それから数日が経った。
キョウヤとの間には、特に何も変わったことはなかった。
今日は体育館のバスケットゴールが折れた。折れたはずのバスケットゴールは、明らかに"こっちを狙って"倒れてきた。
「セーフだったね」
「本当、ありがとう……」
いち早く気付いたキョウヤに体を引かれて助かった。
幸いクラスメイトに怪我人は居なかったが、その日は学校が大騒ぎだった。
体育館はその後しばらくの間使用禁止になった。
原因は不明だと、教師達は口を揃えていた。
二人はまた手を繋いで帰路に着く。
「アヤ。家の中とかは平気?」
キョウヤはいつものように軽い口調だ。
「……家の中……」
独り言のように呟く。
不思議と家の中で怪奇現象に遭うことは無い。
なので家の中は、唯一穏やかで過ごせる安らぎの場所――のはずだ。
アヤトの脳内には大好きだと思っている母親の顔が浮かんだ。
キョウヤと繋がっている手に力が入った。
「……アヤ」
キョウヤが立ち止まった。アヤトも釣られて足を止める。
「どうしたの?」
「明日、学校休みじゃん。今日うちに泊まりに来ない?」
「……えっ」
夕日に照らされたキョウヤの金髪は、今日も透けるように眩しい。
「ほら。俺、一人暮らしって言ったじゃん? たまに寂しくなる時あるんだよね。で、今日がその寂しい日だから……アヤが来てくれると嬉しい」
そんなの、もちろん行きたいに決まっている。
だけど。
「……お母さんに聞いてみないと」
手汗が滲んだ。
キョウヤがじっと顔を見つめてくるが、その目をまっすぐ見れなかった。手汗が気持ち悪かっただろうか。手を離してくれて良いのに。
「スマホ、貸して」
「え?」
「俺が電話してみる。良いでしょ?」
ポケットが軽くなった。
キョウヤに取られたそれを見て、アヤトは少し遅れて気付く。
「掛けてみて。大丈夫だよ、上手く説得する」
頭を撫でられてしまえば、アヤトは逆らえなかった。画面に母親の番号を表示させる。「えいっ」と声に出し自分を勢い付けては、通話ボタンを押した。
母親はすぐ電話に出たようで、キョウヤが自分の母親と話している。
微かに聞こえる母親の声は高かった。
母親の機嫌が良い時にだけ聞くことが出来る――甘く、少しだけ歪んだ声。
「……はい、ありがとうございます。失礼します」
電話を切ったキョウヤの顔は笑みを浮かべていた。
その顔を見て、アヤトの心も踊った。
◇◇◇
キョウヤの家は綺麗だ。
一部屋だけだが、アヤトが一人泊まるくらいならば何の問題も無いくらいの広い部屋だった。
二人は夕飯にハンバーガーを食べている。
「キョウヤのお母さんとお父さんって……」
「霊媒師なんだ。今はなんと、海外デビューしてるよ」
「……霊媒師!? 海外!?」
飲んでいたコーラが気管にまで入り込み、咽せた。キョウヤに背中を撫でられながらも、動揺が止まらなかった。
まだ気管がシュワシュワしている気がする。
「ごめん、冗談。普通に海外で仕事してるってだけ」
「……騙された……」
「すぐ騙されてくれて、アヤはほんと可愛いね」
キョウヤは少し笑ってポテトをかじった。
「キョウヤって幽霊退治出来るの?」
「踏んだり握ったりくらいは出来るかな」
「そうなんだ。ちょっとだけ見てみたいかも」
一瞬キョウヤの動きが止まったように見えた。しかしハンバーガーを口に運びながら、
「やめといた方が良いよ」
そう言われた。その言い方が冗談ではないように聞こえた。
ご飯を食べ終えた後、お風呂を借りた。
下着は途中で買ったが、服はキョウヤのものだ。二人の身長差は二十センチほどあるため、アヤトにはその服はブカブカだ。
部屋に戻ると、布団がまさかの横並びに敷いてあった。
「ごめんねー。部屋狭いから、こうするしかなくて」
「い、いやっ。全然大丈夫……!」
正直、心臓は破裂しそうだった。そんなアヤトとは裏腹に、キョウヤはまた軽い口調だ。きっと何も思っていないんだろう。
キョウヤがお風呂に入っている間も、ずっと心臓はうるさかった。
二人とも髪を乾かし終えた後、しばらく二人でゲームをして遊び、布団に入る。いつもと距離感はそんなに変わらないのかもしれない。それでも、なんとなく緊張した。
「さすがにホラーゲームはやらないんだ」
