こじらせ委員長と省エネ男子

 玖堂の目覚まし係として、俺は幸先の良いスタートを切ることができた。

 遅刻することなく、無事に校門をくぐることに成功したのだ。アパートから学校まで、俺は玖堂の腕を掴んで歩いた。

 掴むというよりは、引っ張っていると表現したほうが正しい。

 玖堂は、歩くペースが遅いのだ。あくびをしながら、のんびりと歩いていた。彼のペースに合わせていたら、遅刻する恐れがある。それで仕方なく、俺が引っ張って学校まで連れてきたのだ。

 校舎に入っても、俺は玖堂の腕を引いたままだった。

「ほら、教室に行くぞ」

「宮下って、歩くのはやいね」

「普通だよ」

 階段をのぼりながら、俺は振り返って玖堂に言う。

 玖堂は俺に手を引かれたまま、嫌がる素振りを見せずに大人しくしている。

 すれ違う生徒たちが、俺と玖堂を物珍しそうに見てくる。ちら、と視線を感じたり、明らかにガン見されたり。

 ……俺と玖堂の組み合わせが珍しいのか? それとも、見られてるのは玖堂だけ?

 玖堂は、いつもこんな風に他人からの視線にさらされているんだろうか。さすがはモテ男だ。

 一方の俺は、筋金入りの非モテ。なので、もちろんこんな状況には慣れていない。ちょっと戸惑いながら、俺は廊下を歩いた。

 なんとなく、玖堂の腕を持つ手に力が入る。

 ちなみに俺は最初、玖堂の手首を掴んでいた。けど、なんとなく不安定な感じがして二の腕を持った。

 玖堂は、見た目よりも筋肉マンだ。思っていた腕の感触とは違った。予想よりもムキムキしていた。そのため、俺の手のひらでは掴むのがきつい。

 それで、最終的に玖堂の肘の部分に、自分の手を引っかけることにした。カップルが腕を組むような形だ。

 教室の扉を開けると、またしても視線を浴びた。

 クラスメイトたちが俺たちを見ている。視線が集中する。

「え、ちょっと。なんか、カップルが登校して来たんだけど……」

 近くにいた男子生徒、吉沢から戸惑いの声が上がる。

 ……カップル?

 俺は意味が分からず「どういうこと?」と訊いた。

「だって、腕組んでるじゃん」

 吉沢から指摘されたことで、俺は状況が飲み込めた。

「あぁ、これは」

 説明しようとしたのだが、クラスの一軍女子がそれを遮って立ちはだかる。

「ちょっと~~、なんで委員長が、玖堂くんと一緒に登校してるの? まさか、本当に付き合ってるとかじゃないよね」

 きゃはは、と冗談っぽく笑っているが、めちゃくちゃ怖い。目が笑っていないのだ。

「しょ、しょれは……」

 言い訳しようとした初手で噛んだ。ダサい。ダサいが過ぎる。なんて俺はビビりなんだ。というか、言い訳じゃなくて説明だし……。

 一軍女子たちが、じりじりとにじり寄って来る。

「……意外と、こういう地味な子に取られたりすんのよね」

 低い声で、ぼそりとつぶやく。

 怖ぇーーーー! 

「そうだよね。大人しそうな顔面してるくせに、思い切ったことやってくるっていうか」

「ほんとそれ。存在感がないのをいいことに、いつの間にか相手に近づいてたりとかして」

 え、嫉妬がマジで怖いんですけど。泣きそうなんですけど。

 というか、このひとたち本気で玖堂のこと狙ってるわけ?

 俺は慌てて玖堂から手を離した。そして、距離を保つ。

「どうしたの」

 せっかく距離を取ったのに、鈍感野郎の玖堂が俺に密着する。

「いや、しょれは」

 くそ。また噛んだ。

「もう、学校に到着したじゃん。俺の役目は終わったかなって……」

 そう言って、俺は密着している玖堂を押しのけようとしたのだが。

「さむい」

 玖堂の手が、俺の腹にまわる。

 背後から、ぎゅうっと玖堂に抱き着かれた。

「いや、昨日よりも気温は高いんですけど!?」 

 天気予報でも確認したし、間違いない。

「でも、さむい」

 そう言って、玖堂が腕の力を強める。

 こら、バカ! 離れろ! 筋肉男め……!

