大智が寮に帰ってきたのは、七時を過ぎてからだった。
今日は練習後にシャワーを浴びる時間がなかったようで、髪を結んだままだった。
汗にぬれた肌はキラキラして、目つきは少し鋭く、瞳の中にサッカー中の闘争心がまだ残っているように見えた。
「ただいま、朝陽」
そう言いながら大智が髪を結んでいたゴムをほどくと長い髪が肩に落ちた。
大智の髪は汗でますます黒々としていて、色素が薄いオレの髪とは全然違う。
練習後の大智は何度も見てるのに、今日はいつも以上にかっこよく見えた。
「朝陽?」
「お、おう! おかえり」
見惚れていたことを隠すように、オレは勉強用の椅子に座ったまま大きく伸びをした。
勉強で疲れた風を装ったけど、本当は大智のことばかり考えていて全然手につかなかった。
「風呂もう入った?」
「えっ、あ、うん、入った! 汗かいちゃって」
ただ風呂済みだと言うだけなのには言い訳みたいになった。
大智と風呂に入るのが急に恥ずかしくなって先に入った、という理由を誤魔化そうとしたせいだ。
「今日暑かったね。俺も汗だく。風呂入ってくる」
「いってらっしゃい……」
オレの予想では、藤井と話したことを根掘り葉掘り聞いてくるか、逆に全然話さなくて目も合わさないんじゃないかの二通りだったが、実際の大智はいつも通りで昼間に話したことなんて全然気にしていないどころか覚えてさえいなさそうだった。
藤井からベッドの位置のことを聞かれてから大智のことばかり考えていたオレとしては肩すかしをくらった気分だ。
そういえば、昼休みのあと藤井は大丈夫だったのだろうか。
気になったのでメッセージを送ってみたが返信はなかった。きっと藤井も風呂に入っているのだろう。
今度こそ本当に勉強を始めると、しばらくして大智が風呂から戻ってきた。
練習で疲れているだろうに、すぐにオレの横の机で宿題を始めた。
「大智、ドライヤー使っていい?」
「うん、いいよ」
大智はオレに自分のドライヤーを貸してくれた。
お兄さんが誕生日にプレゼントしてくれたという音が静かで風量が強い最新モデルだ。
オレはそれを手に持って、大智の後ろに立った。
長い髪に風を当てると、大智はちょっと驚いた顔で一度振り返ったけれど、オレが髪を乾かしやすいように椅子の背もたれに体を預けた。
「普通に勉強してていいよ」
「うん。ありがとう」
大智はしばらくシャーペンを動かしていたが、ある問題にさしかかると止まってしまった。
「朝陽、ここわかる?」
大智はちょっと甘えた声で、後ろにいるオレを見上げた。
「ん? ああ~、そこわかりにくいよな」
オレはドライヤーを止めて、大智の横に立った。
問題集には『もし私が彼だったら海外に行くだろう』という文章を英訳せよ、と書かれていた。
「もし○○だったら~っていうのは仮定だよな? だから仮定法を使う」
「Ifってこと?」
「うん。でも自分が別の誰かだったらなんて現実にはありえないだろ? そういう時は『If I was』じゃなくて『If I were』って書くんだよ」
「へえ……」
大智はわかったようなわからないような声だったが、オレが教えた通り問題集に書き込んでいった。
「もし俺が朝陽だったら、こんな問題簡単に解けるんだろうね」
「そんなことないって。そこのページが先週の宿題だったから覚えてただけ」
答えながら、オレは「もし自分が大智だったら」と考えた。
サッカーを今も続けていただろうし、やめようとさえ思わなかっただろう。
「朝陽?」
「あ、ごめん。オレが大智だったらって考えてた」
「へえ? もし俺と入れ替わったら、朝陽は何がしたい?」
「え……」
サッカー、と答えそうになり、慌てて別の答えを考えた。
「服を買いに行こうかな! 大智はイケメンでなんでも似合いそうだし!」
「それなら一緒に買い物に行こうよ。朝陽に服選んでほしい」
「いいよ! でも私服着ること、ほとんどなくないか?」
大智は土日もサッカーがあり、基本的にユニフォーム、部屋着、制服で過ごしている。
私服は必要ないんじゃないかと指摘すると、大智は唇を突き出して「朝陽は俺と出掛けたくないの?」と言った。
「ちがうって。でも前に、服に興味ないって言ってたじゃん」
「そうだけど……朝陽は休みの日に結構出掛けてるよね?」
「え? うん、出掛けてるけど?」
せっかく都会で暮らせているのだから、色んな所に出掛けたい。
この感覚は、東京生まれ、東京育ちの大智にはピンと来ないだろう。
「……もしかして付き合ってるひといる?」
「え!? いないいない!」
