止むことなく鳴り響く着信音が鬱陶しい。だが、苛つきより何より、恐怖心が一番勝った。手が動かなくなり、画面から目が離せなくなる。
「スマホの電源切っちゃえ」
キョウヤはアヤトの手に自分の手を重ね、うるさくなり続けていたそれの電源を落とした。倉庫の中から音が消える。
「キョウヤ……」
「あ。でもお父さんとの連絡が困るか。でも一時間後に来てくれるんでしょ?」
キョウヤが再び扉を開けようとしたり、扉を叩いてみたりするが何の反応も返ってこない。
「それまでに出ないとね。俺のスマホ、圏外になっちゃって誰も呼べなさそう」
キョウヤは画面を見てはため息を付き、ポケットにしまった。
「俺のスマホは圏外じゃなかったのに……。普段は圏外になることはあるの?」
「全く無いね」
アヤトも扉を開けようとしてみるが、まるで誰かが押さえているかのように頑なに開かない。
「これだけ音を立てても無反応か。困ったね」
「体育館、誰も居なかったもんね」
扉を開けようとしていたキョウヤの手がピタリと止まった。どうしたのかと思い顔を上げると、キョウヤは眉間を寄せてこちらを見下ろしていた。
「キョウヤ?」
「……教室以外で、人は見かけた?」
「え……? いや、誰も居なかったよ。だから、今日部活ないのかなって思ってたんだけど……」
キョウヤと目が合わなくなった。顎に指を添え、自分の後ろを凝視している。首を少しだけ後ろに傾けて見るが、誰も居ない。
――まさか。
思い返せば、体育館に来るまでキョウヤと会話が噛み合わない所があった。胸がザワザワとうるさくなり、喉が嫌に乾いた気がして唾を飲み込んだ。
キョウヤは小さく口を開く。
「アヤト。確かに他の教室には誰も居なかった。でも……廊下も、外も、体育館も――人はいっぱい居たよ。生徒も先生達も、普通に歩いてた」
耳か、こめかみか、はたまた両方か。脈を打つ音がやけにうるさい。
「アヤトの後ろには今は誰も居ないんだ。だから……また油断しちゃってた。ごめんね」
「……人が……見えなくなることって、あるの?」
「どうなんだろう。考えられるとしたら……」
音が鳴った。体が反応し、手の力が緩まった。床に落ちたそれは今度は電話の着信音鳴らす。先程、電源を切ったはずだったのに。
画面は真っ暗で何も映さない。ただ、着信音だけが鳴り続ける。
「……なんで……」
心なしか音量が大きくなり続けている気がした。それは細かく震え出す。
「俺が出てみるよ」
キョウヤが拾い上げ画面に触れるが、何の表示も出ず着信音も止まらない。そのまま耳に当てると、キョウヤは目を細めた。
「着信音どんどん大きくなるね。耳が痛くなる」
「キョウヤ、俺がやってみる」
アヤトが画面に手を触れると、着信音がピタリと鳴り止んだ。微かなノイズ音が聞こえ始める。
「……止んだ?」
「なんか聞こえるね。スピーカーに出来る?」
「駄目だ。何も操作出来ない」
耳に当ててみるが、同じノイズ音だけが聞こえる。
「……もしもし?」
声に反応したかのようにノイズ音が止んだ。だが、返答はない。
「何か聞こえた?」
「いや……故障、かな」
耳に当てた瞬間、ノイズの中に声が聞こえた。キョウヤに口を閉じるようジェスチャーを送り、耳を澄ませる。
『……ちゃん……』
「あ……」
気のせいではなかった。確かに誰かの声が聞こえる。キョウヤも顔を近付けた。
『……おにい……ちゃん……』
聞こえてきたのは、幼く舌足らずのその喋り方。
何度も夢に出てきては、会話を交わしたその声。
「……アヤカ……?」
「……」
『……おにいちゃ……おか……さんと…………』
ところどころ音声が途切れノイズが混じる。それでもそれは確かにアヤカの声だ。頭を締め上げられるような、脳が冷たくなるような、そんな感覚が襲ってくる。
「アヤカ……アヤカだよね……?」
『……かあさん……はなし……してね……やくそく……』
通話が終了した際に聞こえる音が鳴った。しばらく耳を澄ませるが、何も聞こえなくなってしまった。
「アヤカ……ねえ、アヤカ……!」
自分の叫ぶ声ですら頭を痛くさせる。
アヤトは思わず額を抑えた。
「今の、本当にアヤカちゃんの声?」
「……そう、なんだと思う。そうだったはず……なんだけど……」
