これ、もう鑑賞じゃなくね?

(ま、じで?)
新学期になり、二年生に進級した。
名字のせいで、大抵、出席番号は一番か二番。今年は後者だった。
そんな俺の左斜め前。
おおよそ一ヶ月ぐらい前に、日向との話に出てきた、叶辰太郎。
そいつが、同クラスで、俺の近くに座ってる・・・・・・!?
教卓の上で、何やら「新学期頑張ろう」だの「そろそろ本格的に進路を」だの話す担任の話は耳に入らない。
ピン、とのびた背筋。白くて細い手のひらは、律儀に膝の上に置かれている。
その所作は、叶の育ちの良さを連想させる。
顔色は良く、きめ細かい肌に、俯きがちのまつ毛が影を作っている。
つまり、つまるところ叶は、
(い、いけ、イケメンだーっ!・・・ぐはっ)
胸が苦しくなり、とっさに抑える。
大丈夫だ。持病ではない。
イケメンを見た時だけに現れる症状。あまりにも美しすぎて、なぜか辛くなるという次第。
「えーっと、一色?大丈夫?」
後ろの三番の今宮が心配そうに声をかけてくる。
去年、こいつが二番で、俺が一番だったのを覚えている。
「大丈夫、なんともない。いつものだ」
小声で今宮に返す。今宮は「そう」と言い、続けた。
「もしかして、叶?」
「ああ、まあ・・・想像以上に顔面が強すぎた」
わざとらしく、胸を押さえながら返した。
俺が無類の美形好きであることを知っている今宮は苦笑した。
「はい、そこ!新学期早々、先生の話を聞かないのは感心しないぞー。もう一度、一年からやり直すか?」
担任の冗談混じりの注意に、クラスの視線がこちらを向く。
苦い笑いが生じ、俺も今宮も気まずさに苦笑すると、真顔でこちらを見つめる叶と目が合った。
(あ)
真正面から見る叶の面長の顔は、それはそれは、二次元のキャラクターのようだった。
つり気味の目が真っ正面から俺を見つめている。
風もないのにさらさらとなびく髪は、アニメのようで。
永劫永遠、眺め続けたいと思った。
しかし願いは届かず、ふい、と叶は再び前を向く。
その一瞬の動作さえも、神が自ら作ったような美しさ。
(なんつー美しさ・・・三次元でこんなに完成されたイケメン初めて見たぞ)
久しぶりに、生きてて良かったと感じた。
担任に注意されたことよりも、叶に真正面から見つめられたことが印象に残った。



初日が終わり、放課後。
片手にノートや文房具、スマホを持ち、反対の手で久しぶりに『漫画アニメ同好会』の看板がかけられた部室の扉をがらっと開け放った。
「おお、一色。修了式以来!」
新学期から会長になった立木先輩が大きく手を振ってくれる。
「お久です」
軽く会釈して、昨年と同じ席に座る。
入学式はまだなので、昨年と同じメンバーが目に入る。
漫画を模写したり、アニメの今後の展開について議論する同級生や先輩。
やっぱり、ここが一番落ち着く。
自然と口角が緩みながら、アニメの二次創作や感想用のノートを開くと、二つの影が映る。
顔を上げると、懐かしい二人組がいた。
「日向と、河合か」
「おっひさぶりー!クラス離れちゃったからマジでショック」
「お久しぶりです。春休みはどうでしたか?」
「それなりに良かった。新しい出会いがなかったのが無念」
いつも明るい日向と、大人しい河合。
見た目も性格も正反対の二人だが、なぜか仲がいい。
以前、話を聞くと、
「そりゃあもう、私たち腐女子ですから!」
臆することなく日向は堂々と言ってのけた。
幸いながら、この同好会には腐女子も腐男子も、姫女子も姫男子も、もちろん夢女子と夢男子もいる。
ほとんどがそれらに属しており、入会当初、日向と河合は手厚く歓迎された。
おまけに、この二人は正反対に見えて、ものすごく仲が良いことから。
