こじらせ委員長と省エネ男子

 授業が始まる前の一年B組の教室。俺――宮下響(みやしたひびき)は、黒板を背にして皆の前に立った。

「昨日の課題を集めまーーす!」

 俺が号令をかけると、クラスメイトから「はーい……」という声があがった。ちょっとダルそうな声だ。朝なのでテンションが低いのだろう。

 授業前に皆の課題を集めて、教卓に置いておく。それがクラス委員である俺の毎朝の仕事だった。

 今は五月の終わり。クラス委員としての役割にも慣れた。他にも諸々、委員長としての仕事はある。簡単にいえば雑用なのだが、中学の頃からクラス委員をやっていたので、特に苦だとは感じていない。

 俺は、いわゆる委員長キャラだ。勉強ができて、真面目で、人望はそこそこあり、教師からも信頼されている。

 ちなみに、外見は凡庸だった。黒髪で、モブ顔。地味なパーツが大人しく顔面におさまっている。身長は高くもなく、低くもなく。平凡を絵に描いたような容姿だった。

 確かにモブ顔なのだが、自分ではそれなりに気に入っている。この顔と共に生きてきたので愛着があるのだ。

 俺は、集まったノートの冊数を確認した。

「あれ? 一冊、足りない気が……」

 数え間違いだろか。そう思ってもう一度、ノートを確認してみようとしたとき。

 教室の後方から「委員長~~!」と、俺を呼ぶ声が聞こえた。

「何、どうした?」

 俺が顔を上げると、男子生徒が椅子をギコギコと揺らしながら手を上げていた。

「まだ、玖堂(くどう)が来てませーーん」

 ……なるほど。

 俺は、窓側の一番後ろの席に視線をやった。そこが玖堂の席なのだ。残念ながら、というか案の定、彼の姿はなかった。

「じゃあ、足りないのは玖堂の分だな」

 俺は納得して、集まったノートをまとめて教卓に置いた。

 こんな風に、玖堂が遅刻することは珍しいことではない。彼には遅刻癖がある。たいてい二時間目が終わった頃に、ダルそうに登校してくる。

 どんなにやる気がなさそうでも、眠そうな顔をしていても、パッと目を引く容姿をしている。

 そう、玖堂碧斗(あおと)というのは、かなりのイケメンなのだ。

 くっきりとした二重瞼に、長い睫毛。すっと通った鼻筋のおかげで、彼の横顔は芸術品みたいに美しい。

 瞳の色は、ちょっと明るめのブラウン。髪も同じ色だ。全体的に長さがあって、ときどき鬱陶しそうに髪をかき上げている。邪魔なら切れよ、と俺は見る度に思っている。

 おまけに玖堂は長身だった。ごく普通のブレザーなのに、彼が着ると途端にハイセンスな制服になる。おそらく、スタイルが良いからそう見えるのだろう。

 ネクタイは常にゆるゆるで、着崩しているのに野暮ったく感じない。自分の席に座っているだけなのに、ドラマのワンシーンみたいなのだ。

 初めて玖堂を見たとき、あれ? 今、この教室って撮影現場で使ってます? イケメン俳優がいるんですけど……と、思わず錯覚したほどだった。

 玖堂は、常に気だるい雰囲気を漂わせている。

 いつもダルそうで、やる気が感じられない。エアコンの「省エネモード」のようだ。稼働はしているものの、勢いは皆無。何をするにも動作は緩慢だし、教室を移動するときだって、たらたらと廊下を歩いている。

 玖堂を見ていると、リモコンの「強」を押したくなる。ダダダッと「強」を連打して、玖堂をキビキビと動かしたい衝動に駆られるのだった。



 夜の九時過ぎ。部屋で宿題をしていると、隣室から声が聞こえてきた。男女数人がバカ騒ぎしている声。安アパートの壁は驚くほど薄い。俺は「またか」とため息を吐く。

 俺はイヤホンを手に取った。音楽で気を紛らわそうとしたのだが、結局はやめた。俺は勉強に集中する際は無音が好きだ。それに、イヤホン自体もちょっと苦手だった。耳に違和感があるような気がして、集中力が削がれる。

 声は、今も断続的に続いている。時折、女子の甲高い笑い声が聞こえて、俺はイライラのあまり筆圧が上がった。勢いあまって、シャーペンの芯がボキッと折れる。

 うるせぇーーー!!

 俺は心の中で叫んだ。同時に、こんな状況に陥った元凶を恨んだ。

 クソ兄貴め……!

