「おにいちゃん」
「アヤカ! こっちにおいでよ、お兄ちゃんと一緒に遊ぼう!」
アヤカの姿は見えない。
それでも声を掛ける。
「おにいちゃん、アヤちゃんがしんじゃったから、ごめんね」
「なんでアヤカが謝るの? アヤカは、何も悪くないよ。早くこっちにおいで」
また、手が握られた気がした。
「おにいちゃん、おかあさん、きらい?」
「嫌い……じゃないよ。アヤカはお母さんが心配なんだね。大丈夫だよ。お兄ちゃんは……お母さんとちゃんとお話しに行くから」
「ほんと? じゃあ、おかあさん、さみしくないね!」
瞼の裏に光が差し込み、その眩しさで目が覚めた。
手元を見る。
『児童相談所への連絡、まだ待ってほしい』
そう父にメッセージが送られていた。
送った記憶など一切無いのに。
「……なんで?」
だが、そのメッセージを取り消す気にはなれなかった。
自分の首を絞めることになると分かっていたはずなのに。
アヤカの夢の話、そしてメッセージを無意識のうちに送っていたことをキョウヤにすぐに話せなかった。理由は自分でも分からない。ただ、喋ろうとすると言葉が喉につっかえた。
そうしているうちに、朝のうちに父から返信が返ってきていた。
『分かった。今度、ご飯を食べながら話そう。空いてる日を教えてくれるか?』
その後に、また変な動物のスタンプが送られてきていた。
その返信が今はただ嬉しかった。
母親からのメッセージは、特に何も無い。
◇◇◇
昨日までの出来事がまるで嘘のように、教室の中は賑やかだった。
「アヤちゃん!」
その呼ばれ方に背筋が凍った。
だが声の主は全く違う。クラスメイトの男子の、明るく低い声。
「……おはよう!」
「おはよー! アヤちゃんは今日も可愛いなぁ!」
乱暴に頭を撫でられるのも、いつもの他愛ないやり取りだ。
なのに今日はこんなにも――気持ちが悪い。
「アヤトへのお触りは一回一万円だって、この間言わなかったっけ?」
キョウヤがクラスメイトの背中を軽く蹴飛ばした。
その声の軽さに心が少し落ち着くような気がした。
「いって! そんなこと言われてねえし、なんかいつもより蹴る力がつえーよ!」
「機嫌悪いからね」
「え……キョウヤ、機嫌悪いの?」
キョウヤの顔を見上げた。確かに、少し不機嫌そうな気がしないこともない。だとしたら、原因は間違いなく自分にあるのではないだろうか。
「冗談だって。ご機嫌だよ」
アヤトの頭を撫でるキョウヤの手付きは今日も優しかった。
だけど、昼休みになってもキョウヤの表情には笑顔が浮かばない。
「……アヤト、なんか隠してない?」
声色を聞くに、怒っているわけではなさそうだった。だがアヤトを凝視するその眼差しが痛く感じる。
「…………隠してる」
耐えきれなかった。
だが、話そうとするとやはり言葉に詰まった。喉から素直に吐き出せなかった。
「ゆっくりで良いよ」
「う、うん」
少しずつではあったがアヤカの夢の話とメッセージのことを話すと、キョウヤはアヤトの頬をこれでもかと引っ張った。
「……ごめんなさい……」
「どうして隠そうとするのかな」
「キョウヤにこんなに迷惑掛けてるのに……俺がこんなんじゃ駄目だって分かってるんだけど……」
頬は解放されたが、少しだけ痛みが残った。この程度の痛みで済ませてもらえてありがたくはある。
「迷惑ではないけど……アヤトに解決する気が無かったら怒ってたかな。でも……なんか、違いそうだもんね」
キョウヤはアヤトの顔ではなく、背中をまるで注視するように視線を向ける。何も喋ることはしないが、顎に指を添えてみたり、首を傾げたり、目を細めたりしてみては、小さく唸る。
「キョウヤ?」
「今、アヤトには誰も憑いていないように見えるんだよね。……でも、そのメッセージはアヤカちゃんが関係してるようにも思える。今のアヤトの喋り方もなんかおかしかったし」
「話そうとしたら喉がつっかえると言うか、なんか言葉が出ないんだよね……」
喉をさすってみる。当たり前だが、触った感触はなんてことないいつもの肌触りだ。
「でも、ずっとこのままってわけにもいかない。分かってるとは思うけど、何処かしらで話は付けなきゃいけないよ」
「……うん」
母親の存在を感じると確かに気持ちが悪くなる。離れられるなら離れたい。確かにそう思っているのに。
母親は今、どういう気持ちで一人家に居るのだろうか。
本当にこのままで良いのだろうか。
――自分だけ、目を逸らして良いのだろうか。
『おかあさん、さみしくないね!』
もう何年もその声を聞いていないのに。
まるで頭の中で直接話されたかのような、そのくらい鮮明に聞こえたアヤカの声が、まだ頭の中でその言葉を繰り返していた。
