あやかし瞳の花嫁

「さあさ! (うたげ)はここまで。片付けますよ!」

 宴もたけなわ。両手を二回ほど打ち鳴らした木蓮の合図で、式神たちはいっせいに腰を上げた。
 あれよあれよという間に食べ散らかした食器が運ばれ、空いた酒瓶が片づけられていく。

(わたしも、なにかお手伝いを……)

 先に湯浴みを済ませた遠羽も、羽織ごと小さく袖をまくって座布団に手を伸ばした。

「いけません遠羽様」

 だが座布団を拾い上げる前に、木蓮の手がやんわりと肩を掴んで遠羽に上体を起こさせた。
 その隙に小さな式神が座布団をかかえて走り去ってしまう。

 行き場を失った手を空中に伸ばしたまま、遠羽は戸惑いがちに木蓮を見上げた。

「遠羽様、ここではワタシどもがおりますゆえ、どうぞ安心してお任せください」
「え……でも……」

 木蓮たちに悪意がないことはわかっているが、遠羽はどうもじっとしていることが苦手なようだ。
 周囲でいそいそと片づけに励む式神たちを目で追いながら、遠羽は少々沈んだ気持ちになった。
 少しでも役に立ちたいのに、なにもさせてもらえないことが逆にもどかしい。

「おヨメさまは今から大事な時間なの!」
「ご主人と一緒なの!」
「一緒に休むの!」
「だそうだ。行くぞ、遠羽」

 足元で見上げてくる小さな式神たちが口々に言う。
 なんのことかと首をかしげていれば、燐にするりと手を取られて広間から連れ出される。

「遠羽様、燐様、おやすみなさいませ」
「おやすみなさぁーい!」
「また明日ねー!」

 遠ざかっていく広間からの声を背に受けながら、遠羽は先を行く燐のうしろをついていった。
 着流し姿の彼の髪はまだ少し湿っていて、石鹸の香りが風に乗ってかすかに鼻先をくすぐる。

(……待、って? 祝言、終わったってことは……)

 本来なら別れるべき曲がり角を通りすぎて燐が向かっているのは遠羽の部屋。
 そのことに気がついて、遠羽は人知れず息を飲んだ。

 祝言のあとには当然初夜が待っている。夫婦となった男女が初めての夜を迎えるのは当然の習わしで。

(だけど、そんな、心の準備が……!)

 そもそもこの婚姻は、彩雲瞳をもつ遠羽を迎えるためのただの手段のひとつであって、夫婦の営みは必ずしも必要ではないはず。このことの関して特に言及はされなかったし、遠羽もそのつもりでいた。
 だが二人を送り出した式神たちの言いまわしは、まさにそういう意味合いだった気がしないでもない。

(わたし、そんな心得なんて、ひとつも……!)

 ぐるぐると余裕のない思考をめぐらせている間にも、燐の足は着実に前へと進んでいく。
 気づけば部屋の前に到着していて、遠羽は内心悲鳴を上げて逃げ出したい気分だった。

「ここのモノたちはやかましいのが多いからな。まともに相手してると疲れるぞ」

 遠羽の胸の焦りをよそに、燐は酒が入って気分がいいのか、苦笑しながらもくつくつと短く喉を鳴らしている。

「いえ、あの……みなさん、わたしなんかに、本当に良くしていただいて……」

 無意識に視線を落とした遠羽は、ぎこちない笑みを浮かべて恐縮した。

 屋敷に迎えられてまだ二日目。だが木蓮をはじめとした式神たちには感謝しきれないほど世話になり、燐にもどう礼を尽くせばいいかわからないほど救われている。

 すると、燐のしなやかな指が遠羽のひたいを軽く弾いた。
 驚いて顔を上げれば、彼は無言のまま真顔で遠羽を見ている。
 少しだけ怒っているような、だけどわずかに悲しそうな色を感じて、遠羽は小さく「あ……」とこぼした。

(わたしったら、また……)

 無意識に出てしまった口癖が、燐にこんな表情をさせてしまっている。
 咄嗟に頭を下げて、遠羽は反射的に謝罪の言葉を口にしようとした。
 それすらも燐の機嫌を損ねるかもしれないと思えど、身に染みついた条件反射は止めようがない。

「申し訳っ」
「いい、謝るな」

 ぽすんと頭に乗った重みとぬくもりに、言いかけていた言葉が詰まる。そのままぽすぽすと軽くなでられて、遠羽はおそるおそる腰を伸ばした。

「いろいろと急で悪かったな」

 怒られると思ったのに、逆に燐の口から出た言葉に遠羽はすっかり内心の動揺を忘れていた。

「い、いえ……びっくりすることは、たくさんありましたが……」

 燐と出会ってから毎日驚かされるばかりだった。求婚もあやかし瞳のことも、燐と式神たちのことも、なにもかもが遠羽には初めての経験で。
 たった数日で契りの盃を交わして、こうしてあたたかい優しさにふれていることが、いまだに信じられない。

(なんだか、長い夢を見ているみたい……)

「朝から騒がしくて疲れただろ? 今日はもうゆっくり休め」

 静かに開けられた襖の奥へと促される。
 素直に従えば、燐は廊下に立ったままやわらかく微笑んでいた。

「おやすみ、遠羽」
「え、あ……おやすみなさい」

 ゆっくりと閉まっていく襖が燐の姿を隠してしまい、足音が遠ざかっていく。

(……なんだか、どきどきして……眠れない、かも)

 静寂の中で安堵の息を吐き出した遠羽は、高鳴ったままの胸に手を添えて困ったように笑みをこぼした。


◇◇◇


 遠羽を部屋へと送り届けた燐は、その足で広間へと舞い戻った。
 宴の名残はすっかりと片づいていて、広間はいつもの殺風景な様相を呈している。

「あっれー? ご主人、おヨメさまと一緒に寝ないんですかー?」
「……なんだよ。わりぃか」

 バツが悪そうに言い返せば、あちこちからいっせいに不満の声が上がった。

「だあっ! うっせぇ! 散れ!」

 群がる式神たちを追い払って、燐はそばに控える木蓮に視線をやった。

「木蓮、どう思う? 率直に聞かせてくれ」
「燐様が他人に興味を示すなんて、珍しいこともあるものだなと」
「……そういうことじゃない」

 ため息をついて後頭部を掻いた燐に、木蓮はくすくすと笑って「わかっております」と表情を改めた。

「なんといいますか、良くも悪くも、遠羽様は名家の令嬢らしくはありませんね」

 遠羽の立ち居振る舞いも意識のもちようも、世間の令嬢とはかけ離れている印象だった。彼女は自分のことをずいぶんと軽んじているように思う。

「荷物もごく最低限のものですし……それも彼女のために(あつら)えられたようにはとても思えません。お着物も着てらっしゃるものを含めても三枚しかありませんでした。どなたかのおさがりを補修しながらお召しのようです」
「……母親の形見、か……」

 年頃の娘が着るにしては流行りの過ぎた地味な着物だとは思っていたが、第三者の指摘と遠羽の置かれていた状況を鑑みれば得心がいく。
 彼女の持ち物の大半は、やはりほとんどが形見の品なのだろう。

(あの継母と異母妹(いもうと)に取り上げられなかったのは、せめてもの幸いか)

 それともすでに没収され、手元に残ったのがあれだけなのだろうか。

「燐様、失礼を承知でおたずねしますが」

 思案をめぐらせる燐に、木蓮は神妙な面持ちのまま声をひそめた。