足を踏み出した先は、やはり一年生の教室だった。二人が教室に入ると、扉が勢いよく閉まる。
だけどもう不思議とその音は怖くなくなっていた。慣れてしまったのか、それとも、繋いでいる手が温かくて安心出来るからなのか。
「……もしかしたら、この空間って俺が作ってるのかも」
漠然と思った。確信があったりするわけではなかったのだが、アヤトの心の中の何かを打ち明けるたびに扉が開いているような気がしていた。
「アヤトが作った空間に俺だけは入れてくれてるってこと? その解釈はアリだね」
「……恥ずかしいから、やっぱり気のせいってことにしておこ……」
「えー。残念」
教室の中は相変わらず暗いままだ。月明かりが照らしてくれていることが唯一の幸いだった。
「鞄、持って来れて良かったね」
鞄を開けその中を確認する。筆記用具や教科書もちゃんと入っていた。だがそれよりも大切な物があった。内ポケットから取り出したのは、以前キョウヤと撮った――。
「プリだ。鞄に入れてたんだ」
「うん。これも、俺のお守りなんだ。キョウヤの顔を見ると元気になる」
そこに写っているキョウヤは加工で目が大きくキラキラになっている。あまりの不自然さに見るたびに笑ってしまっていた。そしてそれは今見ても同じだった。アヤトは小さく笑い声を上げる。
「ここに本人いるけど」
頬にキョウヤの指が刺さった。いつも飄々としていてあまり顔に表情を出すことは無いキョウヤだが、今は拗ねているんだとなんとなく分かった。
「本人が一番のお守りだよ」
「まぁ、そりゃね。ちゃんと守るけどさ」
そう言いながらキョウヤはまた扉へと手を掛けた。しかし扉は当然のように開かない。アヤトもその上から手を重ねてみるが、やはり駄目そうだった。
「もしかしたら俺が俺のことを閉じ込めちゃってるのかも。現実逃避したくて」
「アヤトの生き霊がそうさせてるってことね。無い話では無いかも。アヤトの生き霊はまだ俺は見かけてないけど……居るなら俺に会いに来てほしいなぁ」
「……ここに本人いるけど」
繋いでいる手に力を込めた。すぐにそれよりも強い力で握り返される。その力強さが心地良くて、口元が綻んだ。
「俺はこのまま二人でも良いんだけどね」
「……それはそうなんだけど……お父さんが心配してるかも……。スマホ、電源入れてみる」
「お母さんからのメッセージ、目に入れたくないでしょ? 無理しない方が良いよ」
「…………大丈夫」
扉の前で二人は立ったままだったが、お構いなしにアヤトはキョウヤの肩に頭を寄せた。キョウヤもまた、アヤトの頭を抱き寄せるように手を添える。
電源を入れると、そこにはたくさんの通知が入っている――と思っていたのだが。
「……あれ? お母さんからのメッセージ、取り消されてる……」
――送信を取り消しました――
何回スクロールしても、画面にはその文字が延々と表示されていた。
「お父さんは?」
「何も返事来てないや。……というか、見て。スマホの時間、まだ夕方だ……」
画面に表示されている時計が本当であれば――体育館にモップを取りに行くと言い、教室を出てからまだ三十分ほどの時間しか経っていなかった。だが窓の外は真っ暗だ。そんなわけがない。
「本当だ。俺のスマホも、圏外のままだけど時間は夕方だ。感覚おかしくなりそうだね」
「……ん?」
画面が動いた気がして、目線を向けた。
そこには短い文章が表示されていた。
「画像を受け入れますか……?」
確かにそう書かれている。受け入れるか、拒否か。その二択も表示されていた。送り先は記載されていない。試しに「拒否」を選択してみたが、何回押してもその表示が出続けた。
「怖い画像じゃなきゃ良いな……」
「俺も見て良いなら、先に見るよ。目閉じてて。変な画像じゃなかったら教える」
「ありがとう……」
お言葉に甘えて目を閉じる。
画面をタップする音が聞こえたが、しばらくしてもキョウヤは何も喋らない。
「……キョウヤ?」
「あ、ううん。ごめん。見て良い、と思う。……悪い意味じゃないけど、少し覚悟して」
煮え切らない物言いだった。それでも今はキョウヤを信用するしかないので、ゆっくりと目を開く。
「あ……?」
そこに表示されていたのは、まだアヤトが幼い頃の――。
「家族写真だ……」