キョウヤは腕を組み、視線を斜め上に投げた。
「キョウヤ、どうしたの?」
「さっき教室でモップ探してた時に、体育館は? って言ってきた声。あの声と今のアヤカちゃんの声が一緒だった気がして」
「え……」
よくよく思い返そうとするが、思い出せなかった。確かに誰かに体育館の話をされた記憶はあるのだが。
「ごめん、思い出せない」
「俺もかなりうろ覚え」
「だとしたら……今ここに俺達を閉じ込めてるのは、アヤカってこと……?」
「アヤトのお母さんかなって思ってたけど、その可能性も出てきたね。どっちなんだろう」
キョウヤの目線は倉庫の中を見渡すように動いていた。その視線を追うように目を動かすが、何も見えない。目を動かすとこめかみが脈打つ。それを抑えようと手を当てると、キョウヤが頭に手を置いた。
「頭、痛い?」
「……少しだけ。大丈夫」
アヤカの声を思い出そうとするたびに頭が痛んだ。まるで自分がそれを拒絶しているようだ。それでも、さっきまで聞こえていたその声を思い返す。
「アヤカ、お母さんと話してって言ってた」
「それをさせないために、アヤトのお父さんは頑張ってるんだけどね」
「……でもアヤカはそうしてほしいって」
扉に手を掛けた。
「確かに、そう言ってた」
何かに手を握られた気がした。父に会う前に、何かに手を握られた時と同じ感触。
「キョウヤ。俺やっぱり……」
頭痛が止まない。眉間に皺が寄っているのが自分でも分かる。耳鳴りも、手の震えも、まるで扉を開けるなと本能が訴えてきているようだ。
それでも。
「もう一度……もう一度だけ、お母さんと話してみる。アヤカが……そうしてほしいって言ってるから」
自分の力ではない、誰かの力が手に込もった気がした。扉はすんなりと開く。足を踏み出し、体が倉庫から出た。
その瞬間――。
何かの叫び声のような、ガラスが割れる音のような、黒板を引っ掻いている音のような、発泡スチロールが擦れる音のような、皿をフォークで引っ掻いた音のような。
あるいは、その全てが混ざり合ったような。
耳の中にぐちゃぐちゃと音が入り込み、眩暈がした。床に膝を付く。胃が不快感を訴え口元を手で抑えるが、吐けない。いっそ吐けたら楽なのに。
視界が揺らぐ。それは先日、父がキョウヤの家を訪れた時と同じような気持ちの悪さ。
「おにいちゃん」
何かに耳元で囁かれた。
「ごめんね。がんばってね。わたし、ここにいるからね」
それは耳元から聞こえたかと思っていたが、心の中から聞こえたような気もする。不思議な感覚だった。
今度は、何かに抱きしめられた。体が揺れる。
目を開くと視界は真っ暗だったが、温かくて心地良い。
「……アヤト。大丈夫。俺、ここに居るからね」
「……キョウヤ……?」
その顔を見たくて、キョウヤの体を軽く押して顔を離した。見上げると、眉尻を下げたキョウヤと目が合った。
キョウヤとアヤトの体は倉庫の扉の前から動いていなかった。倉庫を出た瞬間に蹲ってしまったんだと、そこで理解をした。
「アヤト。大丈夫?」
「……あ……いや、まだ……」
その腕から離れてしまったが、もう一度抱きしめてほしかった。今度は自分から腕を伸ばす。
しかし、手が止まった。
先程から聞こえる耳障りな音達。それだけなら良かった。キョウヤの声だけに集中していれば良いのだから。
だが、目の前に広がる光景。それは、どうしようもない。逃れられないと本能が訴え掛けてきた。
「……あ……」
いつも通りの体育館のはずだった。だがそこは真っ暗で、月明かりのような僅かな光だけが窓から差し込んでいた。その明かりのせいで見えてしまった。
それらは、生徒ではない。教師でもない。
人の形のような、人の形ではないような。
ただ立っているだけのものもいれば、床を引っ掻くもの。頭を床に打ち付けているもの。ボールで遊ぶもの。走り回っているもの。体育座りをして体を揺らすもの。他にもいる。パッと見ただけでそれらの数を数えるのは難しかった。
ただそれらは全員、アヤトを見ていた。
いや、見ていたのだろうか。顔が真っ黒だったり、目元であろう部分が真っ黒だったり、どこを見ているか実際のところは定かではない。
だが、それでも。
見られていると――そう思った。
