ルームメイトの溺愛はちょっとズレてる

 放課後、寮に帰ると大智のほうが先に帰っていた。
 左側の部屋でベッドに腰掛けている大智はまだ制服姿だった。
「おかえり、朝陽」
「た、ただいま」
「どうかした?」
「ううん、大智が先に帰ってるのは珍しいからちょっと驚いただけ」
 教科書などが入っているリュックを背負ったまま勉強部屋に入り、机の上にリュックを置いた。
 どうしよう、どう話せばいい……?
 大智とオレはルームメイトで恋人同士ではない。
 でも大智はオレを恋人として扱ってくれる。すごく優しいし、男子校では味わえなかったはずのトキメキをくれている。
 寮の中だけという約束でも、本気で恋人のフリをしている大智に黙って女子と遊びに行くのは誠実じゃない気がした。
「もしかして寂しかった?」
 大智はオレの横に立つと、なぜかオレが巻いているネクタイを掴んだ。
「え……?」
 脇から汗が流れた。
 オレは本気で焦った時、ここから汗が滝のように流れるのだ。
 大智は笑顔を浮かべているけれど、いつもよりちょっと悪い笑い方に見えた。
 もしかして、誰かからオレが美女高生と会う話をすでに聞いたのか……?
 大智がオレのネクタイを引っ張りながら問い詰める様子が、やけにリアルに想像できてしまった。
「俺が練習であんま寮にいないから寂しかった?」
「さ、寂しくないよ!」
 つい大きな声で答えると、大智が切れ長の目を丸くした。
「あ、えっと、寂しくないっていうのは、いなくてもいいって意味じゃなくて!」
 サッカーばかりしているせいで彼女にフラれた男子を数人知っている。
 なかには浮気された奴もいて、当時中学生だったオレは「サッカーに理解がない彼女なんて別れて正解だ」と慰めた。
「サッカーの練習で忙しいのは仕方ないことだし、毎日練習して勉強もしてる大智のことをめちゃくちゃ尊敬してる!」
 オレが必死に「大智は何も悪くない」と伝えると、大智が照れたようにはにかんだ。
「朝陽……そんな風に思ってくれてたんだね」
「えっ、う、うん?」
「ありがとう。明日からの遠征も頑張れそう」
 あれ? 美女高生と会うことを問い詰められるんじゃなかったのか……?
 よくよく考えてみれば、木下と小原とオレの予定を、クラスが違う大智が知っているはずがないのだった。
「えっと、なんでネクタイ掴んでるの……?」
「朝陽が俺のものを身に付けてるの、いいなと思って」
 そっ、そっちか~!
 オレが着替えたのは大智が朝練に行ったあとだから、大智が近くで見たのは今が初めてだった。
「朝練のあとに俺のネクタイ付けた朝陽が廊下から見えた時もすげぇ嬉しかった」
 大智はオレが巻いているネクタイを自分のほうへ引き寄せると、サッカー選手が優勝カップにするみたいに、ネクタイの先にキスをした。
 ちょっとびっくりしたけれど、ネクタイから顔を上げた大智の幸せそうな顔を見て、たまらない気持ちになった。
「オレも……嬉しい。あのさ、私物もなんか交換しない? そしたら明日からの遠征にも持っていけるし」
「えっ、いいの?」
 そんなことで大智を笑顔にできるならお安い御用だ。
「なにがいい?」
「朝陽のものならなんでも嬉しいよ」
「そう? じゃあ、荷造りしながら考えるか」
 オレがそう言うと大智は勉強机の下の収納ケースから、いつも遠征に使うボストンバッグを持ってきた。
「まずはサッカー関係からな。レガース、練習着、ユニフォーム、ジャージ……あ、セカンドユニフォームどこ?」
「持ってきた」
「よし、完成。次は生活用品だな。今回は二泊三日だけど……結構暑くなってきたからハーフパンツとTシャツを三セットかな」
「これでいい?」
「この色の組み合わせはちょっと……あ、こっちのTシャツにしよう。大智はこの色が似合うから」
「そう?」
 ネイビーのTシャツを広げて大智の胸に当てると、記憶していた通りよく似合っていた。
「うん。かっこいいぞ」
「朝陽も似合いそうだけど。ちょっと着てみてよ」
「え、うわっ」
 大智は、制服のシャツの上から自分のTシャツをオレに着せた。
「うん、似合う。可愛い」
 そう言って、大智は大智のTシャツを着たオレを抱きしめた。
 そんなに似合うのか?