話が思いがけないほうに展開して驚いた。
大智からそういう話を振られると、どうしたって「大智がオレを好き説」が頭に浮かんでしまう。
でも自意識過剰な気もして、オレは落ち着かない気分になった。
「高校での目標『カノジョを作る』なんだけど全然でさ、ハハハ……」
「そうなの?」
「うん。そういえば、オレたちこういう話したことなかったな!」
明るい雰囲気に持って行こうとしたが、大智はなぜか不機嫌な顔になっていた。
「だね。俺が全然興味ないからじゃない?」
「そうなの?」
「全然ない」
大智はきっぱりと言い切った。
「じゃあ、中学の時に付き合ってた子とかいなかったのか?」
「朝陽は? いたの?」
「いないけど……」
オレの中学生活は学校とサッカーだけで構成されていて、彼女を作る余裕なんてなかった。
時間があるなら少しでも寝て背を伸ばそうとしていたが、目標としていた百八十センチには届かなかった。
「俺もいないよ。サッカーばっかしてた」
ですよね……。
プロチームの下部組織にいた大智は俺より練習や遠征が多かったはずだ。
トップチームになると中学生の頃からブラジルやスペインにも行くと聞いたことがある。
「サッカーが恋人?」
「そこまでは言わないけど……女子と喋るよりサッカーしてるほうが全然楽しい」
「……もしかして、女子が苦手だから男子校に入ったの?」
「うん。まあ、寮があるほうが絶対条件だったんだけど」
大智の実家は都内で学校から電車で一時間かからない場所にあるらしい。
彼の両親は仕事で海外赴任することになり、夫婦二人で生活する家を準備していたのだが、サッカー推薦で寮がある高校に行くと思っていた大智が土壇場になって「サッカーをやらない」と言い出したため、慌てて寮がある高校を探し見つけたのが開久高校だったらしい。
一年の頃に聞いた話だ。
オレも寮がある高校を探していたからわかるが、都内で寮がある高校は限られていて、運動部以外だとさらに少ない。
「朝陽は本当は共学がよかったんだっけ?」
「うん。寮がある共学の高校を第一志望にしてたんだけど落ちた」
親から家を出る条件として「新幹線を使わずに帰省できる範囲」と言われていたので、それなら都会がいいと思って都内で寮がある高校を探し、別の共学高校と男子校の開久を受験した。
男子校に行くしかないと決まった時は正直ガッカリしたが、学校生活は楽しいし、授業も中学のときより面白いし、休みの日に都会で買い物できる環境も気に入っている。住めば都というやつだ。
「今は開久で良かったと思ってるけどな!」
「本当に? カノジョ欲しいんでしょ?」
「まあ……カノジョじゃなくてもいいんだけど」
「え?」
「う、ううん、なんでもない! この話おしまいー!」
「なんで?」
「なんでって……大智、興味ないんだろ?」
「朝陽の話なら興味あるよ」
そういうところだぞ、大智!
お前がサラっと「朝陽だけ特別」みたいなことを言うから、藤井やオレが勘違いしちゃうんだぞ!
「大智ってモテそうだよな……あ、モテ過ぎて女子が嫌になった?」
「そうかも」
「モテそうって言われて否定しないヤツ初めて見た……いいなあ」
つい本音を漏らすと、大智が思い切り眉間に皺を寄せた。
「別にいいことじゃないよ。急に写真撮っていいか聞かれたり、連絡先交換してないのにメッセージが送られてきたり、バレンタインに婚姻届渡されたり」
「マジで!?」
大智は思い出したくもないという顔で頷いた。
大智が恋愛にマイナスイメージを抱いてしまう理由は、きっとそれだ。
もし同じような目に遭っていたら、オレだって気軽に「カノジョ欲しい」なんて言えなかったと思う。
「大智の周りには、ちょっと特殊な女子が多かったんだな」
「そう? 女子なんてそんなもんじゃない?」
大智の口ぶりは冬の朝のグラウンドぐらい冷たかった。
「そんなことないって! 大智のこと大事にしてくれる子だって絶対にいるよ!」
「俺は朝陽がいればいい」
「そう思ってくれるのは嬉しいけどさ……オレは恋ってすごくいいもんだと思う。恋愛経験ゼロのオレが言っても説得力ないけど……だって好きなひとが自分のことを大好きなんだぞ? サッカーで置き換えてみたらさ、大好きなスペインの強豪チームからスカウトされるみたいなもんじゃん!?」
オレが力説すると、大智はポカンとした顔で首を傾げた。
「スペインのチームにスカウトされたことならあるけど恋愛とは違う気がする」
「……ごめん、喩えがよくなかった」
いつにスカウトされたの!? どこのチーム!? どうして断ったの!?