姫女子や姫男子の格好の餌食となっている。
澪澪ペア。二人とも、名前に「澪」の字が入ってることからそう呼ばれている。
最初こそ、「仲がいいね〜」という先輩たちの癒しの存在だったのだが、いつしか「おい!あそこで百合の花が咲いているぞ!」「いやあああ!澪澪ペア、尊い!」と、ナマモノGLのネタにされるようになってしまった。
だが、当の本人たちはそのことに全く気がついていない。
気がついたとしても、きっと新しい扉だと興奮しながら、姫女子・男子が書いた、自分たちがモデルの一次創作を楽しむに違いない。
俺も当初は腐男子か、と勘違いされたが、断じて俺は腐男子ではない。
イケメンが好きなだけだ。
「担任がイケメンなら良かったんだがな」
ぼそっと呟いた言葉に、俺の正面に座った河合が苦笑を浮かべた。
「逆に授業が身に入らなんじゃないでしょうか・・・・・?」
「甘いね。澪花(れいか)
ふっふっふ、と怪しげな笑いをする日向にいやな予感がした。
「いい?教師がイケメンだったらね、学ぶ意欲が湧く!授業が楽しみになる!坊主がブスだと説教も身に入らないって清少納言が枕草子で書いてたってどこかの本に載ってたってなんかユーチューバーが言ってた!」
「人づての人づての人づてかよ。信憑性皆無」
澪杜(みと)は面白いなあ」
さながら名探偵のように顎に手を当て、ドヤ顔をした日向にツッコミを入れ、河合はふふっと小さく笑った。
「ひどいなぁ、澄雅」
ブーブーと口を尖らせ、日向はBL漫画を手にする。
河合は私用のiPadを取り出し、絵を描き始めた。
俺も、ノートに向き合う。
とりあえず、今日のところは最推しの煌人さまの今後の活躍について考察しようと思う。
この部活動は、基本的に漫画とアニメに関係することであれば、大抵の活動はなんでも許される。
皆、思い思いに好きなことをやっている。
一ヶ月に一回は自分の成果や推し語りを行い、文化祭前には自分たちで完全オリジナルの漫画やアニメを作ったりもする。
一年の時に「部活に入ることが必須条件」と言われた時は、内心焦ったが、この同好会に救われた。
なにしろ新しい出会いがある。実際、煌人さまは立木先輩が布教してくださったのだ。
他にも、俺が知らない漫画やアニメを推している人もいて、次々に情報が入ってくる。
お陰で推しも増え、俺のイケメン推し活ライフも充実している。
(イケメンといえば、今日・・・・・)
脳裏に、あの怖いほどに整った顔つきの叶の姿が浮かび上がる。
(やばい、イケメン。三次元の中では、もうトップクラスの容姿・・・・・)
「一色さん?手、止まってますけど、大丈夫ですか?」
心配そうな河合の声に我にかえる。どうやらいつの間にか、シャーペンを置き、口を押さえていたようだった。
「ああ、うん。大丈夫」
「叶辰太郎さんのことですか?」
ぶっと水を飲んでいないにも関わらず、吹き出しそうになった。
なぜそこで叶の名前が出てくる?
おまけに、そこに日向も便乗した。
「あー確かに。澄雅も叶も一組だったよね」
「周りの女子達が同じクラスになれなかったと落胆していました」
「だからなんで叶が出てくる?」
逆に質問をすると、日向と河合は顔を見合わせて、それから、
「だって叶って澄雅のタイプじゃん」
「だって叶さんって一色さんの好みじゃないですか」
ハモった二人の声に、姫女子・姫男子たちは「やっぱあの二人、尊いわ!」「う、美しい花が咲いてますわね!」と発狂し、腐女子・腐男子たちは「なぬ?薔薇が咲いているのか!」「誰と!誰が!」と大興奮しながら俺らの周りに集まってくる。
地獄耳が多い。ここはオタクではなく、地獄耳が集まる同好会だったのか?
