血も出てないし……」
そう言って、指先を確認すると。
「あ、ちょっと出てる」
最初見たときは、皮膚に針が食い込んでいるだけだと思ったのに。
「ちゃんと、消毒してもらおう」
そう言って、玖堂が保健室の扉を開けた。
「……あれ、先生がいない」
玖堂に続いて、俺の保健室に入る。
消毒液の匂いのする部屋をぐるりと見回した。玖堂のいう通り、養護教諭の姿はなかった。
「仕方ないな。ちょっと待ってみるか」
そう言って俺は、備品や薬品らしきものが収納された棚に視線をやった。
「宮下、こっち。早く消毒しないと」
室内をうろついく俺に、玖堂が手招きをする。そして、ちょっとだけ強引に俺を丸椅子に座らせる。
「保健室に置いてあるもの、勝手に触っていいのかよ」
「大丈夫」
何を根拠に言っているのだ。
「じゃあ、今から俺が保健の先生やるから」
ごっこ遊びでも始まるのかと思った。ピンセットを持った玖堂の顔は、真剣そのものだったけど。
慎重な手つきで、俺の指先に刺さったホッチキスの針を抜く。
針が皮膚に引っかかって、少し痛んだ。
わずかに眉を顰めた俺を見て、玖堂が「いたかった?」と確認してくる。
「ちょっとだけ。平気だよ」
「次は消毒するから」
「うん」
「また、いたむかも」
「いいよ」
消毒液が指先に垂らされる。
やっぱり、ちょっと痛い。
「先生、ちょっと痛いです」
俺がふざけたように言うと、玖堂がきょとんとした顔になる。
それから、ふふっと笑った。
かと思えば、急に真面目な顔になる。
「宮下は、先生がすきなの?」
「え? 先生?」
意味が分からず、俺は首をかしげる。
「青山先生のこと」
玖堂が、まっすぐに俺を見据える。
いつもは、ぼけっとした顔なのに。今は、信じられないくらいに真剣な表情だ。
「青山って……、まぁ、嫌いじゃないけど」
ヘラヘラとした担任の顔を思い浮かべる。
いい加減で、調子が良くて、すぐに生徒を頼りする。正直なところ「いかがなものか」と思わないでもない。
でも、頑張ったら褒めてくれるし……。そういう意味で、俺は担任のことが嫌いではない。
「青山先生は、宮下のことを良いように使いすぎだとおもう」
「……うん。そうだな」
まったくその通りなので、俺はうなずいた。
玖堂が、ぎゅっと眉を寄せる。
あ、これは不機嫌な顔だ。最近、玖堂の表情が分かるようになってきた。
「宮下は、そのことに気づいてたの?」
「まぁ……」
「じゃあ、どうして素直に従ってるの」
「……それは」
俺は口ごもった。「褒められたいから」なんて言えない。さすがに恥ずかしい。
どう言い訳しようか、思考をめぐらせていると玖堂が俺の手首を強く握った。
「痛いって」
……なんだよ。さっきは、心配そうな顔で「いたくない?」って、俺のこと気遣ってくれてたのに。
「宮下は、青山先生がすきなんだね」
「だから、嫌いじゃないって……」
何度、同じことを言わせるんだよ。
「青山先生と一緒にいたいから、放課後に居残りしたり、あれこれ手伝ったりしてるんだろう」
玖堂に断言された。「ん?」と頭の中が混乱する。
一緒にいたいから……? いや、違いますけど?