赤ん坊だったアヤカを大切そうに抱えて笑う母親と、まだ小さいアヤトを抱えて笑う父の姿。アヤトにその写真を撮った記憶は無かったが、確かにその写真は昔の家族のものだった。
「……アヤカ……」
写真に写るアヤカの顔にそっと触れた。
アヤカはこの写真を撮ってから、三年しか生きられなかった。走ることを覚え、服も自分で着替え始め、アヤカ自身の名前を言えるようになり始めた頃だった。それがとても可愛くて、愛おしかった。
自分がずっと守っていく存在なんだと思っていた。
「……アヤカ、お母さんの目の前で車に撥ねられたんだ。アヤカが走り出して、それで……」
当時まだ幼かったアヤトには、その時の母親の気持ちなど全て理解出来るわけはなかった。
――だけど、今なら。
「お母さん、きっと……自分を責めたんだと思う」
思い出したのは、母親の悲痛な叫び声。
「…………いや。もしかしたら、今でも……」
今でも、母親が自分のことを責めているのだとしたら。
「……言いたいことは分かる……つもりだよ。でも、それでも……アヤトの存在を無視して良い理由にはならないと俺は思う」
キョウヤに肩を抱かれ、やっと目線が写真から離れた。キョウヤはずっと心配そうに顔を見つめてくる。体育館の倉庫に閉じ込められた時から――いや、もういつからか分からないくらい前だ。キョウヤの表情はずっと、そんな表情を浮かべていた気がする。
「キョウヤ……心配掛けて、本当にごめんね。ずっと……心配してくれてたんだよね」
「……アヤトはたまに、自分のことがどうでも良いみたいな発言するじゃん。それがすごく嫌だったかな。顔に出さないようにするの、結構大変だったんだよ」
キョウヤはたまに何を考えているか分からない時があった。だけどそれは、全て自分を心配してくれていたのだと、今になって気付いた。それがとても申し訳なく思い、胸が締め付けられる。
「でももう、自分のことどうでも良いって思っちゃ駄目だよ。俺が傷付くから」
「……うん。分かった」
メールの受信音が静かな教室に響いた。手元を見ると、自分のメールアドレスからメールが届いていた。口を閉じたままそのメールに目を通す。
『あやかも、おにいちゃんがたいせつだよ。あやかはもうすこしだけおにいちゃんのそばにいるね』
やはりもう驚くことはなかった。
そのメールを読んで、また胸が痛む。だがそれは決して嫌な痛さでは無かった。
「……アヤカ、側に居てくれるって」
「アヤトに手を出しまくっちゃってるけど大丈夫かな。……アヤカちゃん。アヤトお兄ちゃんのこと、必ず大事にしますからね」
キョウヤはそう言うと、アヤトに向かって頭を下げた。
「えっ……アヤカ、ここに居るの?」
「いや、居ないようには見える。けど……なんとなく、アヤトの中に居るじゃないかな、って思って」
キョウヤは人差し指の先をアヤトの胸元に軽く押し当てた。触れられた箇所が、なんとなく温かくなった気がする。心臓が優しく、心地良く跳ねる。
「守護霊って聞いたことある? 人を守る霊」
「うっすら聞いたことはある、かも」
「アヤカちゃんは……ずっとアヤトの中に居て、アヤトを守ってたんじゃないかな」
それが本当かどうかはアヤト自身にも分からなかった。それでも、その言葉は心にストンと落ちる。
「でもだんだんとアヤトのお母さんの生き霊の力が強まってきていて、それがアヤトに悪影響をもたらし始めた」
アヤトは胸元に手を当てた。
思い返してみれば、母親は身長が伸びるたびにため息を吐いては舌打ちをしていた。そうしてその頃から、危険な目に遭うことが増えていたような気がする。
「……怪我しそうになることが増え始めた時に、出会ったのがキョウヤだった……」
「光栄だね。アヤカちゃんが俺のこと呼んでくれたのかな。……でももう、アヤカちゃんと俺でも抑えきれなくなってて今の現象が起きてる。それでも、アヤカちゃんがここを出るために手助けをしてくれてる。そういうことなのかも」
「お父さんに会いに行った時も、今も……小さい手が助けてくれてたんだ。アヤカの手だったんだね。ずっと見守っててくれてたんだ」
もし本当にそうなのだとしたら。アヤカがずっと一緒に居てくれていたのならば。
「なら……やっぱり約束は守らないとね。早くここを出て――お母さんと、ちゃんと話すよ」
扉が開く要因は分からないままだった。
