あやかし瞳の花嫁

「あ……お継母(かあ)様……」
「あなたの母になった覚えはありません」

 まるで害虫を見るように細められた目線に耐えきれず、遠羽は再び床にへばりつく。

「も、申し訳、ありません……」

 同じ椛山の姓をもつ娘であるのに、どうしてこうも扱いに差があるのか。
 その理由はわかりきっていたけれど、どうしようもなく情けなく思えて遠羽は小さく唇を噛んだ。

(泣いちゃだめ……泣いたら、もっと怒られる……)

 物心がついた頃から、桐子に嫌われているのはわかっていた。
 父の本妻である桐子からしたら、妾の子など邪魔者以外の何物でもないだろう。しかも自分よりも先に妾が懐妊したともなれば余計に。

「お母様どうしましょう! あのワンピースが着れないんじゃ、女学校に行けないわ!」

 耳の奥をつんざくような愛莉の声が、遠羽を現実へと引き戻した。
 このまま愛莉の癇癪が再燃すれば、また暴力を振るわれかねない。
 どうにか桐子が娘の機嫌をとってくれることを願いながら、遠羽は人知れず身を固くした。

「愛莉、先週お父様に買っていただいた袴があるでしょう? あれではいけない?」
「だけどあれは、来月の園遊会に着ていくはずでしょ!?」
「それならまた新しいのを買いに行きましょう。事情を知れば、お父様だって理解してくださいます。それでいい?」

 桐子の提案に、愛莉は「ええ! いいわ!」と上機嫌だった。
 善は急げとばかりにそそくさとタンスをひらく愛莉の鼻歌が、いやに耳の奥に響いてくる。

「……遠羽」
「……はい……」

 桐子の感情のない呼びかけに、遠羽は顔を上げて継母を見上げた。
 やはり返ってきたのは冷ややかな一瞥で、桐子はすぐに視線をそらして遠羽を視界から追い出してしまう。

「いつまでその気味の悪い目を出しておくつもりですか」
「っ! も……申し訳、ありません……」

 ひどく冷たく淡々とした口調に、遠羽は慌てて戌面に手を伸ばした。

「もうすぐお父様が起きてらっしゃいます。早く朝食の準備をなさい」

 桐子の有無を言わせぬ声色に、遠羽は短く返事をして逃げるようにその場をあとにした。



 朝食の用意を整えて、遠羽は廊下に面した居間の片隅で息をひそめていた。
 桐子と愛莉の談笑を聞かぬように、意識を廊下の奥へと集中させる。

(どうせ、わたしには関係のないことだもの……)

 華々しい女学校での生活など夢のまた夢。遠羽にとっては縁遠い話である。

(住むところがあるだけでも、ありがたいと思わなくちゃ……)

 二人の会話が一時的に途切れた瞬間、低い足音が廊下の奥から近づいてくる。
 朝日に照らされて室内に伸びた影に、遠羽は三つ指をついて頭を下げた。

「おはようございます、お父様」

 だがそこに返ってくる声はない。
 ただ畳を踏む足音だけが、遠羽の頭上を通過していった。

「愛莉、その服は園遊会に着ていくんじゃなかったのかい?」

 座布団に腰を落ち着けるなり、父―康之(やすゆき)は愛莉を見て言った。

「お父様聞いて! 遠羽ったらひどいのよ!?」

 待ってましたとばかりに身を乗り出した愛莉が、今朝のできごとをそれは大げさに話して聞かせていた。

 いつだって悪者にされるのは遠羽ばかり。
 唯一の肉親であるはずの父も遠羽をかばうことなく、愛莉の話をうんうんと聞くだけである。

「だからねお父様、園遊会に着ていく服がなくて困ってるの。新しいのを買ってもいいでしょ?」

 流れるように父に服をねだる愛莉に感心しつつも、遠羽は自分の着物を見つめた。

(小さい頃は、愛莉様のおさがりだったけど……)

 成長の止まった今では服のサイズが大きく変わることもなく、当然、愛莉のおさがりが回ってくることもない。
 もっぱら亡き母の着物を繕いながら、大切に着ている次第である。自分だけの新しい服を買ってもらった記憶はない。

「愛莉、学校は昼までだったかな?」
「ええ!」
「なら、昼から三人で帝都に買い物に出ようか。どうだ?」
「いいですわね!」

 当たり前のように遠羽のことなど眼中にない様子で盛り上がる三人をよそに、遠羽はふいっと庭に視線をやった。
 庭先で小鳥とたわむれる小鬼たちの無邪気さに、ささくれた心が癒やされていく気がする。

(おなか、すいたな……)

 早く三人の食事が終わればいいのにと、遠羽はそっと視線を伏せた。

「ねえー! あたし今日は赤味噌の気分なんだけどぉー!」

 鼓膜を揺らした愛莉の声に、遠羽ははっとして居間の中央へと顔を向けた。
 並ぶ朝食は三人ぶん。一緒に食卓を囲むことを許されない遠羽は、部屋の片隅で小さくなりながら三人の視線を受け止めた。

「聞こえないの? グズ。今日は白味噌の気分じゃないって言ってんの!」

 愛莉の声色が怒気を含み始めるのと同時に、遠羽と康之の視線がぶつかった。しかしそれは父のほうからはずされる。

「作り直しなさい、遠羽」
「……はい」

 とても娘に向ける声色ではない冷淡な響きが、やけに乾いた空気を震わせた。

 遠羽は日の当たらない居間の片隅から腰を上げると、そそくさと(くりや)へと足を向けた。



 厨に行けば、いつのまにやら庭で遊んでいたはずの小鬼たちが(かまど)に薪を()べていた。

「ありがとう……手伝って、くれるの?」

 遠羽の声に応えるかのように、小鬼たちはキャッキャと手を上げて跳ねてみせた。
 遠羽が小ぶりな鍋を火にかけると、小鬼たちは戸棚の下から赤味噌を引っ張り出してくる。
 ふらふらとふらつきながら運ばれてきた小壺を手に取って、遠羽は心配そうに自分を見上げる小鬼たちの頭をなでた。

「大丈夫……愛莉様のわがままは、今に始まったことじゃないから……」

 こういう場合に備えて味噌を溶かす前の状態で取り置しておくのを学んだのは何年も前のこと。愛莉の唐突な思いつきや理不尽な要求に振り回されるのも慣れたものである。
 それでも今朝のように言いがかりをつけられることは(めずら)しくはないのだけれど。

 遠羽は汁椀をお盆に乗せると、冷めないうちにと急いで居間へと舞い戻った。

「おっそーい。さっさとしなさいよグズ」

 居間に戻るなり浴びせられた罵詈をたしなめるでもなく、康之も桐子も素知らぬ顔で箸を口に運んでいた。
 いつものこととはいえ、遠羽だって傷つかないわけではない。だがそれを態度に出せるはずもなく、遠羽は喉の奥を震わせながら汁椀を愛莉の前に置いた。

「お待たせいたしました……」
「もういらないわ。目ざわりだから、早く出ていってくれない?」

 礼を言われることなど期待していない。言われたこともない。
 遠羽は面の下で小さく唇を噛むと、黙って頭を下げたまま居間をあとにする。
 手にしたお盆をぎゅっと握って、こみ上げる感情を飲み込んだ。

 厨へと逃げ帰る遠羽を見送る庭先の、その奥の茂みから、かすかな鈴の音がひとつ空気を震わせていた。