キョウヤの声が聞こえ、瞼を開いた。キョウヤが心配そうな表情をしている。その顔を見るのはもう何度目だろうか。
「アヤト。大丈夫?」
カーテンから陽が差し込んでいる。もう朝のようだ。
「また変な夢見た?」
「……あ……。ありがとう。でも、変な夢じゃなかったんだ」
体を起こすと、布団に水滴が落ちて小さなシミを作った。頬を触ると少しだけ濡れていた。
「アヤカ……妹が、夢に出てきたような気がして」
「……アヤカちゃん。そう。悪い夢じゃないなら良かった」
時刻を確認すると八時と表示されていた。いつもアラームが鳴るずっと前に目が覚めてしまっていたので、この時間まで寝られることはアヤトにとっては珍しいことだった。
「あ。お父さんからメッセージだ。午後になったら……お母さんの家に行く、って」
「連絡は取れたのかな。アヤトのお母さん、家に居てくれると良いけど……まぁ、そこら辺は大人達に任せるしかないね」
キョウヤの言う通りで、アヤトはただ父からの連絡を待つことしか出来なかった。
午前中だけ気晴らしに二人で散歩をしに出掛けた。散歩の途中、アヤトは夢の話をキョウヤに話した。
キョウヤは少しだけ目を細め、「そっか」とだけ言った。それ以上は何も言わなかったが、手の握る力が強くなったことをアヤトは気付いていた。
家に帰ってからはゲームの続きをプレイした。
自分だけ楽しんで良いのだろうかという気持ちももちろんあり、内心は複雑だった。
そのまま時刻は夕方になり、さらに進み夜になる。それでも父からの連絡は無い。何度かメッセージは送ったが、既読の文字も付いていなかった。
「……お父さん、大丈夫かな……。お母さんに何かされてないと良いんだけど……」
「うーん。アヤトの家を見に行きたいけど、アヤトから離れるわけにいかないしなぁ」
キョウヤが唇に指を当て、息を吐いた。それを皮切りに、部屋が静かになる。
それから数十分が経った頃だった。
部屋にチャイム音が響き渡った。油断していた体がほんの少し跳ねた。
キョウヤがドアホンのカメラを確認すると、そこに映っていたのは父の姿だった。父は後ろを見たり、左右を見たり、まるで辺りを警戒している様子だ。
「俺が出るね。アヤトは後ろに居て」
キョウヤが玄関の扉を開け、アヤトは後ろから顔を覗かせる。その先に居たのは、間違いなく父の姿だった。
「お父さん!」
「アヤト、ごめんな。遅くなって……」
父の顔や体を見るが、特に怪我をしている様子もなかった。ただ唯一、ボトムスの膝の部分がやたらと皺だらけになっていた。
「制服と靴と教科書と鞄……とりあえず、これだけは取ってこれた。ここに向かう時に何度も確認したけど、誰も着いて来てなかった。ここにいることもバレてないはずだ」
「ありがとう……!」
靴は玄関に置かれ、教科書とスクールバッグはキョウヤが受け取る。
「お母さん……どうだった?」
「……思っていたよりずっと大人しかったと言うか、素直に渡してくれたけど……」
最後に残った制服をアヤトが受け取った。お礼を言おうと、顔を上げる。
――何かが見えた気がした。
父の顔が揺れる。
「…………え?」
視界から色が消え、白と黒の二色に変わる。父の顔が分裂しているかのように揺れて見え、ノイズのような耳鳴りで頭が埋め尽くされる。
キョウヤと父が呼んでいるような気がしたが、耳鳴りが邪魔をして二人の声は聞こえない。
腹痛なのか吐き気なのか分からない。自分の息遣いとノイズが混ざり合い、ただ気持ちが悪い。全身から汗が吹き出している気がする。
座れば楽になるのか立っている方が楽なのかも分からない。
誰かに肩を押さえつけられ、膝が床に付いた。体を横に寝かせられる。
そうしているうちにだんだんと落ち着き、音が止んでくる。見える景色も色が付き始めた。
「アヤト!」
「大丈夫か! アヤト!」
「……キョウヤ……お父さん……」
キョウヤに体を支えられ、二人の顔を見上げた。
二人。ではなかったか。
「お父、さん」
その後ろに、女が立っていた。
父の首に腕を回し、父の腰に脚を絡めている。長い髪を揺らしながら、その女は愉快そうに笑っていた。
目は丸く真っ黒い。光すら反射させない。
口の中も真っ黒い。口を素早く閉じたり開いたりを繰り返し、「パパパパパ」と音を鳴らす。
アヤトと目が合えば、女は甲高い声を上げて手を叩いた。悲鳴なのか笑い声なのか、アヤトには区別は付かなかった。
