アヤトは父から届いた茶封筒は家ではなんとなく開けられずに、学校に持ってきていた。
「んで、俺にも見てほしいと」
「一人じゃなんか開けられなくてさ……」
「そんな大事なこと共有させてもらえて、俺は嬉しいけどね」
封筒の中には便箋が入っていて、内容はシンプルだった。
暑くなってきたからちゃんと水分は摂るようにということ、元気でいるなら一度だけでも返事がほしいということ、そして父の連絡先。
「今まで何通も手紙出しましたよー、みたいな書き方だね」
キョウヤがおにぎりを頬張りながら呟いた。
「郵便局の人が、三ヶ月に一回届いてるって言ってたんだ……」
「普通に考えたらアヤトのお母さんが捨ててるってことだね。……答えたくなかったら黙ったままでいてほしいんだけど、いつ離婚したの?」
アヤトは首を傾げ、指で数え始める。
「まだ十年経ってないくらいかな」
「でもだいぶ前の話だね。その期間、ずっと手紙を送ってたんだ。……そんなに心配なら、アヤトの側に居てあげれば良いのにね」
キョウヤの持っていたおにぎりが少し潰れた。こぼれ落ちそうになった米粒を、キョウヤが慌てた様子で食べる。
「お父さん、住所も封筒に書いてくれててさ。……会いに行って良いと思う?」
「良いと思う」
迷った様子で恐る恐る口に出したアヤトに対して、キョウヤは即答した。アヤトは封筒の裏面に書かれている、父の住所に目を通す。
「まぁちょっとだけ離れてるけど、全然行けるよ。……頼れる場所があるなら頼った方が良いしね」
「でも新しく家族とか作ってたら……」
「その時はその時で考えれば良いよ。手紙を出してくるってことは、少なからずお父さんはアヤトに頼ってほしいんだろうし」
アヤトの顔を覗き込んでキョウヤは軽く手を鳴らした。ニッコリと微笑むその表情に、アヤトは首を傾げる。
「とりあえず行ってみるべき、って俺は思うかな。……あ。行く時は、お守りは絶対に肌身離さず持ってね」
頭で思っていた一言を、言おうか言うまいか悩んだ。
これ以上キョウヤを巻き込みたくない気持ちと、それでも一緒に居てほしい気持ちが混在している。
だが気付いた時には、アヤトの手はキョウヤの手を握っていた。珍しく驚いたように目を丸くさせたキョウヤの顔をじっと見る。
「キョウヤ、一緒に……来て……」
自分がどんな表情をしていたかアヤトには分からなかったが、キョウヤは目を大きく開いたままだった。キョウヤは十回ほど瞬きをした後、アヤトの手を握り返した。
「良いの? 俺も行って」
「来てほしい……。一人じゃ、心許なくて……」
キョウヤの顔を真っ直ぐ見ることが出来なくなり、視線を逸らす。
しかし、キョウヤが小さく笑った声が聞こえた。顔を上げると、優しげに微笑んだキョウヤと目が合った。
「アヤトがそう言うなら、どこでも俺は行くよ」
そう言ってアヤトの髪を梳くキョウヤの指先が、なぜかくすぐったく感じた。
二人が教室に戻ると、中はいつも以上に賑やかで、何処となく浮かれているような空気を感じた。
「なんかあったの?」
「おー、アヤちゃん! キョウヤ! 次の授業、予定変更で文化祭の出し物決めるみたいだぜ!」
クラスメイトの男子がアヤトの肩を抱くと、キョウヤがそれを背後から軽く蹴飛ばした。
「文化祭かー。俺、あんま凝ってないやつがいいなぁ」
「人のこと蹴っておいて最初に言うことがそれかよ!」
誰かが笑った声が聞こえた。
本鈴が鳴り、教師が入るなり、クラスメイトの女子が手を挙げた。
「先生ー! 文化祭、なんかお店やりたーい!」