 下腹のあたりで、がっちりと玖堂の手が組まれている。俺はそれを躍起になって解こうとした。まぁ、ムリなんだが。だって玖堂は筋肉バカ男……。

 鋭い視線を感じて顔を上げると、一軍女子たちの目が据わっていた。ギラギラしている。殺気さえ感じる。

 ひぇーーーー! やめてぇーーーー!

 俺は高校でも、平穏に学校生活を送りたいんだ。褒められたい。すごいって目で見られたい。嫉妬の目で睨まれるのは、ぜったいにイヤなんだよーーーー!

 泣きたい気持ちで、俺は玖堂のほうを見た。

 もちろん玖堂は、俺の心情を察してくれるはずもなく。「ん?」と顔を寄せてきた。

「うわ~~、見つめ合ってる。マジでカップルじゃん」

 吉沢の声に、他の男子も同調する。

「イケメンとモブのカップル誕生だ」

「良かったな、委員長。イケメンの彼氏ができて」

 なんというノリの良いクラスメイトなんだ。

 でも、どうかそれ以上は囃し立てないで欲しい。一軍女子たちを刺激するのはNGだ。

 俺は、ひたすら首を振りながら「違うんだよ!」と否定し続けていた。



「宮下のおかげで、玖堂の遅刻癖も治りつつあるな~~」

 放課後の教室。俺の目の前には、担任の青山がいる。ヘラヘラと笑いながら、プリントを束ねている。

「やっぱり宮下に頼んで正解だったよ」

 青山は、かなり機嫌が良さそうだ。学年主任から目を付けられることもなくなるので、安心しているのだろう。
 
 俺はホッチキスでプリントの束を綴じながら「ありがとうございます」とうなずいた。

 今は、資料作りの最中だ。俺は青山を手伝うために、こうして居残って作業している。

 俺が玖堂の目覚まし担当になってから、二週間が過ぎた。玖堂は遅刻することなく、毎日元気……なのかは不明だが、登校している。

 玖堂は、いつでもマイペースだ。機嫌が良いのか、悪いのか。元気なのか、体調が悪いのか。まったく分からない。

 彼と関わるようになって、まだ二週間しか経っていない。いずれは、理解できるようになると思う。たぶん。いや、どうだろう……。

 ぐるぐると考えていたら、目の前の青山の手が止まった。

「それにしても、まさか宮下と玖堂が付き合ってるとは知らなかったな~~」

「はい?」

「意外な組み合わせだよな」

「え、あの」

「マジで知らなかった。俺って、そういう噂はわりと早く知るタイプなんだけどな~~!」

 腕を組んだ青山が、ちょっと悔しそうな表情をする。

 いや、ちょっと待って。青山がそんなタイプとか知らないし、どうでも良い。それよりも。

「ど、どういうことですか? 付き合ってませんけど!?」

 俺と玖堂は、毎朝一緒に登校している。他の学年の生徒や教師たちからも「仲良し」認定されているようだ。

 まさか、そこから噂になっているのか……?

