あやかし瞳の花嫁

「遠羽様は、本当に椛山家のご令嬢なのですか?」

 木蓮の言葉に、燐は思考を止めて眉間にしわを寄せた。

「そのはずだが……なにか気がかりでもあるのか?」
「気がかり、と言いますか……遠羽様の内に秘められたものは、もっと神聖なものである気がするのです。それがなにかはワタシではわかりかねますが……少なくとも遠羽様は、末席の人間ではないはずです」

 それは人ならざる木蓮だからこそ感じた違和感だろう。
 人間ではわからないわずかな霊力のにおいから、彼女は遠羽の出生に疑念をいだいている。

「やっぱ、くわしく調べてみねぇとだめか……」

 遠羽があやかし瞳の中でも稀有な彩雲瞳を持っていること。その理由は単純なことではなさそうである。

(こりゃ、ひと筋縄じゃいかねぇかもな……)

 世間から隔離されていた彼女が自分自身のことについてどこまで知っているかはわからない。
 だが名家の生まれでありながら、あやかし瞳について知らされていなかったくらいだ。おそらく彼女から真相を聞き出すことは無謀に近い。

「木蓮、彼女を……遠羽を気にかけてやってくれ」
「お任せください」

 燐の言葉に、木蓮は静かに(こうべ)を垂れた。


◇◇◇


 翌日、白んできた空の明るさを感じて目を覚ました遠羽は、手早く身支度を整えると、様子をうかがうように廊下に顔を出した。
 屋敷の中はまだ寝静まっているらしく、式神たちの姿はない。

(よし……!)

 胸の内で小さく気合を入れて、遠羽は足早に廊下を進んで厨に向かった。
 近づくにつれて厨からは朝食の準備に勤しむ気配が聞こえて、遠羽はわずかに歩調を早める。

「あのっ……おはようございます」

 木戸の隙間からひょっこりと姿を現せば、式神たちがいっせいに遠羽を見て驚いた表情をしていた。

「遠羽様? こんなに朝早くどうされたのです?」

 奥にいたらしい木蓮が、前掛けで手をぬぐいながら慌てた様子で駆け寄ってくる。

「あの、朝食の準備を、と思って……」
「遠羽様にそんなことはさせられません!」
「そうです! 遠羽様はゆっくりなさっててください!」

 木蓮がなにかを言う前に、ほかの式神たちが我先にと口をひらいた。
 まだ寝ていていい、無理しなくていいと、口々にそう言って遠羽を部屋へと追い返そうとする。
 遠羽はもう使用人ではないのだ。奥方に雑用なんてさせられないと、式神たちも必死である。

「いいえ、ご迷惑でなければ、お手伝いさせてください」

 だが遠羽とて、軽い気持ちでここに来たわけではない。
 この家に迎えてもらって、この家の一員として、できることはないか。
 ひと晩じゅう考えた末に、自分にできるのは家事しかないと思い至ったのである。

「みなさんには、とても良くしていただいています。感謝してもしきれないくらいです。だから、わたしもなにか、お役に立ちたいのです……!」

 迷惑をかけているかもしれない。差し出がましいお願いをしているのは重々承知している。
 それでも、いつまでもお客様扱いは嫌だった。

「お願いします……! 身ひとつで来たわたしにできることなんて、これくらいしかありませんから……」

 深々と腰を折る遠羽の姿に、誰もなにも言えなくなってしまった。

 沈黙が痛い。だけどここで引くわけにもいかなくて。
 遠羽は返ってこない反応に、前掛けをぎゅっと握った。

「……遠羽様、顔を上げてください」

 頭上から、木蓮のやわらかい声色が降ってくる。
 おそるおそる上体を起こせば、彼女は慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。

「ワタシのほうこそ、出すぎたまねをいたしました。ワタシどもは、遠羽様にゆっくり過ごしていただきたかっただけなのです」

 この家に来る前の、椛山家での遠羽の生活については小鬼たちから聞いた。
 名家の令嬢でありながら必要な教育も受けられず、使用人以下の扱いをされ、家族から手酷く虐げられてきたと。

 その事実はひと晩のうちに屋敷の式神全員が知るに至り、誰もが遠羽には心穏やかに過ごしてもらいたいと願っている。
 だが真綿に包んで大事に大事に仕舞われることは、彼女の自由を、彼女の意志を封じ込めてしまうことになる。

(遠羽様には、もっとのびのびと生きていただきたい。であれば、ワタシはその手助けをするまで)

「遠羽様?」
「木、蓮さん……」
「ここは遠羽様の家です。迷惑だなんてとんでもない。遠羽様は、ご自身が望まれるままに過ごしていただいていいんですよ」

 主人の気持ちを汲むことも、式神としての務めである。燐に言われたからではなく、木蓮は個としての意志で遠羽に仕えたいと思っているのだから。

「それじゃあ、あの……お手伝いしても……?」

 たどたどしく先ほどと同じ要望を口にする遠羽に、木蓮はにっこりと笑ってうなずいた。

「もちろんです。こちらこそ、お願いいたします」
「はい……!」

 とたんに、遠羽はぱあっと表情を明るくして、いそいそと式神たちの輪に加わった。



 それから少しして、身支度を整えた燐が居間に姿を見せた。
 座卓にはすでに二人ぶんの朝食の用意がなされ、燐が着席すると同時に、味噌汁を乗せた盆を手に遠羽が顔を覗かせる。

「おはようございます、燐さん」
「ああ、おはよう、遠羽」
「っ……!」

 返ってきた声に、遠羽はおもわず足を止めてしまった。

「どうした?」
「い、いえ……! すぐに用意しますね」

 そう言って遠羽は手早く椀を並べると、自分も燐の向かい側に腰を落ち着けた。

「いただきます」

 無駄のない所作で燐が箸を伸ばすのを、遠羽は緊張した面持ちで見つめていた。
 厨の手伝いをすることを木蓮は歓迎してくれたが、寝ていた燐の許可は得ていない。

(ばれたら、叱られるかな……?)

 遠羽がごくりと乾いた空気を飲み込んだ瞬間、味噌汁に口をつけた燐の動きが止まる。
 座卓に椀を戻したかすかな音が、やけに部屋に響いた気がした。

「木蓮、味噌変えたか?」

 燐の言葉に、遠羽は息を飲んで肩をこわばらせた。

(やっぱり、いつもの味のほうが、いいに決まってる……!)

 木蓮には調合を聞いたが教えてもらえなかった。
 それどころか、遠羽の味でいいと言われたのだ。そのほうが燐がよろこぶと。
 だがその家にはその家の味付けがある。普段と違う味つけに燐が気づかないはずがない。

「今日のお味噌汁は、遠羽様が作ってくださったんですよ」

 近くに控えていた木蓮がそう言うなり、遠羽は膝退(しったい)して畳に指をついた。

「も、申し訳ありません……! 勝手をいたしました……!」

 居間が沈黙包まれる。
 許可を得なかったことも、味を変えてしまったことも、すべて自分に非があるのは明白。追い出されても文句は言えない状況である。

 畳の目を見つめたまま、遠羽は喉の奥をきゅっと引きつらせて沙汰を待った。