 生まれつき色素薄めだからか濃い色は似合わないと思い込んでいただけだったのかな。
「俺がいない間、そのTシャツを部屋着にしてよ」
「いいけど……じゃあ、オレのTシャツも大智に貸すよ」
 とはいえ、大智はオレより十センチ大きいし、体つきもガッチリしてる。
 手持ちのTシャツで一番大きいのを試しに着てもらったが、胸のあたりがパツパツになってしまった。
「ごめん、俺が着たらTシャツが伸びちゃいそう」
「別に気にしないけど……」
 オレは吸い寄せられるように大智の胸筋に手を伸ばした。
「あ、朝陽!?」
「すご……ムキムキ」
 オレの手の下にはTシャツがあり、そのさらに下には制服のシャツもあるのに、筋肉の弾力を感じる。
 同じ部屋で暮らしていれば、お互いの裸は嫌でも目に入る。でも、オレ自身あまり見られたくないから大智の裸をまじまじと見ないようにしていた。
 大智は想像していた以上に筋肉質だった。
「朝陽、俺たちは恋人なんだよ?」
 そう言われて胸筋から顔をあげると、大智の頬が少し赤くなっていた。
「うん。そうだぞ?」
「……朝陽は恋人の胸を無断で揉むんだ?」
「あっ、ご、ごめん!」
「次やったら俺も揉むからね?」
「はい……」
 オレには大智のような筋肉はないから揉もうとしても揉めないと思うけど。
「えっと、オレのTシャツじゃ小さいから交換するのはやめておこう。あと遠征に必要なのはバスタオル一枚、スポーツタオル三本……あ、そうだ」
 オレは私物をまとめてあるボックスから、いつも使っている化粧水を出して大智に渡した。
「オレがいつも使ってるやつ、あげるよ」
「いいの?」
「うん、もう少ないんだけど。大智、スキンケアしてないだろ?」
「してない」
 それなのに大智は「ニキビってなんですか?」という肌をしている。
 俳優やアイドルが知ったらハンカチを食いちぎる勢いで悔しがりそうなほどツルツルだ。
「試しに遠征で使ってみてよ。いい匂いで癒されるぞ、それ」
「知ってる」
 大智は化粧水のキャップを開けて鼻を寄せ「朝陽の匂いだ」と笑った。
「肌に合わなかったら使うのやめてな?」
「わかった。でも、朝陽はなくて平気なの?」
「休み中に買いに行くよ」
 休みの話になったし、あのことを話をしてみるか……? 