「え~~、付き合ってないのかよ」

 青山が肩を落とす。

「なんで、がっかりしてるんですか……」

「だって夢があるじゃん」

「ゆ、夢ですか……?」

「そう。宮下でも玖堂のようなイケメンをゲットできるっていう夢。ドリームだよ」

 青山が、バッと両手を広げる。その行動に意味があるのかは不明だ。というか、その発言はさすがに教師としてダメな気がする。

「……やっぱり、玖堂のほうが可愛いんですね」

 問題のない生徒より、手のかかる生徒のほうが可愛いとかいうやつだ。

 俺は放課後の時間を割いて、こんなにも青山に尽くしているというのに。まぁ、それは褒められたいという下心が、俺にはあるからなんだけども。

「可愛くはないだろ、玖堂は。美少年タイプじゃないぞ。どこから見てもイケメンだ」

「いや、そういうことではなくてですね……」

 説明しようとしたが、止めた。まともに相手をしても疲れるだけだ。

「とりあえず、先生」

「なんだ?」

「帰って勉強をしないといけないので、そろそろ終わらせたいです」

 俺は、作業を再開するよう担任を急かした。青山は渋々といった感じで「は~い」と言って、手を動かし始める。これではまるで、俺が青山に手伝いをさせているみたいだ。

 やれやれと思いながら、俺は黙々と作業を続けていた。

◆ 

 六月に入った。梅雨入りする前から、関東地方では雨が続いている。

 今日は午後から雨の予報だった。

「傘、持った?」

 俺は、振り返りながら玖堂に確認した。

 玄関にある傘に視線を落とした玖堂は、ゆっくりとそれを手に取る。俺は玖堂の腕に自分の腕を引っかけた。そして、ぐいっと自分のほうに寄せる。

 玖堂をアパートの廊下に引っ張りだし、反対の手で持っていた合鍵を使って施錠した。

「……雨、ふってないけど」

「午後から降るんだよ」

「ふうん」

「忘れ物は?」

「ない……、と思う」

 そう言って、玖堂がうなずく。

 本当かよ、と思いながら俺は歩き出した。俺たちの部屋があるのは、アパートの二階だ。

 階段を使って一階まで降りると、顔見知りの住人と会った。角部屋に住んでいる主婦で、湯島さんという。おそらく年齢は、俺の母親と同じくらいだと思う。

「あら、響くんじゃない」

 タオルで顔を拭いながら、湯島さんが俺に手を振る。日課にしている朝のランニングから、戻ってきたばかりのようだ。

「おはようございます」

「朝から仲良しで良いわね~~」

「え、あっ、その……」

 俺は、慌てて手を引っ込めた。玖堂の腕に、手をまわした状態だったから。 

「いつからなの?」

「へ……?」

 彼女からの問いに、俺は戸惑う。「いつから」というのは、どう解釈すれば良いのだろう。

 まさか「いつから付き合ってるの?」という意味じゃないよな……? 

 あくまでも、友人として仲良くなったのは「いつから?」と確認されていると思いたい。俺があれこれと思考をめぐらせていると、玖堂が口を開いた。

「二週間前からです」

「あら、最近なのね。いつも一緒に登校してるの?」

「はい。毎朝、宮下が起こてくれるので。そのまま学校に行っています」

「まぁ! 毎朝?」

 ちょっと興奮したように、女性が身を乗り出す。

「宮下は、すごくちゃんとしてて早起きなので。それで、朝が弱い俺を起こしてくれるんです」

「まぁーーー!」

 手に持っていたタオルをバタバタしながら、彼女は興奮している。

「仲良しね~~」

「はい。仲はすごく良いです」

「朝から元気になったわ。ありがとう!」

「どういたしまして」

 そう言って、玖堂が丁寧に頭を下げる。

 俺は脱力した。ぜったいに誤解されたと思う。彼女が去ったあと、俺はキッと玖堂を睨んだ。

「ん?」

 視線に気づいたらしい玖堂が、俺を見下ろす。

「あんまり、誤解されそうなこと言うなよ」

 とりあえずクギをさしておく。

「ごかいって?」

「勘違いされそうなことだよ。毎朝、起こしてるとか。仲良しとか……!」

「本当のことだろ。宮下が、俺の目覚まし係だし」

「そうだけど」

「仲も良い」

 そう言って、満足そうに玖堂が笑う。

「……仲、良いのか?」

 恥ずかしながら、親しい友人がいない俺なので基準が分からない。俺と玖堂は、友だちなんだろうか。今の関係は、クラスメイトの域を超えているんだろうか。

「俺と宮下は、仲良しじゃないのか……?」

 玖堂が、この世の終わりみたいな顔をする。

「え、なんでショック受けてんの」

「だって俺と宮下は、毎日こうやって腕を組んで登校してるから……」

「それは、お前が」

 歩くのが遅いからだろ、と言いかけたのだが、玖堂の言葉に遮られた。

「てっきり恋人になったのかとおもった」

「はぁ?」 

 ものすごい衝撃を受けた。

 え、なに言っちゃってんの? 玖堂って、冗談とかいうタイプだったのか……?

「そ、それって、誰と誰の話……?」

 念のため、確認してみる。

「俺と宮下の話だけど」

 他に誰だいるんだ、という顔で玖堂が言う。

「つ、付き合ってないと思うぞ。たぶん……」
 
 恋人になりましょう的なやり取りをした覚えはない。好きだと言われていないし、もちろん言っていない。それらしい文面のメッセージが玖堂から届いたこともない。

「そうなのか」

 玖堂が、しょんぼりと肩を落とす。

「う、うん」

「じゃあ、友だちからはじめる……」

 渋々といった感じで、玖堂がうなずく。 

「は、はじめるって何をだよ!?」

 え、ちょっと待って。いや、ダメだ。色々と問い詰めたいが、このままでは遅刻してしまう。

「とりあえず、学校に行くぞ」

「うん、行こう」

 玖堂は笑顔でうなずいたものの、歩き出す気配はない。

「歩けよ」

「だって、自分であるいたら宮下が引っ張ってくれないもん」

 こいつ……! 確信犯かよ!!