女は父の背中からぬるりと降り、液体のように地面へ垂れた。
父の背中におぶさっていたはずの体は、元からそんなものは付いていなかったかのように顔だけが地面へと残る。
ごろごろと頭を転がし、父の足元で遊ぶ。たまに口を開いては、「パ」と音を鳴らした。いや、音なのか、声なのかも分からない。
髪の毛を器用に使い、その顔は玄関から家の中に上った。
「……キョウヤ……」
その顔はゆっくりと、アヤトの元へ転がろうとする。
「アヤト君のお父さん」
キョウヤが音を鳴らして床を叩きつけた。
正確には床ではなかった。その足と床の間には、女の顔がある。
女はアヤトの顔を甲高い悲鳴を上げながらじっと見つめ続ける。
「アヤト君、体調が悪いみたいで。今日はもう……寝かせようと思います。せっかく来ていただいたのに、お話もゆっくりさせてあげられなくて申し訳ないのですが」
キョウヤの足が女の顔を潰し、床に付いた。辺りに黒い液体が飛び散っては、すぐに蒸発した。
「そのようだね。アヤト、大丈夫か?」
「……え、あ、うん……」
キョウヤの足元から目が離せなかった。せっかく父が来てくれたのに、まともに顔が見れない。
「アヤト。またすぐに来るけど、これだけは言わせてくれ。……もう、あの人に近寄っちゃ駄目だ」
その言葉は、ザラリと胸の奥に張り付いた。
「……分かった。ありがとう……」
「それじゃあ、キョウヤ君も……本当に迷惑を掛けてしまうけれど……」
「全く問題ないです。任せてください」
玄関の扉が閉まると、キョウヤはアヤトの体を抱きしめた。
「アヤト、何が見えた?」
「……女の人……」
「ごめんね。俺が側に居るから良いかなって思って、油断してた」
アヤトは父が持って来てくれたスクールバッグに目を向けた。そこに付いていたお守りが半分ほどの大きさに切れていた。切れ目は、まるで焼き焦げたように煤けている。
「……キョウヤ」
「大丈夫だから」
キョウヤは床に座り、壁にもたれかかった。キョウヤに優しく手を引かれ、アヤトはその膝の上に座る。
そのまま抱きしめられ、唇が重なった。
キョウヤの手に触れると、お互いの指が絡み合った。
不安なのか恐怖なのかアヤトは自分でも分からなかったが、今は――キョウヤに触れていたかった。
「アヤト。大丈夫?」
カーテンから陽が差し込んでいる。もう朝のようだ。
「また変な夢見た?」
「……あ……。ありがとう。でも、変な夢じゃなかったんだ」
体を起こすと、布団に水滴が落ちて小さなシミを作った。頬を触ると少しだけ濡れていた。
「アヤカ……妹が、夢に出てきたような気がして」
「……アヤカちゃん。そう。悪い夢じゃないなら良かった」
時刻を確認すると八時と表示されていた。いつもアラームが鳴るずっと前に目が覚めてしまっていたので、この時間まで寝られることはアヤトにとっては珍しいことだった。
「あ。お父さんからメッセージだ。午後になったら……お母さんの家に行く、って」
「連絡は取れたのかな。アヤトのお母さん、家に居てくれると良いけど……まぁ、そこら辺は大人達に任せるしかないね」
キョウヤの言う通りで、アヤトはただ父からの連絡を待つことしか出来なかった。
午前中だけ気晴らしに二人で散歩をしに出掛けた。散歩の途中、アヤトは夢の話をキョウヤに話した。
キョウヤは少しだけ目を細め、「そっか」とだけ言った。それ以上は何も言わなかったが、手の握る力が強くなったことをアヤトは気付いていた。
家に帰ってからはゲームの続きをプレイした。
自分だけ楽しんで良いのだろうかという気持ちももちろんあり、内心は複雑だった。
そのまま時刻は夕方になり、さらに進み夜になる。それでも父からの連絡は無い。何度かメッセージは送ったが、既読の文字も付いていなかった。
「……お父さん、大丈夫かな……。お母さんに何かされてないと良いんだけど……」
「うーん。アヤトの家を見に行きたいけど、アヤトから離れるわけにいかないしなぁ」
キョウヤが唇に指を当て、息を吐いた。それを皮切りに、部屋が静かになる。
それから数十分が経った頃だった。
部屋にチャイム音が響き渡った。油断していた体がほんの少し跳ねた。
キョウヤがドアホンのカメラを確認すると、そこに映っていたのは父の姿だった。父は後ろを見たり、左右を見たり、まるで辺りを警戒している様子だ。
「俺が出るね。アヤトは後ろに居て」