 シャーペンを持つ手が、ぶるぶると怒りで震える。このアパートに引っ越してきたのは二ヵ月前。高校入学と同じ頃だった。俺には八歳上の兄がいて、元々はその兄と同居していた。父親が海外転勤となり、母が同行することになったのだ。

 両親が海外で暮らし始めたのは、俺が小学校高学年のときだった。それ以来、兄弟で仲良く暮らしていたつもりだったのだが、そう思っていたのは俺だけだったらしい。

 俺はグータラな兄の世話を焼きながら、そこそこ住環境の良いマンションで生活をしていた。しかし、二ヵ月ほど前に部屋を追い出されてしまった。

 兄の洸は、グータラな上に奔放な性格だった。付き合う相手がコロコロと変わる。それだけならまだしも、ワンナイトもありだ。

 まったく、困った兄だ。弟の教育に悪いと思わないのだろうか。会社員として、一応はきちんと仕事をしているようだが、私生活はひどいものだった。乱れに乱れている。

「響がいるとさ、相手を連れ込めないじゃん? ホテルに行くのも金がかかるし~~」
 
 などと言って、俺を追い出しやがったのだ。家賃を払っているのは兄なので、家主の意見には逆らえなかった。あのときのヘラヘラした兄の顔を思い出すと、今でもこめかみがピクピクする。

 俺の現在の住処は、二DKのボロいアパート。かなりの築古物件だ。自分が家賃を払っているわけではないので、文句は言えない。言えないのだが……。

「かなり、壁が薄いんだよな」 

 俺の口から、ため息まじりの声が漏れる。この壁のせいで、声が筒抜けなのだ。隣の住人が、頻繁に友人たちを部屋に招き入れるせいで、俺の平穏な生活が脅かされている。

 勉強が捗らないのは致命的だ。成績が下がってしまう。そうなったら、俺の委員長キャラが崩壊するおそれがある。

 俺の学業の成績は、日々のたゆまぬ努力によって支えられている。なぜ、そんなにも努力しているのかというと……。

 褒められたいからだ(クソデカボイス)!!!
 
 真面目で、責任感があって、頭の良い優等生。そんなものは、はっきり言って仮の姿だ。いわゆる外面というやつ。

 俺は、生まれ持っての委員長体質ではない。普通に「サボりてぇ……」と思う日だってある。でも、気づくと勉強机に座って問題集のページをめくっている。

 俺の「褒められたい願望」は、おそらく兄が影響していると思われる。俺の実兄である(あきら)は、かなり目を引く外見をしている。中身はクソだが、容姿端麗なのだ。両親や周囲の人間から、常にちやほやされていた。

 それに比べて、俺はモブとしか表現できない見た目だ。自分が褒められるためには、他の部分で頑張るしかない。俺だって褒められたい。

 運動神経はイマイチだったので、俺は勉学に励むしか選択肢がなかった。そして努力を重ねた結果、見事に委員長キャラとして認められることになったのだ。

 まぁ、肝心の両親は俺と兄を日本に置いて、あっさりと海外に行ってしまったのだが……。

 しかし、いきなり委員長キャラを止めるわけにもいかず。教師から「さすが宮下だな」と褒められるのは、悪い気はしない。クラスメイトから頼られると、ちょっと得意げになれたりもするので、俺は相変わらず努力を続ける日々だった。

「ちょっと休憩するか……」

 相変わらず隣室は騒々しい。しばらく集中するのはムリそうだと判断して、俺はコンビニに向かった。

 お気に入りの炭酸飲料と、ラムネを購入して店を出る。

 包装を解いて、さっそくラムネを口に放り込んだ。

「はぁ~~、糖分がしみわたるーーー!」

 勉強で酷使した脳が、糖分を欲していたようだ。ラムネを爆食いしながらアパートに戻ると、ちょうど隣室の扉が開くのが見えた。

 部屋の中から、派手な身なりをした男女がぞろぞろと出てくる。どうやら、お開きになったらしい。

 その中に、玖堂の姿が見えた。

 顔面がキラキラしているので、一瞬で玖堂だと判別できる。彼だけ他の人物とは作画が違うのだ。

 ちなみに、この玖堂こそが、俺の隣に住む住人だった。

 俺と同じで、一人で生活している。高校生のくせに一人暮らしなんて、どういう事情があるんだろう? と、密かに訝しんでいる。まぁ、俺だってひとのことは言えないんだが。

 玖堂は、相変わらずダルそうな顔をしていた。肩にぎりぎり届かないくらいまで髪を伸ばし、鬱陶しそうにかき上げている。着ているのは、よれよれのTシャツだった。

 玖堂の腕に、年上だろうと思われる女子の手が絡まる。バッチリとメイクを施し、服装も派手だ。

 その女子の顔が、すいと玖堂に寄せられる。かなりの至近距離だが、玖堂は平然としていた。

 ……けっ。モテやがって。
 
 俺の眉間に皺ができる。これはもう、単純に嫉妬だ。仕方がないので認める。

 モブ顔ゆえ、俺は非モテだ。女子との接触が皆無。もちろん、カノジョなんてものはいない。いたこともない。今後、できる予定もない。悲しい。

 玖堂の腕にぎゅうっと抱き着きながら、バッチリメイクの女子がキャッキャとはしゃいでいる。しばらくすると、別の女子から「抜け駆け禁止」という声が飛んで、バッチリメイクの女子は玖堂から引き剥がされていた。