誤解を解消すべく、胸の前で手を振った。
「違います、違います。この二人が叶が俺の好みだとか言ってくるんですよ」
「真相は?顔面好みなんでしょ?」
腐女子の立木先輩が詰め寄ってくる。
「まあ、はい。でも決して腐った話ではありませんから。先輩も知っているでしょう、俺はBLじゃなくてイケメンが好きなんです」
「なんだあ」と落胆した様子のBL好きが散っていく。
立木先輩は呆れたように笑って、
「全く懲りない奴だなあ。どれだけイケメンが好きなんだよ」
「それは俺に布教した先輩がよく知ってるでしょう。そういえば、先週の。知念(ちねん)、大活躍でしたね」
「それめっちゃわかる!!」
先輩の推しの名前を出すと、先輩は頬をかすかに赤くして、大袈裟に賛同した。
途端、先輩の推し語りが始まる。
「ほんっと琉久(るく)くんはかっこいいのよ・・・ほんと、天使。それなのにさぁ怒るとSになるとかギャップの塊すぎてっ!もう神というより天使!世界は知念琉久の良さを知るべきなのよ!全員、財産の半分を琉久くんに捧げるべき!琉久くんこそが世界一の美少年なのよ!」
次第に前のめりになる先輩と裏腹、俺はだんだんイナバウアーの形になっていく。
その様子を、日向がケラケラと明るく笑いながら、河合が静かに微笑んで鑑賞していた。




俺が叶と同じクラスになり、瞬く間にひと月が過ぎた
「えーであるからしてー」
数学教師の間延びした声と、カリカリとシャーペンで黒板の内容を写しとる音だけが五月の教室に響く。
俺も、当たり前のように数式を並べ、それを解こうとする。
だが俺の目に映るのは、ノートの罫線ではない。
(あー。今日も叶、かっけー)
俺の目は、確かにしっかりと、叶をとらえていた。
ノートと向き合っても、崩れない姿勢も、シャーペンを握る細い指も。黒板を見やる理性的な眼差しも、
(尊い)
(この奇跡を!同クラスでイケメンと席が近くなった奇跡を!無駄にはしない!骨の髄まで愛でまくろう!)
無意識にペンを握る手に力が入り、軋む音が聞こえて、慌てて力を抜いた。
幸い、ヒビは入っていなかった。ふう、と一息つき、再びノートへ向かう。
数式を解きながらも、時折、ちらっと叶の方を見ては、
(んーっイケメンだっ!)
萌えては、ノートに向き合い。
そしてまた、少し経っては、
(完成されすぎて、誰かに後ろから刺されないか心配だ)
する必要のない心配をしてし漢字(かんじ)漢字(かんじ)まう。
叶と同じクラスになってから、ずっとこの調子だ。
授業中も、休み時間も、給食も。
叶の顔を崇め、讃え、萌え。
ただ、あまり表情が動かないのが難点である。
叶は常に無表情。
時折、クラスメートの他愛ない話に愛想笑いを返すだけ。
最初こそ、「表情筋あったのか!?」「こんなので笑うのか!」と興奮したものの、次第に空気を読んで、適当に流しているだけなのだと気がついた。
だが、それもまた、
(いけずな京都人感があって、いい)
叶は京都出身のおぼっちゃまだ。実家は、元公家の名家らしい。
はんなりとした京都弁と、育ちの良さが垣間見られる所作は、不思議と人を惹きつける。
実際、方言と所作で叶に堕ちた女子が何人もいるらしい。
顔の良さと、剣道部のエースということもあってか、
それを聞いた時は、人は自分とは違うものを持った人を好きになるもんだな、とやけに他人事のように感じた。が。
今はそうではない。
方言と所作に堕ちたのではない。
顔に堕ちたのだ。
いや、惚れ込んだ、と言ったほうがいいかもしれない。
所詮、方言も家柄も所作も、叶辰太郎というメインディッシュに添えられたサイドディッシュ。付け合わせだ。
叶辰太郎という完成された美に、方言、家柄、所作といったものが添えられるだけで、それはもう、高嶺の花という比喩すら生ぬるく感じる。