「い、異議あり……」
さすがに、見当違いもいいところなので訂正させてもらう。
「そういう意味で青山が好きとか、あり得ないから」
「……嘘だ」
「嘘じゃない。俺が、青山の手伝いをしてるのは……」
ごくり、と唾を飲む。
「褒められたいからだ」
言ってしまった。めちゃくちゃ恥ずかしい。
他人からすれば「なんだその理由」って、呆れられると思う。
恐る恐る、玖堂のほうを見た。
しかめっ面をしている。呆れている様子はないものの、ご機嫌はナナメだと推察する。
「……青山先生に褒められたいから、俺の目覚まし係を引き受けたの?」
「うん」
「やっぱり」
玖堂が、くちびるを噛む。
あまりにきつく噛んでいるので、玖堂に掴まれていないほうの手でそっと触れた。
玖堂のくちびるは、少しカサついていた。
「そんなにしたら、血が出るぞ」
玖堂が目を見張る。
そして、ぷいっと視線を逸らした。
「宮下って、魔性の男だよな……」
「は? え……?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
魔性って……。俺には縁のない言葉と思っていたのだが。
「あのさ、俺のどこをどう見たらそんなセリフが出てくるんだよ」
俺は、大きくため息を吐いた。
「好きな人がいるのに、他の男にもちょっかいをかけてる……」
「は? 俺は好きな人なんていないけど?」
「だから、青山先生が……」
しつこい~~~!!
イラッとして、思わず拳で玖堂の肩を叩いた。
非力なので、軽い肩パン程度になってしまったが。
「青山のことは、そういう意味で好きじゃないって言ってるだろ! だいたい、ちょっかいかけてるって何だよ! 俺がいつ、男にちょっかいなんてかけたんだよ!」
「さっき、俺のくちびるに触った」
むすっとした顔で、玖堂が反論する。
「それが一体、何だっていうんだよ。触っただけだろうが。お前だって普段俺に触ってるじゃんか。教室で、べったりじゃん」
「俺はいいの」
「何でだよ」
自分のことを棚に上げて俺だけ非難するなんて。見損なったぞ、と思いながら玖堂を睨む。
「好きだから」
「……はい?」
「俺は、宮下のことが好きだから。触ってもいいの。だって、好きだったら触りたいって思うでしょ。でも、宮下は好きじゃないのに触ってる。そういうの魔性っていうんだよ」
思考がショートした。言葉が頭に入ってこない。
今、玖堂は何と言った? 聞き間違いじゃないよな?
「す、好き……」
「そうだよ」
「だ、誰が、誰のことを……」
「俺が、宮下のことを」
どうやら、聞き間違いではなかったようだ。
でも、ちょっと待って。眩暈がする。
視界がぐらぐらしていたら、遠くで青山の声がした。
「出たな、間男……!」
玖堂が忌々しそうに立ち上がる。
いや、間男って。使い方、間違ってないか……?
そんなことを思っていたら、勢いよく保健室の扉が開いた。
「お~い、二人とも、声がでかいぞーー」
間延びした声が、緊迫した空気を弛緩させる。
「痴話げんかは、下校してからにしてくれ」
「いえ……、はい。すみません」
痴話げんかではないと訴えようとしたが、もしかしたらその可能性があるかもと思い、俺は踏みとどまった。
「まったく。どれだけ念入りに消毒してるんだよ。プリントの作業が終わっちゃったじゃん」
やれやれ、といった感じで青山が俺たちを見る。
「え、そうなんですか」
「やればできる先生だよ、俺は」
そう言って、青山が胸を張る。
「だったら、これからは控えてください」
玖堂にじろっと睨まれて、青山が仰け反った。
「何を?」
「あまり宮下を居残りさせないでください」
「お、おう……、分かった」
仰け反った体勢のまま、青山がうなずく。
玖堂に促され、俺は丸椅子から腰を上げた。ぐいっと手を引かれる。
頭が回らない。脳が処理できない事態になった。
ぼんやりしたまま、俺は保健室を出る直前、なんとか青山に「失礼します……」と言って頭を下げたのだった。
◆
玄関の扉を閉めて、俺は大きくため息を吐いた。そのまま、腰が抜けたみたいにズルズルと座り込む。
まだ、心臓がおかしな速さで動いている。通常営業に戻るまでは、まだ時間がかかりそうだった。
あの後、保険室を出てから一度教室に戻った。スクールバッグを取るためだ。
玖堂はバイトのシフトが入っていたようで、途中で別れた。
俺はのろのろと立ち上がり、私服に着替えた。いつものように勉強机に座ったものの、頭がぼうっとして集中できなかった。
玖堂の言葉が、頭の中で勝手に再生される。
『俺はいいの』
『好きだから』
はぁ~~~~!! 頭の中が混乱だーーー!!