 ド派手な集団が、俺をすり抜けるようにして去っていく。
 
 玄関の扉を閉めようとした玖堂と、俺はバチッと目が合った。とりあえず「にこ」と笑って挨拶した。

「よう」

 あまり話したことはないが、クラスメイトなのだし、と思って声をかけたのだが。

 玖堂は、緩慢な動きで俺のほうを見た。そして……。

「……す」

 それだけ言って、扉をパタンと閉めた。表情は、一切変えずに。さすがは省エネ男子。ひと言で挨拶を済ませるとは。

 こっちは、わざわざ表情筋を動かしたのに。

 俺は笑顔のまま、感じわる~~~! と心の中で文句を言った。



 俺は部屋に入って、玄関の扉を閉めた。コンビニで買った炭酸飲料のキャップを開ける。ぐびぐびと飲みながら、隣室の様子をうかがった。

 耳を澄ましたが、声はもちろん物音ひとつしない。
 
 隣に住む玖堂とは、そう頻繁ではないもののアパートで顔を合わせることがある。同じクラスなので、もちろん学校でも毎日会う。

 俺は良い子の委員長なので、その度に「おはよう」とか「良い天気だな」と挨拶している。もちろん笑顔で。

 玖堂は、それに対して小声で「……す」と返してくるだけだ。朝に会っても、昼に会っても、夜に会っても「……す」で済まされる。

 怒り心頭だ。なんだそれ。ちゃんと挨拶しろよ。

 内心イラついているのだが、俺は外面が良いのでもちろん表情には出さない。

 俺は勉強机に腰を下ろし、途中だった宿題に取り掛かる。集中しなければいけないのだが、ちらちらと玖堂のことが頭に浮かぶ。

 あんなに無気力そうなのに、女子にモテている。羨ましい。顔が良いというのは強い。

 よれよれのTシャツを着ていても、挨拶が「……す」の塩対応でも、スタイルの良い美男子というだけで女子が群がってくるのだ。そんなのは納得できない。

 女子も女子だ。外見が良いからって、それが何だ。そんなにイケメンが良いのか。だから女子は嫌なんだ。

 最近は怒りの矛先が、玖堂よりも女子のほうに向いている。

 長く孤独な非モテの人生のせいで、俺の性根は歪んだ。そして、こじらせた。同性である玖堂よりも、異性に対して怒りの感情が向くようになってしまった。

 玖堂の元に、次から次へとやって来る女子たち。まれに彼女たちを目撃することがあるのだが、いつも顔ぶれが違っている。こんなにも世の中に奔放な女子が溢れていたなんて、俺は知りたくなかった。

 俺は玖堂のように制服を着崩すことなく、きちんとした格好で登校している。私服だってだらしなさは皆無だ。同じアパートの住人に、丁寧に挨拶をする社会性だって身につけている。

 それなのに、俺は童貞なのだ(小声)!!!

 思えば、昔からそうだった。真面目な奴よりも不良がモテていたし、大人しくて優しい奴よりも荒くれ者のほうが先に非童貞になっていた。なぜだ。解せない。たぶん、いや、絶対に女子が悪い。

 こんな風に、こじらせた感情を俺が抱えるに至ったのは、例のクソ兄貴のせいでもある。

 兄は浮気性だ。そもそも本命を作らない主義らしく、あっちこっちに手を出している。そのせいで、女性たちがマンションに押しかけてきて取っ組み合いのケンカになったり、メンヘラ化したりするのだ。