キョウヤが玄関の扉を開け、アヤトは後ろから顔を覗かせる。その先に居たのは、間違いなく父の姿だった。
「お父さん!」
「アヤト、ごめんな。遅くなって……」
父の顔や体を見るが、特に怪我をしている様子もなかった。ただ唯一、ボトムスの膝の部分がやたらと皺だらけになっていた。
「制服と靴と教科書と鞄……とりあえず、これだけは取ってこれた。ここに向かう時に何度も確認したけど、誰も着いて来てなかった。ここにいることもバレてないはずだ」
「ありがとう……!」
靴は玄関に置かれ、教科書とスクールバッグはキョウヤが受け取る。
「お母さん……どうだった?」
「……思っていたよりずっと大人しかったと言うか、素直に渡してくれたけど……」
最後に残った制服をアヤトが受け取った。お礼を言おうと、顔を上げる。
――何かが見えた気がした。
父の顔が揺れる。
「…………え?」
視界から色が消え、白と黒の二色に変わる。父の顔が分裂しているかのように揺れて見え、ノイズのような耳鳴りで頭が埋め尽くされる。
キョウヤと父が呼んでいるような気がしたが、耳鳴りが邪魔をして二人の声は聞こえない。
腹痛なのか吐き気なのか分からない。自分の息遣いとノイズが混ざり合い、ただ気持ちが悪い。全身から汗が吹き出している気がする。
座れば楽になるのか立っている方が楽なのかも分からない。
誰かに肩を押さえつけられ、膝が床に付いた。体を横に寝かせられる。
そうしているうちにだんだんと落ち着き、音が止んでくる。見える景色も色が付き始めた。
「アヤト!」
「大丈夫か! アヤト!」
「……キョウヤ……お父さん……」
キョウヤに体を支えられ、二人の顔を見上げた。
二人。ではなかったか。
「お父、さん」
その後ろに、女が立っていた。
父の首に腕を回し、父の腰に脚を絡めている。長い髪を揺らしながら、その女は愉快そうに笑っていた。
目は丸く真っ黒い。光すら反射させない。
口の中も真っ黒い。口を素早く閉じたり開いたりを繰り返し、「パパパパパ」と音を鳴らす。
アヤトと目が合えば、女は甲高い声を上げて手を叩いた。悲鳴なのか笑い声なのか、アヤトには区別は付かなかった。
女は父の背中からぬるりと降り、液体のように地面へ垂れた。
父の背中におぶさっていたはずの体は、元からそんなものは付いていなかったかのように顔だけが地面へと残る。
ごろごろと頭を転がし、父の足元で遊ぶ。たまに口を開いては、「パ」と音を鳴らした。いや、音なのか、声なのかも分からない。
髪の毛を器用に使い、その顔は玄関から家の中に上った。
「……キョウヤ……」
その顔はゆっくりと、アヤトの元へ転がろうとする。
「アヤト君のお父さん」
キョウヤが音を鳴らして床を叩きつけた。
正確には床ではなかった。その足と床の間には、女の顔がある。
女はアヤトの顔を甲高い悲鳴を上げながらじっと見つめ続ける。
「アヤト君、体調が悪いみたいで。今日はもう……寝かせようと思います。せっかく来ていただいたのに、お話もゆっくりさせてあげられなくて申し訳ないのですが」
キョウヤの足が女の顔を潰し、床に付いた。辺りに黒い液体が飛び散っては、すぐに蒸発した。
「そのようだね。アヤト、大丈夫か?」
「……え、あ、うん……」
キョウヤの足元から目が離せなかった。せっかく父が来てくれたのに、まともに顔が見れない。
「アヤト。またすぐに来るけど、これだけは言わせてくれ。……もう、あの人に近寄っちゃ駄目だ」
その言葉は、ザラリと胸の奥に張り付いた。
「……分かった。ありがとう……」
「それじゃあ、キョウヤ君も……本当に迷惑を掛けてしまうけれど……」
「全く問題ないです。任せてください」
玄関の扉が閉まると、キョウヤはアヤトの体を抱きしめた。
「アヤト、何が見えた?」
「……女の人……」
「ごめんね。俺が側に居るから良いかなって思って、油断してた」
アヤトは父が持って来てくれたスクールバッグに目を向けた。そこに付いていたお守りが半分ほどの大きさに切れていた。切れ目は、まるで焼き焦げたように煤けている。
「……キョウヤ」
「大丈夫だから」
キョウヤは床に座り、壁にもたれかかった。キョウヤに優しく手を引かれ、アヤトはその膝の上に座る。
そのまま抱きしめられ、唇が重なった。
キョウヤの手に触れると、お互いの指が絡み合った。
不安なのか恐怖なのかアヤトは自分でも分からなかったが、今は――キョウヤに触れていたかった。
