「恐れながら! その子は……いわゆる、使用人のようなものでございます! ゆえに、五行宗家たる宝来家にふさわしくは」
「ふさわしいかどうかは俺が決める」
父の言葉をぴしゃりと遮って、燐の冷たい声色が刺すように椛山家に向けられていた。
「使用人だと言うのなら、勝手に連れ帰っても問題はないな?」
「そ、れは……」
「支度金には十分すぎるほどの額を包ませてもらった。いまさら文句を言われる筋合いはない。そもそも、こんな劣悪な環境で虐げ、好き勝手にこき使ってきたんだ。手放すことに未練なんかないだろう?」
黙りこくってしまった康之の横を、燐はなに喰わぬ顔で通りすぎた。
日陰から、太陽の下へと遠羽をかかえて歩き出す。
「遠羽の荷物はうちのモノに運ばせる。あなた方は手出し無用」
燐が言い切ったと同時に、どこからともなく若い男女がぞろぞろと裏庭に現れて、あれよあれよと納屋の中から荷物を運び出していく。
庭先で口をひらきかけた愛莉と桐子を一瞥だけで制して、燐は待機していた馬車に乗り込んだ。
閉められたドア越しに愛莉の金切り声が響くのを聞きながら、馬車はゆっくりと椛山家から遠ざかっていった。
「少しは落ち着いたか?」
「は、はい……」
揺れる馬車の中で、遠羽は所在なさげに背を丸めてうつむいていた。
隣に座る燐の腕が、時おり馬車の揺れに合わせて肩にふれる。
車窓の景色は次々と流れていくが、遠羽はそんなことを気に留める余裕もなくただただ身を縮こませていた。
(面がないの、落ち着かない……)
いつも肌身離さずつけていた戌面は燐に取り上げられてしまい、見えすぎる視界がひどく心許ない。
「あ、の……さっきは、申し訳ありませんでした……みっともなく、泣いたりして……」
わずかに聞こえた息を吐く気配に、遠羽は小さく肩を跳ねさせた。
ため息のあとに続くのはいつも罵声で、染みついた条件反射で体は無意識に身構えてしまう。
「誰だって泣きたい時くらいあるだろ。気にすんな」
前を向いたまま、なんでもないことのようにそう言う燐に、遠羽は消え入りそうな声で「はい……」と返すことしかできなかった。
「……そんなにおびえなくても、取って食いやしねーよ」
そうは言われても、この状況は遠羽にとって非日常すぎる。
(わたし……もしかして、とんでもないことをしちゃったんじゃ……)
男性に抱きかかえられたことも、馬車に乗るのも初めてで、白昼に椛山家の敷地の外にいるなんて、いままでの生活からは考えられないことだ。
隣に座るのは伴侶となる人で、それも華族の名門、宝来家の人。
身分違いにもほどがある。
すっかりと恐縮してしまった遠羽は、おそるおそる横目で燐を見上げた。
(あ……なんて呼べばいいんだろう……)
名前で呼ぶのは馴れ馴れしすぎて恐れ多いが、かといってこれから嫁入りしようとしている相手を苗字で呼ぶのもおかしな話である。
遠羽は悩んだ末、「……旦、那様……?」と声をかけた。
「どうした?」
「……その……聞いても、いいですか?」
振り向いた燐の視線から逃げるように、遠羽は車内の隅を見つめた。
「どうして……わたしなんかを……? わたし、学校には通っていません……だから学もないし……芸事だって、なにひとつ……」
かろうじて読み書きだけは、亡き母が教えてくれた。
だがそれも初歩中の初歩的な程度で、おそらくは年齢の割に十分ではないだろう。
家事と裁縫は自力で見につけざるを得なかったが、珠算はおろか茶道や生け花など、令嬢なら嗜むべき作法はなにもできない。
(やっぱり……わたしなんかが、この人のお嫁さんには……)
ふさわしくないとばかり思ってしまう。
求婚されたことに驚きはしたものの、うれしくなかったわけではない。
閉じ込められた納屋から助け出されたことも、そのままこうして連れ出してくれたことも。
考えれば考えるほど、自分なんかを嫁にする利点が見つからなかった。
出会って間もない、ほぼ初対面に近い相手に、どうして求婚なんてしたのだろうか。
「……目だ」
「目……?」
「『あやかし瞳』」
「っ……!」
「お前のその目が欲しかった」
思いもよらなかった返答に、遠羽はおもわず顔を上げていた。
燐のまなざしがまっすぐに自分を見つめている。
いつもなら他人と視線を合わせることに躊躇してそらしてしまうのに、今は答えを知りたいという欲求のほうが強かった。
(目が欲しいって、どういうこと……?)