 泣く、暴れる、喚く。たまに、自傷を仄めかす事態にもなる。

 俺のことを指さしながら、「男の子とも浮気してたのね!」と勘違いする迷惑な女子もいた。洸と俺は、見た目が似ていない。そのせいで兄弟だと識別されなかったのだろう。
 
 キッと吊り上がった目で睨まれるのは恐怖だった。たとえ相手が自分よりも小柄な女子だったとしても、怖いものは怖い。

 そういう修羅場を目撃……たまに巻き込まれる事案も発生したことで、俺の女子に対する感情はちょっと複雑だ。

 ……顔が良いだけのヤツは、やめておいたほうが無難だな。

 それが俺の結論だった。高校一年生にしては、少し達観しているかもしれないが仕方がない。

「よしっ」

 あれこれと思考を巡らせていたが、無事に宿題は終わった。ノートを閉じて、椅子の背もたれに体を預ける。

 だらんと全身の力を抜きながら、玖堂のことを考える。ちゃんと宿題を終わらせただろうか。明日は遅刻せずに登校して来るだろうか。

「ま、他人のことだし。俺には関係ないか……」

 そうつぶやきながら、俺は椅子から立ち上がった。



 翌日の放課後、俺は担任から職員室に呼ばれた。

 担任の青山は、二十代後半の男性教諭だ。いつも柔和な笑みを浮かべている。真面目な優男に見えるのだが、本性はお調子者だ。生徒をおだてるのが上手い。

 俺は雑用を頼まれることが多く、見事に担任の術中に嵌っているといえる。

「な、頼むよ~~!」

 そう言って、青山が顔の前で両手をすり合わせる。

「いや、あの。俺が、玖堂の目覚まし係って……?」

 職員室の窓側。自分の席に座る青山を見下ろしながら、俺はつぶやいた。

 いつも体よく使われる便利屋だと自覚はしているが「目覚まし係」というのは解せない。まったく意味不明だ。

「宮下は、玖堂の隣に住んでるんだろう?」

「そうですけど」

「朝、起こしてやってくれないか? なんかさ、玖堂は朝が弱いみたいなんだ。それで、そのまま学校に連れて来て欲しいんだよ。一緒に登校して来てくれ。な?」

 いや「な?」とか言われても……。

「……今日は、遅刻してませんでしたけど」

 こんな頼まれごとは、死んでも引き受けたくはない。面倒すぎる。俺はなんとか「目覚まし係」とやらを回避しようと試みる。

「でも、遅刻することのほうが多いだろ? 困ったヤツだよな~~」

 担任がヘラヘラと笑う。

 いや、俺にとって「困ったヤツ」は、今まさに厄介事を押し付けようとしている、担任のアナタなんですが?

 心の中で文句を言う。絶対に引き受けたくない。

「玖堂のヤツ、寝起きは悪いかもだけど。そこはクラス委員長! 頼りになる宮下! なんとか上手くやってくれ~~」

 相変わらず、手をスリスリとすり合わせている。

 いやいや、面倒くせーーー! 寝起きが悪いとかサイアクなんですけど。 

「このままだとさ、俺が学年主任から目を付けられるんだよ~~!」

 出たな、本音。

 学年主任は、生活指導でもある。コワモテの五十代男性教諭だ。

「宮下、お前だけが頼りなんだ……!」

 担任が、悲しげな顔で訴えてくる。この表情は絶対に作っている。青山は演技派だ。たとえ演技ではなかったとしても断る。断固拒否。

 俺の心は完全に決まっているのだが、ふいに「この話を了承したら褒められるな」という考えがよぎってしまった。

 俺の中にある褒められたい願望。それが、むくむくと湧いてくる。

「分かりました! 任せてください!」

 あ、しまった……! 急に我に返ったが、もう遅い。

 担任の表情が、パアッと明るくなる。キラキラと輝いた瞳で見られる。

「さすがは宮下~~! やっぱり、お前は良い生徒だな。うん、頼りになる」

 褒められた。やっぱり、うれしい。ずっと欲しかったものが得られた感覚だ。

 カラカラに渇いた部分に、きれいな水がしみ込んでいくような。

「……ありがとうございます」

 引き受けてしまったものは仕方がない。俺は青山に頭を下げて、職員室を後にした。



 学校から自宅に戻った俺は、スクールバックをソファに放り投げた。

 ……ダルい。「目覚まし係」とか、めちゃくちゃ気が重い。

 しかし、そこは良い子として定評のある俺。にっこりと笑顔を作って、隣室に向かった。一応、玖堂に事の説明をしておこうと思ったのだ。

 インターフォンを鳴らすと、しばらくの間があってから玄関の扉が開いた。

「……なに」

 相変わらずテンションの低い玖堂が、部屋の中から顔を出す。

「あ、えっと。担任から聞いてる……?」

 俺の問いに、玖堂は「何の話?」と首をかしげた。

「さっき、放課後にさ。青山から呼び出されたんだけど」

 俺が話し始めると、玖堂がちょっと大きく扉を開けた。そして……。

「部屋、はいる?」

 話が長引きそうだと判断したのだろうか。玖堂は、俺を部屋に招き入れた。

 ちらりと見る限り、間取りは俺の部屋とまったく同じだった。所在なさげに立っていると、ソファに座るよう玖堂が促してくれる。

 俺の隣に玖堂が腰を下ろし、ゆっくりと足を組む。すらりとした足の長さを見て、軽くイラッとした。シンプルに嫉妬だ。

 スタイルが鬼だな……! と口惜しい気持ちになる。

 改めて、今日の放課後に青山から呼び出しをくらったことを説明した。そして、「目覚まし係」とやらに任命されたことを告げる。

 玖堂は、俺の説明を無言で聞いていた。そして、最後に一言。

「……宮下も、たいへんだな」

 まるで他人事のような物言いに、むかっとした。

 張本人のくせに、なーーにが「たいへんだな」だよ! 全部テメーのせいだろうがよ。ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら、俺は作り笑顔を保つ。

「そもそも、この話。玖堂は担任から聞いてたのか?」

 もしかして、玖堂が「ちょうど隣に便利屋の委員長が住んでるので、目覚まし係として使ってください」とか言ってないよな? そんな余計な進言してないよな?

 俺が確認すると、玖堂はゆっくりと首を横に振った。

「きいてないけど」

 どうやら、玖堂は何も知らなかったようだ。

 勝手に「目覚まし係」の話を進めるのは、いかがなものかと思った。俺だったら、自分の与り知らぬところでそんな計画が進んでいたら、すごくイヤだ。

 というか、この説明すら俺任せなんかい……!

 お調子者の担任の顔を思い出して、俺はさらにイライラが募った。

「あのさ、玖堂は朝が苦手だって聞いたんだけど」

「うん」

「なんで、起きれないんだ? もしかして、何かの病気とか……?」

 そういう疾患があることを、いつだったか聞いた覚えがある。

 十分な血流が身体や脳に届かないことで、立ちくらみやめまいといった身体症状が現れるらしいのだ。それで、朝起きることができないのでは……?

