約一時間後、キョウヤが紙袋を提げて戻ってきた。
「適当に買ったから、好みじゃなかったらごめんね」
中には無地のTシャツとチノパンツが入っていた。そのシンプルな見た目の服が、アヤトの心を落ち着けてくれた。
キョウヤが床に座り込み、息を深く吐く。
「あっ……ご、ごめん。俺、今日出掛ける分のお金しかないかも……! 返すの後ででも良い……!?」
「返さなくて良いよ。俺が勝手に買ってきたんだし……誕生日プレゼントってことにしておいて」
何を言っても同じ答えが返ってきそうだと思い、アヤトは口を噤んだ。自分の腕を握る力が強くなる。
「キョウヤ……」
「こっちに来て、アヤト」
キョウヤに手招きをされ、アヤトはキョウヤの隣に座った。キョウヤの腕が伸びてきたかと思いきや、そのまま体を抱き寄せられる。
――慰めようとしてくれているんだ。
なんとなく、そう思った。
キョウヤの背中にしがみついた。服は汗で湿ってしまっていた。こんなに走り回らせて、気を遣わせてしまって。
あまりにも心苦しかった。アヤトはキョウヤの胸元に顔を埋めた。
「……あ。嘘、ごめん。離れて。俺、汗臭いよね」
「全然大丈夫……あ! お風呂、使って! 着替え無いんだけど……」
「着替えは自分の分も買ってきた。汗拭きシートでどうにかするから……もう、行こうか」
二人とも着替えを済ませ、家を出た。
キョウヤの手には自分の着替えが入った袋と、もう一つ袋が握られていた。そんなに荷物を持って来ていただろうか。
「手、繋げないね……」
ぽろっと口から溢れた。その言葉を発したのが自分だったことが理解出来ず、アヤトは首を傾げた。そのすぐ後、自分の顔がどんどん熱くなるのが分かった。暑さのせいか、自分のせいか。汗がどんどん顔に噴き出る。
「あ、いや、違くて、あの……! ……ごめん……」
「…………待って。荷物、どうにかまとめるから」
「ごめん! 大丈夫!」
紙袋を持ち替えようとしたキョウヤの手を慌てて止めた。キョウヤの顔をちらりと見上げると、その横顔は微笑んでいた。
「キョウヤ、ありがとう。……ごめんね。巻き込んで」
「良いよ。アヤトだから」
気付けば、キョウヤのアヤトに対する呼び方が変わっていた。それはアヤトに対する気遣いなのだろう、とアヤトにはすぐに分かる。
その後、二人で父の住所の最寄駅まで一時間ほど電車に揺られた。キョウヤの口から母親の話が出ることは無かった。アヤトも、話すことはしなかった。
ただ、キョウヤの肩が自分の肩にずっと触れていた。それだけで良かった。
駅に着いて、深呼吸をしてみる。排ガスの臭いがした。
「やっぱりちょっと都会だね」
「本当だね」
有人改札がある時点で、二人が住んでいる場所とは大違いだった。駅を出ると目の前には多くの建物が建っている。飲食店や、カラオケに、小さな商業施設。人通りや車通りも多く、賑やかだ。
「あ。キョウヤ、お腹減ったよね。先になんか食べよ」
「……アヤトもちゃんと食べるんだよ」
キョウヤのおかげで、そんなことが言えるようになるくらい気持ちは少し落ち着き始めていた。
歩き回っては二人で昼食を選んだ。
正直なところ、空腹は感じていなかった。
しかしキョウヤとご飯を食べていると、やはり美味しく感じる。不思議なことに一口食べ進めるごとに空腹になっていく気がして、箸が進んだ。
「アヤトが美味しそうにご飯食べてる顔、好きだな」
「あっ……がっついてるように見えた……?」
「ううん。いっぱい食べてって話」
店を出て、二人は今度こそ父が住んでいるであろう家に向かって歩き出した。外は息を吸うと喉にまで熱気が張り付いた。
「蝉の鳴き声すごい聞こえるね」
「カエルの声は……さすがに聞こえないね」
そこは駅から歩いて十分ほどの場所に建っているマンションだった。オートロック式のマンションで、十五階くらいはありそうな大きなマンションだ。
「お父さんに連絡してないんだっけ。悪手だったかもね」
