家庭科室から教室に戻り、通学カバンに調理実習で作ったおやつを詰めた。
ほとんどの生徒がまだ残っていて、調理実習で作ったおやつを「うまいうまい」と食べている。
「俺たちも教室で食ってくけど佐野は?」
「大智を待たせてるから帰るわ」
「おう。じゃあ、また明後日だな」
「ん、じゃあな」
木下と小原に手を振って、教室を出た。
そこから寮まで五分とかからない。
忘れ物をしても休み時間で取りに帰れる距離だ。
校舎を出て、グラウンドの脇を通り過ぎると、二つの寮が団地のように並んで建っている。
その二つのうち、小さいほうがオレの暮らしている寮だ。
入口のドアを開けると、共有スペースで一年生たちがジュースを飲みながら雑談していた。
「佐野先輩、おかえりなさい」
「おう、ただいま」
彼らは今月入学したばかりだから、寮で暮らし始めてまだ三週間ぐらいしかたってない。
それなのに、まるで近所のファミレスにいるみたいに馴染んでいる姿を見ると、改めて「いい寮だよなぁ」と思う。
門限や消灯時間以外のルールは特になく、集団生活をしているという感じはあまりない。
それでも去年一年間で大きなトラブルは一度もなかった。
「花山、髪色変えたんだな! 似合ってるよ」
「ありがとうございます! 新入生なんで、桜色にしましたぁ!」
そう言って一年の花山が自分の頭を指差した。
校舎内の桜はもう散ってしまったが、彼の髪色はまさに満開の桜のようだ。
「佐野先輩は地毛なんすよね?」
もう一人の一年生、内海が自分のピアスをいじりながら聞いてきた。
「うん。生まれつき色素が薄くてさ」
「いいっすね!」
「カフェオレ色って感じでオシャレっす」
「はは、ありがとう」
後輩に褒められていい気分になったオレは、寮の階段を一段飛ばしで三階まで上った。同じデザインのドアが並ぶ通路を歩いて、階段から一番遠い角部屋の前で立ち止まった。
「ただいまー」
「おかえり、朝陽」
大智は玄関を開けてすぐの場所で待っていた。
と言っても、飼い主の帰りを待つお利口なワンちゃんのように玄関でオレを待っていたわけじゃない。
そこしか場所がないのだ。
部屋の中央には壁があり、左が俺の部屋で右が大智の部屋だ。
共有部分は玄関だけだから、ルームメイトと一緒に何かしようと思うと玄関前の一畳ほどのスペースしかない。
大智はそこにクッションを並べてオレを待っていた。
「朝陽、お茶買っておいたよ」
「ありがとう! あとで払う」
「いいよ、別に」
「払うって! ヘイヘイでいい?」
「うん」
そんな会話をしながらケーキの前に腰を下ろした。オレの分のフォークもちゃんと用意されている。
「これも食べてみて。オレたちが作ったポテトチップス。結構うまいよ」
カバンから取り出したクラフト紙の袋を差し出すと、大智がすぐに手を伸ばした。お腹が空いているようだ。
「うん、すごくおいしい」
「な? 大智のケーキもうまそう! 食べていい?」
「もちろん。朝陽と一緒に食べるために作ったんだから」
大智は手にフォークを持って、ケーキではなくオレを見て言った。
どうやら先に食べて欲しいらしい。
それならばと白いクリームにフォークをそっと刺して、こぼさないように下に手を添えながら口に運んだ。
「んっ……うまい! 本当にケーキだ!」
「あはは、疑ってたの?」
「そうじゃなくて! お店で買ったみたいに美味しいってこと」
「よかった」
大智はホッとしたように見えた。
一緒の部屋になるまでは、彼がそんな表情するとは思ってもみなかった。
ピッチにいる彼は自信満々で、不安なんて一ミリもないように見えた。
サッカーで誰にもボールを奪わせないなんてことは不可能だけど、央位大智には対戦相手に「こいつからボールを奪うのは不可能なんじゃないか?」と思わせるような迫力があった。
オレは大智のチームと対戦したことがないから、大智の所属チームのSNSで動画を見ただけなんだけど。
大智が作った大きなケーキは、あっという間にオレたちの腹に消えていった。