 俺は、慎重にその辺りを確認しようと思ったのだが。

「べつに。ねるのがおそいから」

 玖堂が、のんびりした口調で答える。

 寝るのが遅いから、朝になっても起きられない……? つまり、それってただの夜更かしじゃん。

「あ、そう」

 どうやら気遣いは無用だったらしい。

 省エネモードゆえ、玖堂の口調はおっとりだ。全てがひらがなに聞こえる。俺は、なんだか気が抜けた。

「……じゃあ、とりあえず明日から起こしに来るから」

 ちらりと玖堂のほうを見る。

 玖堂は、抑揚のない声で「わかった」と言った。

「そういえばさ……」

「なに」

「今日は、誰も来てないんだな」

 玖堂の部屋は、しんと静まり返っている。

「うん」

「まさかとは思うけど、飲酒とかしてないよな?」

 クラス委員として、そこは確認しておかなければ。虚偽の申告は許さない。

 俺は、ずいっと玖堂に顔を近づけた。これでも圧をかけているつもりだ。モブ顔なので、効果はないかもしれないが。

「俺は飲んでない」

 気だるげな雰囲気の玖堂が、身の潔白を訴える。

 俺はじいっと彼の目を見た。視線が合う。至近距離だ。ブラウンの瞳がきれいだと思った。あ、ダメだ。負けそう。美しさの圧がすごい。

「まぁ、信じるよ」

 俺はぶっきらぼうに言って、玖堂から視線を外した。

 玖堂の部屋に来ているのは、大学生の男女らしい。飲食は持ち寄りか宅配。玖堂は部屋を提供するかわりに、タダで飲み食いできるようだ。

「生活費は、両親からもらってるけど……」

「タダで飲み食いできる分、節約になるから?」

「そう」

「ふうん」

 まさかの節約。羽目を外して遊びたいだけかと思っていたが、どうやら違うようだ。

「でもさ、それで夜に寝るのが遅くなるのはダメじゃん。玖堂は高校生なんだから、一応は真面目に学校に通わないと」

 委員長キャラとして、俺はビシッと正論を叩きつけた。

「そうだな」

 あ、納得してくれた?