それでも扉は開いてくれた。アヤトの手と、そこに重なる小さな手によって。
だけどもう不思議とその音は怖くなくなっていた。慣れてしまったのか、それとも、繋いでいる手が温かくて安心出来るからなのか。
「……もしかしたら、この空間って俺が作ってるのかも」
漠然と思った。確信があったりするわけではなかったのだが、アヤトの心の中の何かを打ち明けるたびに扉が開いているような気がしていた。
「アヤトが作った空間に俺だけは入れてくれてるってこと? その解釈はアリだね」
「……恥ずかしいから、やっぱり気のせいってことにしておこ……」
「えー。残念」
教室の中は相変わらず暗いままだ。月明かりが照らしてくれていることが唯一の幸いだった。
「鞄、持って来れて良かったね」
鞄を開けその中を確認する。筆記用具や教科書もちゃんと入っていた。だがそれよりも大切な物があった。内ポケットから取り出したのは、以前キョウヤと撮った――。
「プリだ。鞄に入れてたんだ」
「うん。これも、俺のお守りなんだ。キョウヤの顔を見ると元気になる」
そこに写っているキョウヤは加工で目が大きくキラキラになっている。あまりの不自然さに見るたびに笑ってしまっていた。そしてそれは今見ても同じだった。アヤトは小さく笑い声を上げる。
「ここに本人いるけど」
頬にキョウヤの指が刺さった。いつも飄々としていてあまり顔に表情を出すことは無いキョウヤだが、今は拗ねているんだとなんとなく分かった。
「本人が一番のお守りだよ」
「まぁ、そりゃね。ちゃんと守るけどさ」
そう言いながらキョウヤはまた扉へと手を掛けた。しかし扉は当然のように開かない。アヤトもその上から手を重ねてみるが、やはり駄目そうだった。
「もしかしたら俺が俺のことを閉じ込めちゃってるのかも。現実逃避したくて」
「アヤトの生き霊がそうさせてるってことね。無い話では無いかも。アヤトの生き霊はまだ俺は見かけてないけど……居るなら俺に会いに来てほしいなぁ」
「……ここに本人いるけど」
繋いでいる手に力を込めた。すぐにそれよりも強い力で握り返される。その力強さが心地良くて、口元が綻んだ。
「俺はこのまま二人でも良いんだけどね」
「……それはそうなんだけど……お父さんが心配してるかも……。スマホ、電源入れてみる」
「お母さんからのメッセージ、目に入れたくないでしょ? 無理しない方が良いよ」
「…………大丈夫」
扉の前で二人は立ったままだったが、お構いなしにアヤトはキョウヤの肩に頭を寄せた。キョウヤもまた、アヤトの頭を抱き寄せるように手を添える。
電源を入れると、そこにはたくさんの通知が入っている――と思っていたのだが。
「……あれ? お母さんからのメッセージ、取り消されてる……」
――送信を取り消しました――
何回スクロールしても、画面にはその文字が延々と表示されていた。
「お父さんは?」
「何も返事来てないや。……というか、見て。スマホの時間、まだ夕方だ……」
画面に表示されている時計が本当であれば――体育館にモップを取りに行くと言い、教室を出てからまだ三十分ほどの時間しか経っていなかった。だが窓の外は真っ暗だ。そんなわけがない。
「本当だ。俺のスマホも、圏外のままだけど時間は夕方だ。感覚おかしくなりそうだね」
「……ん?」
画面が動いた気がして、目線を向けた。
そこには短い文章が表示されていた。
「画像を受け入れますか……?」
確かにそう書かれている。受け入れるか、拒否か。その二択も表示されていた。送り先は記載されていない。試しに「拒否」を選択してみたが、何回押してもその表示が出続けた。
「怖い画像じゃなきゃ良いな……」
「俺も見て良いなら、先に見るよ。目閉じてて。変な画像じゃなかったら教える」
「ありがとう……」
お言葉に甘えて目を閉じる。
画面をタップする音が聞こえたが、しばらくしてもキョウヤは何も喋らない。
「……キョウヤ?」
「あ、ううん。ごめん。見て良い、と思う。……悪い意味じゃないけど、少し覚悟して」
煮え切らない物言いだった。それでも今はキョウヤを信用するしかないので、ゆっくりと目を開く。
「あ……?」
そこに表示されていたのは、まだアヤトが幼い頃の――。
「家族写真だ……」
赤ん坊だったアヤカを大切そうに抱えて笑う母親と、まだ小さいアヤトを抱えて笑う父の姿。アヤトにその写真を撮った記憶は無かったが、確かにその写真は昔の家族のものだった。