聞きたいことはいくつもあったけれど、今の本題は恋愛なのでぐっと堪えた。
「うーん、なんて言ったらいいかなー……」
「朝陽が教えてよ」
「え?」
「朝陽が俺の恋人になって、恋がすごくいいってことを教えてよ」
「それは……恋人っぽく振る舞うってこと?」
「んー、まあ、それでもいいよ」
「ええー、それオレが寂しくないか?」
「なんで?」
「だってさぁ……」
大智に冷たくされるなんて、想像しなくても寂しいってわかる。
片想いには片想いの良さがあると思うけど、振り向いてもらえないのはやっぱり辛いはずだ。
「オレだけ恋人っぽく振る舞うなんて虚しいよ」
「俺もちゃんと恋人っぽく振る舞う」
「そんなことできるのか?」
俺が尋ねると大智は「できる」と言って、オレの前に立った。
「朝陽のこと絶対に大事にする」
大智がオレを見つめる視線はやけに熱っぽくて、まるでプロポーズみたいだった。
「お、おう」
オレは気が付いたらオーケーしていた。
「ありがとう、朝陽」
「あ、いや、うん」
「キスしてみてもいい?」
「そ、それはダメだろ!?」
「付き合ったらキスするんじゃないの?」
キスするだろうけど。
オレだって恋人ができたらキスしたいけども。
「キスはダメ……にしておかないとマズい気がする」
だってオレたちは同じ部屋で暮らしてるんだ。
もしキスがめちゃくちゃ気持ち良くてハマってしまったら、もっと先に進みたくなるに決まってる。
そう力説すると、大智はニヤッと笑って「朝陽ってエッチだね」と言った。
「なっ」
「じゃあハグは?」
「ハグは……いいんじゃないか?」
サッカー選手だってゴールを決めたらチームメイトとハグをするし。
学校でも、肩を組んで歩いているヤツなんて毎日見かける。
「じゃあハグはアリね」
「と思うけど……オレが変なこと言ってたら訂正してくれよ?」
「大丈夫だよ」
そう言ってニコニコしている大智を見て余計に不安になった。
模様替えの件があるので、大智の「大丈夫」はあまりあてにならない気がした。
「大智は何かある? オレにして欲しくないこと」
「朝陽がしてくれることならなんでも嬉しいよ」
「急に写真を撮るかもよ?」
「朝陽ならいいよ」
「その写真を誰かに勝手に送っちゃうかもよ?」
そんなこと絶対しないけど。
大智に真剣に考えて欲しくてわざと言ってみた。
「それは……嫌かな」
「だろう?」
「うーん、じゃあ、恋人ごっこするのは寮の中だけにしようか。周りに何か言われるの面倒だし」
藤井たちのことを言いたいのだろうか。
声が大きい藤井に、キャプテンシーの強い武田、おしゃべりとSNSが大好きな南、確かにバレたら話がややこしくなりそうだ。
「うん、ルールに追加しよう。ていうか、その恋人ごっこって言い方、いいね」
お互いに相手の恋人っぽく振る舞うから恋人ごっこか。
なんか、わかりやすくなった気がする。
オレがうまく盛り上げれば大智も恋がしたくなるだろう。
あれ? オレは大智に恋をして欲しいかったんだっけ?