「メイド喫茶が良いでーす! 女子達のメイド姿見たいでーす!」
続けて男子もふざけたように大声を出した。教室中に色々な話し声が飛び交う。
落ち着かない空気の中でも、アヤトの頭は父のことでいっぱいだった。
父は優しかった。妹が亡くなってからも二年間母親を支え続けた。
しかし段々と異常を重ね続ける母親に耐えきれなくなり、離婚することになった。
別に父を恨んでいるつもりはアヤトにはない。むしろ、逃げて正解だと思っている。
ただ、逃げるなら何処までも逃げてほしかった。手紙を出すなんて、中途半端に自分を構うような素振りは見せないでほしかった。
『そんなに心配なら、アヤトの側に居てあげれば良いのにね』
キョウヤの声を思い出す。
その通りだと思った。中途半端に構うならば、離婚なんてしないで、自分の側に居てほしかったのに。
「だって。アヤちゃん! アヤちゃん絶対似合うよね!」
「……えっ?」
隣の席の女子に話しかけられ、アヤトは間抜けた声を出した。全く話を聞いていなかったのだ。
「ご、ごめん。ぼーっとしちゃってた。どうしたの?」
「男装喫茶、女装喫茶やるってよ!」
「…………え?」
顔が勢いよく黒板の方を向いた。
そこには確かに、男装喫茶と女装喫茶という文字が書かれていた。アヤトが考え事をしている間に、文化祭の委員も決まっていたようだった。
「なあアヤちゃん、アヤちゃんの写真売るってのはどう?」
「俺も普通に欲しいわー!」
「え、私も欲しいかも……。キョウヤくんとツーショのやつ……」
アヤトの笑顔が引き攣った。
母親に抱く嫌悪感とは違う。それでもやはり心中は複雑だ。
「でもさ、それだと衣装の用意とか面倒じゃない? 予算とかも少ないでしょ? 先生がお金出してくれるなら足りるかもしれないけど」
キョウヤの声だ。アヤトが目を向けると、気だるそうに頬杖を付いていた。その発言を受けては、クラス中が一瞬だけ静まり返る。
「……キツい。やっぱり、却下。普通の食べ物屋にしてくれ」
教師の声を皮切りに、教室中に落胆の声が響き渡った。
結局文化祭は、焼きそば屋をやることになった。
放課後、アヤトはまたキョウヤと手を繋いで歩く。
相変わらずアマガエルと、今日は加えて蝉の鳴き声がそこら中から聞こえ、周囲を囲まれているような気持ちになる。
「女装喫茶、なくなっちゃったね。アヤトのメイド服見てみたかったけど」
茶化すようにキョウヤが言うが、アヤトにはなんとなくその真意は伝わっていた。
「俺のため? ああ言ってくれたの」
「嫌でしょ、女装」
「……うん。ありがとう」
「それに、まぁ……俺も普通に嫌だしね」
アヤトの手を握る力が少し強くなった。
だが、キョウヤはアヤトの顔を見ることはなかった。アヤトだけがキョウヤの横顔を見つめる。
夕日に照らされた金髪は今日も綺麗だ。胸の鼓動が聞こえてしまわないように、アヤトは胸元に手を当てる。
「で、お父さんのところはいつ行く? 俺は早めに行くことをおすすめしたいけど」
「あ……キョウヤの予定が埋まってる日、教えて」
「アヤトの為なら予定いくらでも空けるから、いつでも良いよ」
笑うわけでもなく、怒るわけでもなく。今日もキョウヤの態度は変わらない。
それでも自分に向けられるその優しい言葉が、アヤトには嬉しかった。
「じゃあ……今週とかでも良い?」
「もちろん。後で時間決めようか」
友達と遊ぶ約束をする時のような、そんな会話。それが当たり前だ。実際に二人は友達なのだから。
ちゃんと分かっているつもりだ。