告白されてしまった……!! めちゃくちゃイケメン男子に「好き」とか言われたんだけど!!!
……いかん。まだ処理が追い付かない。
なんとか冷静になる努力をして、宿題だけは終わらせた。
しかし、これ以上は集中力が持たない。今日のところは、予習と復習は諦めよう。
引き続き、家事にとりかかる。気を抜くと、すぐに玖堂の声がよみがえる。
『俺は、宮下のことが好きだから。触ってもいいの。だって、好きだったら触りたいって思うでしょ』
……いや、まぁ、思うのは良いとして。
実行に移すのはダメなのでは?
俺の気持ちを無視して、抱き着いたり抱き枕にしたり……。
教室でも食堂でも、奇異の目で見られるし。嫉妬されるし。暑いし。邪魔だし。
予習と復習を阻害されたこともあって、少しずつ怒りのボルテージが上がっていく。
「今日は、和食にしよう……!」
洗濯物をたたみ終わると、俺は立ち上がった。
「こってり味が好きな玖堂のことは無視だ~~~! 今日は、あっさり味の和食にする! もちろん、揚げ物なんてないからなーーー!」
どうだ、参ったか!!
いや、わざわざ玖堂の分を作っている時点で俺の負けだな……。そう思いながら、俺は玖堂の部屋に向かった。
今日のメインは、豆腐ハンバーグにする。
買い置きしていた豆腐と鶏ミンチでささっと作ろう。大根おろしを大量に作って、おろし和風ソースにする。大葉も添えて、さらにさっぱりさせる目論見だ。
味噌汁は、なめこ。なんといわれようと、なめこ。俺の大好物なのだ。玖堂の好きな味噌汁の具は油揚げだけど、そんなものは知らん!
冷蔵庫の中身を確認しながら副菜を考える。トマトがあるので、塩昆布と和えよう。あとは、きゅうりとハムがあるな……。
俺は冷蔵庫を一旦閉めて、戸棚をあさった。たしか先週、買っておいたはず。
「あ、あった……!」
マカロニの袋を発見する。これで、マカロニサラダをこしらえる。
塩とコショウで下味をつけて、マヨネーズで仕上げる。そうだ、ゆで卵を作ってマカロニサラダに追加してやろう。マヨネーズも心持ち、多めに入れて……。
冷蔵を開けると、油揚げが目についた。
いや、ちょっと前からその存在には気がついていたのだが、あえて見ないようにしていた。
逡巡した結果、俺は油揚げを手に取った。賞味期限を確認する。
「……置いておいても、腐るだけだしな。仕方がないから使ってやろう」
別に賞味期限は迫っていないのだが、自分を納得させるために言い訳をする。
そろそろ玖堂が帰って来る時間だ。
副菜をダイニングテーブルに並べ、豆腐ハンバーグを焼き始める。
おろし和風ソースは、想定していたよりもこってり味になった。とろみをつけたせいだろうか。調味料の分量を誤ったか。
「まぁ、美味しいから問題はないんだけど。でも……」
あんなに、あっさり味の和食を作ろうと決意したのに。
マカロニサラダはコクのある味だし、豆腐ハンバーグもしっかり味がついてるし、味噌汁は油揚げたっぷり……。
気づくと、玖堂の好みを反映した食卓になってしまっていた。
なぜこうなる。解せない。味噌汁をかき混ぜながら、俺はキッチンに立ち尽くした。
「俺って、もしかして相手に尽くすタイプ……?」
そんなことを考えていたら、頭の中で再び玖堂の『好きだ』コールが復活する。
お玉を持ったまま、ごくりと息を飲む。
ぼんやりした玖堂と、世話焼きな俺って、めちゃくちゃ良い組み合わせじゃないか……? ナイスカップルの予感……。
いやいや。待って。まだ付き合うとか、決めてないし……。
でもでもでも。玖堂の部屋で、こんな風に料理するのは好きだし。玖堂の目覚まし担当もすっかり板についてきたし、玖堂のことは好ましく思ってるし。
どうしよう!!