「……居なかったら居なかったで、諦めようと思ったんだ。ごめんね、付き合ってもらってるのに」
「お父さん居なかったらこのまま警察に行くつもりだからね、俺」
部屋番号を押しインターホンを鳴らす。しかし、数秒経っても誰の応答もない。
「……留守だ」
「じゃあ行こうか。警察……あ、いや。それよりも児相の方がちゃんと取り合ってくれるのかな。どこか涼しいところで電話してみよう」
「キョウヤ……」
「悪いけど、何言われても駄目だから。放っておくわけにいかない」
キョウヤが振り返り、歩き出す。アヤトもその後ろをついて行こうとしたが、何かに手を引かれた。
「……え?」
顔だけ後ろを向くが、そこには何も居なかった。
「アヤト?」
「今、何かに手を引っ張られた気がして……」
アヤトが指差した場所をキョウヤが目を凝らして見る。アヤトも一緒になって見てみるが、アヤトの目には何も映らない。
「……いや、何も居ない」
「キョウヤがそう言うんだったら……気のせいだったかも」
握られた感触があった手を見つめるが、特に変わったところもなかった。でも、自分の手を握ったそれは。なんだか小さい手だったような――。
「……アヤト?」
キョウヤではない、聞き慣れない男性の声が聞こえた。声の方向に顔を向ける。
見慣れた栗色の髪に、見慣れた暗い茶色の瞳。
思い出した。自分の髪色と瞳の色は、父と同じ色をしていたんだ。
思い出の中よりもその背は低い気がしたが、自分の背が伸びただけなのかもしれない。キョウヤよりも少しだけ低い背。男らしい顔付き。
似てない、と言われてしまえばそれまでなのだが。
「アヤト、だよな?」
目の前に立つ、同じ髪色と瞳の色をした男性の声は震えていた。
その男性の隣に立つ、綺麗な大人の女性と、小さい子供。
手を繋いだその二人は、大きく目を開いていた。
その二人を見て、すぐに理解した。
――父は、幸せに人生の続きを送っていたんだ。
それ以上、アヤトは何かを思うことは無かった。
ただ、隣に立つキョウヤの服の袖を、気付かないうちに掴んでいた。
「適当に買ったから、好みじゃなかったらごめんね」
中には無地のTシャツとチノパンツが入っていた。そのシンプルな見た目の服が、アヤトの心を落ち着けてくれた。
キョウヤが床に座り込み、息を深く吐く。
「あっ……ご、ごめん。俺、今日出掛ける分のお金しかないかも……! 返すの後ででも良い……!?」
「返さなくて良いよ。俺が勝手に買ってきたんだし……誕生日プレゼントってことにしておいて」
何を言っても同じ答えが返ってきそうだと思い、アヤトは口を噤んだ。自分の腕を握る力が強くなる。
「キョウヤ……」
「こっちに来て、アヤト」
キョウヤに手招きをされ、アヤトはキョウヤの隣に座った。キョウヤの腕が伸びてきたかと思いきや、そのまま体を抱き寄せられる。
――慰めようとしてくれているんだ。
なんとなく、そう思った。
キョウヤの背中にしがみついた。服は汗で湿ってしまっていた。こんなに走り回らせて、気を遣わせてしまって。
あまりにも心苦しかった。アヤトはキョウヤの胸元に顔を埋めた。
「……あ。嘘、ごめん。離れて。俺、汗臭いよね」
「全然大丈夫……あ! お風呂、使って! 着替え無いんだけど……」
「着替えは自分の分も買ってきた。汗拭きシートでどうにかするから……もう、行こうか」
二人とも着替えを済ませ、家を出た。
キョウヤの手には自分の着替えが入った袋と、もう一つ袋が握られていた。そんなに荷物を持って来ていただろうか。
「手、繋げないね……」
ぽろっと口から溢れた。その言葉を発したのが自分だったことが理解出来ず、アヤトは首を傾げた。そのすぐ後、自分の顔がどんどん熱くなるのが分かった。暑さのせいか、自分のせいか。汗がどんどん顔に噴き出る。
「あ、いや、違くて、あの……! ……ごめん……」
「…………待って。荷物、どうにかまとめるから」
「ごめん! 大丈夫!」
紙袋を持ち替えようとしたキョウヤの手を慌てて止めた。キョウヤの顔をちらりと見上げると、その横顔は微笑んでいた。