それでも、この手の温かさを、もう少しだけ錯覚していたかった。
「んで、俺にも見てほしいと」
「一人じゃなんか開けられなくてさ……」
「そんな大事なこと共有させてもらえて、俺は嬉しいけどね」
封筒の中には便箋が入っていて、内容はシンプルだった。
暑くなってきたからちゃんと水分は摂るようにということ、元気でいるなら一度だけでも返事がほしいということ、そして父の連絡先。
「今まで何通も手紙出しましたよー、みたいな書き方だね」
キョウヤがおにぎりを頬張りながら呟いた。
「郵便局の人が、三ヶ月に一回届いてるって言ってたんだ……」
「普通に考えたらアヤトのお母さんが捨ててるってことだね。……答えたくなかったら黙ったままでいてほしいんだけど、いつ離婚したの?」
アヤトは首を傾げ、指で数え始める。
「まだ十年経ってないくらいかな」
「でもだいぶ前の話だね。その期間、ずっと手紙を送ってたんだ。……そんなに心配なら、アヤトの側に居てあげれば良いのにね」
キョウヤの持っていたおにぎりが少し潰れた。こぼれ落ちそうになった米粒を、キョウヤが慌てた様子で食べる。
「お父さん、住所も封筒に書いてくれててさ。……会いに行って良いと思う?」
「良いと思う」
迷った様子で恐る恐る口に出したアヤトに対して、キョウヤは即答した。アヤトは封筒の裏面に書かれている、父の住所に目を通す。
「まぁちょっとだけ離れてるけど、全然行けるよ。……頼れる場所があるなら頼った方が良いしね」
「でも新しく家族とか作ってたら……」
「その時はその時で考えれば良いよ。手紙を出してくるってことは、少なからずお父さんはアヤトに頼ってほしいんだろうし」
アヤトの顔を覗き込んでキョウヤは軽く手を鳴らした。ニッコリと微笑むその表情に、アヤトは首を傾げる。
「とりあえず行ってみるべき、って俺は思うかな。……あ。行く時は、お守りは絶対に肌身離さず持ってね」
頭で思っていた一言を、言おうか言うまいか悩んだ。
これ以上キョウヤを巻き込みたくない気持ちと、それでも一緒に居てほしい気持ちが混在している。
だが気付いた時には、アヤトの手はキョウヤの手を握っていた。珍しく驚いたように目を丸くさせたキョウヤの顔をじっと見る。
「キョウヤ、一緒に……来て……」
自分がどんな表情をしていたかアヤトには分からなかったが、キョウヤは目を大きく開いたままだった。キョウヤは十回ほど瞬きをした後、アヤトの手を握り返した。
「良いの? 俺も行って」
「来てほしい……。一人じゃ、心許なくて……」
キョウヤの顔を真っ直ぐ見ることが出来なくなり、視線を逸らす。
しかし、キョウヤが小さく笑った声が聞こえた。顔を上げると、優しげに微笑んだキョウヤと目が合った。
「アヤトがそう言うなら、どこでも俺は行くよ」
そう言ってアヤトの髪を梳くキョウヤの指先が、なぜかくすぐったく感じた。
二人が教室に戻ると、中はいつも以上に賑やかで、何処となく浮かれているような空気を感じた。
「なんかあったの?」
「おー、アヤちゃん! キョウヤ! 次の授業、予定変更で文化祭の出し物決めるみたいだぜ!」
クラスメイトの男子がアヤトの肩を抱くと、キョウヤがそれを背後から軽く蹴飛ばした。
「文化祭かー。俺、あんま凝ってないやつがいいなぁ」
「人のこと蹴っておいて最初に言うことがそれかよ!」
誰かが笑った声が聞こえた。
本鈴が鳴り、教師が入るなり、クラスメイトの女子が手を挙げた。
「先生ー! 文化祭、なんかお店やりたーい!」
「メイド喫茶が良いでーす! 女子達のメイド姿見たいでーす!」