言うなれば雲の上の、いや、上層圏の上の存在だ。
先生が指示した問題を、すでに解き終えた俺は、くるくるとシャーペンを指で回しながら叶の横顔を凝視する。
(叶が机に向かっていると、まるで絵画みたいだな・・・・・そうだ)
パシッと回していたシャーペンを手に取り、解き終わった問題の隅に、手を細かく動かし、顔の輪郭を描いていく。
途端、後ろに人の気配を感じ、サッと描きかけの絵を、手で隠した。
教室の後方から歩を進めてきた数学教師は、俺の挙動に気づくこともなく、ノートを覗いて、再び教室内を周り出した。
(あぶね〜)
ほっと息を吐いた。
そして、またすぐにノートと睨めっこをする。
できるだけ、本物に似せて、細かいところまで・・・・・
「よーし、それじゃあ答え合わせ始めるぞー」という教師の言葉も耳に入らなかった。
皆が赤ペンで丸付けをする中で、俺だけはシャーペンを握ったままだった。

(よし、できた!我ながらいい出来だな・・・・・)
絵の完成に喜び、自画自賛する。
それと同時に、
「これで今日の授業は終わりだ。ちゃんと復習するように!」
と言って、数学教師が教室を出た。
それを合図にクラスメートが次々と立ち上がり、ガタガタッと椅子と床が擦れる音がする。
賑やかさを取り戻した教室。
立ち上がって友人と会話を交わす者が多いなかで、叶だけは、一人、静かに自分の席に座っていた。
「おーい!すーみがっ」
廊下から元気な声が聞こえて振り向く。
窓越しの二人組の姿が目に入る。
「おー、日向、河合。どうした?」
ガラガラと窓を開けながら、澪澪ペアに声をかける。
「それがーめっちゃおもろいアニメ、澪花がみっけてきたの!」
「一色さんの最推しの、誠名煌人さん似のイケメンもいますよ」
「うっそ、マジで?」
慌てて席を立ち、ノートも筆記用具もそのままで、廊下に出る。
「で?で?煌人さま似のイケメンは?」
きっと今の俺の目は爛々と輝いているのだろう。
河合は少し驚いたように身を引くと、それを瞬時に察知した日向が俺の前に仁王立ちする。
いつものチャラチャラしたような雰囲気とは真逆。
その勢いに、少しだけ身を引く。
「澄雅?それが人にイケメンを布教してもらう態度なわけ?澪花が困ってるでしょ?」
「いや、ちょっと気圧されただけで、そんな邪険にしなくても・・・・・」
「澪花、澪花は澄雅に好きなタイプのキャラを教えてもらった時、今の澄雅みたいにしてた?」
河合を手で制した日向が、怖い顔のままで言う。
「え、えっと、興奮はしていただろうけど、ここまでではなかったと思う・・・・・」
「ほらね!」
四捨五入して二十センチほどの身長差をものともせず、日向は俺の胸ぐらを掴んだ。
不意打ちに驚き、「うおぉ」と変な声が俺の口からこぼれ出た。
「あんたねえ、いくらイケメン好きでも、澪花を困らせたらただじゃおかないよ?いい?紹介してもらうなら、相手に敬意を持って望みなさい!」
完全に日向のペースだ。
「はい、すみません・・・・・」
「私じゃなくて澪花に謝りな!」
顎で河合をしゃくる日向は、さながらアニメに出てくる不良女子高校生のようで。
周りはなんだなんだと好奇の目を向ける。
「河合、その、すまん・・・・・」
「いえいえ!そんな、滅相もない」
河合は慌てて胸の前で両手を振る。
つい我を忘れてしまったからなぁ・・・・・
気まずさに、後頭部をポリポリとかき、視線を彷徨わせる。
「まあ反省はしてるみたいだし、紹介してあげてもいいんじゃない?」
ようやく俺のシャツを手放した日向が、河合と目配せした。
それを合図に、河合が手元のiPadの電源を入れた。
「ですね。この人が例の人です。名前は伊達柊夜(だてしゅうや)。クズ系のイケメンです」
「クズ系!?」
まだ推しにいないタイプだ!