 そう思ったけれど、今の柔らかい空気を壊してしまうのがもったいなくて、やっぱり言い出せなかった。
「今から買いに行こうよ」
「えっ、今から?」
「うん。ちょうど移動中のガム買いに行こうと思ってたんだ。朝陽が部屋にいたいなら俺が買ってくるけど」
「オレも行く」
「じゃあデートだね」
 恋人みたいに振る舞うのは寮の中だけというルールだぞ、とは指摘しなかった。
 だって、オレも「デートか、いいな」って思ったから。
 学校から一番近いドラッグストアで大智はオレに化粧水を買ってくれた。「これでお揃いだね」と笑う大智を見て申し訳なさが込み上げてきた。
 大智は元々オレに優しいけれど、恋人バージョンの大智は友達だった時にはなかった甘さがあって、まさに理想の恋人だった。
 そんな彼に黙って女子と交流するなんて、オレにはできない。
 
 翌朝、大智のアラームで目を覚ました。
 何度目かのアラームで大智はようやく起き上がり、大きく伸びをした。長い髪を煩わしそうに後ろに流してからスマホのスヌーズを止めた。
 その様子を隣で見ていたオレもベッドから起き上がった。
「おはよう、朝陽」
「おはよ……」
 昨日の夜はあまりよく眠れなかった。
 夢に大智が出て来るほど考えたのに、どうやって話を切り出せばいいか思いつかなかった。
 寝不足の頭でいい案が思いつくはずもなく、身支度をする大智の後ろを付いて歩く。
「朝陽? まだ寝てたら?」
「……ううん」
「お腹すいたの? 一緒に食堂行く?」
「……行く」
 まるで子どものような受け答えしかできないオレを大智は困ったように笑った。
 早朝の食堂はサッカー部員で半分ほどの席が埋まっていた。
 スポーツクラスの寮の食堂が閉まっているので、大智のように向こうの隣の食堂で寮生も食べに来ているからだろう。
 奥の方のテーブルで武田、藤井、南がすでに食べ始めていて、藤井は大智が来たのを見てホッとした顔になった。
「あれ、佐野先輩?」
 名前を呼ばれて振り返ると、一年の花山と内海が大智と同じ練習着を着て立っていた。
「おはざす」
「はやいっすね!」
「あ、うん……二人もサッカー部に入ったんだな」
「入りました~!」
「初めての遠征っす」
 一般クラスからサッカー部に入部した二人は、普段スポーツクラスとは別で練習しているのだが、今日の遠征は一緒に行くのだと教えてくれた。
「朝陽、誰?」
 大智が怪訝そうな顔で聞いてきた。
「同じ寮の一年の花山と内海。たまに話すんだ」
「ふうん」
 大智から睨みつけるような視線を向けられて、一年生二人は固まってしまった。
「行こう、朝陽」
 大智は硬直している一年生二人をスルーして、オレの肩を掴んで自分のほうに引き寄せた。
 その瞬間、賑やかだった食堂が静まり返った、気がした。
「大智っ!?」
「ここも寮の中だよね?」
「なっ」
 確かに食堂は寮の中にある。
 でも元をたどれば「周りに何か言われるのが面倒」だから「恋人ごっこは寮の中だけ」というルールを追加したのだ。
 案の定、一年生二人はオレたちの様子を見て、目を見開いている。
「まだ眠いみたい、アハハ……」
 そう言って胡麻化して、食堂のカウンターに向かった。
 カウンターの上には湯気が立ち上る味噌汁とおにぎりと卵焼きが用意されていた。それをトレイにひとつずつ乗せると、サッカー部員たちの視線を感じながら武田たちと同じテーブルについた。
「朝から何やってんだよ」
「一年に威嚇するか、普通」
「央位は体がデカいだけで心がせまいね~!」
「うるせえ。食い終わったなら寮に帰れよ」
 ワガママを言って一般クラスの寮に居座っているヤツに言われたくないなどやんややんやと言われていたが、大智はこちらもスルーしていた。
 その隣で味噌汁をすすりながら、オレは身の置き場がないというのはこういうことかと思った。
 
 部員たちからの視線を感じつつ朝食をすませ、洗面所に寄ってから寮の部屋に戻る。
 最後の身支度を始めた大智の後ろに立って、オレは「髪結ぼうか?」と声をかけてみた。
「ありがとう。でも今日は移動が長いからいいよ」
「そっか……」
