契印は君の手に、妖は恋を知らない

 暴走する光の中。

 風が唸り、空間が軋む。

 

 綾乃の手の契印が、砕ける寸前まで揺れていた。

 

「……選べ」

 

 零の声が、遠くで響く。

 

 

 壊すか。

 

 それとも――

 

 結び直すか。

 

 

 その問いに。

 

 

 綾乃は、静かに目を開けた。

 

 

 視界は白く滲んでいる。

 

 感覚も、曖昧だ。

 

 

 けれど。

 

 

 ただ一つだけ、残っているものがあった。

 

 

 ――零の手。

 

 

 強く握られている。

 

 

 離さないように。

 

 

 壊れないように。

 

 

 

「……わかりません」

 

 

 ぽつりと呟く。

 

 

「何が正しいのかも、何を感じているのかも」

 

 

 正直な言葉。

 

 

「でも」

 

 

 一歩、踏み出す。

 

 

 光の中心へ。

 

 

「これだけは、わかります」

 

 

 

 手に、力を込める。

 

 

 

「あなたを――手放したくない」

 

 

 

 その言葉。

 

 

 

 契印が、強く光った。

 

 

 

 暴走していた力が、一瞬だけ止まる。

 

 

 

「……綾乃」

 

 

 

 零の声が、かすれる。

 

 

 

 

「理由は、わかりません」

 

 

 

「でも――」

 

 

 

 

 まっすぐ、見上げる。

 

 

 

 

「それでも、いいですか」

 

 

 

 

 

 その問いは。

 

 

 

 

 あまりにも、不完全で。

 

 

 

 

 それでも――

 

 

 

 

 確かに“選んだ言葉”だった。

 

 

 

 

 

 零は、目を閉じる。

 

 

 

 

 

 一瞬だけ。

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

「……ああ」

 

 

 

 

 

 静かに答えた。

 

 

 

 

 

「それでいい」

 

 

 

 

 

 

 その瞬間。

 

 

 

 

 

 零が、綾乃の手を強く引いた。

 

 

 

 

 

「なら、結び直す」

 

 

 

 

 

「今度こそ――」

 

 

 

 

 

 低く、はっきりと。

 

 

 

 

 

「対等な契りとして」

 

 

 

 

 

 

 ――ドクン

 

 

 

 

 

 契印が、脈打つ。

 

 

 

 

 

 だが今度は、違う。

 

 

 

 

 

 奪うためではなく。

 

 

 

 

 

 “満たす”ための光。

 

 

 

 

 

 

 零の手から、何かが流れ込む。

 

 

 

 

 

 熱。

 

 

 

 

 

 感情。

 

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 

 

 綾乃の目が見開かれる。

 

 

 

 

 

 

 ――温かい。

 

 

 

 

 

 

 それは。

 

 

 

 

 

 

 失っていたもの。

 

 

 

 

 

 

「……これが」

 

 

 

 

 

 

 震える声。

 

 

 

 

 

 

「……感情」

 

 

 

 

 

 

 ぽろりと、涙が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 理由はわからない。

 

 

 

 

 

 

 けれど――

 

 

 

 

 

 

 確かに、“何か”が戻ってきている。

 

 

 

 

 

 

 

「今度は」

 

 

 

 

 

 零の声が、すぐそばで響く。

 

 

 

 

 

 

「一方的にはしない」

 

 

 

 

 

 

「奪うのではなく、分け合う」

 

 

 

 

 

 

 手を、さらに強く握る。

 

 

 

 

 

 

「だから――」

 

 

 

 

 

 

 一瞬の間。

 

 

 

 

 

 

 

「一緒にいろ」

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉は。

 

 

 

 

 

 

 

 命令ではなく。

 

 

 

 

 

 

 

 願いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 綾乃は、ゆっくりと頷く。

 

 

 

 

 

 

 

「……はい」

 

 

 

 

 

 

 

 小さな声。

 

 

 

 

 

 

 

 だがそこには、確かな意思があった。

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 光が、弾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 暴走していた契印が――

 

 

 

 

 

 

 

 新しい形へと、書き換わる。

 

 

 

 

 

 

 

 綾乃の手に刻まれていた紋様が。

 

 

 

 

 

 

 

 二人の手に、対になる形で現れる。

 

 

 

 

 

 

 

「……成功、か」

 

 

 

 

 

 

 

 零が、静かに呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 風が止む。

 

 

 

 

 

 

 

 歪んでいた空間が、元に戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 すべてが、静まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 残ったのは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人の手に刻まれた、新しい契り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 かすかに、戻ってきた感情。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……零」

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾乃が、名前を呼ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その声は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 今までとは、明らかに違っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 零は、ほんのわずかに目を細める。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まだ、よくわかりません」

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しだけ、迷って。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう少しだけ、一緒にいたいです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 零は、ふっと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「許可する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽い言い方。

 

 

 

 

 

 

 

 

 けれどその目は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこか、安堵していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――壊れるはずだった契りは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しい形で、結び直された。