 というか、男子高校生のくせに「もん」とか言うなよ。語尾を跳ね上げるな。

 不本意だが、俺は玖堂の腕を掴んだ。いつものように恋人スタイルになる。

 なんとしても、チャイムが鳴る前に校門をくぐりたい。そのために、俺は玖堂の腕を引きながら、ずんずんと歩き出した。



 六月中旬の晴れた朝。

 俺は、せっせとアパートの外周をホウキで掃いていた。

 住人である俺が、なぜこんなことをしているのかというと。

 アパートの大家さんが管理人も兼ねているのだが、かなり高齢なのだ。

 そのため、掃除が行き届いていない。見かねた一階の角部屋の住人……湯島さんが自発的に敷地内の掃除を始めた。そのことを知った俺が、当番制を申し出たという経緯だ。

 当番制といっても、掃除するメンバーは俺と彼女だけなので、ただ交互に掃除をしているだけなのだが。

 ひとまずアパートの外周をきれいにして、俺は「ふう」と息を吐いた。それから、玖堂の部屋を眺める。

「あいつ、ちゃんと起きたかな……」

 掃除を開始する前に、俺は玖堂の部屋に行った。

 何度か声をかけたのだが、反応はイマイチだった。いつもより起こす時間が早いこともあってか、寝返りをうつばかりで目を覚ましてはくれなかった。

 それで仕方なく、目覚まし係の役目は一時中断して、掃除を始めたのだった。

 集めたゴミをまとめて、ホウキとちりとりを片付ける。それから階段を駆け上がって、玖堂の部屋に戻った。

「玖堂ーー、起きてるか?」

 寝室をのぞくと、玖堂がベッドの上で胡坐をかいていた。

 目がしょぼしょぼしている。どうやら起き抜けのようだ。

「あ、ちゃんと起きてた」

「なんか、目がさめた……」

 最近、いつもこの時間に玖堂は起きている。というか、俺にムリヤリ起こされている。それで、目が覚めたのだろう。

「えらいえらい」

 褒めてやったのに、玖堂はちょっと不服そうだ。じとっとした目で俺を見る。

「何?」

「……起きたとき、宮下がいなかった」

 寝起きで機嫌が悪いのだろうか。珍しく、玖堂がふくれっ面だった。

「掃除してたんだよ。ほら、準備して」

 ゆるゆるTシャツの裾を持って、ぐいっと上に引っ張り上げる。襟元がだるっとしているおかげで、簡単に脱がすことができる。

 最近、気づいたのだ。玖堂が支度するのをただ待っているのではなく、手伝うことで時間短縮できることに……!

 気だるげな雰囲気を漂わせる玖堂は、Tシャツ姿でも色気がやばい。それが、ほぼ全裸(パンツ一枚)になるのだがら、正直なところ目のやり場に困る。

 視線を逸らしつつ、俺は玖堂の着替えを手伝った。

 玖堂が洗面所にいる隙に、トースターでパンを焼き、目玉焼きを作り、コーヒーを淹れる。

 俺は、いつの間に世話係になったんだろう……と思わないでもないが、ちょこまかと動いているほうが性に合うので良しとする。

 今日も無事に、遅刻することなく登校することが出来た。

 教室に入ると、男子たちから「あ、カップルが来た」とか「朝からイチャイチャするなよ~~」という声が上がる。そして一軍女子から睨まれる。すっかり日常の風景になった。

「おはよう。あの、せめて『コンビ』とかにしてくれない? あと、イチャイチャはしてないから……」

 無駄だと思いながら、俺は吉沢たちに願い出た。

「OK、委員長」

「了解~~」

 彼らは快諾してくれたが、たぶん明日には忘れていると思う。いかんせん調子の良いやつらなのだ。

 俺は席に座って、ようやく安堵した。早朝からタスクが多すぎる……。ぐったりしていると、なにやら後ろのほうからヒソヒソと声が聞こえてきた。

 声の感じからして、おそらく優等生女子の白石さんと唯川さんだ。

 女子には並々ならぬこじらせ感情を抱いている俺だが、彼女たちは別枠だった。真面目で、大人しくて、非モテの俺にも普通に接してくれる。

 俺は神経を集中させて、彼女たちの会話を聞いた。

「細身高身長色白イケメン尊い~~」

「玖堂くんって、見てるだけで興奮する対象だよね……」

「上半身だけでも良いから裸体を拝みたい!」

「早くプールの授業はじまらないかなぁ」

「あわよくば水中で触れ合いたいよね」

 ……いや、会話内容がエグイんですけど!?