「でも、夜遅くなるのは遊んでるからじゃなくて。バイトしてるからだ」

「え、バイト?」

 そりゃ、うちの学校はアルバイトOKだけども。

「そう。特技をいかしてる」

 特技ってなんだ……? 玖堂の特技……。やたら外見が麗しいという特徴しか、すぐには思い浮かばない。

「モデルとか?」

「いや、そんなわけない」

 玖堂が苦笑いする。ちょっと口元を緩める程度だけど。笑うと、ちょっと可愛いかも……。いや、そうじゃなくて。

 夜のバイト。美しい容姿。ふいに、いかがわしいバイトで金銭を得ているのではないか? という疑念が湧いた。

「ど、どんなバイトだ……?」

 俺は、ごくりと唾を飲みながら問う。

「花屋」

 玖堂は、あっさりと答えた。花屋。めちゃくちゃ健全だ。

 いや、もしかして、花を売るとかそういう……? 隠語的なやつだろうか。

「いかがわしい花屋じゃないだろうな?」

 俺は玖堂に詰め寄った。高校生が、いかがわしい商売で稼いではいけない。

「……この世に、いかがわしい花屋なんてあるのか?」

 玖堂が不思議そうな顔で俺を見る。綺麗なブラウンの瞳に、曇りは一切ない。

「いや、うん。何でもない」

 どうやら、玖堂はごく普通の花屋で勤務しているようだ。

「割と大きいフラワーショップで、系列店がいくつかある。駅前にあるから、立地も良い店だ」

「へえ」

「くる?」

「どこに。誰が」

「宮下が、俺の働いてるフラワーショップに」

 足を組み替えながら、玖堂が俺を誘う。

 俺は即刻、断った。

「花屋に用はない」

 誠に残念ではあるが、俺には花を贈る相手がいないのだ。

 そう考えると、花屋というのは自分にとってかなり縁遠い場所だ。

「花屋に行ける身分になりたい……」

 非モテの悲しいつぶやきが、俺の口から漏れる。

「……彼女は」

 玖堂が、遠慮がちに俺に訊く。

「いるわけないだろ」

「……は、母の日」

「それは、先々週に終わっただろ」

「そうだった」

 まったく、いい加減な店員だ。

「そういえば、玖堂の特技って何?」

 俺の問いに、玖堂はうなずく。

「ちからもち」

「は?」

 力持ち。それが玖堂の特技らしい。

「それが、花屋の何の関係があるんだよ」

 まったく結びつかない。しかし、花屋は意外にも体力勝負らしい。

 大きめの鉢とか、水が入ったバケツ。重いものを持つことが多いようなのだ。

「なるほど」

 玖堂が働いている姿は、残念ながら俺には想像できない。省エネモードの彼しか知らないから。

「たとえ、母の日に間に合ってたとしても。やっぱり俺は、花屋に行くことはないかな……」

 海外で暮らしている母親の顔を思い浮かべながら、俺はぽつりとつぶやいた。

 玖堂が、スッと背筋を伸ばした。足を組むのをやめ、きちんとした姿勢で座り直す。

「あ、もしかして、何か複雑な事情があると思ってる?」

 それで、深刻な話が始まるとでも思ったのだろうか。

「なんか、聞く体勢になってもらったところ悪いんだけど……。うちの両親は、お気楽に海外生活を満喫してるよ。海の向こうにいるから、花を買っても意味がないってこと」

 父親の海外転勤に、母親も同行していることを説明する。

「一緒だ」

「そう、一緒に行ってる」

「ちがう」

「え?」

「うちの両親も、海外生活中」

 なんと、玖堂の家もうちと同じ事情らしい。途端に親近感がわく。

 玖堂は一人っ子のようだ。クソ兄貴を持つ俺とは、その部分では少し違っている。

「親が海外にいて、一人暮らしで。それで隣同士に住んでるって、なんかすごい偶然だな……!」

「そうだな」

 ちょっとテンションが上がっている俺に対して、玖堂はどこまでもクールだ。表情ひとつ変えない。

 玖堂は立ち上がり、テーブルの引き出しを開ける。

 ガサガサと中をあさって、やがて銀色に光るものを俺に手渡してきた。

「何、これ」

「鍵」

 いや、それは見れば分かるけれども。

「どこの」

「ここの部屋。目覚まし係には必要かとおもって」

 いやいや。いくらなんでもあり得ない。合鍵を渡すとか、ちょっと不用心が過ぎませんか?

「俺のこと、信用してるんだ?」

「もちろん」

 本当かよ。

「委員長だし」

 ……なるほど。

「寝込みを襲うかもよ」

 ちょっと脅かすつもりで、俺は玖堂を見据えた。

「問題ない」

 玖堂は怯むことなく、平然と言った。

「え、何で?」

 もしかして、俺ってそんなに弱そう? 

「やり返せる」

 あ、やっぱり。弱いと思われてるのか。まぁ、確かに体格差あるもんな。

 やり返されている映像が浮かんで、俺は「うわ」と思った。玖堂に押し倒されている自分。玖堂に見下ろされている風景。

 今、俺が座っているソファからベッドの一部が見えている。その分、ちょっと生々しかった。

 ……いや、なんという想像をしているのだ。

 自分に呆れながら、俺は立ち上がった。

「じゃあ、また明日。朝になったら迎えに来るから」

「うん」

 右手に握った鍵を握りしめる。

 玖堂は、俺を部屋の外まで見送ってくれた。表情は「無」に近いが、手を振っている。かなり動作はゆっくりだけれども。

 ひら……、ひら……、という感じで、いかにも玖堂らしい手の振り方だった。省エネモードだな、と思いながら、俺も手を振り返した。



 玖堂の部屋から戻ったあと、俺はいつも通り宿題を片付けた。予習と復習をしてから、夕食をパパッと作った。食後は、洗濯物を取り込んで、部屋を掃除して……。

 俺は、だらだらとするのが苦手だった。頭も体もフルパワーで稼働させている。玖堂とは正反対のタイプだ。

 夜になると、エネルギー切れを起こしてベッドに倒れ込んでいる。

 今日もそうだった。ベッドにダイブしたのと同時に、スッと眠りについた。

 ぐっすり寝ていたはずだったのだが、気づいたら明るい場所にいた。まぶしいくらいだった。真っ白だった周囲の景色が、少しずつ色を帯びていく。

 俺は、部屋の中にポツンと座っていた。

 今、暮らしているアパートではないことは明らかだった。少し前まで、兄と生活していたマンションでもない。

 これは、一軒家だ。見覚えがある。俺は幼少期、この家で暮らしていた。両親が海外へ行く前の話だ。

 そこまで考えて「これは夢だな」と気づいた。

 まれに、こんな風に夢をみる。たいてい内容は同じだ。

 幼い俺は、ひとりで遊んでいる。部屋の中央に座り込んで、知育玩具を触ったり、絵本をめくったりしている。

 両親は、ちょっと遠くに見える。同じ部屋にいるはずなのに、不思議なくらい距離が離れている。父と母は、向かい合って何か話している。楽しそうだ。自分も加わりたいと思うけれど、それは叶わない。