「ゲームくらいは楽しくやりたいんだよね」
話しているうちに、瞼が勝手に閉じてしまっていた。
楽しい夢を見れそうな、暖かい気持ちのまま。
だが――。
目を開けると、そこは暗闇だった。
気付いたら走っていた。何かに追われていると、頭が勝手にそう思った。
後ろを振り返る。
真っ黒な長い髪を垂らした女だ。いや、女かも分からない。髪が長いだけの、何か。
大きな顔だけが暗闇の中に浮いて追いかけてくる。
叫び声が絶えることなく耳に響いた。その叫び声はキンキンと高い声で、鼓膜を刺激する。
その叫び声がずっと、途切れなかった。
抉られたようにソレの目は真っ黒で、口の中も真っ黒い。
気付いた時には、ソレはすぐ後ろにいた。
叫び声はずっと一定の大きさだったのに。
ソレの髪の毛が動き、首を触られる。
冷たいはずなのに、首に食い込むたびにその髪の毛は生ぬるく感じた。
――息が出来ない。
アヤトの体なんて丸呑みに出来そうなくらい大きな口がさらに開いた。叫び声がもっと大きくなり、耳が痛い。
そのうちにプツリと何も聞こえなくなった。鼓膜が破れたのか。
体を押し倒され、上に覆い被さってくる。真っ黒い口から落ちてきたぬるい液体が顔を濡らした。
食べられる、ではない。
呑み込まれる。
ここで、死ぬのか。
そう思った時。
――息が与えられた。
瞼が重たい。
口の中に、何かが入った。
だがそれは不思議と、嫌な気持ちはなかった。
むしろ――気持ちが良い。
「……起きた?」
瞼が開いた。
唇に、まだ温もりが残っている気がした。
目の前にキョウヤの顔がある。
――本当に?
瞼を擦る。
ちゃんと、本物のキョウヤの顔だった。
つまり今のは、夢だったのか。
体が飛び起きた。
「キョウヤ……」
「アヤ、うなされてたんだよ。悪い夢でも見た?」
「あ……」
夢の中のソレを思い出した。
見たことのないような、人間ではない何か。
アヤトは自分の体を抱きしめた。
「幽霊の夢?」
「多分……でも俺、幽霊って見たことなくて……」
キョウヤが優しい力でアヤトの肩を抱いた。
そのまま抱き寄せられ、アヤトの体はキョウヤの腕の中に収まる。
そのまま布団へと体を倒された。
「キョッ……ウ、ヤ……!?」
「こうしてれば、夢の中の幽霊もどうにかしてあげられるかもね」
そっと頭を撫でられる。
その心地良さに、アヤトの目が伏せられる。心臓の音が伝わってしまわないか少しだけ心配だったが、次第にそれもどうでも良くなった。
しばらく経った頃。
「アヤ、お母さんと仲良くないの?」
唐突に聞かれた。キョウヤの優しい声が、今は痛く感じる。
「……仲良いよ。多分」
「多分?」
「俺、妹がいたの。妹が三歳の時に交通事故で亡くなっちゃって」
キョウヤの胸元に顔を埋めた。
今、自分がどんな顔をしているのか分からなかったので、キョウヤに見られたくなかったのだ。
「当たり前だけど、お母さんすごいショックを受けて。そこから俺のこと、妹の代わりの扱いをするようになっちゃって……。そのうちに、お父さんも愛想を尽かして、離婚しちゃって……」
「……なるほどね」
アヤトの頭を撫でていた手が止まった。
キョウヤの顔を見ると、何か考え込む様子で顎に指を添えていた。
その目線はアヤトではなく、まるでアヤトの後ろを見ているような。
「キョウヤ?」
「あぁ、ごめんごめん。考え事してた。……それさ、もっと早く教えてくれても良かったのに」
いつも口角を上げているキョウヤだが、今だけその表情は違った。
何を考えているのか伝わってこない、そんな無表情。
「……なんてね。続き、聞かせて」
「あ、えっと……お母さんはそれから俺のことアヤトって呼ばなくなって、買ってくる服も女の子用のばっかりになって。毎日、お母さんは俺の背が伸びないことを祈ってた……」
キョウヤは黙って頭を撫で続ける。
その手の心地良さに、だんだんとアヤトの目が伏せられていく。
「だからアヤって呼ばれるの、嫌いなんだ」
「……そう……」
何も考えられなくなった。目はすっかり閉じてしまい、開けなくなってしまう。
「うーん。……ねえ。アナタは、どっち?」
意識が落ちてしまう寸前に――キョウヤが静かにそう呟いていたような気がした。
