あやかし瞳の花嫁

◇◇◇


 翌日、白いシャツに上着を羽織った燐はひと足先に玄関で靴を履いた。

(焦ってる、わけじゃねーんだがな……)

 昨夜遅く、木蓮に言われたことを振り返る。遠羽を連れ出すのはいいが、無理はさせるなと散々に言い含められたのだ。
 まるで保護者みたいだなとからかえば、木蓮は顔を赤くして怒りつつもどこかうれしそうにしていたが。

(まあ本人も嫌な顔はしなかったからな、大丈夫だろ)

 そう思い至ってひと息つけば、屋敷の奥からパタパタと廊下を駆ける足音が聞こえてきた。

「お、お待たせしました……!」

 燐が顔を向けると、小走りで遠羽が姿を見せた。
 淡い色合いのワンピースはもちろん燐が贈ったもので、いつも着物ばかりの遠羽の見慣れぬ姿におもわず息を飲んだのは内緒である。

 細やかな編み込みが顔の輪郭を華やかに縁取り、薄く施された化粧が遠羽の表情に彩りを添えている。
 普段は着物に隠されている膝下が、揺れるワンピースの裾から遠慮がちに伸びていた。

「……あ、あの……変、じゃ、ないでしょうか?」

 無言のままの燐の反応に、遠羽は少々不安を感じていた。
 木蓮に言いくるめられるがまま着替えはしたものの、やはり似合っていないのではないか。やはりいつもどおり着物にすべきだったのではないかと、ぐるぐると負の思考が頭をよぎる。

(やっぱり、こんな素敵なお洋服、わたしにはもったいない……)

 せっかく燐に贈られた品も、自分ではその価値を十分に活かしきれないのではないか。
 やはり外見をいくら装ってみても、伴わない内面はごまかしきれないのではないか。
 かといって今から着替え直すのは、燐を待たせてしまうことになる。それはさすがに申し訳ないので、今日一日は耐えるしかあるまい。

(うぅ〜……今度からは、いつもの着物で)

「思ったとおりだな……」
「え?」
「よく似合ってるじゃねーか」

 それがお世辞でもなんでもないことは、燐の表情を見れば明らかだった。

「ほ、本当に……?」
「俺がお前に似合わねーもん贈るわけねぇだろ」

 ついつい出先で女物の衣類や小間物を気に留めてしまうのも、遠羽と出会ってからである。
 はじめのうちは恐縮して素直に受け取ろうとしなかった遠羽も、今では遠慮しながらも受け入れてくれるようになったのはよろこばしいかぎりだ。
 木蓮には、いい加減にしろと怒られたが、本音を言えばもっとあれもこれも買い与えてやりたい。

(庇護欲ってやつかねぇ……)

 自分の選んだ品で着飾った遠羽を連れ歩きたいと思うのは、男の心情としては自然なことであろう。

「遠羽」

 やわらかく目尻を下げた燐に、遠羽も照れくさそうに笑みを返す。

「お手をどうぞ」

 差し伸べられた手を取って、遠羽は揃えられた靴につま先を乗せた。
 かかとの高いパンプスは、履き慣れない遠羽のためにとストラップつきである。

 わざわざ燐が跪いてストラップを留めるのを、遠羽は逃げることも叶わず慌てふためくしかない。

「申し訳ありません……! 燐さんのお手を煩わせてしまって」
「いいんだよ。俺がしたくてやってる」
「でも……!」
「でもも申し訳ありませんもナシだ」

 遠羽のひたいを指先で小突いて、燐はさりげなく腕を差し出した。
 遠慮がちに手を絡めた遠羽の頬が赤く染まっているのを横目に見ながら、ともに門へと向かう。
 茶化したそうにしている御者を視線で黙らせて、燐は遠羽を馬車に乗せた。

「あの、燐さん」
「ん?」
「どうして、急におでかけなんて……」

 馬車が走り出してすぐに、遠羽は上目づかいに燐を見た。
 昨日からずっと気になっていたのだ。

 嫁いでこのかた、遠羽は屋敷の外に出たことはない。それを不便に感じたことはないし、不満に思ったこともない。
 にもかかわらず、燐は前ぶれもなく外出しようと言い出した。驚きと同時に、どうして今になってと疑問に思わずにはいられなかった。

「ああ……お前、昨日慧に顔を見られても平気だったろ?」
「……言われてみれば……」

 以前の遠羽なら面がないだけでうろたえていたし、素顔を覗き込まれようものなら必死で隠れようとしただろう。
 だが慧に見つめられても反応に困っただけで、嫌悪感は感じなかった。

「だからだ。そろそろ屋敷の外に出ても大丈夫なんじゃねーかと思ってな」

 外に出るということは、遠羽にとってはなかなかに壁が高い問題である。
 面をしないことに慣れたとはいえ、あやかし瞳が他人の目を引くことは必至。その視線に耐えられるだろうか。

「まあ、はじめっから人の多いとこに行く気はねぇよ。俺も人混みは苦手だしな」

 燐の言葉に、遠羽も少し安堵した。

(燐さんと一緒なら、がんばれそう……)

 大衆に囲まれることはまだ怖い。だが燐が隣りにいてくれるなら、少しだけ前を向ける気がした。

 馬車はいつの間にか帝都の町中を進んでいて、遠羽はふと目をやった車窓の景色におもわず目を輝かせた。

「わあ……!」

 レンガ造りの建物が並ぶ街道と昔ながらの木造建築。開放された店先では、年頃の娘たちがなにかを手に取り楽しそうに談笑している。

「そんなに珍しいもんでもねぇだろーに」

 そうは言われても、外の世界を知らない遠羽にとっては目に映るすべてが新鮮で心躍らされる対象である。

 椛山家にいた頃はもっぱら、外出は月に一度の墓参りのみ。それも闇に閉ざされた深夜のことであったから、遠羽が初めての帝都の街並みに驚くのも無理はない。

 実を言えば燐の屋敷へ向かう道中もこの街道を横切ってはいるのだが、あの時の遠羽には車窓の景色を楽しむ余裕などなかっただろう。

「燐さん、ここはいろんなお店があるんですね」

 窓枠に手をかけて子どものようにきょろきょろと顔を振る遠羽の様子に、燐もいつしか目尻を下げて小さな笑みを浮かべていた。

「今度また連れてきてやる。それまで楽しみにしとけ」
「はいっ……!」

 うれしそうに表情をほころばせた遠羽が小さく「楽しみです」とつぶやくのを、燐は微笑ましそうに眺めていた。