 声が出ない。手を振っても、俺の存在に両親たちは気づかない。

 少しずつ、苦しさを覚える。息ができないみたいだ。

 もがいていると、背後から声をかけられる。兄だ。いつも、俺が苦しくなると兄が出てくる。そうして「俺と遊ぼう」という。

 間違いなく兄の洸なのに、俺の知っている兄ではない気がする。ヘラヘラしていない。ちょっと不機嫌そうで、ぶっきらぼうなのだ。 

 夢の中の俺は、まだ小学生にもなっていないと思う。兄の言葉に対して、小さな頭がこくんと動く。その様子を今の俺は、いつも俯瞰で見ているのだ。



 翌朝、俺はいつもより早めに部屋を出た。

 目覚まし係としての任務を遂行するためだ。玖堂がすぐに起きてくれるとは限らない。そのため、少し余裕を持って彼の部屋の前に立った。

 インターフォンを押す。可能性は限りなく低いとは思うが、扉が開きますように……と祈る。

 一度目は、反応なし。

 少し間を置いて、もう一度インターフォンを鳴らしてみた。

 やはり、玖堂は出て来ない。

「やっぱり、合鍵を使うことになるのか……」

 俺は、玖堂から渡されていた鍵を使って部屋に入った。

「お邪魔しまーーす……」

 ゆっくりと進み、玖堂の姿を探す。昨日、ベッドが置かれている場所は確認している。そこに視線を向けると……。

「寝てんじゃん」

 やっぱりというか、なんというか。

 ゆるゆるのTシャツ姿の玖堂が、ベッドに横たわっていた。どうやら、このゆるゆるTシャツは、部屋着兼パジャマらしい。

「いや、ちゃんとスウェットとか穿いて……!」

 俺は頭を抱えた。目の前には、玖堂のすらりと伸びた脚がある。生白い太ももは、意外にも筋肉質だった。

「まさか、下着もナシとかないよな?」

 俺は気になって、ゆるゆるTシャツに手を伸ばした。

 その手を反対の手でピシャリと叩く。

「何をしようとしているんだ! 俺は……!」

 これは、完全なセクハラに該当する。

 この部屋に来た目的は、玖堂を起こすことだ。そして、彼と一緒に学校へ行く。強引に、引っ張ってでも連れて行く。

「玖堂」

 俺は、ごく普通のトーンで声をかけた。もちろん、玖堂は目を覚まさない。

「玖堂くーーん」

 今度は、ちょっと大きめに声を出す。

「うん……」

 玖堂が返事をした。もちろん、目は閉じているけれども。

「玖堂! 起きろ!」

「うーーん……」

 玖堂が寝返りを打つ。うつ伏せの体勢から、仰向けになった。

「寝顔すら美しいのかよ」

 玖堂が寝ているのを良いことに、俺は間近でガン見した。つるりとした顔だ。

 造作が整っているのはもちろん、玖堂の顔にはシミひとつ存在しなかった。ニキビもない。というか、毛穴が見当たらない。意味が分からない。

「同じ人間とは思えねぇ」

 俺は愕然としながら、部屋のカーテンを全開にした。

「ん……」

 玖堂が、まぶしそうに顔を背ける。色素の薄い髪が、朝陽を浴びてキラキラと輝いている。

 何かに似ていると思った。あ、そうか。たてがみだ。ライオンみたいなのだ。草原で体を休めている美しい捕食者。

 仮に、玖堂がライオンだとしたら、俺は何だろう。小動物とまではいかなくとも、ライオンの前では無力な生物に違いない。 

「碧斗」

 思い切って、呼び捨てにしてみる。

「……うん?」

「起きた?」

「…………」

「いや、そこは返事しないのかよ」

 俺は玖堂に近づき、ゆさゆさと体を揺らした。

 いい加減、目を覚ましてもらわないと困る。余裕を持って部屋を出て来たが、のんびりしている時間はない。

「起きろ~~! 玖堂が起きないと、俺まで遅刻するだろ」

 俺は中学時代、無遅刻無欠席だった。

 無論、高校でもそれを狙っている。なぜなら優等生だから。そうすると褒められるから。 

「玖堂のせいで遅刻したら、恨むからなーー!」

 そう言って、玖堂の体をゆさゆさと激しく揺さぶる。

「こんなあられもない姿で寝てるのは、すごく危険だぞ~~! 襲われちゃうぞーー!」

 とか言いつつ、そんな勇気は俺には一ミリもないのだが。

 それにしても、玖堂はちょっと無防備が過ぎると思う。同じクラスの人間とはいえ、簡単に合鍵を渡したり、こんな風にスヤスヤと眠っていたり。

「自分がすごい美貌の持ち主だってこと、ちゃんと自覚したほうが良いぞ~~!」

 そう口にした瞬間、ふわりと体が浮いた。同時に、視界が反転する。

「え……?」

 状況が理解できず、俺はひたすら瞬きを繰り返した。

 目の前に玖堂がいる。いや、前というか上だ。俺に乗っかる体勢になった玖堂に、じいっと見下ろされている。

 ……な、なんか、玖堂の目が据わってるみたいなんですけど。

 というか、ちょっと待って。俺、玖堂に押し倒されてんの? 
 
 ベッドから、ふわりと玖堂の匂いがした。急に、色んなことが生々しく感じられた。

 触れている玖堂の体温とか、シーツの感触とか。俺の心臓は、どっきんどっきんと反応している。

 改めて、自分の置かれた状況を理解する。

「わ、わ~~! 玖堂ってば、朝からセクシーだなぁ」

 俺は動揺を隠しながら、ヘラヘラと笑った。

 ゆるゆるTシャツは、襟の部分が伸びきってだるっとしている。鎖骨から胸元がバッチリと見える。

 玖堂が、少しずつ顔を近づけてくる。

「な、なん……」

 さすがにビビる。

 まさか、キスしようとかしてないよな? 