 やばい、完全に話を切り出すタイミングを見失った。
 あれよあれよという間に時が過ぎていき、玄関には靴を履く大智の後ろ姿があった。
「あ、あのさ、オレ……大智に言わなきゃいけないことがあって」
「どうしたの?」
 靴紐を結ぶために玄座り込んだ大智が後ろに立っているオレを振り返った。
「いや、言わなきゃいけないってほど重要なことじゃないかもしれないんだけど」
 そう言いながらオレは、自分が履いているスウェットパンツに掌を押し付けた。手汗がハンパなくて、そうせずにはいられなかった。
「言ってみて?」
「実は……木下に美女高の子を紹介してもらうことになった」
「……は?」
 大智の声は今まで聞いたことがないぐらい低かった。
「なにそれ、どういうこと。浮気じゃん」
「う、浮気じゃないよ! 恋人ごっこは寮の中だけって、さっきも言ってただろ」
「……わかった」
 大智がオレに背を向けるのを見て、オレの胸に罪悪感が込み上げた。
「忘れ物ない? すねあてとか」
「持った」
「財布、スマホ……」
「……充電したままだ」
 大智は靴を脱ぐと、寝室のベッドとベッドの間の床に直置きされているスマホを充電器ごと手に取り、オレを目を合わせることなく部屋を出て行った。
 オレは大智が出て行ったドアを呆然と眺めた。
 大智が「いってきます」を言いに戻ってくるのを期待したけど、そんなわけがないことはわかっていた。
 寮の外からバスのエンジン音が聞こえると、泣きたい気持ちでベッドに倒れ込んだ。
「言わないのが正解だった?」
 それとも『行かない』が正解だったのだろうか。
 恋がしたい男子校生のオレにとって女子高と知り合うチャンスは逃せない。
 大智との恋人ごっこは部屋の中限定で、大智は恋愛に興味がないという。
「どうしろっていうんだよ……」
 正解がわからず、しばらくぼうっとしていると、スマホのバイブが鳴った。
 起き上がる気に慣れず、ベッドに寝転がったまま手探りで床を探した。
 ベッドの間の壁には部屋にコンセントがあって、いつもここに二台の充電器がさしっぱなしになっているが、一つは大智が持って行ったから今日は一つしかない。
 シーツに頬を押し付けたまま、ベッドから腕を垂らして探していると、指先に固いものがぶつかった。
 手元を見ずにスマホから充電器を抜いてベッドの上に引き上げる。
 手に馴染んでいるように感じたけれど、それはオレのスマホじゃなかった。
「……え?」
 オレの手が掴んでいたのは大智のスマホだった。
 スマホのディスプレイに設定されているのは、オレが好きなファッションブランドのロゴではなく、スマホの初期設定の壁紙だった。
 間違いない、大智のスマホだ。
 頭が真っ白になりながらベッドの上に座り直すと、手に持っていたスマホが震えた。
 ディスプレイに表示されたのは藤井からのメッセージだった。
『本当にごめん 大智』
 どうやら大智は藤井にスマホを借りてメッセージを送っているようだ。
 ディスプレイをスクロールすると、その前のメッセージも表示された。
『パスコードを送るから俺のスマホ使って』
 送られてきていたパスコードでスマホを解除して、返信を自分のスマホあてに送った。
『わかった』
『オレのパスコードはXXXXXX』
『レモンミュージックとかゴーグルとか好きに使っていいよ』
 まだサッカーをしていた中学の頃、遠征の移動中は暇をつぶせるものがスマホしかなった。
 最初は変にハイになって喋り倒す勢いのやつもいるのだが、バスの中という狭い空間に監督やコーチが同乗しているから盛り上がるはずもなく、結局はみんな音楽を聴いたり動画を見たりしていた。
『わかった。本当に本当にごめん』
 そんな風にしきりに謝られると、ちょっと疑ってしまう。
 だって、美女高生と知り合えてもスマホがなければ連絡先を交換できない。
 わざとオレのスマホを持って行ったのか……?
 大智がオレを困らせるようなことをするとは思えないけれど、よくわからないところで頑固になるのを知っていた。
「オレが女子と仲良くなるのが、そんなに嫌だったのかよ……」
 オレのこと、好きなわけじゃないくせに。