続けて男子もふざけたように大声を出した。教室中に色々な話し声が飛び交う。
落ち着かない空気の中でも、アヤトの頭は父のことでいっぱいだった。
父は優しかった。妹が亡くなってからも二年間母親を支え続けた。
しかし段々と異常を重ね続ける母親に耐えきれなくなり、離婚することになった。
別に父を恨んでいるつもりはアヤトにはない。むしろ、逃げて正解だと思っている。
ただ、逃げるなら何処までも逃げてほしかった。手紙を出すなんて、中途半端に自分を構うような素振りは見せないでほしかった。
『そんなに心配なら、アヤトの側に居てあげれば良いのにね』
キョウヤの声を思い出す。
その通りだと思った。中途半端に構うならば、離婚なんてしないで、自分の側に居てほしかったのに。
「だって。アヤちゃん! アヤちゃん絶対似合うよね!」
「……えっ?」
隣の席の女子に話しかけられ、アヤトは間抜けた声を出した。全く話を聞いていなかったのだ。
「ご、ごめん。ぼーっとしちゃってた。どうしたの?」
「男装喫茶、女装喫茶やるってよ!」
「…………え?」
顔が勢いよく黒板の方を向いた。
そこには確かに、男装喫茶と女装喫茶という文字が書かれていた。アヤトが考え事をしている間に、文化祭の委員も決まっていたようだった。
「なあアヤちゃん、アヤちゃんの写真売るってのはどう?」
「俺も普通に欲しいわー!」
「え、私も欲しいかも……。キョウヤくんとツーショのやつ……」
アヤトの笑顔が引き攣った。
母親に抱く嫌悪感とは違う。それでもやはり心中は複雑だ。
「でもさ、それだと衣装の用意とか面倒じゃない? 予算とかも少ないでしょ? 先生がお金出してくれるなら足りるかもしれないけど」
キョウヤの声だ。アヤトが目を向けると、気だるそうに頬杖を付いていた。その発言を受けては、クラス中が一瞬だけ静まり返る。
「……キツい。やっぱり、却下。普通の食べ物屋にしてくれ」
教師の声を皮切りに、教室中に落胆の声が響き渡った。
結局文化祭は、焼きそば屋をやることになった。
放課後、アヤトはまたキョウヤと手を繋いで歩く。
相変わらずアマガエルと、今日は加えて蝉の鳴き声がそこら中から聞こえ、周囲を囲まれているような気持ちになる。
「女装喫茶、なくなっちゃったね。アヤトのメイド服見てみたかったけど」
茶化すようにキョウヤが言うが、アヤトにはなんとなくその真意は伝わっていた。
「俺のため? ああ言ってくれたの」
「嫌でしょ、女装」
「……うん。ありがとう」
「それに、まぁ……俺も普通に嫌だしね」
アヤトの手を握る力が少し強くなった。
だが、キョウヤはアヤトの顔を見ることはなかった。アヤトだけがキョウヤの横顔を見つめる。
夕日に照らされた金髪は今日も綺麗だ。胸の鼓動が聞こえてしまわないように、アヤトは胸元に手を当てる。
「で、お父さんのところはいつ行く? 俺は早めに行くことをおすすめしたいけど」
「あ……キョウヤの予定が埋まってる日、教えて」
「アヤトの為なら予定いくらでも空けるから、いつでも良いよ」
笑うわけでもなく、怒るわけでもなく。今日もキョウヤの態度は変わらない。
それでも自分に向けられるその優しい言葉が、アヤトには嬉しかった。
「じゃあ……今週とかでも良い?」
「もちろん。後で時間決めようか」
友達と遊ぶ約束をする時のような、そんな会話。それが当たり前だ。実際に二人は友達なのだから。
ちゃんと分かっているつもりだ。
それでも、この手の温かさを、もう少しだけ錯覚していたかった。