 そんなわけないと思いつつ、でも玖堂の美しすぎる顔面は近づいてくるわけで。

「ひょえーーー!」

 俺は、情けない悲鳴を上げた。

 その瞬間、玖堂の動きが止まった。

「なんだ、宮下か……」

 寝起き特有のかすれた声だった。

 玖堂が上体を起こす。その瞬間、ベッドがぎしりと音を立てた。

「だ、誰かと勘違いした……?」

「そうじゃない」

「じゃあ、何だよ」

「誰だろうと思って」

 玖堂が、乱れた前髪をかき上げる。その仕草も妙に色っぽかった。

「どっから見ても、宮下響くんだろうが」

「俺、目がわるいから」

「あ、そう……」

 普段はコンタクトらしい。

「でもさ、約束したじゃん。朝、迎えに来るって」

 ベッドから起き上がりながら、俺は抗議の声を上げた。

「わすれてた」

 目をこすりながら、玖堂が言う。

「忘れないでくれる!?」

 俺は、いつもより早く起きて! 身支度を整えて! わざわざ、玖堂のこと起こしに来てやったのに~~!

 心の中で文句を言いまくる。直接訴えないのは、玖堂の前でも外面を崩したくないからだ。

「……おこってる?」

 そう言って、玖堂が俺の顔を覗き込んでくる。

 一瞬、完璧な俺の外面が見破られたのかと思った。そろり、と玖堂の表情をうかがう。

 相変わらず無表情で、考えが読めない。

「なんで、俺が怒ってると思うんだ?」

「なんとなく」

 そう言って、玖堂がゆっくりと瞬きをする。

 怖ろしいくらいに長い玖堂の睫毛を見ながら、「バレてなさそうだ」と俺はひとまず安堵する。

 それにしても、寝起きの気だるさMAXの玖堂はすごい。

 なにがすごいって、それはもちろん色気の話。ちょっとなまめかしいが過ぎて、俺は目のやり場に困った。いい加減にTシャツ一枚でいるのはやめて欲しい。

 ここは玖堂の部屋だから、どんな格好をしていようと彼の勝手なんだけれども……。

 俺は、ふいと視線を外した。視界から玖堂の姿を排除する。

「すぐに準備するから」

「うん」

「だから、おこらないで。ね?」

 懇願するみたいに、玖堂が言う。かなりの至近距離で。

「玖堂」

「なに」

「触れそうだ」

「ふれる……? なにとなにが?」

「俺のぺちゃっとした鼻と、玖堂の高い鼻が」

 見ようによってはドラマのラブシーンだ。

 玖堂の相手が俺なので、まったく画面は映えないのだが。

「宮下の鼻はきれいだよ」

 いきなり玖堂が意味不明なことを言い出す。

「どこがだよ」

「目立たないから」

「それって褒めてんの? 確かに、俺の顔面パーツは地味で目立たないけど」

 ゆえに俺はモブ顔なのだ。

「宮下は、忘れ鼻ってしってる?」

「何だよそれ」

 俺は首を横に振った。

「印象に残らない鼻が最近のトレンドらしい」

「はぁ?」

「令和美人の条件だって。なにかで見た」

 いや、なにかってなんだよ? ずいぶん適当だな。

「だから、宮下は美人」

 思わず、俺はふき出した。

「ばか。俺が美人なわけないだろ」

 俺が美人なら、この世の人間はみんな美人だ。

 それを言うなら、玖堂のほうが美しい。今だって、寝起きのくせに圧倒的美貌を誇っている。

 寝起きは顔がむくんでいるし、髪だってボサボサになる。誰だって多少はブサイクになるのに、玖堂は目を開けた瞬間からキラキラしている。

 ……いや、寝ているときからきれいだったな。こいつは。

 まったく不公平な世の中だ。俺は理不尽を嘆きながら、玖堂を急かした。

「俺が美人とか意味不明なこと言ってないで、早く準備しろ。さすがにこのままだと遅刻する」

「わかった」

 玖堂はうなずいて、のんびりと行動を開始した。

 相変わらず、動きが緩慢だ。玖堂を早く動かせるリモコンがあれば、俺は奪い取ってでも手に入れると思う。そして連打しまくる。

 しかし、実際にはそんな都合の良いものは存在しない。

 仕方なく、俺は玖堂を見守ることにした。のそのそと顔を洗って、ゆっくりと制服に袖を通す。

 幼い子どもを見守っているような心境になった。制服を自分で着ているだけでエライ。制服を着崩していることについては、目をつむる。

 俺は、のほほんとした気持ちで玖堂を眺めていた。

 ゆるゆるTシャツを脱ぎ始めたときだけは、ちょっとビビったけど。パンツ一枚の玖堂(ほぼ裸体といって良い)を拝んでしまった。

 びっくるするほど神々しい物体だった。そして美しい。美術館に収蔵されている彫刻作品のようで、思わず見惚れるくらいだった。