「一般にはほとんど知られちゃいねぇが、『あやかし瞳』ってのは総称だ。いくつか種類はあるが、共通してるのは先天的にあやかしを見ることができるってことだな。かくいう俺の目も、あやかし瞳の一種だ」
そう言うと、燐の黒い目の奥がゆらりと赤く色づいた。それは灯火のように左右に揺らめき、遠羽の視線を釘づけにした。
(きれいな色……)
「まあ俺たちみたいなのは、見える程度や異能の力に差があるけどな。だが、特にお前のは『彩雲瞳』とよばれ、あやかし瞳の中でも非常に稀有なものだ。お前、自分の異能に心当たりは?」
異能、と聞いて思い出すのは、初めて燐と出会った晩のこと。
猩猩に襲われていたところを救ってくれた燐のまわりには、真っ赤に燃える炎が取り巻いていた。
(あれが、異能……? でも、わたしには、あんなすごいこと、できるわけない……)
「……い、いえ……ぜんぜん……」
「だよな……まあ、あれだ。あやかしから帝都を守護する五行宗家からしたら、彩雲瞳は喉から手が出るほど欲しい代物、ってことだ」
遠羽は吐息とともに「はあ……」とあいづちを打った。
なんだか言われていることに実感が湧かなくて、それは別の人のことなのではとさえ思う。
同時に、遠羽はなんだか釈然としない気持ちをかかえていた。
(この瞳が欲しかったんなら、別に花嫁じゃなくても……)
使用人でもなんでもよかったではないか。
自分を選んでくれたのは好意があってのことではない。
(やっぱり、わたしなんかを見てくれる人なんて、いるわけない……)
求婚に心を踊らせた数日前の自分が恥ずかしくなり、遠羽は逃げるように燐から視線をそらしてうつむいた。
車内には沈黙が流れていて、車輪と馬の蹄の音だけがこだましていた。
外の景色を眺める気にもなれず、ただただ時間だけが過ぎていく。
次第に遠羽は、うとうととまぶたの重さに負けそうになっていた。
(寝ちゃだめ……寝ちゃだめだったら……)
そう思いつつも、馬車の揺れが心地よく睡魔を誘っている。
蓄積された疲労感が抗うことを放棄してしまい、遠羽はいつのまにか意識を手放していた。
「ふさわしいかどうかは俺が決める」
父の言葉をぴしゃりと遮って、燐の冷たい声色が刺すように椛山家に向けられていた。
「使用人だと言うのなら、勝手に連れ帰っても問題はないな?」
「そ、れは……」
「支度金には十分すぎるほどの額を包ませてもらった。いまさら文句を言われる筋合いはない。そもそも、こんな劣悪な環境で虐げ、好き勝手にこき使ってきたんだ。手放すことに未練なんかないだろう?」
黙りこくってしまった康之の横を、燐はなに喰わぬ顔で通りすぎた。
日陰から、太陽の下へと遠羽をかかえて歩き出す。
「遠羽の荷物はうちのモノに運ばせる。あなた方は手出し無用」
燐が言い切ったと同時に、どこからともなく若い男女がぞろぞろと裏庭に現れて、あれよあれよと納屋の中から荷物を運び出していく。
庭先で口をひらきかけた愛莉と桐子を一瞥だけで制して、燐は待機していた馬車に乗り込んだ。
閉められたドア越しに愛莉の金切り声が響くのを聞きながら、馬車はゆっくりと椛山家から遠ざかっていった。
「少しは落ち着いたか?」
「は、はい……」
揺れる馬車の中で、遠羽は所在なさげに背を丸めてうつむいていた。
隣に座る燐の腕が、時おり馬車の揺れに合わせて肩にふれる。
車窓の景色は次々と流れていくが、遠羽はそんなことを気に留める余裕もなくただただ身を縮こませていた。
(面がないの、落ち着かない……)
いつも肌身離さずつけていた戌面は燐に取り上げられてしまい、見えすぎる視界がひどく心許ない。
「あ、の……さっきは、申し訳ありませんでした……みっともなく、泣いたりして……」
わずかに聞こえた息を吐く気配に、遠羽は小さく肩を跳ねさせた。
ため息のあとに続くのはいつも罵声で、染みついた条件反射で体は無意識に身構えてしまう。
「誰だって泣きたい時くらいあるだろ。気にすんな」
前を向いたまま、なんでもないことのようにそう言う燐に、遠羽は消え入りそうな声で「はい……」と返すことしかできなかった。
「……そんなにおびえなくても、取って食いやしねーよ」
そうは言われても、この状況は遠羽にとって非日常すぎる。