俺、彼氏ができるかもしれない!!
こ・い・び・と、が!! できる~~~!
うわーーー、と心の中で叫びながら、その場で足踏みをする。
非モテな人生よ! さようなら! 長く孤独な日々とも、これでおさらばだ!
「あ~~~! どうしよう!!」
「どうしたの」
「え」
振り返ると、玖堂がいた。
困惑した表情で俺のことを見ている。
まぁ、そうだろう。お玉を握りしめたまま、ハイテンションで足踏みしていたんだから。いくらなんでも様子がおかし過ぎる。
「あ、おかえり……」
「うん。ただいま」
玖堂の顔が、ふわりとゆるむ。
うわ、かっこよ……。
心臓がズンドコと反応する。俺は動揺を悟られないよう、手に持っていたお玉で味噌汁をすくった。
豆腐ハンバーグと一緒にテーブルに運ぶ。あとは麦茶を取ってきて、箸置きをセットして……。
ちょこまかと動いていたら、玖堂が「ハンバーグだ」とうれしそうに声を上げた。
「あ、うん……」
思わずドキッとした。
玖堂は、なんというか舌がお子様なのだ。だからハンバーグは大好き。でも……。
「き、今日のハンバーグは、いつもとは違ってて……」
「ちがうって、なにが?」
着席しながら、不思議そうな顔で俺を見る。
「和風ハンバーグなんだ。豆腐と鶏ミンチで作ってて。だから、あっさりしてると思う」
ちょっとした意趣返しというか。いじわるな感情から、あっさり和食を作ってしまった。なので非常に気まずい。
準備が終わり、俺はしずしずと椅子に腰を下ろした。
「いただきます!」
玖堂が、勢いよく手を合わせる。
そして、迷いなく和風ハンバーグに箸を伸ばした。
「美味しいーー!」
そう言って、ごはんをもりもりとかきこむ。相変わらず食べっぷりが良い。
「あの、味付け大丈夫……? もし味が薄かったら、追加で調味料を足すけど」
俺の問いに、玖堂は首を振る。
「ぜんぜん。ちょうど良いよ」
曇りなき眼だ。俺の良心が、ズキズキと痛む。
「……いじわるして、ごめん」
「いじわる?」
「玖堂は、濃い味が好きじゃん? それなのに今日は、あっさりな味にしたから」
「こんないじわるなら、毎日されてもいいけど」
トマトの塩昆布和えを口に運びながら、玖堂が微笑む。
思わず、胸がトゥンク……! となる。
か、かかか、かっこよーーー! 俺の彼氏って、中身までイケメンーーーー!
いや、気が早い。まだ彼氏じゃなかった。
俺は、ポットからグラスに麦茶を注いだ。そして、がぶ飲みする。
最後の一滴まで飲み干し、空になったグラスをダン! とテーブルに置く。
「く、玖堂……!」
勢いをつけたつもりだったのに、いざ口を開くと蚊の鳴くような声しか出なかった。
「どうしたの」
もぐもぐと咀嚼しながら、玖堂が俺のほうを見る。
「ほ、保健室でのことなんだけど……」
ごくっと飲み込んでから、玖堂が「あぁ」とうなずく。
「な、なんかさ。玖堂は、その、勘違いをしてたみたいだから。改めて説明しようと思って……!」
「勘違い?」
「そう! とりあえず、俺が青山の対して特別な感情を持ってるとか、そういうことは絶対にない! 褒められたいっていうのは、その、誰でも良いというか……。むしろ全人類から賞賛されたいというか。褒められると、安心するんだよ……」
気づいたら、俯いていた。
変なことを言っている自覚はあるから。
「だから、張り切って勉強とかしちゃうし、玖堂の目覚まし係も引き受けちゃうし」
「宮下が、委員長をやってるのはそのため? 褒められたいから?」
玖堂の声が聞こえて、ぱっと顔を上げた。
いつの間にか、玖堂は箸を置いていた。真剣な表情で俺のほうを見ている。
「……うん」
観念したように、俺は玖堂に打ち明けた。
俺が、褒められたい理由。
両親に構ってもらえなかったこと。周囲の人間が、兄ばかり可愛がっていたこと。
玖堂は、ずっと黙って聞いてくれていた。
「ほら、俺ってめちゃくちゃ地味じゃん? 黙ってたら空気じゃん? だから頑張ってるんだーー! 俺みたいなやつは、普通にしてたら注目されないんだよな~~! ちゃんとそこにいるのに、いないみたいな扱いされたらイヤじゃん?」
わざと茶化したように、明るく話をした。
頑張って笑顔を作ったけど、玖堂は一緒に笑ってはくれなかった。
そのことに安堵した。やっぱり、笑ってする話じゃなかった……。
密かに落ち込んでいたら、玖堂が口を開いた。
「宮下は、ぜんぜん空気なんかじゃない」
「え……」
「空気というなら、必要不可欠という意味で空気だけど。俺にとっては」
は、はい?