逃げなければいけないと思った。なのに、足がその場から離れることを拒絶するかのように動いてくれなかった。
「スマホの電源切っちゃえ」
キョウヤはアヤトの手に自分の手を重ね、うるさくなり続けていたそれの電源を落とした。倉庫の中から音が消える。
「キョウヤ……」
「あ。でもお父さんとの連絡が困るか。でも一時間後に来てくれるんでしょ?」
キョウヤが再び扉を開けようとしたり、扉を叩いてみたりするが何の反応も返ってこない。
「それまでに出ないとね。俺のスマホ、圏外になっちゃって誰も呼べなさそう」
キョウヤは画面を見てはため息を付き、ポケットにしまった。
「俺のスマホは圏外じゃなかったのに……。普段は圏外になることはあるの?」
「全く無いね」
アヤトも扉を開けようとしてみるが、まるで誰かが押さえているかのように頑なに開かない。
「これだけ音を立てても無反応か。困ったね」
「体育館、誰も居なかったもんね」
扉を開けようとしていたキョウヤの手がピタリと止まった。どうしたのかと思い顔を上げると、キョウヤは眉間を寄せてこちらを見下ろしていた。
「キョウヤ?」
「……教室以外で、人は見かけた?」
「え……? いや、誰も居なかったよ。だから、今日部活ないのかなって思ってたんだけど……」
キョウヤと目が合わなくなった。顎に指を添え、自分の後ろを凝視している。首を少しだけ後ろに傾けて見るが、誰も居ない。
――まさか。
思い返せば、体育館に来るまでキョウヤと会話が噛み合わない所があった。胸がザワザワとうるさくなり、喉が嫌に乾いた気がして唾を飲み込んだ。
キョウヤは小さく口を開く。
「アヤト。確かに他の教室には誰も居なかった。でも……廊下も、外も、体育館も――人はいっぱい居たよ。生徒も先生達も、普通に歩いてた」
耳か、こめかみか、はたまた両方か。脈を打つ音がやけにうるさい。
「アヤトの後ろには今は誰も居ないんだ。だから……また油断しちゃってた。ごめんね」
「……人が……見えなくなることって、あるの?」
「どうなんだろう。考えられるとしたら……」
音が鳴った。体が反応し、手の力が緩まった。床に落ちたそれは今度は電話の着信音鳴らす。先程、電源を切ったはずだったのに。
画面は真っ暗で何も映さない。ただ、着信音だけが鳴り続ける。
「……なんで……」
心なしか音量が大きくなり続けている気がした。それは細かく震え出す。
「俺が出てみるよ」
キョウヤが拾い上げ画面に触れるが、何の表示も出ず着信音も止まらない。そのまま耳に当てると、キョウヤは目を細めた。
「着信音どんどん大きくなるね。耳が痛くなる」
「キョウヤ、俺がやってみる」
アヤトが画面に手を触れると、着信音がピタリと鳴り止んだ。微かなノイズ音が聞こえ始める。
「……止んだ?」
「なんか聞こえるね。スピーカーに出来る?」
「駄目だ。何も操作出来ない」
耳に当ててみるが、同じノイズ音だけが聞こえる。
「……もしもし?」
声に反応したかのようにノイズ音が止んだ。だが、返答はない。
「何か聞こえた?」
「いや……故障、かな」
耳に当てた瞬間、ノイズの中に声が聞こえた。キョウヤに口を閉じるようジェスチャーを送り、耳を澄ませる。
『……ちゃん……』
「あ……」
気のせいではなかった。確かに誰かの声が聞こえる。キョウヤも顔を近付けた。
『……おにい……ちゃん……』
聞こえてきたのは、幼く舌足らずのその喋り方。
何度も夢に出てきては、会話を交わしたその声。
「……アヤカ……?」
「……」
『……おにいちゃ……おか……さんと…………』
ところどころ音声が途切れノイズが混じる。それでもそれは確かにアヤカの声だ。頭を締め上げられるような、脳が冷たくなるような、そんな感覚が襲ってくる。
「アヤカ……アヤカだよね……?」
『……かあさん……はなし……してね……やくそく……』
通話が終了した際に聞こえる音が鳴った。しばらく耳を澄ませるが、何も聞こえなくなってしまった。
「アヤカ……ねえ、アヤカ……!」
自分の叫ぶ声ですら頭を痛くさせる。
アヤトは思わず額を抑えた。
「今の、本当にアヤカちゃんの声?」
「……そう、なんだと思う。そうだったはず……なんだけど……」
キョウヤは腕を組み、視線を斜め上に投げた。
「キョウヤ、どうしたの?」