 俺はビビりまくった。あの大人しそうな彼女たちの口から、まさか「興奮する」とか「裸体を拝みたい」などといったワードが発せられるとは思わなかった。

 プールの授業で、どれだけ玖堂をガン見するつもりなんだろう。というか、触れ合いたいってどういうことだ? ラッキースケベ的なことを狙っているのだろうか。

 やはり女子は怖ろしい。彼女たちはもう別枠でもなんでもない。少しでも期待した俺が、阿呆だった……。

 彼女たちは「細身高身長色白イケメン」というが、それは間違っている。玖堂は決して細身ではない。普通に筋肉マンだ。着やせするタイプなのだ。

 俺は玖堂の裸体を見ているので知っている。数えきれないほど拝んでいる! 芸術品みたいに綺麗な肉体だよ! おまけに美肌だ!

 いや、ちょっと待って。この思考がおかしい。どこで優越感を感じているんだ。玖堂の二の腕がムキムキだからって、俺がそれを知っているからって、一体なんだというのだ。

 玖堂の腕の感触が、ふいに手のひらによみがえった。

 ドキン、と俺の心臓が反応する。心拍数が上がる。俺は感触を消したくて、太ももをパシパシと叩いた。

 どれだけ叩いても、太ももが痛いだけだった。なぜだか、手のひらの感触は消えてはくれない。

「宮下? どうしたんだ、足なんて叩いて。虫でもいたのか?」

 ふいに名前を呼ばれた。顔を上げると、担任のい青山が困惑した表情で俺を見ていた。

 俺は、しゃっきりと姿勢を正した。そして真面目な顔で「なんでもありません」と答えたのだった。



「包丁を持つ手が、なんか危ういんだけど……」

 ピーラーでジャガイモの皮を剥きながら、俺は玖堂に指摘した。もしかして、料理をしたことがないのかもしれない。

 学校から帰ったあと、俺は宿題をフルパワーで終えた。それから買物に行って、今は玖堂の部屋のキッチンに立っている。

「え、ぜんぜん大丈夫だよ」

 俺を見下ろしながら、玖堂が不思議そうに言う。

 彼の手元には、無残な形になった人参があった。みじん切りかと疑うほどに小さかったり、バカみたいにデカい人参がまな板の上に転がっている。

 玖堂の包丁を持つ手は、かなり怪しい。ケガをしないか不安で仕方がない。

 俺の心配をよそに、玖堂は得意げに包丁を握っている。思い切りよく、ドン、ダン、と人参を切っていく。

 こんなことなら、玖堂にジャガイモの皮を剥いてもらえば良かった。

 ピーラーを渡して、交代を告げようとしたが止めた。ピーラーでもケガの恐れはある。俺はヒヤヒヤしながら、玖堂の手元を注視した。

 なぜ、俺が玖堂と一緒に料理を作っているのかというと。

 玖堂がバイト終わりに、駅前でふらふらしていることを知ったからだ。玖堂の部屋に来ていた派手めな男女。あの集団は、バイト仲間の繋がりらしい。

 高校生は玖堂だけで、他のバイトメンバーは大学生かフリーターなのだそうだ。それで、バイトが終わると毎回、飲み屋に直行するのだという。

 玖堂は、言葉は悪いのだが客寄せとして重宝されているらしかった。超絶イケメンなので、その場にいるだけで女子が寄ってくる。

 ここでも玖堂は、タダで飲み食いできるらしい。ホイホイと飲み屋に行って、閉店近くまで滞在しているという。俺は「そんな時間まで高校生が出歩いてちゃダメだろ!」と叱った。

 何かしらの犯罪に巻き込まれるかもしれない。補導される可能性もある。俺は大真面目に忠告したのに、玖堂はのほほんと笑いながら「宮下ってお母さんみたいだな」と言いやがった。

 誰がお母さんだよ……!!

