あやかし瞳の花嫁

「遠羽、来なさい」
「……はい……」

 目尻に迫る落胆は、不甲斐ない父に対してのものか。それとも淡い望みを捨てきれなかった自分に対してか。

 うしろからついてくる異母妹(いもうと)に急かされながら、遠羽は先導する継母の背をおとなしく追いかけた。

 裏庭の片隅にある小さな離れは、亡き母と遠羽に与えられたもの。それは離れとは名ばかりの、もともとは納屋として使われていた小屋だった。

「ここから出ることは許しません。よく反省なさい」
「…………」

 継母によって開けられた木戸の向こうは、冷たい闇が広がっていた。
 長年住み慣れた空間であるはずなのに、どういうわけか遠羽は一歩が踏み出せない。

(……入ったら……もう、あの人には……)

 会えなくなるかもしれない。
 迎えに来てくれると約束したあの人に、もう二度と。

 そう思うと心がもやもやして、わだかまりが遠羽の足を躊躇させた。

「さっさと入りなさいよ! グズ!」
「っ!」

 愛莉の手が、遠羽の背を強く押す。
 前につんのめる形で土間に膝をついた遠羽の顔から、戌面がはずれて転がった。

「使用人のくせに、長い髪なんて必要ないでしょ? どうせ(ろく)に手入れもできやしないんだから」

 そう言うなり、愛莉が遠羽の髪を鷲掴みにする。
 倒れ込んだまま強引に頭を上げさせられ、遠羽は小さくうめいた。
 引っ張られた頭皮が痛む。
 うっすらとまぶたを上げれば、目の前で(きら)めいたのは出しっぱなしにしていた裁ちバサミだった。

「卑しい女には短い髪がお似合いよ」

 次の瞬間、頭が軽くなると同時に遠羽は再び土間に這いつくばった。
 愛莉の高笑いが響き渡り、頭上にはらはらと切られた髪が降る。

「せいぜい飢え死にしないようにすることね!」

 ぴしゃりと閉められた木戸に、(かんぬき)がかけられる。

「っ……う……ふっ……!」

 訪れた静寂と暗闇の中、押し殺した遠羽の苦しそうな声だけがこだまする。
 その場にうずくまったままの遠羽に、二匹の小鬼がそっと寄り添っていた。



 三日目の朝。
 母屋から聞こえる喧騒に目を覚ました遠羽は、腫れぼったいまぶたを無理やりにこじ開けて身を起こした。
 壁の上部に設けられた風通しのためだけの小窓から差し込む朝日に部屋を明るく照らすだけの力はなく、離れの中は薄暗くどこか陰鬱としている。

「…………」

 ぼんやりとした意識のまま、遠羽は枕元でキュウキュウと鳴く小鬼たちに視線をやった。

「……おはよう」

 かすれた声のまま小さく微笑(ほほえ)めば、小鬼たちは顔を見合わせてずいっと両手を前に出した。
 その手には小ぶりな豆大福がひとつと、湯呑に注がれた井戸水が一杯。

「ありがとう……でも、見つかったら、あなたたちが危ないから……」

 たとえ遠羽にしか見えていなくとも、自分のために二匹に危険な真似(まね)はしてほしくなかった。もしも、あやかしの見える誰かに小鬼たちが見つかってしまったら祓われてしまう。

「わたしなら、大丈夫だよ……」

 閉じ込められて食事を抜かれる経験は初めてではない。普段からおなかいっぱいになることも少なくないせいか、多少の空腹くらいなら大してなんとも思わなくなってしまった。
 それでも心配そうに見上げてくる小鬼たちに再度感謝の言葉をかけて、遠羽は光のすじを伸ばす小窓を見上げた。

(……今日が、約束の日……)

 かならず迎えにくると言ったあの人が、再びこの家を訪ねてくる日だ。
 だが遠羽の心は晴れなかった。

(……迎えになんて、来てくれるわけない……)

 使用人以下の扱いをされている自分を嫁にしたところで、あの人にはなんの見返りもない。そもそもが夢物語だったのだ。
 学もなく、令嬢としての嗜みもない自分より、すべてを持っている愛莉を選ぶに決まっている。

「わたしなんかを……」

 遠羽は背を丸めて膝をかかえると、うつろなまなざしのまま顔を伏せた。


◇◇◇◇◇


「これはどういうことか、説明していただいても?」

 玄関先の光景に、燐は怪訝そうに眉を寄せた。
 約束の日。宣言どおり椛山家を訪れてみれば、出迎えたのは豪華な色打掛をまとった愛莉である。

「燐様! ご覧になって! いただいた結納金で急いで仕立てさせましたの! さあ! 早く参りましょう!」

 見るからに浮かれた様子で、愛莉が燐の腕を絡め取ろうとする。
 名家の令嬢としてあるまじき振る舞いをたしなめるでもない両親に一瞥を送り、燐はため息とともに半身をずらした。

「俺の花嫁は、きみではないはずだが?」

 支度金を勝手に使い込んだことに関しては、この際どうでもいい。
 問題は、肝心の遠羽の姿が見えないことである。

「遠羽はどこだ」
「お言葉ですが宝来様、あの子に宝来家の嫁はつとまりませんわ。ここにおりますわたくしどもの娘、愛莉であれば、お役目を果たすのに申し分ないかと」

 家長を差し置いて、桐子が前に出て言った。
 そこからは夫婦そろっていかに愛娘が優れているかを並べ立てるのを、燐は辟易としながら聞き流していた。

「宝来様、ぜひ我が娘、愛莉を」
「俺が花嫁にと望んだのは遠羽だ」

 康之の言葉を遮って、燐は鋭い視線を向けた。冷気をまとった燐の有無を言わせぬ威圧感が突き刺さる。
 言葉を飲み込む康之に対して、諦めきれないのは桐子のほうだった。

「あの子は!」
「……」
「あの子は、恐れ多くも宝来様との結婚は荷が重いと、そう申しております。宝来様ともあろう方が嫌がる娘を嫁に取るなどと、そんな無体なことはなさらないでしょう?」
「……遠羽が、そう言ったのか?」
「もちろんでございます」

 力を込めてうなずく桐子に短く「そうか」と告げて、燐は小さく息を吐いた。
 彼女の言うことがどこまで本当かわからない。だがすべてを鵜呑みにする気もなければ、代わりに愛莉を娶る気も燐には微塵もない。

 遠羽でなければ意味がないのだ。

「ならば本人の口から聞こう。遠羽はどこだ」

 引く様子を見せない燐の態度に、桐子も閉口せざるを得なかった。
 それでも遠羽の居場所を告げないのは、桐子なりのわずかな抵抗だった。

「もう一度聞く。遠羽はどこだ」
「っ……!」