「あ、呼吸するほうの空気ってこと……?」
「そうだ」
真面目な顔で肯定されて、俺は思わず赤面した。
「宮下は、自分が注目されてないっていうけど。それは、宮下の醸し出す雰囲気が清楚で控えめだからだ」
せ、清楚……? 今、このひと清楚って言った?
聞き間違いだろうか、と俺がひたすら困惑していると。
玖堂が、ぐわっと俺のほうに身を乗り出してきた。
「俺は、運が良かった」
「な、なんで?」
「宮下が目立たなかったおかげで、誰のものにもならずに済んだ」
めっちゃ、熱烈に告白してくるな……。
というか、ディスられてない?
「わ、悪かったな。誰のものにもなったことなくて」
「できれば、俺のものになって欲しい」
「ひょえ」
椅子に座った状態で、ちょっと飛び上がってしまった。
というか、恥ず……。思いっきり変な声が出たんだけど。
だってムリだもん。こんな国宝級イケメンに懇願されるとか。
「まさか、気づいてなかったとは言わないよね?」
「な、何が」
「俺の気持ち」
「保健室で聞いて、初めて知ったけど……」
玖堂が両手で顔を覆う。
「あんなにアピールしてたのに」
アピール!?
「た、たとえば、どんな……?」
「教室で抱き着いたりとか、肩にもたれかかったりとか」
あれか!!
「あとは、膝の上に宮下を乗せたりもした」
心当たりがあり過ぎる。
「……玖堂」
「うん?」
「教室は、そういう行為に及ぶ場所じゃないからな」
突如として、俺の委員長としての顔が出る。
「あと、許可なく相手に触るのはダメだ」
「はい」
「自分勝手なのはNG。相手の気持ちを考えないと」
「反省してます」
殊勝な態度だ。玖堂は、深々と頭を下げている。
「でも、最初に触れたのはたぶん俺だから。俺も謝ります。ごめんなさい」
なんといっても、俺には腕組んで登校したという前科がある。
「けど、あれは腕を組んでるっていうか。引っ張ってただけなんだけどな……? 不可抗力というか。遅刻しそうだったし……」
ブツブツとつぶやく俺を見ながら、玖堂が笑っている。
「なんで、ちょっとうれしそうなんだよ」
「宮下が、かわいいから」
「はい?」
またしても意味不明なことを言い出す。
清楚とか、かわいいとか……。
そういえばいつだったか、俺のことを美人とか評していたっけ。
やはり、玖堂は眼球になにかしらの異常があるようだ。眼科の受診をすすめようかと本気で悩む。
「恋人になったら、好きなだけしても良いってことだよね?」
「……それは、俺に抱き着いたり、膝の上に乗せたりとかっていう話?」
「うん」
満面の笑みで、玖堂が返事をする。
「恋人になっても、教室ではダメだ」
「なんで」
「バカップルだから。周りに迷惑だから。公共の場でそんなことはしないの、少なくとも俺は」
「そうなんだ……」
玖堂は、がっくりと項垂れた。
「こ、公共の場じゃなかったら、まぁ……」
ぼそぼそとつぶやいたら、玖堂の表情が晴れやかになる。
どうやら、聴覚のほうは問題がないようだ。
「だったら、恋人になれば問題ないね」
「う、うん」
心臓が跳ねる。あぁ、ダメだ。俺はとうとう……!