 怒りに震えた。しかし、世話焼きだという自覚はある。八歳も上の兄の面倒を見ていたくらいなのだ。

 気づいたら「これからは、俺と夕飯を食べよう」と言っていた。「一人分も二人分も、作る手間は同じだから」とも。 

 玖堂は、相変わらずのほほんとしながら「宮下のご飯楽しみ~~」と笑っていた。

 いくら世話焼きだからといって、俺ひとりで夕食の準備をするのはなんだか釈然としない。それで玖堂にも手伝うように、と言ったのだが……。

 玖堂の手元をちらりと確認する。ものすごくハラハラする。これならひとりのほうがマシだったなと、俺は密かに後悔した。

 カレーの具材を鍋に放り込み、次に俺はレタスを手に取った。

「今から、サラダを作るから」

「うん」

「鍋のほうを頼む」

 俺は、玖堂にかき混ぜる係を任せた。これなら包丁で指を切る心配はない。

「……なんか、俺だけやること簡単だね」

 ぐーるぐーると鍋をかき混ぜながら、玖堂が不満を口にする。

「大事な仕事だぞ。鍋底が焦げ付かないように、ちゃんと混ぜろよな」

 ちなみに、鍋は俺の部屋から持ってきた。

 玖堂の部屋には、調理器具がほとんどなかった。

「でも……」

 玖堂が、くちびるを尖らせる。やれやれと思いながら、俺は「灰汁(あく)を取って」と指示した。

「なにを取るの?」

「灰汁だよ」

「悪?」

 ……そこから説明しないとダメなのか。

 まったく。手がかかるヤツだ。世間知らずめと思いながら、俺は懇切に丁寧に説明を開始した。

 カレーが出来上がると、サラダをダイニングテーブルに並べた。

 玖堂と向かい合って「いただきます」をする。スプーンを手に取りながら、そういえば誰かと一緒に夕食をとるのは久々だなと気づいた。

 兄と暮らしていた頃は、週に何度か一緒に食べていた。

 急に予定が変わって、ひとりの食卓になることも多かったのだが。

 出勤する際は「今日は早く帰れる」と言っていたのに、夜になって「やっぱりムリ」と連絡が来るのだ。もちろん、仕事で残業なら仕方がないのだが、兄の場合はたいてい異性が絡んでいる。