「キョウヤ、ありがとう。……ごめんね。巻き込んで」
「良いよ。アヤトだから」
気付けば、キョウヤのアヤトに対する呼び方が変わっていた。それはアヤトに対する気遣いなのだろう、とアヤトにはすぐに分かる。
その後、二人で父の住所の最寄駅まで一時間ほど電車に揺られた。キョウヤの口から母親の話が出ることは無かった。アヤトも、話すことはしなかった。
ただ、キョウヤの肩が自分の肩にずっと触れていた。それだけで良かった。
駅に着いて、深呼吸をしてみる。排ガスの臭いがした。
「やっぱりちょっと都会だね」
「本当だね」
有人改札がある時点で、二人が住んでいる場所とは大違いだった。駅を出ると目の前には多くの建物が建っている。飲食店や、カラオケに、小さな商業施設。人通りや車通りも多く、賑やかだ。
「あ。キョウヤ、お腹減ったよね。先になんか食べよ」
「……アヤトもちゃんと食べるんだよ」
キョウヤのおかげで、そんなことが言えるようになるくらい気持ちは少し落ち着き始めていた。
歩き回っては二人で昼食を選んだ。
正直なところ、空腹は感じていなかった。
しかしキョウヤとご飯を食べていると、やはり美味しく感じる。不思議なことに一口食べ進めるごとに空腹になっていく気がして、箸が進んだ。
「アヤトが美味しそうにご飯食べてる顔、好きだな」
「あっ……がっついてるように見えた……?」
「ううん。いっぱい食べてって話」
店を出て、二人は今度こそ父が住んでいるであろう家に向かって歩き出した。外は息を吸うと喉にまで熱気が張り付いた。
「蝉の鳴き声すごい聞こえるね」
「カエルの声は……さすがに聞こえないね」
そこは駅から歩いて十分ほどの場所に建っているマンションだった。オートロック式のマンションで、十五階くらいはありそうな大きなマンションだ。
「お父さんに連絡してないんだっけ。悪手だったかもね」
「……居なかったら居なかったで、諦めようと思ったんだ。ごめんね、付き合ってもらってるのに」
「お父さん居なかったらこのまま警察に行くつもりだからね、俺」
部屋番号を押しインターホンを鳴らす。しかし、数秒経っても誰の応答もない。
「……留守だ」
「じゃあ行こうか。警察……あ、いや。それよりも児相の方がちゃんと取り合ってくれるのかな。どこか涼しいところで電話してみよう」
「キョウヤ……」
「悪いけど、何言われても駄目だから。放っておくわけにいかない」
キョウヤが振り返り、歩き出す。アヤトもその後ろをついて行こうとしたが、何かに手を引かれた。
「……え?」
顔だけ後ろを向くが、そこには何も居なかった。
「アヤト?」
「今、何かに手を引っ張られた気がして……」
アヤトが指差した場所をキョウヤが目を凝らして見る。アヤトも一緒になって見てみるが、アヤトの目には何も映らない。
「……いや、何も居ない」
「キョウヤがそう言うんだったら……気のせいだったかも」
握られた感触があった手を見つめるが、特に変わったところもなかった。でも、自分の手を握ったそれは。なんだか小さい手だったような――。
「……アヤト?」
キョウヤではない、聞き慣れない男性の声が聞こえた。声の方向に顔を向ける。
見慣れた栗色の髪に、見慣れた暗い茶色の瞳。
思い出した。自分の髪色と瞳の色は、父と同じ色をしていたんだ。
思い出の中よりもその背は低い気がしたが、自分の背が伸びただけなのかもしれない。キョウヤよりも少しだけ低い背。男らしい顔付き。
似てない、と言われてしまえばそれまでなのだが。
「アヤト、だよな?」
目の前に立つ、同じ髪色と瞳の色をした男性の声は震えていた。
その男性の隣に立つ、綺麗な大人の女性と、小さい子供。
手を繋いだその二人は、大きく目を開いていた。
その二人を見て、すぐに理解した。
――父は、幸せに人生の続きを送っていたんだ。
それ以上、アヤトは何かを思うことは無かった。
ただ、隣に立つキョウヤの服の袖を、気付かないうちに掴んでいた。
