◇◇◇
「で? なにかわかったんすか?」
慧が淹れたばかりのコーヒーをデスクに置くと同時に、燐は深々とため息をついた。
あやかしが関わる事件もなく平穏な日々が続いているというのに、我らが隊長は眉間にしわを寄せて至極不機嫌そうである。
否、不機嫌というよりは、不可解な点が多すぎて答えを見いだせないような、迷宮の出口が見えず途方に暮れているような、そんな雰囲気だ。
「椛山家の血継録、実家から持ち出してきたのバレたら、兄さんに殺されるんすからね」
冗談めかして苦笑する慧に、燐はわかっているとでも言いたげに再度ため息をこぼした。
デスクの上に広げられている古びた冊子には、家系図とともに先祖代々の異能の詳細が記録されている。
血継録を管理している小和瀬家の書庫には膨大な量の記録が保管されており、その中から椛山家のものを持ち出してくるように慧に指示したのは一か月前のこと。
「あやかし瞳は、強い異能が顕著に現れた結果だ。だが先祖に異能持ちがいなければ、受け継がれるはずがない」
「椛山家には、それが『ない』と……」
「ああ、届け出が出ている範囲でな」
能力の大小に関わらず届け出ることが決められている異能の記録が、どこまで正確に網羅できているのかはわからない。だが記録に残されていないということは、異能持ちは生まれていないということ。もしくは異能があっても力が弱すぎて気づかれなかったか。
「あの家族が遠羽さんにしていたことを考えれば、わざと届け出なかった可能性もなきにしもあらずっすけどね」
さすがに先祖代々あの性格の悪さが遺伝するわけないかと、慧はけたけたと笑った。
「まあ確率でいえば女系のほうが遺伝しやすいって言われますし、代々の婚家をしらみ潰しに調べるしかないっすかねー」
これは骨が折れそうだと肩をすくめる慧を横目に、燐は冊子に記された家系図を指でなぞった。康之と桐子に連なる名は愛莉だけで、そこに遠羽の名はない。
「直近で言えば、椛山桐子が日根野家の遠縁だが……」
五行宗家がひとつ、日根野家には現在異能持ちは確認されていない。ずいぶんと前からその血継は絶えてしまったらしく、今もなお五行宗家に名を連ねているのはひとえに長年の功績によるものが大きい。
「けど遠羽さんは、桐子さんの子じゃないでしょう?」
手に持ったままのコーヒーに口をつけながら、慧があっさりと可能性のひとつを潰す。
「遠羽の血継は、十中八九、実の母親から継いだものだろうな」
「じゃあ遠羽さんに直接聞けば早いじゃないっすか。母親の旧姓さえわかれば、いくらでも血継録を探せるんすから。僕が小和瀬でよかったっすねー」
さも問題は解決したと言わんばかりの慧に対して、燐は神妙な面持ちのまま冊子を閉じる。
「…………知らないんだ」
「へ?」
「遠羽は母親のことについてなにも知らない。母親本人が話さなかったんだろう」
以前それとなく遠羽にたずねてみたが、彼女はくわしいことはなにも聞かされていないらしかった。
母親の旧姓はもちろん、生い立ちも素性もなにもわからない。記憶にあるのは母娘の優しい思い出ばかりで、遠羽がなにかを隠しているようなそぶりも見受けられなかった。
「つまり、母親には身元を隠さなくちゃならねぇ事情があったってわけだ」
「それが、血継に関わること……」
「ああ……おそらく、遠羽に彩雲瞳が現れたことの理由になる」
(とはいえ、子どもに彩雲瞳が現れるほどの強い異能……いくらなんでも隠しとおせるか?)
康之と桐子が遠羽を表に出さず虐げていたことから、二人も母親の血継について知らなかったのだろう。あの家族のことだから、知っていれば遠羽ともども利用したはずである。
(康之も、自分の妾がどこの生まれか知らなかったか、あるいは……)
知っていたが期待どおりにならなかったか。
少なくとも正式な手順で囲った相手ではないのだろう。
康之を問い詰めるのは簡単だが、あの男が自分の非を認め、洗いざらい吐くとは到底思えない。
「……慧、遠羽の母親の身元を探れ」
遠羽同様に存在を隠されていた人間。それもすでに鬼籍に入った者の素性を調べるのは容易なことではない。
だが燐は、慧の諜報能力には一目を置いていた。彼を側近としているのも、そこに全幅の信頼があるからにほかならない。
「なんでもいい。母親が椛山家に来た時期、その前後の康之の行動、遠羽以外に墓参りに来る人間……どんなささいなことでも手がかりになるはずだ」
燐の指示をひととおり耳に入れたあと、慧は「僕は別に構いませんけど……」と前置きするとおもむろに小首をかしげた。
「そうやってこそこそ嗅ぎ回って、遠羽さんに嫌われても知りませんよ?」
慧の言葉に、燐はなんのことだとばかりに怪訝そうな顔をしていた。
本当に理由がわかっていなさそうな燐の反応に、慧も肩をすくめるしかない。
「あーあ、こんな乙女心もわかんない人に嫁いじゃうなんて、遠羽さんもかわいそう……」
自分の知らないところで自分でも知らないことを調べられて、おもしろがる人間なんているわけがない。少なくとも自分なら、相手に対して嫌悪すらいだいただろう。
「まあ隊長の命令っすからね。期待してくれていいっすよ」
そう言うと慧は笑みを浮かべたまま、いまだに納得ができていなさそうな上司に背を向けてひらひらと手を振った。