 朝帰りになることもしばしばだった。

 兄と離れて暮らすようになって三ヵ月が経った。すでに、ちょっと懐かしい。

 そんなことを考えていたら、玖堂がカレーを食べ終えていた。サラダをもりもりと頬張りながら、カレーが入っていた皿を俺に差し出す。

「何だよ」

「おかわり」

「そういうのは自分でやってくれ」

「わかった」

 もぐもぐと口を動かしながら、玖堂が立ち上がる。

 どうやら、彼は食いしん坊らしい。体が大きいし、おまけに筋肉マンだ。俺とは消費カロリーが違いすぎる。

 バクバクと食べる玖堂を眺める。

「美味しいとか、そういう感想はないわけ……?」

 あまりに無言なので、つい小言じみたことを言ってしまった。

 カレーだってサラダだって、ほとんど俺が作ったようなものだし。まぁ、誰が作ってもカレーは美味しいけれども。

 玖堂は、じいっと俺の顔を見た。

「な、何……?」

「宮下が作ったご飯、すごく美味しいよ」

「そ、そうか」

 褒められた。うれしい。口元がゆるむ。にやにやしてしまう。やっぱり、俺は褒められるのが好きだ。



 梅雨入りをしてからは、ずっと雨の予報が続いている。

 毎日ジメジメして、洗濯物が乾かない。俺は学校から戻ったあと、部屋干ししていた衣類をまとめた。コインランドリーに行って乾燥させようと思ったのだ。

 残念ながら、このアパートには浴室乾燥なんて気の利いたものはない。

 俺は、駅前にあるコインランドリーに向かった。

 乾燥するのを待つあいだ、近くの書店で時間をつぶすことにした。一通り店内を歩いて、参考書のコーナーで足を止める。

 参考書が欲しいと思っていたことを思い出した。あれこれと吟味して、数冊をレジに持って行く。

 書店を出たところで、ふと気づいた。

 ……そういえば、玖堂のアルバイト先って、この近くだな。

 駅前にあるフラワーショップだと言っていた。

 俺が今いる場所からは、高架を渡る必要がある。駅の反対側なのだ。

 面倒だと思いつつ、玖堂が働いている姿が見たくなった。今日はバイトがある日だと聞いている。

 スマートフォンで時刻を確認する。まだ、乾燥が終わるには時間がかかりそうだ。

 ちょっとだけ、見に行ってみるか。

 俺は参考書を脇に抱え、高架を渡った。

 駅の反対側は、カフェやらセレクトショップやらが立ち並んでいた。そういえば、こちら側には来たことがなかった。

 おしゃれ女子やおしゃれ男子が闊歩するエリアのようだ。俺にとっては心臓に悪い。

 玖堂の勤務先であるフラワーショップは、なんとも洒落た外観をしていた。非モテであると自覚している男子高校生が店内に入ることは、ちょっと憚られた。

 店は一部がガラス張りになっていて、目を凝らすと離れた場所からでも玖堂を見つけることが出来た。

 いつものようにゆるいTシャツ姿ではなく、パリッとした白シャツを着て接客していた。髪をひとつに結んで、それだけのことなのに彼が知らない人間のように思えた。

 観葉植物の大きな鉢を抱えて店内を移動する様子を見て、思いのほか玖堂の腕に筋肉がついていたことを思い出した。

 ……そういえば、特技だって言ってたな。

 玖堂の舌ったらずな「ちからもち」というセリフを思い出して、俺は頬をゆるめた。

 働く玖堂の姿を見るのは新鮮だった。店先の苗に水をやり始めたのを見て、ちゃんと仕事をしているな、と俺は謎の上から目線になる。

 しばらくすると、客である女性たちがチラチラと視線を送っているのが分かった。

 うわ、モテてる! と、思いながら引き続き玖堂を観察する。

 女性客から意識を向けられていることに、玖堂は気づいていないようだった。しばらくして、女性客のひとりが玖堂に話かける。

 玖堂は何度かうなずき、一緒に店内に入っていく。

 ガラス張りのおかげで、二人の様子が見えた。女性客は、花を指さしている。

 玖堂は、その花をガラス瓶から抜いていく。そしてそれを束にして、くるくると紙で巻いた。差し出された花束を女性客は、嬉しそうに両手で受け取った。

 あ、ちょっと触った。花を受け取るときに玖堂の手に触った……!

 俺は視力に自信ありなので、間違いない。

 合法的に美形店員に触れる技を駆使するとは、おしゃれ女子も侮れない。俺は感心しながら、ガラスの向こうの様子を注視し続けた。



 学校からの帰り道、俺はスーパーに寄った。

 ちなみに玖堂はバイト先に直行した。働き者だなと思いながら、カゴを手に取る。

 今日は焼き魚が食べたい気分だった。鮮魚コーナーで「おすすめ」のシールが貼られた銀だらに目を付ける。

 銀だらのパックを掴みかけたのだが、思いとどまった。かわりにアジをカゴに入れる。玖堂は焼くより揚げるほうが好みなのだ。

 今日のメインは、アジフライにする。

 味噌汁の具は豆腐と油揚げ……いや、アジをフライにするから油揚げはやめておこう。もう少しさっぱりしたもの、うん、ワカメに決めた。

 アジフライには千切りキャベツがマストなので、半玉になったキャベツをカゴに追加する。

 昨日作った筑前煮が残っているので、それを副菜にしよう。あと一品、何か欲しいなと思いながら店内を物色する。トマトとアボカドが安くなっているのを発見して、俺は手に取った。

 レモンと醤油、砂糖、オリーブオイル。これで和えると美味しいのだ。無事に献立が決まったので、俺は意気揚々と会計を済ませた。こんな風に、ビシッとメニューが決まると気分が良い。 

 クラスメイトに話しても、共感してもらえないと思う。あまりにも所帯じみている。主婦である湯島さんなら、分かってくれるかもしれない。そんなことを考えながら、俺は鼻歌まじりに店を出た。