キョウヤとの間には、特に何も変わったことはなかった。
今日は体育館のバスケットゴールが折れた。折れたはずのバスケットゴールは、明らかに"こっちを狙って"倒れてきた。
「セーフだったね」
「本当、ありがとう……」
いち早く気付いたキョウヤに体を引かれて助かった。
幸いクラスメイトに怪我人は居なかったが、その日は学校が大騒ぎだった。
体育館はその後しばらくの間使用禁止になった。
原因は不明だと、教師達は口を揃えていた。
二人はまた手を繋いで帰路に着く。
「アヤ。家の中とかは平気?」
キョウヤはいつものように軽い口調だ。
「……家の中……」
独り言のように呟く。
不思議と家の中で怪奇現象に遭うことは無い。
なので家の中は、唯一穏やかで過ごせる安らぎの場所――のはずだ。
アヤトの脳内には大好きだと思っている母親の顔が浮かんだ。
キョウヤと繋がっている手に力が入った。
「……アヤ」
キョウヤが立ち止まった。アヤトも釣られて足を止める。
「どうしたの?」
「明日、学校休みじゃん。今日うちに泊まりに来ない?」
「……えっ」
夕日に照らされたキョウヤの金髪は、今日も透けるように眩しい。
「ほら。俺、一人暮らしって言ったじゃん? たまに寂しくなる時あるんだよね。で、今日がその寂しい日だから……アヤが来てくれると嬉しい」
そんなの、もちろん行きたいに決まっている。
だけど。
「……お母さんに聞いてみないと」
手汗が滲んだ。
キョウヤがじっと顔を見つめてくるが、その目をまっすぐ見れなかった。手汗が気持ち悪かっただろうか。手を離してくれて良いのに。
「スマホ、貸して」
「え?」
「俺が電話してみる。良いでしょ?」
ポケットが軽くなった。
キョウヤに取られたそれを見て、アヤトは少し遅れて気付く。
「掛けてみて。大丈夫だよ、上手く説得する」
頭を撫でられてしまえば、アヤトは逆らえなかった。画面に母親の番号を表示させる。「えいっ」と声に出し自分を勢い付けては、通話ボタンを押した。
母親はすぐ電話に出たようで、キョウヤが自分の母親と話している。
微かに聞こえる母親の声は高かった。
母親の機嫌が良い時にだけ聞くことが出来る――甘く、少しだけ歪んだ声。
「……はい、ありがとうございます。失礼します」
電話を切ったキョウヤの顔は笑みを浮かべていた。
その顔を見て、アヤトの心も踊った。
◇◇◇
キョウヤの家は綺麗だ。
一部屋だけだが、アヤトが一人泊まるくらいならば何の問題も無いくらいの広い部屋だった。
二人は夕飯にハンバーガーを食べている。
「キョウヤのお母さんとお父さんって……」
「霊媒師なんだ。今はなんと、海外デビューしてるよ」
「……霊媒師!? 海外!?」
飲んでいたコーラが気管にまで入り込み、咽せた。キョウヤに背中を撫でられながらも、動揺が止まらなかった。
まだ気管がシュワシュワしている気がする。
「ごめん、冗談。普通に海外で仕事してるってだけ」
「……騙された……」
「すぐ騙されてくれて、アヤはほんと可愛いね」
キョウヤは少し笑ってポテトをかじった。
「キョウヤって幽霊退治出来るの?」
「踏んだり握ったりくらいは出来るかな」
「そうなんだ。ちょっとだけ見てみたいかも」
一瞬キョウヤの動きが止まったように見えた。しかしハンバーガーを口に運びながら、
「やめといた方が良いよ」
そう言われた。その言い方が冗談ではないように聞こえた。
ご飯を食べ終えた後、お風呂を借りた。
下着は途中で買ったが、服はキョウヤのものだ。二人の身長差は二十センチほどあるため、アヤトにはその服はブカブカだ。
部屋に戻ると、布団がまさかの横並びに敷いてあった。
「ごめんねー。部屋狭いから、こうするしかなくて」
「い、いやっ。全然大丈夫……!」
正直、心臓は破裂しそうだった。そんなアヤトとは裏腹に、キョウヤはまた軽い口調だ。きっと何も思っていないんだろう。
キョウヤがお風呂に入っている間も、ずっと心臓はうるさかった。
二人とも髪を乾かし終えた後、しばらく二人でゲームをして遊び、布団に入る。いつもと距離感はそんなに変わらないのかもしれない。それでも、なんとなく緊張した。
「さすがにホラーゲームはやらないんだ」