「で? なにかわかったんすか?」
慧が淹れたばかりのコーヒーをデスクに置くと同時に、燐は深々とため息をついた。
あやかしが関わる事件もなく平穏な日々が続いているというのに、我らが隊長は眉間にしわを寄せて至極不機嫌そうである。
否、不機嫌というよりは、不可解な点が多すぎて答えを見いだせないような、迷宮の出口が見えず途方に暮れているような、そんな雰囲気だ。
「椛山家の血継録、実家から持ち出してきたのバレたら、兄さんに殺されるんすからね」
冗談めかして苦笑する慧に、燐はわかっているとでも言いたげに再度ため息をこぼした。
デスクの上に広げられている古びた冊子には、家系図とともに先祖代々の異能の詳細が記録されている。
血継録を管理している小和瀬家の書庫には膨大な量の記録が保管されており、その中から椛山家のものを持ち出してくるように慧に指示したのは一か月前のこと。
「あやかし瞳は、強い異能が顕著に現れた結果だ。だが先祖に異能持ちがいなければ、受け継がれるはずがない」
「椛山家には、それが『ない』と……」
「ああ、届け出が出ている範囲でな」
能力の大小に関わらず届け出ることが決められている異能の記録が、どこまで正確に網羅できているのかはわからない。だが記録に残されていないということは、異能持ちは生まれていないということ。もしくは異能があっても力が弱すぎて気づかれなかったか。
「あの家族が遠羽さんにしていたことを考えれば、わざと届け出なかった可能性もなきにしもあらずっすけどね」
さすがに先祖代々あの性格の悪さが遺伝するわけないかと、慧はけたけたと笑った。
「まあ確率でいえば女系のほうが遺伝しやすいって言われますし、代々の婚家をしらみ潰しに調べるしかないっすかねー」
これは骨が折れそうだと肩をすくめる慧を横目に、燐は冊子に記された家系図を指でなぞった。康之と桐子に連なる名は愛莉だけで、そこに遠羽の名はない。
「直近で言えば、椛山桐子が日根野家の遠縁だが……」
五行宗家がひとつ、日根野家には現在異能持ちは確認されていない。ずいぶんと前からその血継は絶えてしまったらしく、今もなお五行宗家に名を連ねているのはひとえに長年の功績によるものが大きい。
「けど遠羽さんは、桐子さんの子じゃないでしょう?」
手に持ったままのコーヒーに口をつけながら、慧があっさりと可能性のひとつを潰す。
「遠羽の血継は、十中八九、実の母親から継いだものだろうな」
「じゃあ遠羽さんに直接聞けば早いじゃないっすか。母親の旧姓さえわかれば、いくらでも血継録を探せるんすから。僕が小和瀬でよかったっすねー」
さも問題は解決したと言わんばかりの慧に対して、燐は神妙な面持ちのまま冊子を閉じる。
「…………知らないんだ」
「へ?」
「遠羽は母親のことについてなにも知らない。母親本人が話さなかったんだろう」
以前それとなく遠羽にたずねてみたが、彼女はくわしいことはなにも聞かされていないらしかった。
母親の旧姓はもちろん、生い立ちも素性もなにもわからない。記憶にあるのは母娘の優しい思い出ばかりで、遠羽がなにかを隠しているようなそぶりも見受けられなかった。
「つまり、母親には身元を隠さなくちゃならねぇ事情があったってわけだ」
「それが、血継に関わること……」
「ああ……おそらく、遠羽に彩雲瞳が現れたことの理由になる」
(とはいえ、子どもに彩雲瞳が現れるほどの強い異能……いくらなんでも隠しとおせるか?)
康之と桐子が遠羽を表に出さず虐げていたことから、二人も母親の血継について知らなかったのだろう。あの家族のことだから、知っていれば遠羽ともども利用したはずである。
(康之も、自分の妾がどこの生まれか知らなかったか、あるいは……)
知っていたが期待どおりにならなかったか。
少なくとも正式な手順で囲った相手ではないのだろう。
康之を問い詰めるのは簡単だが、あの男が自分の非を認め、洗いざらい吐くとは到底思えない。
「……慧、遠羽の母親の身元を探れ」
遠羽同様に存在を隠されていた人間。それもすでに鬼籍に入った者の素性を調べるのは容易なことではない。
だが燐は、慧の諜報能力には一目を置いていた。彼を側近としているのも、そこに全幅の信頼があるからにほかならない。
「なんでもいい。母親が椛山家に来た時期、その前後の康之の行動、遠羽以外に墓参りに来る人間……どんなささいなことでも手がかりになるはずだ」
燐の指示をひととおり耳に入れたあと、慧は「僕は別に構いませんけど……」と前置きするとおもむろに小首をかしげた。
「そうやってこそこそ嗅ぎ回って、遠羽さんに嫌われても知りませんよ?」
慧の言葉に、燐はなんのことだとばかりに怪訝そうな顔をしていた。
本当に理由がわかっていなさそうな燐の反応に、慧も肩をすくめるしかない。
「あーあ、こんな乙女心もわかんない人に嫁いじゃうなんて、遠羽さんもかわいそう……」
自分の知らないところで自分でも知らないことを調べられて、おもしろがる人間なんているわけがない。少なくとも自分なら、相手に対して嫌悪すらいだいただろう。
「まあ隊長の命令っすからね。期待してくれていいっすよ」
そう言うと慧は笑みを浮かべたまま、いまだに納得ができていなさそうな上司に背を向けてひらひらと手を振った。

