契印は君の手に、妖は恋を知らない

崩れた社の中心。

 風が渦を巻き、空気が歪む。

 

 綾乃の手の契印が、激しく脈打っていた。

 

「……始める」

 

 零が低く告げる。

 

 その声には、迷いを押し殺した硬さがあった。

 

 

「手を出せ」

 

 

 綾乃は、言われた通りに手を差し出す。

 

 

 その手を、零が掴んだ瞬間――

 

 

 ――バチッ!!

 

 

 強烈な衝撃が走る。

 

 

「っ……!」

 

 

 光が弾け、周囲の空間がねじれる。

 

 

「離すな」

 

 

 零の声。

 

 

「今、契りの核に触れている」

 

 

 

 視界が、完全に変わる。

 

 

 

 ――千年前。

 

 

 

 まだ崩れていない社。

 

 

 

 目の前に立つのは、あの少女。

 

 

 

 そして――

 

 

 

 零。

 

 

 

「……また、この光景か」

 

 

 だが今度は違う。

 

 “外から見る”のではない。

 

 

 綾乃は、“その中にいた”。

 

 

 

「……あなたは」

 

 

 少女が、震える声で言う。

 

 

 

 それは。

 

 

 

 自分の声だった。

 

 

 

「どうして、そんなことを言うの……」

 

 

 

 涙が、頬を伝う。

 

 

 

 ――この感覚。

 

 

 

 知らないはずなのに。

 

 

 

 どこかで、覚えている。

 

 

 

 

「……契りは、ここで終わらせる」

 

 

 

 零の声が、冷たく響く。

 

 

 

「お前を巻き込むわけにはいかない」

 

 

 

「違う!」

 

 

 

 少女が、叫ぶ。

 

 

 

「私は、あなたと――!」

 

 

 

 

 その瞬間。

 

 

 

 炎が、噴き上がる。

 

 

 

 社が崩れ、空が赤く染まる。

 

 

 

 

「来るな!」

 

 

 

 零が叫ぶ。

 

 

 

 だが少女は、止まらない。

 

 

 

 手を伸ばす。

 

 

 

 必死に。

 

 

 

 

「一緒に、いたい……!」

 

 

 

 

 その言葉。

 

 

 

 

 綾乃の胸に、強く響いた。

 

 

 

 

 ――ドクン

 

 

 

 

 心臓が、鳴る。

 

 

 

 

 消えたはずの“何か”が。

 

 

 

 

 一瞬だけ、戻る。

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 

 零が、目を見開く。

 

 

 

 

「やめろ」

 

 

 

 

 低く、焦った声。

 

 

 

 

「それ以上、思い出すな」

 

 

 

 

 だが。

 

 

 

 

 止まらない。

 

 

 

 

 記憶が、流れ込む。

 

 

 

 

 感情が、溢れる。

 

 

 

 

 

 ――好きだった。

 

 

 

 ――ただ、それだけだった。

 

 

 

 

 

「……零」

 

 

 

 

 綾乃が、呟く。

 

 

 

 

 

 その声は。

 

 

 

 

 

 初めて、“感情”を持っていた。

 

 

 

 

 

「私は――」

 

 

 

 

 

 

 だが、その瞬間。

 

 

 

 

 

 契印が、暴走した。

 

 

 

 

 

 ――ゴォォッ!!

 

 

 

 

 

 光が、爆発する。

 

 

 

 

 

「っ……!」

 

 

 

 

 

 零が綾乃を引き寄せる。

 

 

 

 

 

「戻れ!」

 

 

 

 

 

 叫ぶ。

 

 

 

 

 

「これは“未完成の契り”だ! 感情を流し込めば、崩壊する!」

 

 

 

 

 

「……でも」

 

 

 

 

 

 綾乃が、零を見る。

 

 

 

 

 

 その目には、確かに“想い”があった。

 

 

 

 

 

「これを失ったら――」

 

 

 

 

 

 一瞬、言葉が詰まる。

 

 

 

 

 

「……あなたを、理解できない」

 

 

 

 

 

 

 その一言。

 

 

 

 

 

 零の動きが、止まった。

 

 

 

 

 

 

「……今、何を言った」

 

 

 

 

 

 

 かすれた声。

 

 

 

 

 

 

 綾乃は、静かに続ける。

 

 

 

 

 

 

「わかりません」

 

 

 

 

 

 

「でも――」

 

 

 

 

 

 

 手を、強く握る。

 

 

 

 

 

 

「これを壊したら、あなたがわからなくなる」

 

 

 

 

 

 

 それだけは、理解できた。

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

 

 それを――

 

 

 

 

 

 

「嫌だ、と……思います」

 

 

 

 

 

 

 

 静かで。

 

 

 

 

 

 

 けれど、確かな言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間。

 

 

 

 

 

 

 零の中で、何かが決壊した。

 

 

 

 

 

 

「……はは」

 

 

 

 

 

 

 小さく、笑う。

 

 

 

 

 

 

 

「遅いんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 低く、呟く。

 

 

 

 

 

 

 

「そんなもの……もっと早く言え」

 

 

 

 

 

 

 

 だが、その声は――

 

 

 

 

 

 

 

 震えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……もう、戻れない」

 

 

 

 

 

 

 

 契印が、暴れ狂う。

 

 

 

 

 

 

 

 光が、二人を飲み込もうとする。

 

 

 

 

 

 

 

「……選べ」

 

 

 

 

 

 

 

 零が言う。

 

 

 

 

 

 

 

「壊すか」

 

 

 

 

 

 

 

「それとも――」

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬、間を置いて。

 

 

 

 

 

 

 

「結び直すか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が唸る。

 

 

 

 

 

 

 

 千年越しの契りが、問いかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾乃は――

 

 

 

 

 

 

 

 その中で、静かに目を閉じた。