あやかし瞳の花嫁

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 帝都での買い物を終えて帰ってきてからの愛莉は、それはそれはご機嫌だった。
 置いていかれた遠羽に見せびらかすようにあからさまに家の中で着飾ってみせたかと思えば、レストランの食事のほうがおいしかったと遠回しに遠羽を蔑む始末。
 とはいえ遠羽のほうも、いつものことだと聞き流すにとどめて変わらぬ日々を過ごすこと二日。

 厨で昼食の準備に(いそ)しんでいた遠羽の耳に、玄関から呼び鈴の音が届く。
 一瞬玄関のほうへと顔を向けた遠羽だったが、すぐに彼女は目の前の炊事に戻った。

(お客様が帰られるまでは、ここに隠れてなきゃ……)

 桐子から人前に出るなときつく言い渡されているため、遠羽が椛山家の面々以外と接触することはない。

(そもそも、こんな面をつけてる人間と、関わりたいと思う人なんて……)

 いるわけないと、遠羽は自嘲ぎみに視線を落とした。

「愛莉! 愛莉すぐにいらっしゃい!」

 来客の対応に出たらしい桐子の声が、玄関先から響き渡る。
 興奮を隠しきれないその声色に、遠羽は二日前の買い物の品でも届いたのかしらと肩をすくめた。



 一方で、突如呼びつけられた愛莉は気だるそうに玄関へ向かうも、客の出で立ちを見るや目を輝かせた。

 紫鳥色(しうしょく)を思わせる詰襟の軍服に身を包んだ男の、隠しきれない気品と精悍な面持ち。
 くつろげた襟元さえ様になっていて、見るからに一般人とは異なる雰囲気はそれだけで彼がただものではないことを感じさせた。

「……素敵な方……」

 端正な顔立ちをした男がすらりとした長身をわずかに傾けると、ひとつに結われた長い黒髪が肩口をすべり落ちる。

「お母様! こちらの殿方はどなたなの!?」
「愛莉、静かになさい。こちらは」
「突然の訪問、ご容赦ください。宝来(たからぎ)(りん)と申します」

 口元にうっすらと浮かんだ笑みと切れ長のまなざしに愛莉が目を奪われないはずがなく、彼女は期待と興奮で顔を赤らめていた。

「宝来様、本日はどのようなご要件でしょうか?」

 心なしか声を上ずらせた桐子も、男の来訪に胸を踊らせていた。

(宝来家といえば、名門の中でもとりわけ帝とも近しいお家柄。玉の輿も夢じゃないわ!)

 愛莉も年頃の娘である。いつ殿方に見初められてもおかしくはない。
 開口一番に「お嬢さんを呼んでください」と言った男の言葉に、期待せずにいられようか。

「無礼を承知でお願いがございます。実は、うちのモノがこの家のお嬢さんに世話になったようでして」

 母娘の飢えたまなざしを一身に受けながら、燐は貼りつけた笑みを崩さずに上着の懐に手を忍ばせた。取り出した一枚の手ぬぐいを、二人の前に差し出す。

「この手ぬぐいの持ち主を、ぜひ当家に迎え入れたく存じます」
「っ!? そ、れは……!」

 手ぬぐいを目にしたとたん、桐子の顔色が変わる。愛莉のものではないことは一目瞭然だった。
 それどころか、手ぬぐいの端に刻まれたひかえめな刺繍は自分が忌み嫌っているもの。

(この手ぬぐい……まさかあの子の……!?)
「あたしのです!」

 母の顔色を知ってか知らずか、すかさず愛莉が身を乗り出して声を上げる。

「あたしがその手ぬぐいの持ち主ですわ!」

 愛莉にとっては持ち主が誰であろうと関係なかった。舞い込んできた千載一遇の機会である。ここで引き下がる理由はどこにもない。

(言った者勝ちよ! 宝来家に入れば今以上に裕福な生活は保証されてるし、旦那様がこんなにも見目麗しい方なら言うことなしだわ!)

 さっそく明日にでも女学校でうわさになっているに違いないと、愛莉は内心でほくそ笑む。

(この方が持ち主を知らないのがいけないのよ。だから、あたしが代わりに幸せになってあげる!)

 きらきらと目を輝かせる愛莉を、燐は口元に笑みを浮かべたままじっと見つめていた。
 ゆっくりと近づくまなざしに、自然と愛莉の胸に期待がふくらむ。

「燐、様……」
「卑しい目だな」
「え……?」

 燐の口から発せられた言葉に、愛莉は一瞬耳を疑った。
 それまでの端麗な仕草とはかけ離れた響きの意味を理解する間もなく、燐の視線が愛莉から離れていく。

「どうやらきみは、俺の捜し人ではないらしい」

 ふっと短く鼻息だけで笑った燐が、鋭い視線を桐子に向けた。

「もうひとり、お嬢さんがいらっしゃいませんか?」
「あ、の、それは……」

 有無を言わせぬ燐の声色に、桐子はおもわず言い(よど)んだ。

(あの子の存在は誰も知らない……今さら外になんて、出せるわけない……!)

 夫がどこからか連れ帰った妾のことも、産まれた赤ん坊のことも、ずっと世間にひた隠しにしてきたのだ。
 彼女が世間の目にふれる。ましてや宝来家の嫁になんてなれば、これまでの自分たちの醜聞が公にさらされるかもしれない。
 桐子はつとめて平常心を装うと、こわばった笑みを燐に向けた。

「いえ、この家の娘は、ここにおります愛莉だけで」
「失礼」

 桐子の言葉を遮って、燐が視線を家の奥へと飛ばす。
 長い廊下の柱の影から、二匹の小鬼がひょっこりと顔を覗かせていた。

(悪さをするようなモノではないか……)

 燐に自分たちの姿が見えているのを察したのだろう。
 小鬼たちは互いに顔を見合わせると、転がるようにして廊下に躍り出た。
 キュウキュウとか細く鳴いて廊下を少し進んでは、催促するように振り返って燐を見る。

「宝来様……?」
「……この家のモノが、案内をしてくれるらしい」

 そう言うなり、燐は躊躇なく家に上がり込んだ。
 あっけにとられる桐子と愛莉をよそに、燐の足は迷いなく家の奥へと向かっていく。

「っ! お待ちください! 宝来様!」

 慌てて追いかけてきた桐子の制止の声もむなしく、玄関から一番遠い厨の木戸が開け放たれた。