「アヤカ! こっちにおいでよ、お兄ちゃんと一緒に遊ぼう!」
アヤカの姿は見えない。
それでも声を掛ける。
「おにいちゃん、アヤちゃんがしんじゃったから、ごめんね」
「なんでアヤカが謝るの? アヤカは、何も悪くないよ。早くこっちにおいで」
また、手が握られた気がした。
「おにいちゃん、おかあさん、きらい?」
「嫌い……じゃないよ。アヤカはお母さんが心配なんだね。大丈夫だよ。お兄ちゃんは……お母さんとちゃんとお話しに行くから」
「ほんと? じゃあ、おかあさん、さみしくないね!」
瞼の裏に光が差し込み、その眩しさで目が覚めた。
手元を見る。
『児童相談所への連絡、まだ待ってほしい』
そう父にメッセージが送られていた。
送った記憶など一切無いのに。
「……なんで?」
だが、そのメッセージを取り消す気にはなれなかった。
自分の首を絞めることになると分かっていたはずなのに。
アヤカの夢の話、そしてメッセージを無意識のうちに送っていたことをキョウヤにすぐに話せなかった。理由は自分でも分からない。ただ、喋ろうとすると言葉が喉につっかえた。
そうしているうちに、朝のうちに父から返信が返ってきていた。
『分かった。今度、ご飯を食べながら話そう。空いてる日を教えてくれるか?』
その後に、また変な動物のスタンプが送られてきていた。
その返信が今はただ嬉しかった。
母親からのメッセージは、特に何も無い。
◇◇◇
昨日までの出来事がまるで嘘のように、教室の中は賑やかだった。
「アヤちゃん!」
その呼ばれ方に背筋が凍った。
だが声の主は全く違う。クラスメイトの男子の、明るく低い声。
「……おはよう!」
「おはよー! アヤちゃんは今日も可愛いなぁ!」
乱暴に頭を撫でられるのも、いつもの他愛ないやり取りだ。
なのに今日はこんなにも――気持ちが悪い。
「アヤトへのお触りは一回一万円だって、この間言わなかったっけ?」
キョウヤがクラスメイトの背中を軽く蹴飛ばした。
その声の軽さに心が少し落ち着くような気がした。
「いって! そんなこと言われてねえし、なんかいつもより蹴る力がつえーよ!」
「機嫌悪いからね」
「え……キョウヤ、機嫌悪いの?」
キョウヤの顔を見上げた。確かに、少し不機嫌そうな気がしないこともない。だとしたら、原因は間違いなく自分にあるのではないだろうか。
「冗談だって。ご機嫌だよ」
アヤトの頭を撫でるキョウヤの手付きは今日も優しかった。
だけど、昼休みになってもキョウヤの表情には笑顔が浮かばない。
「……アヤト、なんか隠してない?」
声色を聞くに、怒っているわけではなさそうだった。だがアヤトを凝視するその眼差しが痛く感じる。
「…………隠してる」
耐えきれなかった。
だが、話そうとするとやはり言葉に詰まった。喉から素直に吐き出せなかった。
「ゆっくりで良いよ」
「う、うん」
少しずつではあったがアヤカの夢の話とメッセージのことを話すと、キョウヤはアヤトの頬をこれでもかと引っ張った。
「……ごめんなさい……」
「どうして隠そうとするのかな」
「キョウヤにこんなに迷惑掛けてるのに……俺がこんなんじゃ駄目だって分かってるんだけど……」
頬は解放されたが、少しだけ痛みが残った。この程度の痛みで済ませてもらえてありがたくはある。
「迷惑ではないけど……アヤトに解決する気が無かったら怒ってたかな。でも……なんか、違いそうだもんね」
キョウヤはアヤトの顔ではなく、背中をまるで注視するように視線を向ける。何も喋ることはしないが、顎に指を添えてみたり、首を傾げたり、目を細めたりしてみては、小さく唸る。
「キョウヤ?」
「今、アヤトには誰も憑いていないように見えるんだよね。……でも、そのメッセージはアヤカちゃんが関係してるようにも思える。今のアヤトの喋り方もなんかおかしかったし」
「話そうとしたら喉がつっかえると言うか、なんか言葉が出ないんだよね……」
喉をさすってみる。当たり前だが、触った感触はなんてことないいつもの肌触りだ。
「でも、ずっとこのままってわけにもいかない。分かってるとは思うけど、何処かしらで話は付けなきゃいけないよ」
「……うん」
母親の存在を感じると確かに気持ちが悪くなる。離れられるなら離れたい。確かにそう思っているのに。
母親は今、どういう気持ちで一人家に居るのだろうか。
本当にこのままで良いのだろうか。
――自分だけ、目を逸らして良いのだろうか。
『おかあさん、さみしくないね!』
もう何年もその声を聞いていないのに。
まるで頭の中で直接話されたかのような、そのくらい鮮明に聞こえたアヤカの声が、まだ頭の中でその言葉を繰り返していた。