「……アヤカ……」
写真に写るアヤカの顔にそっと触れた。
アヤカはこの写真を撮ってから、三年しか生きられなかった。走ることを覚え、服も自分で着替え始め、アヤカ自身の名前を言えるようになり始めた頃だった。それがとても可愛くて、愛おしかった。
自分がずっと守っていく存在なんだと思っていた。
「……アヤカ、お母さんの目の前で車に撥ねられたんだ。アヤカが走り出して、それで……」
当時まだ幼かったアヤトには、その時の母親の気持ちなど全て理解出来るわけはなかった。
――だけど、今なら。
「お母さん、きっと……自分を責めたんだと思う」
思い出したのは、母親の悲痛な叫び声。
「…………いや。もしかしたら、今でも……」
今でも、母親が自分のことを責めているのだとしたら。
「……言いたいことは分かる……つもりだよ。でも、それでも……アヤトの存在を無視して良い理由にはならないと俺は思う」
キョウヤに肩を抱かれ、やっと目線が写真から離れた。キョウヤはずっと心配そうに顔を見つめてくる。体育館の倉庫に閉じ込められた時から――いや、もういつからか分からないくらい前だ。キョウヤの表情はずっと、そんな表情を浮かべていた気がする。
「キョウヤ……心配掛けて、本当にごめんね。ずっと……心配してくれてたんだよね」
「……アヤトはたまに、自分のことがどうでも良いみたいな発言するじゃん。それがすごく嫌だったかな。顔に出さないようにするの、結構大変だったんだよ」
キョウヤはたまに何を考えているか分からない時があった。だけどそれは、全て自分を心配してくれていたのだと、今になって気付いた。それがとても申し訳なく思い、胸が締め付けられる。
「でももう、自分のことどうでも良いって思っちゃ駄目だよ。俺が傷付くから」
「……うん。分かった」
メールの受信音が静かな教室に響いた。手元を見ると、自分のメールアドレスからメールが届いていた。口を閉じたままそのメールに目を通す。
『あやかも、おにいちゃんがたいせつだよ。あやかはもうすこしだけおにいちゃんのそばにいるね』
やはりもう驚くことはなかった。
そのメールを読んで、また胸が痛む。だがそれは決して嫌な痛さでは無かった。
「……アヤカ、側に居てくれるって」
「アヤトに手を出しまくっちゃってるけど大丈夫かな。……アヤカちゃん。アヤトお兄ちゃんのこと、必ず大事にしますからね」
キョウヤはそう言うと、アヤトに向かって頭を下げた。
「えっ……アヤカ、ここに居るの?」
「いや、居ないようには見える。けど……なんとなく、アヤトの中に居るじゃないかな、って思って」
キョウヤは人差し指の先をアヤトの胸元に軽く押し当てた。触れられた箇所が、なんとなく温かくなった気がする。心臓が優しく、心地良く跳ねる。
「守護霊って聞いたことある? 人を守る霊」
「うっすら聞いたことはある、かも」
「アヤカちゃんは……ずっとアヤトの中に居て、アヤトを守ってたんじゃないかな」
それが本当かどうかはアヤト自身にも分からなかった。それでも、その言葉は心にストンと落ちる。
「でもだんだんとアヤトのお母さんの生き霊の力が強まってきていて、それがアヤトに悪影響をもたらし始めた」
アヤトは胸元に手を当てた。
思い返してみれば、母親は身長が伸びるたびにため息を吐いては舌打ちをしていた。そうしてその頃から、危険な目に遭うことが増えていたような気がする。
「……怪我しそうになることが増え始めた時に、出会ったのがキョウヤだった……」
「光栄だね。アヤカちゃんが俺のこと呼んでくれたのかな。……でももう、アヤカちゃんと俺でも抑えきれなくなってて今の現象が起きてる。それでも、アヤカちゃんがここを出るために手助けをしてくれてる。そういうことなのかも」
「お父さんに会いに行った時も、今も……小さい手が助けてくれてたんだ。アヤカの手だったんだね。ずっと見守っててくれてたんだ」
もし本当にそうなのだとしたら。アヤカがずっと一緒に居てくれていたのならば。
「なら……やっぱり約束は守らないとね。早くここを出て――お母さんと、ちゃんと話すよ」
扉が開く要因は分からないままだった。
それでも扉は開いてくれた。アヤトの手と、そこに重なる小さな手によって。
