あやかし瞳の花嫁

「……言う気はねぇ、か……なら、自分で捜しに行くまでだ」
「お待ちください!」

 きびすを返す燐を、愛莉の甲高い声が呼び止める。
 億劫そうに振り返った燐に冷ややかな視線を向けられても、愛莉は一歩も(ひる)まなかった。
 その表情にあるのは自分が選ばれて然るべきと疑わぬ執念である。

「あんな卑しい産まれの女、燐様の花嫁にはふさわしくありませんわ! あんな……なんな気味の悪い目、普通じゃありませんもの! だいたい、あの子は頭がおかしいんです! 小さい頃から!」
「というと?」

 探るように細められた燐の視線に気づかず、愛莉は勝ち誇ったように表情を明るくした。
 燐の興味を引き出したこと、自分の話に反応が返ってきたことに静かにほくそ笑む。
 このまま遠羽を(おとし)めてしまえば、きっと燐は心変わりするはず。
 そう思えば、舌はおもしろいようによく回った。

「燐様がご存じないのも無理ないわ。あの目……とても人間のものとは思えないもの。あの気味の悪い目で見られた日には、あたしもう怖くて怖くて夜も眠れませんの。それにあの子ったら、しょっちゅう誰もいないところに向かって話しかけたり、子どもの頃は居もしない生きものの話なんかも。きっといまだに、おかしなものが見えてるに違いないわ!」
「愛莉……!」
「愛莉やめなさい……!」

 得意になってつらつらと話をする娘に対して、両親はひどく青ざめた顔をしていた。
 幼い遠羽が見えざるものの話をしたのはただの一度だけ。その時は、あり得ない空想を語るなとひどく叱責したものである。
 それ以来遠羽がおかしな言動をすることはなくなったが、康之と桐子にとっては遠羽の異常とも思える行動は秘匿するに値するできごとであった。

 それを意気揚々と暴露してしまった愛娘を止めようにも、勢いづいた愛莉の口に戸を立てられない。
 すべては人ならざる虹彩の瞳のせいだと、そうのたまう愛莉は、遠羽は人ではないとまで言いだした。

「得体の知れない女なんかより、あたしのほうが燐様に尽くしてあげられます。今からでも遅くありませんわ! 燐様、あたしをあなたの花嫁に」
「つまりきみは、俺の意志に楯突くと?」

 愛莉の話をただ黙って聞いていた燐の声は、変わらず冷たいままだった。
 細められた視線だけが、どこか怒りに震えているような底知れなさを秘めている。

 愛莉に自覚があれば、まだ引き返すこともできただろう。
 だが自分の評価に絶対の自信をもつ愛莉が、燐の憤りにも両親の焦りにも気づくことはない。

「美貌も立ち居振る舞いも、当然あたしのほうが上ですもの。比べるまでもないでしょう? 誰だってあたしを選ぶに決まってるわ! 燐様もあの女の本性を知れば」
「ではきみは、宝来家の決定に異を唱え、ひいては五行宗家に弓を引くという解釈でいいか?」

 ゆらり、と燐の漆黒の瞳が炎のように赤く揺らめいた。
 彼の背後でなにか別のモノが睨みを効かせている気がして、凍てついた空気に血の気が引く。

「ひっ……!? 化け物……!?」
「…………」

 引きつった表情でおもわず半歩後ずさった愛莉を一瞥して、燐は足元に視線をやった。

「さて、案内はお前たちに頼もう。連れて行ってくれるな?」

 先ほどから足元にまとわりついてキュイキュイとなにかを訴える小鬼たちが一目散に駆け出す。
 あとを追って庭を抜け、屋敷の裏手へと回れば、小さな納屋が日陰にひっそりとたたずんでいた。

「そこにいるのか……?」

 燐のつぶやきに、小鬼たちが早く早くと急かすように小さく飛び跳ねていた。

 古びた閂に手をかける。
 カラン、と乾いた音が地面に着地すると同時に、燐は建てつけの悪い木戸を開け放った。

「遠羽……?」

 暗がりの中、納屋の隅でうずくまる遠羽の姿が目に入った。
 わずかな明かりが、おもむろに顔を上げた遠羽を浮かび上がらせる。

「っ……!」

 次の瞬間、燐ははらわたが煮えくり返る思いがした。
 おぼろげなまなざしは隈に縁取られ、強引に切られたザンバラ髪が、遠羽に対しておこなわれた非道を物語っている。

 燐は人知れず静かに奥歯を軋ませた。

「…………」
「……え……あ……面……!」

 無言のまま近づいてくる燐の姿に、遠羽はハッと息を飲んだ。
 三日間も監禁されていたせいですっかり失念していたが、今、自身の素顔を覆うものはなにもない。

 遠羽は部屋の片隅から腰を浮かせて、慌ててちゃぶ台の上に手を伸ばした。
 だが指先がひび割れた戌面に届く前に、燐の手が面を覆い隠してしまった。

「っ! あ……」
「これはもう、必要ねぇよ」

 大きな手指の合間から、無機質な視線が虚空を見上げていた。

「……短いのも似合うじゃねーか」

 燐の指先がすっと遠羽の頬にふれる。
 耳にかかる乱れた髪を流れるようになでつけられ、まるで息を吹き返したかのように心臓が脈打った。

「……ほんとうに……」
「ん?」
「本当に……来てくれた……」

 迎えになんて、来ないと諦めていた。
 来てくれるわけないと。
 所詮は一瞬でも自由を夢見た自身の作り出した幻想にすぎないのだと。
 使用人以下の扱いをされる人間なんか、誰も相手にしないと思っていた。

 だが彼は来てくれた。
 どん底に落とされた遠羽を見つけ出し、名前を呼んでくれる。

「『必ず』迎えに来るって言っただろ」

 そう言って微笑んだ燐のやわらかい声色に、遠羽は静かに瞳を潤ませて、ぽろぽろと涙をこぼした。
 凍りついた心が溶かされていくようで、胸にじんわりとしたぬくもりが広がっていく。

「っ……ごめっ、なさ……申し訳……!」
「遠羽、お前の荷物は、ここにあるので全部か?」

 遠羽がわずかにうなずいたのを確認して、燐はぐるりと周囲を見回した。
 部屋、とは名ばかりのせまい室内には、いくつかの葛籠と薄っぺらい布団が一式。それと必要最低限の私物がわずかばかりあるだけ。

(こんな環境で、何年もひとりで……)

 遠羽の置かれた状況を想像するのはたやすい。だがそれは遠羽が本当に感じていた孤独や絶望からはほど遠いのだろう。

 もはや一刻の猶予もない。
 当初からそのつもりがあったとはいえ、一分一秒だって遠羽をこの場所に留まらせたくなかった。

「……遠羽、外の世界を、見てみたくはねぇか?」
「っ……!」

 顔を上げた遠羽の返事を待たずして、燐は彼女の体を抱き上げた。
 大した抵抗もできずに横抱きにされた遠羽は、咄嗟に燐の首元に腕を回して肩口に顔をうずめた。

 こうやって誰かの体温にふれたのは母が亡くなって以来。そのぬくもりの心地よさにすがりつきたくなる。

「宝来様! お待ちください!」

 だが鼓膜を振動させた声に、遠羽は全身をぎゅっと硬直させた。

 聞こえたのは切羽詰まった男の声。

 遠羽が助けてほしいと願った時には見向きもしなかった父の声だった。