 その日の夕食どき。

 俺の向かいの席で、玖堂が美味しそうにアジフライを頬張っている。

 実は、俺は油っこいものが得意ではない。若者のはずなのに体が揚げ物を歓迎しないのだ。そのくせ、こうやって玖堂の好物を作っている俺……。

「俺って、マジで玖堂の『お母さん』かもなぁ」

 そうつぶやきながら、俺は大皿から一番小さなアジフライを選んで自分の茶碗にのせた。もそもそと口に入れる。

「あ、うま」

 サクサクに揚がっている。食べるときは美味しいと感じるのだが、翌日は問題なのだ。

 朝、胃がもたれていたら嫌だなと思いながら俺はふたつめのアジフライに箸を伸ばした。

 ふいに視線を感じて顔を上げる。バチッと目が合った。玖堂が俺をガン見している。

「な、何……?」

「今日も美味しいよ」

 にっこりと玖堂が笑う。

 初めて玖堂の部屋でカレーを作ってから二週間。あの日以来、玖堂は「美味しい」と感想を述べるようになった。

「はいはい」

 なんだか照れくさいので、適当にあしらう。イケメンをあしらうモブ。なんという不可思議な構図だろう。

 あ、そういえば。イケメンといったら……。

「玖堂のバイト先って、いけすかない花屋だよな」

 俺はアジフライを口に入れながら、正面にいる玖堂を見た。

「……いけすかないって、どういうこと?」

 きょとんとした顔で、玖堂が首をかしげる。

「だって、おしゃれの気合が入り過ぎているじゃん」

 店に並んでいる花が、どれもこれも高飛車なのだ。庶民的なひまわりとかチューリップとか、そういう花ではなく、やたら鼻持ちならない高級そうな花が店内に鎮座している。どうもいけ好かない。俺とは相容れない。

 いや、もちろんひまわりもチューリップも売っているのだが、かなり気取っているのだ。

 品種改良したのか何なのか知らないが、花びらがギザギザになっているチューリップだったり、見たこともない色をしたひまわりだったり。意識高い系なのか知らないが嫌味に感じる。

 他にも、花なのか草なのか判別のつかない商品や、木の枝としか思えない代物も売っている。そしてやたら高額だった。たかが木の枝のくせに一本で千円近いなんて、ケンカを売っているとしか思えない。

 そして、店内を観察して気づいたのだが、やたら顔面偏差値の高いスタッフたちが揃っているのだ。

 玖堂を筆頭に、趣の違うイケメンたちが接客をしている。

 メガネ男子、爽やかスポーツマン、ホスト風の色男、等々。

「……まぁ、いけすかないは、ちょっと言い過ぎかかもだけど。でも、やたらイケメンが揃ってるじゃん?」

「そうかな」

 そうだよ。どこに目を付けてるんだよ。 

「もちろん、玖堂がいちばんイケメンだと思うよ? でもさ、あれはやり過ぎだよ。美形スタッフを取り揃えております的な感じだもん」

 俺は店の経営方針に物申しているのであって、決して美形男子を僻んでいるわけではない。断じてない。

「みにきたの?」

「え」

 玖堂に問われて、俺は我に返った。

 あ、やばい。バレる。しっかりじっくり観察していたことがバレる。

「んぐっ、ごほっ、ぐ、ぐうぜん。そう、偶然通りかかって。コインランドリーに行ったんだよ。ほら、最近は雨ばっかりだろ? それで、服が乾かなくて。その帰りに、店の前を通りかかったわけ」

 俺はむせながら、なんとが誤魔化そうとした。

「コインランドリーは、駅の反対側だけど」

 おい、玖堂くんよ。なんでこういうときだけ冴えてるんだよ。いつもは、ボケッとしてるくせに。

「いや、その……」

 ダメだ。白状するしかない。

「ちょっと、気になって。玖堂が働いてるところ、見たくなったんだよ」

 俺は俯いて、モゴモゴと打ち明けた。

「ふうん」

「……怒ってる?」

 ビクビクしながら、アジフライを咀嚼した。なんとなく味がしない。

「なんで」

「勝手に、見に行ったから……」

「怒ってないよ。いつまでいたのかなと思って」

「いつまでって……。夕方だけど」

「そっか」

 玖堂がひとりで納得している。いつものように飄々とした表情だった。

「……どういうこと?」

「もうちょっと遅い時間だったら、いっしょに帰れたのになっておもっただけ」  

 そう言って、玖堂が味噌汁をすする。

「あ、そう」

「うん」

「なんか、それって……」

 恋人みたいだな、と思った。ほんのちょっと言いかけたけど、寸でのところで口をつぐんだ。

 冗談でも「恋人」というワードを言ったら、やばい気がした。顔が赤くなりそうで、俺は俯いたままアジフライを飲み込んだ。