自然と前のめりになり、慌てて距離をとった。
日向が再び睨んできたからだ。
「で、他にどんな設定?」
ドキドキと高揚する胸を抑えながら、河合に質問する。
「とにかく女遊びが激しい典型的なクズ系チャラ男の大学生、と公式のHPに書いてあります。ちなみにこれ、逆ハーもののアニメなんですが、主人公に声をかけるもフラれ、面白い女だと次第に意識し始めます・・・・・って一色さん!?」
やば、もうこの情報だけでこの一ヶ月、生きられる・・・・・
廊下に倒れた俺に、同級生たちは「なんだ?」「一色がイケメン見て倒れたー」とワイワイと騒いでいるのが聞こえる。
面白い女、からの本気で好きになった女、に変化して、ヤンデレ化するイケメン。大・好・物。
アニメではなかなかいなかったタイプだ。
一次創作の投稿サイトでは、よく目にするタイプで、よくそこからも供給させてもらっている。
伊達柊夜か・・・・・
ロックオン済み。家に帰ったら即刻、調べてみよう。
「倒れたい気持ちはわかるけど、学校だからね」
ハハ・・・と呆れた笑いを浮かべながら日向が手を差し伸べてくる。
その手をとり、起き上がると河合が笑っていた。
「良かった。一色さんの(へき)にブッ刺さって良かったです」
「しれっとヤバいこと言ってんな・・・にしてもありがとう。めっちゃ刺さった。俺もお前らが好きそうなキャラ、見つけたら布教するぜ」
「頼りにしてます」
「その時はよろしく〜」
河合が小さく、日向が大きく手を振りながら教室へと戻っていく。
「おう」
俺も手を振り返して、教室に戻ろうとする。
ドアの取手を掴んだところで、ふと、窓から教室を覗いてみる。
なんとなくで覗いただけだったが、そこで目に入った光景に愕然とした。
背中に冷や汗が流れる。
(やばいっ)
力任せに扉を開けると、反対側の壁にぶつかってガンッと大きな音が響いた。
俺の席の方を見ると、窓から見たものと同じ光景が広がっていた。
そして扉のすぐ近くにある俺の机の後ろの方から、
叶辰太郎が両手を後ろにやり、立ち止まって俺の机を覗いていた。
正確に言うと、机の上の、開きっぱなしの同好会ノートを覗いていた。
そこに俺が何を描いたか、俺は痛いほどに分かっている。
だって俺が描いたから。
「なあ」
叶が口を開き、ノートに描かれている絵を指差した。
「これ、僕の絵なん?」
生まれも育ちも関東圏の俺たちとは異なるイントネーション。
はんなり穏やかな口調の叶とは打って変わって、俺は絶望のどん底へと落ちた。
(バレたあああああ!)
咄嗟に、リアルで頭を抱えてしまう。
俺が授業中に描いていたのは、叶の横顔だった。
叶の白くて細い人差し指が示しているのは、確実に、俺の目の前にいる叶辰太郎の秀麗な横顔だ。
推しの模写で身についた、絵の上手さが仇となった。
もしも俺が壊滅的に絵が下手だったら、叶の絵を描いていることがバレずに済んだかもしれない。
けれど、それはもしもの話だ。現実は違う。もうバレてしまった。
(ノートを開きっぱなしにしていた俺が悪かった。無念・・・。もう叶の顔を拝むことは叶わないのかっ)
「・・・・・ああ、叶だよ。勝手に描いて、ごめん」
バレてしまっては、もうしょうがない。
そもそもジロジロと人の顔を見ていた俺が悪いのだ。
なるべく叶の顔を見ないようにしているのは、気まずさから。
さすがに横顔を描くのはストーカーじみた行為だと今更ながらに気がついた。
(もう殴られようが罵倒されようが構わないな。悪いのは俺だし。少しでも叶の近くで鑑賞できたことを嬉しく思おう)
浴びせられる罵倒の言葉を想像して、身を瞑った時だった。
ふっと柔らかな笑い声が耳に優しく響いた。
恐る恐る、顔を上げると、そこには叶の笑顔。
(笑っ・・・・・え、笑った?)