「ゲームくらいは楽しくやりたいんだよね」
話しているうちに、瞼が勝手に閉じてしまっていた。
楽しい夢を見れそうな、暖かい気持ちのまま。
だが――。
目を開けると、そこは暗闇だった。
気付いたら走っていた。何かに追われていると、頭が勝手にそう思った。
後ろを振り返る。
真っ黒な長い髪を垂らした女だ。いや、女かも分からない。髪が長いだけの、何か。
大きな顔だけが暗闇の中に浮いて追いかけてくる。
叫び声が絶えることなく耳に響いた。その叫び声はキンキンと高い声で、鼓膜を刺激する。
その叫び声がずっと、途切れなかった。
抉られたようにソレの目は真っ黒で、口の中も真っ黒い。
気付いた時には、ソレはすぐ後ろにいた。
叫び声はずっと一定の大きさだったのに。
ソレの髪の毛が動き、首を触られる。
冷たいはずなのに、首に食い込むたびにその髪の毛は生ぬるく感じた。
――息が出来ない。
アヤトの体なんて丸呑みに出来そうなくらい大きな口がさらに開いた。叫び声がもっと大きくなり、耳が痛い。
そのうちにプツリと何も聞こえなくなった。鼓膜が破れたのか。
体を押し倒され、上に覆い被さってくる。真っ黒い口から落ちてきたぬるい液体が顔を濡らした。
食べられる、ではない。
呑み込まれる。
ここで、死ぬのか。
そう思った時。
――息が与えられた。
瞼が重たい。
口の中に、何かが入った。
だがそれは不思議と、嫌な気持ちはなかった。
むしろ――気持ちが良い。
「……起きた?」
瞼が開いた。
唇に、まだ温もりが残っている気がした。
目の前にキョウヤの顔がある。
――本当に?
瞼を擦る。
ちゃんと、本物のキョウヤの顔だった。
つまり今のは、夢だったのか。
体が飛び起きた。
「キョウヤ……」
「アヤ、うなされてたんだよ。悪い夢でも見た?」
「あ……」
夢の中のソレを思い出した。
見たことのないような、人間ではない何か。
アヤトは自分の体を抱きしめた。
「幽霊の夢?」
「多分……でも俺、幽霊って見たことなくて……」
キョウヤが優しい力でアヤトの肩を抱いた。
そのまま抱き寄せられ、アヤトの体はキョウヤの腕の中に収まる。
そのまま布団へと体を倒された。
「キョッ……ウ、ヤ……!?」
「こうしてれば、夢の中の幽霊もどうにかしてあげられるかもね」
そっと頭を撫でられる。
その心地良さに、アヤトの目が伏せられる。心臓の音が伝わってしまわないか少しだけ心配だったが、次第にそれもどうでも良くなった。
しばらく経った頃。
「アヤ、お母さんと仲良くないの?」
唐突に聞かれた。キョウヤの優しい声が、今は痛く感じる。
「……仲良いよ。多分」
「多分?」
「俺、妹がいたの。妹が三歳の時に交通事故で亡くなっちゃって」
キョウヤの胸元に顔を埋めた。
今、自分がどんな顔をしているのか分からなかったので、キョウヤに見られたくなかったのだ。
「当たり前だけど、お母さんすごいショックを受けて。そこから俺のこと、妹の代わりの扱いをするようになっちゃって……。そのうちに、お父さんも愛想を尽かして、離婚しちゃって……」
「……なるほどね」
アヤトの頭を撫でていた手が止まった。
キョウヤの顔を見ると、何か考え込む様子で顎に指を添えていた。
その目線はアヤトではなく、まるでアヤトの後ろを見ているような。
「キョウヤ?」
「あぁ、ごめんごめん。考え事してた。……それさ、もっと早く教えてくれても良かったのに」
いつも口角を上げているキョウヤだが、今だけその表情は違った。
何を考えているのか伝わってこない、そんな無表情。
「……なんてね。続き、聞かせて」
「あ、えっと……お母さんはそれから俺のことアヤトって呼ばなくなって、買ってくる服も女の子用のばっかりになって。毎日、お母さんは俺の背が伸びないことを祈ってた……」
キョウヤは黙って頭を撫で続ける。
その手の心地良さに、だんだんとアヤトの目が伏せられていく。
「だからアヤって呼ばれるの、嫌いなんだ」
「……そう……」
何も考えられなくなった。目はすっかり閉じてしまい、開けなくなってしまう。
「うーん。……ねえ。アナタは、どっち?」
意識が落ちてしまう寸前に――キョウヤが静かにそう呟いていたような気がした。