「どうしたの、朝陽」
「ううん。えっと、他にはどんなルールが必要かな?」
「もうよくない? あんまり多すぎると俺、覚えられないよ」
多すぎるって、まだ二つだけじゃないか。
サッカーのルールだってもっと複雑なんだから覚えられるだろ。
まあ、いいか。大智が嫌がってるんだし。
そう思うぐらいにはオレも大智に甘いのだった。
今日は練習後にシャワーを浴びる時間がなかったようで、髪を結んだままだった。
汗にぬれた肌はキラキラして、目つきは少し鋭く、瞳の中にサッカー中の闘争心がまだ残っているように見えた。
「ただいま、朝陽」
そう言いながら大智が髪を結んでいたゴムをほどくと長い髪が肩に落ちた。
大智の髪は汗でますます黒々としていて、色素が薄いオレの髪とは全然違う。
練習後の大智は何度も見てるのに、今日はいつも以上にかっこよく見えた。
「朝陽?」
「お、おう! おかえり」
見惚れていたことを隠すように、オレは勉強用の椅子に座ったまま大きく伸びをした。
勉強で疲れた風を装ったけど、本当は大智のことばかり考えていて全然手につかなかった。
「風呂もう入った?」
「えっ、あ、うん、入った! 汗かいちゃって」
ただ風呂済みだと言うだけなのには言い訳みたいになった。
大智と風呂に入るのが急に恥ずかしくなって先に入った、という理由を誤魔化そうとしたせいだ。
「今日暑かったね。俺も汗だく。風呂入ってくる」
「いってらっしゃい……」
オレの予想では、藤井と話したことを根掘り葉掘り聞いてくるか、逆に全然話さなくて目も合わさないんじゃないかの二通りだったが、実際の大智はいつも通りで昼間に話したことなんて全然気にしていないどころか覚えてさえいなさそうだった。
藤井からベッドの位置のことを聞かれてから大智のことばかり考えていたオレとしては肩すかしをくらった気分だ。
そういえば、昼休みのあと藤井は大丈夫だったのだろうか。
気になったのでメッセージを送ってみたが返信はなかった。きっと藤井も風呂に入っているのだろう。
今度こそ本当に勉強を始めると、しばらくして大智が風呂から戻ってきた。
練習で疲れているだろうに、すぐにオレの横の机で宿題を始めた。
「大智、ドライヤー使っていい?」
「うん、いいよ」
大智はオレに自分のドライヤーを貸してくれた。
お兄さんが誕生日にプレゼントしてくれたという音が静かで風量が強い最新モデルだ。
オレはそれを手に持って、大智の後ろに立った。
長い髪に風を当てると、大智はちょっと驚いた顔で一度振り返ったけれど、オレが髪を乾かしやすいように椅子の背もたれに体を預けた。
「普通に勉強してていいよ」
「うん。ありがとう」
大智はしばらくシャーペンを動かしていたが、ある問題にさしかかると止まってしまった。
「朝陽、ここわかる?」
大智はちょっと甘えた声で、後ろにいるオレを見上げた。
「ん? ああ~、そこわかりにくいよな」
オレはドライヤーを止めて、大智の横に立った。
問題集には『もし私が彼だったら海外に行くだろう』という文章を英訳せよ、と書かれていた。
「もし○○だったら~っていうのは仮定だよな? だから仮定法を使う」
「Ifってこと?」
「うん。でも自分が別の誰かだったらなんて現実にはありえないだろ? そういう時は『If I was』じゃなくて『If I were』って書くんだよ」
「へえ……」
大智はわかったようなわからないような声だったが、オレが教えた通り問題集に書き込んでいった。
「もし俺が朝陽だったら、こんな問題簡単に解けるんだろうね」
「そんなことないって。そこのページが先週の宿題だったから覚えてただけ」
答えながら、オレは「もし自分が大智だったら」と考えた。
サッカーを今も続けていただろうし、やめようとさえ思わなかっただろう。
「朝陽?」
「あ、ごめん。オレが大智だったらって考えてた」
「へえ? もし俺と入れ替わったら、朝陽は何がしたい?」
「え……」
サッカー、と答えそうになり、慌てて別の答えを考えた。
「服を買いに行こうかな! 大智はイケメンでなんでも似合いそうだし!」
「それなら一緒に買い物に行こうよ。朝陽に服選んでほしい」
「いいよ! でも私服着ること、ほとんどなくないか?」
大智は土日もサッカーがあり、基本的にユニフォーム、部屋着、制服で過ごしている。
私服は必要ないんじゃないかと指摘すると、大智は唇を突き出して「朝陽は俺と出掛けたくないの?」と言った。
「ちがうって。でも前に、服に興味ないって言ってたじゃん」
「そうだけど……朝陽は休みの日に結構出掛けてるよね?」
「え? うん、出掛けてるけど?」
せっかく都会で暮らせているのだから、色んな所に出掛けたい。