「よお似とるわぁ」
優雅に口元に手を添え、目を細めて笑う叶。
これは愛想笑いではない。唐突に、そう感じた。
自然な笑顔。子供のような素朴さ。
(なんて、あどけなく、それでいて大人びた微笑み・・・・・)
「あ、堪忍な。別に一色くんのノートば覗き見しようとかは思ってなくて。ただ目に入ったというか・・・・・悪気はないんやで」
「え、ああ。うん」
慌てて訂正し、苦笑いをした叶。
まさに青天の霹靂。驚きのあまり、まともな返答ができなかった。
猫のように細い目のはじが、すぼめられている。
(おいたわしや、叶はこんな表情もするのか・・・・・)
目を擦っても、目の前には困ったような微笑みを浮かべる叶がおり、これが現実なのだと痛感させられる。
「僕、一色くんの絵、好きやわ」
叶が愛おしげに、自分の似顔絵を見つめた。
その表情に、
1発ノックアウトされた。
「一色くん?」
叶の声を背中で聞きながら、
(やばいやばい、メロい、メロすぎ注意報。叶がこんな風に笑うなんて聴いてねえぞ、神様。どうしよう、俺が描いた叶の似顔絵を見つめる叶、めっちゃ絵になる。描いて良かった、一時はどうなることかと思ったけど、叶のレアな表情見れたからもうそれで良し。生きてて良かったあああ)
思わず、ホロリと涙がこぼれ落ちそうになるのを堪えて、叶の方を向く。
やや心配そうな叶に、再び、
(まってどうしよう。やっっっば。至近距離に推しが)
えげつない破壊力。
咄嗟に口元を抑える。ニヤケ顔を隠すために。
叶ほどではないが、俺も基本的に無表情の部類に入る。
が、イケメンによって俺の表情筋は絆されてしまうので、ついつい、叶を前にすると口角がだらしなく上がってしまうのだ。
(似顔絵はともかく、目の前でにやけられたら「なんだこいつキッショ」って思われるに違いないのに)
そんな不安定の俺の様子に気づいていないのか、叶は微笑みながら自分の席へと戻る。
「ほんま、よお似とる」
それが独り言なのか、はたまた俺に向けて言った言葉なのか、わからなかった。
少しだけ、首を傾げながら俺も自分の席につく。
机の上には、広げられたノート。
そしてそこには叶の似顔絵。
ノートに向き合いながらも崩れぬ姿勢。つり気味の目。ノートにそっと添えられた左手。
(・・・・・俺が上手いのではなく、叶が完成された美人だから、だろ)
もう少し自分の顔面に自信を持てよ、という言葉が喉まで出かけた。
流石にそれは言い過ぎだ。
俺は叶の顔を眺められるならば、もうそれでいい。
「それでは授業を始めます」
教卓に教材一式を気怠そうにドンっとおいた国語教師が号令をかける。
再び、叶がやや冷たさを含んだ無表情になる。
(・・・・・ほんと、綺麗だ)
頬杖をついて叶の姿を見つめる。
また自然と、頬が緩むけれどもう俺は止めない。
先ほどの会話で、少し距離が縮んだ気がする。別に叶との距離を縮めたいというわけではなかったが、それでも、素直なありのままの叶の姿を垣間見れたような気がして。
ただそれだけが嬉しかった。
俺はゆっくりと、彼の似顔絵が描かれたノートを閉じた。