とうとう誰かのものになってしまう……!
「あとは、俺ががんばるだけだね」
「……ん?」
玖堂は一体、何を頑張るというんだ?
「宮下にふさわしい男になるために! いつか、宮下と恋人になれるように……!」
「へ?」
玖堂が決意表明をする。俺は、ぽかんとしながらそれを聞いた。
「あ、あの……」
「これからは、自分ひとりで起きられるようになるから」
「え、それって」
俺は、目覚まし係の任を解かれるってこと?
「ひとりで起きられないヤツのことなんて、宮下は好きにならないと思う!」
断言された。確かに、自分で起きれたほうが良いとは思うけど。
「あと、俺の分の夕食を作るのは一旦終わりで良いから」
「え、そんな。何で……?」
「宮下みたいに、ちゃんと自炊ができるようになりたい」
笑顔で言われて、俺は押し黙ってしまった。
「上手に作れるようになったら、宮下に食べさせてあげるからね。それまで待ってて」
「……う、うん」
いや、ちょっと理解が追い付かない。
「もう、玖堂の部屋で料理しちゃダメってこと?」
「宮下がいたら甘えちゃうから、ダメ」
玖堂が、手でバツを作る。
なんだよ。それじゃ、俺がこの部屋に来る理由がなくなっちゃうじゃん。出禁ってこと?
「一緒に、登校はするよな……?」
縋るような気持ちで、玖堂に確認する。
「それは、もちろん」
玖堂がうなずく。俺は、ホッと息を吐いた。
勢いよく夕食を平らげていく玖堂を見ながら、俺もなんとか箸をつけた。空腹だったはずなのに、食欲が湧かない。
咀嚼するのが億劫に感じて、飲み込むのがやっとだった。
◆
その日の夜。
俺は、ベッドの上で何度も寝返りをうった。いつもは電池が切れたみたいに、ベッドに倒れ込んでいる。エネルギーを使い果たしたみたいになる。
でも今日は、なかなか寝付くことができなかった。
考えるのは、玖堂のことだ。
玖堂は、俺のことを好きだと言った。
俺だって玖堂のことは憎からず思っているし、当然付き合うものだと思っていた。
でも……。
俺は、玖堂に好きだと言えなかった。
玖堂が、あまりにも真っ直ぐに「好き」だと言うから。俺は自分の気持ちが分からなくなってしまった。
好きって、どういう感情なんだろう……。
玖堂のことは、人間的に好きだと思う。素直だし、良いヤツだ。ぼんやりしているところも、嫌いじゃない。
一緒にいるとドキドキする。でも、それは玖堂がイケメンだからかもしれない。
類まれなる美貌を前にして、心臓が反応しているだけかも……?
これって、好きだってことで良いんだろうか。なんだか、違う気がする。いや、好きかと問われれば好きなんだけど。
「恋愛対象かどうか、ってことなんだよな。要は……」
人間的に好ましく思っているだけなら、それは友人。
恋愛的な意味で好きなら、恋人。
俺には難問だった。いかんせん、俺には恋愛経験がない。
散々、非モテだといって自虐していたが、それ以前の問題だったことに気づいた。
「俺って、誰かを好きになったことないかも……」
改めて思い返してみると、それは紛れもない事実で。
「え、俺って、初恋もまだってこと……!?」
どうりで、友人としての「好き」か、恋人としての「好き」か、判別できないわけだ。
「マジか……」
衝撃の事実だ。同級生たちは、付き合ったり別れたりを繰り返しているというのに。
その度に、キャッキャとはしゃいで青春を謳歌しているというのに。
俺は、未だに初恋もナシ。
ベッドに仰向けになった。リング上で、大の字でダウンしている感覚だった。
打ちのめされたような気分のまま、気づいたら俺は眠っていた。