この感覚は、東京生まれ、東京育ちの大智にはピンと来ないだろう。
「……もしかして付き合ってるひといる?」
「え!? いないいない!」
話が思いがけないほうに展開して驚いた。
大智からそういう話を振られると、どうしたって「大智がオレを好き説」が頭に浮かんでしまう。
でも自意識過剰な気もして、オレは落ち着かない気分になった。
「高校での目標『カノジョを作る』なんだけど全然でさ、ハハハ……」
「そうなの?」
「うん。そういえば、オレたちこういう話したことなかったな!」
明るい雰囲気に持って行こうとしたが、大智はなぜか不機嫌な顔になっていた。
「だね。俺が全然興味ないからじゃない?」
「そうなの?」
「全然ない」
大智はきっぱりと言い切った。
「じゃあ、中学の時に付き合ってた子とかいなかったのか?」
「朝陽は? いたの?」
「いないけど……」
オレの中学生活は学校とサッカーだけで構成されていて、彼女を作る余裕なんてなかった。
時間があるなら少しでも寝て背を伸ばそうとしていたが、目標としていた百八十センチには届かなかった。
「俺もいないよ。サッカーばっかしてた」
ですよね……。
プロチームの下部組織にいた大智は俺より練習や遠征が多かったはずだ。
トップチームになると中学生の頃からブラジルやスペインにも行くと聞いたことがある。
「サッカーが恋人?」
「そこまでは言わないけど……女子と喋るよりサッカーしてるほうが全然楽しい」
「……もしかして、女子が苦手だから男子校に入ったの?」
「うん。まあ、寮があるほうが絶対条件だったんだけど」
大智の実家は都内で学校から電車で一時間かからない場所にあるらしい。
彼の両親は仕事で海外赴任することになり、夫婦二人で生活する家を準備していたのだが、サッカー推薦で寮がある高校に行くと思っていた大智が土壇場になって「サッカーをやらない」と言い出したため、慌てて寮がある高校を探し見つけたのが開久高校だったらしい。
一年の頃に聞いた話だ。
オレも寮がある高校を探していたからわかるが、都内で寮がある高校は限られていて、運動部以外だとさらに少ない。
「朝陽は本当は共学がよかったんだっけ?」
「うん。寮がある共学の高校を第一志望にしてたんだけど落ちた」
親から家を出る条件として「新幹線を使わずに帰省できる範囲」と言われていたので、それなら都会がいいと思って都内で寮がある高校を探し、別の共学高校と男子校の開久を受験した。
男子校に行くしかないと決まった時は正直ガッカリしたが、学校生活は楽しいし、授業も中学のときより面白いし、休みの日に都会で買い物できる環境も気に入っている。住めば都というやつだ。
「今は開久で良かったと思ってるけどな!」
「本当に? カノジョ欲しいんでしょ?」
「まあ……カノジョじゃなくてもいいんだけど」
「え?」
「う、ううん、なんでもない! この話おしまいー!」
「なんで?」
「なんでって……大智、興味ないんだろ?」
「朝陽の話なら興味あるよ」
そういうところだぞ、大智!
お前がサラっと「朝陽だけ特別」みたいなことを言うから、藤井やオレが勘違いしちゃうんだぞ!
「大智ってモテそうだよな……あ、モテ過ぎて女子が嫌になった?」
「そうかも」
「モテそうって言われて否定しないヤツ初めて見た……いいなあ」
つい本音を漏らすと、大智が思い切り眉間に皺を寄せた。
「別にいいことじゃないよ。急に写真撮っていいか聞かれたり、連絡先交換してないのにメッセージが送られてきたり、バレンタインに婚姻届渡されたり」
「マジで!?」
大智は思い出したくもないという顔で頷いた。
大智が恋愛にマイナスイメージを抱いてしまう理由は、きっとそれだ。
もし同じような目に遭っていたら、オレだって気軽に「カノジョ欲しい」なんて言えなかったと思う。
「大智の周りには、ちょっと特殊な女子が多かったんだな」
「そう? 女子なんてそんなもんじゃない?」
大智の口ぶりは冬の朝のグラウンドぐらい冷たかった。
「そんなことないって! 大智のこと大事にしてくれる子だって絶対にいるよ!」
「俺は朝陽がいればいい」
「そう思ってくれるのは嬉しいけどさ……オレは恋ってすごくいいもんだと思う。恋愛経験ゼロのオレが言っても説得力ないけど……だって好きなひとが自分のことを大好きなんだぞ? サッカーで置き換えてみたらさ、大好きなスペインの強豪チームからスカウトされるみたいなもんじゃん!?」
オレが力説すると、大智はポカンとした顔で首を傾げた。
「スペインのチームにスカウトされたことならあるけど恋愛とは違う気がする」
「……ごめん、喩えがよくなかった」
いつにスカウトされたの!? どこのチーム!? どうして断ったの!?