「さっき教室でモップ探してた時に、体育館は? って言ってきた声。あの声と今のアヤカちゃんの声が一緒だった気がして」
「え……」
よくよく思い返そうとするが、思い出せなかった。確かに誰かに体育館の話をされた記憶はあるのだが。
「ごめん、思い出せない」
「俺もかなりうろ覚え」
「だとしたら……今ここに俺達を閉じ込めてるのは、アヤカってこと……?」
「アヤトのお母さんかなって思ってたけど、その可能性も出てきたね。どっちなんだろう」
キョウヤの目線は倉庫の中を見渡すように動いていた。その視線を追うように目を動かすが、何も見えない。目を動かすとこめかみが脈打つ。それを抑えようと手を当てると、キョウヤが頭に手を置いた。
「頭、痛い?」
「……少しだけ。大丈夫」
アヤカの声を思い出そうとするたびに頭が痛んだ。まるで自分がそれを拒絶しているようだ。それでも、さっきまで聞こえていたその声を思い返す。
「アヤカ、お母さんと話してって言ってた」
「それをさせないために、アヤトのお父さんは頑張ってるんだけどね」
「……でもアヤカはそうしてほしいって」
扉に手を掛けた。
「確かに、そう言ってた」
何かに手を握られた気がした。父に会う前に、何かに手を握られた時と同じ感触。
「キョウヤ。俺やっぱり……」
頭痛が止まない。眉間に皺が寄っているのが自分でも分かる。耳鳴りも、手の震えも、まるで扉を開けるなと本能が訴えてきているようだ。
それでも。
「もう一度……もう一度だけ、お母さんと話してみる。アヤカが……そうしてほしいって言ってるから」
自分の力ではない、誰かの力が手に込もった気がした。扉はすんなりと開く。足を踏み出し、体が倉庫から出た。
その瞬間――。
何かの叫び声のような、ガラスが割れる音のような、黒板を引っ掻いている音のような、発泡スチロールが擦れる音のような、皿をフォークで引っ掻いた音のような。
あるいは、その全てが混ざり合ったような。
耳の中にぐちゃぐちゃと音が入り込み、眩暈がした。床に膝を付く。胃が不快感を訴え口元を手で抑えるが、吐けない。いっそ吐けたら楽なのに。
視界が揺らぐ。それは先日、父がキョウヤの家を訪れた時と同じような気持ちの悪さ。
「おにいちゃん」
何かに耳元で囁かれた。
「ごめんね。がんばってね。わたし、ここにいるからね」
それは耳元から聞こえたかと思っていたが、心の中から聞こえたような気もする。不思議な感覚だった。
今度は、何かに抱きしめられた。体が揺れる。
目を開くと視界は真っ暗だったが、温かくて心地良い。
「……アヤト。大丈夫。俺、ここに居るからね」
「……キョウヤ……?」
その顔を見たくて、キョウヤの体を軽く押して顔を離した。見上げると、眉尻を下げたキョウヤと目が合った。
キョウヤとアヤトの体は倉庫の扉の前から動いていなかった。倉庫を出た瞬間に蹲ってしまったんだと、そこで理解をした。
「アヤト。大丈夫?」
「……あ……いや、まだ……」
その腕から離れてしまったが、もう一度抱きしめてほしかった。今度は自分から腕を伸ばす。
しかし、手が止まった。
先程から聞こえる耳障りな音達。それだけなら良かった。キョウヤの声だけに集中していれば良いのだから。
だが、目の前に広がる光景。それは、どうしようもない。逃れられないと本能が訴え掛けてきた。
「……あ……」
いつも通りの体育館のはずだった。だがそこは真っ暗で、月明かりのような僅かな光だけが窓から差し込んでいた。その明かりのせいで見えてしまった。
それらは、生徒ではない。教師でもない。
人の形のような、人の形ではないような。
ただ立っているだけのものもいれば、床を引っ掻くもの。頭を床に打ち付けているもの。ボールで遊ぶもの。走り回っているもの。体育座りをして体を揺らすもの。他にもいる。パッと見ただけでそれらの数を数えるのは難しかった。
ただそれらは全員、アヤトを見ていた。
いや、見ていたのだろうか。顔が真っ黒だったり、目元であろう部分が真っ黒だったり、どこを見ているか実際のところは定かではない。
だが、それでも。
見られていると――そう思った。
逃げなければいけないと思った。なのに、足がその場から離れることを拒絶するかのように動いてくれなかった。