(わたし……もしかして、とんでもないことをしちゃったんじゃ……)
男性に抱きかかえられたことも、馬車に乗るのも初めてで、白昼に椛山家の敷地の外にいるなんて、いままでの生活からは考えられないことだ。
隣に座るのは伴侶となる人で、それも華族の名門、宝来家の人。
身分違いにもほどがある。
すっかりと恐縮してしまった遠羽は、おそるおそる横目で燐を見上げた。
(あ……なんて呼べばいいんだろう……)
名前で呼ぶのは馴れ馴れしすぎて恐れ多いが、かといってこれから嫁入りしようとしている相手を苗字で呼ぶのもおかしな話である。
遠羽は悩んだ末、「……旦、那様……?」と声をかけた。
「どうした?」
「……その……聞いても、いいですか?」
振り向いた燐の視線から逃げるように、遠羽は車内の隅を見つめた。
「どうして……わたしなんかを……? わたし、学校には通っていません……だから学もないし……芸事だって、なにひとつ……」
かろうじて読み書きだけは、亡き母が教えてくれた。
だがそれも初歩中の初歩的な程度で、おそらくは年齢の割に十分ではないだろう。
家事と裁縫は自力で見につけざるを得なかったが、珠算はおろか茶道や生け花など、令嬢なら嗜むべき作法はなにもできない。
(やっぱり……わたしなんかが、この人のお嫁さんには……)
ふさわしくないとばかり思ってしまう。
求婚されたことに驚きはしたものの、うれしくなかったわけではない。
閉じ込められた納屋から助け出されたことも、そのままこうして連れ出してくれたことも。
考えれば考えるほど、自分なんかを嫁にする利点が見つからなかった。
出会って間もない、ほぼ初対面に近い相手に、どうして求婚なんてしたのだろうか。
「……目だ」
「目……?」
「『あやかし瞳』」
「っ……!」
「お前のその目が欲しかった」
思いもよらなかった返答に、遠羽はおもわず顔を上げていた。
燐のまなざしがまっすぐに自分を見つめている。
いつもなら他人と視線を合わせることに躊躇してそらしてしまうのに、今は答えを知りたいという欲求のほうが強かった。
(目が欲しいって、どういうこと……?)
「一般にはほとんど知られちゃいねぇが、『あやかし瞳』ってのは総称だ。いくつか種類はあるが、共通してるのは先天的にあやかしを見ることができるってことだな。かくいう俺の目も、あやかし瞳の一種だ」
そう言うと、燐の黒い目の奥がゆらりと赤く色づいた。それは灯火のように左右に揺らめき、遠羽の視線を釘づけにした。
(きれいな色……)
「まあ俺たちみたいなのは、見える程度や異能の力に差があるけどな。だが、特にお前のは『彩雲瞳』とよばれ、あやかし瞳の中でも非常に稀有なものだ。お前、自分の異能に心当たりは?」
異能、と聞いて思い出すのは、初めて燐と出会った晩のこと。
猩猩に襲われていたところを救ってくれた燐のまわりには、真っ赤に燃える炎が取り巻いていた。
(あれが、異能……? でも、わたしには、あんなすごいこと、できるわけない……)
「……い、いえ……ぜんぜん……」
「だよな……まあ、あれだ。あやかしから帝都を守護する五行宗家からしたら、彩雲瞳は喉から手が出るほど欲しい代物、ってことだ」
遠羽は吐息とともに「はあ……」とあいづちを打った。
なんだか言われていることに実感が湧かなくて、それは別の人のことなのではとさえ思う。
同時に、遠羽はなんだか釈然としない気持ちをかかえていた。
(この瞳が欲しかったんなら、別に花嫁じゃなくても……)
使用人でもなんでもよかったではないか。
自分を選んでくれたのは好意があってのことではない。
(やっぱり、わたしなんかを見てくれる人なんて、いるわけない……)
求婚に心を踊らせた数日前の自分が恥ずかしくなり、遠羽は逃げるように燐から視線をそらしてうつむいた。
車内には沈黙が流れていて、車輪と馬の蹄の音だけがこだましていた。
外の景色を眺める気にもなれず、ただただ時間だけが過ぎていく。
次第に遠羽は、うとうととまぶたの重さに負けそうになっていた。
(寝ちゃだめ……寝ちゃだめだったら……)
そう思いつつも、馬車の揺れが心地よく睡魔を誘っている。
蓄積された疲労感が抗うことを放棄してしまい、遠羽はいつのまにか意識を手放していた。