聞きたいことはいくつもあったけれど、今の本題は恋愛なのでぐっと堪えた。
「うーん、なんて言ったらいいかなー……」
「朝陽が教えてよ」
「え?」
「朝陽が俺の恋人になって、恋がすごくいいってことを教えてよ」
「それは……恋人っぽく振る舞うってこと?」
「んー、まあ、それでもいいよ」
「ええー、それオレが寂しくないか?」
「なんで?」
「だってさぁ……」
大智に冷たくされるなんて、想像しなくても寂しいってわかる。
片想いには片想いの良さがあると思うけど、振り向いてもらえないのはやっぱり辛いはずだ。
「オレだけ恋人っぽく振る舞うなんて虚しいよ」
「俺もちゃんと恋人っぽく振る舞う」
「そんなことできるのか?」
俺が尋ねると大智は「できる」と言って、オレの前に立った。
「朝陽のこと絶対に大事にする」
大智がオレを見つめる視線はやけに熱っぽくて、まるでプロポーズみたいだった。
「お、おう」
オレは気が付いたらオーケーしていた。
「ありがとう、朝陽」
「あ、いや、うん」
「キスしてみてもいい?」
「そ、それはダメだろ!?」
「付き合ったらキスするんじゃないの?」
キスするだろうけど。
オレだって恋人ができたらキスしたいけども。
「キスはダメ……にしておかないとマズい気がする」
だってオレたちは同じ部屋で暮らしてるんだ。
もしキスがめちゃくちゃ気持ち良くてハマってしまったら、もっと先に進みたくなるに決まってる。
そう力説すると、大智はニヤッと笑って「朝陽ってエッチだね」と言った。
「なっ」
「じゃあハグは?」
「ハグは……いいんじゃないか?」
サッカー選手だってゴールを決めたらチームメイトとハグをするし。
学校でも、肩を組んで歩いているヤツなんて毎日見かける。
「じゃあハグはアリね」
「と思うけど……オレが変なこと言ってたら訂正してくれよ?」
「大丈夫だよ」
そう言ってニコニコしている大智を見て余計に不安になった。
模様替えの件があるので、大智の「大丈夫」はあまりあてにならない気がした。
「大智は何かある? オレにして欲しくないこと」
「朝陽がしてくれることならなんでも嬉しいよ」
「急に写真を撮るかもよ?」
「朝陽ならいいよ」
「その写真を誰かに勝手に送っちゃうかもよ?」
そんなこと絶対しないけど。
大智に真剣に考えて欲しくてわざと言ってみた。
「それは……嫌かな」
「だろう?」
「うーん、じゃあ、恋人ごっこするのは寮の中だけにしようか。周りに何か言われるの面倒だし」
藤井たちのことを言いたいのだろうか。
声が大きい藤井に、キャプテンシーの強い武田、おしゃべりとSNSが大好きな南、確かにバレたら話がややこしくなりそうだ。
「うん、ルールに追加しよう。ていうか、その恋人ごっこって言い方、いいね」
お互いに相手の恋人っぽく振る舞うから恋人ごっこか。
なんか、わかりやすくなった気がする。
オレがうまく盛り上げれば大智も恋がしたくなるだろう。
あれ? オレは大智に恋をして欲しいかったんだっけ?
「どうしたの、朝陽」
「ううん。えっと、他にはどんなルールが必要かな?」
「もうよくない? あんまり多すぎると俺、覚えられないよ」
多すぎるって、まだ二つだけじゃないか。
サッカーのルールだってもっと複雑なんだから覚えられるだろ。
まあ、いいか。大智が嫌がってるんだし。
そう思うぐらいにはオレも大智に甘いのだった。