甘いもののあとはしょっぱいものが食べたくなって、オレが作ったポテトチップスと別の班が作ったせんべいも二人で完食した。
さすがに腹はパンパンで、夕飯が入るかちょっとあやしい状態だ。
「今日だけで三キロぐらい太った気がする」
ふくれた腹を撫でていると、大智がオレの腹に手を伸ばしてきた。
「可愛い」
「可愛くはないだろ」
「可愛いけど?」
「いやいや! 食べすぎて腹がぽっこり出てる男子高校生が可愛いわけない」
「他のやつはそうかもしれないけど、朝陽は可愛いよ」
大智はたまによくわからないところで頑固になることがある。
一年とちょっとルームメイトをしてわかってきたことの一つだ。
「このままじゃ夕飯が入んないなぁ」
「それは困ったね」
大智は他人事のように言った。彼はまだ全然食べられるようだ。
体の厚みがオレの二倍ぐらいあるから、胃袋だってそれぐらい違ってもおかしくない。羨ましい限りだ。
大智ぐらい筋肉が付きやすい体だったら、オレの選手生命はもうちょっと長かったのかもしれない。
「オレも筋トレしようかなぁ」
「えっ!」
「なんで嬉しそうなの?」
「朝陽と一緒に筋トレしたいから」
「現役サッカー部員と同じメニューをこなすのは無理だから! やるとしても部屋の中で腕立てと腹筋をするぐらいかなぁ」
そう言って自分の部屋を見た。うん、無理だな。そんなスペースはない。
入学説明会で「二人部屋で九畳」と聞いていたが、真ん中に壁があるので、玄関を差し引いて実際は四畳ずつだ。
ベッドと勉強机と収納だけで満員状態になっているため、筋トレするたびに物をどかさなければならない。
「この部屋、地味に使いづらいよね」
「大智もそう思う?」
「うん。壁が邪魔。朝陽が見えない」
いや、オレは見えなくてもいいだろうよ。
でも確かにこうして二人で話したり、食べたりするスペースが玄関だけっていうのは不便だ。
寮一階の共有スペースは消灯時間まで自由に使えるが、今日みたいに二人きりで食べたいものや、二人だから話せることだってある。
「あと勉強してる時にベッドが見えると……」
「わかる! 誘惑されるよなぁ!」
ここ開久高校は文武両道。つまり、運動も勉強も頑張れというスタイルなので、授業のペースは速く、宿題の量も結構ある。
オレはなんとかこなせているが、大智はサッカー部のキツい練習を終えてから寮で宿題や予習をしなければならない。
ベッドで横になりたくなる誘惑をなんとか振り切って机に向かったものの、そこで力尽きて寝てしまった大智を起こしたことが今まで何度もあった。
「模様替えしてみる?」
「模様替え?」
「そ! ベッドと机を移動させて、片方の部屋を勉強部屋、もう片方の部屋を寝室にするのはどう?」
そうすれば勉強中にベッドで寝転がりたい誘惑にかられることはなくなるし、二人で喋ったり食べたりしたいときは勉強部屋を使えばいい。
名案だと思ったのだが、大智は目と口を開いてポカンとしている。
「俺と朝陽が同じ寝室ってこと……?」
「そうそう」
「……いいね、うん、すごくいいと思う」
口ではそう言いいつつも、まだ大智の頭の上にはハテナが浮かんでいるように見えた。
実際に家具を移動させてみればわかるだろう。使いづらいと感じたら元に戻せばいいんだし。
そういうわけで、オレたちは早速家具を動かし始めた。
まずはそれぞれに荷物をまとめて玄関の空きスペースに置き、大型家具の勉強机とベッドを移動させた。
ベッドは、簀の上にマットレスを乗せているだけだから簡単に動かせた。
机も、二人で両端を持てば運ぶことができた。
玄関を入って左側の、俺が使っていた部屋に今はベッドが二つ並び、右側の大智が使っていた部屋には二つの机が少し離れて置かれている。
「どう?」
「すごくいいと思う。さすが朝陽!」
そう言って大智は後ろからオレに抱き着いた。この配置が気に入ったようだ。
家具を入れ替えただけなのに、なんだか新鮮で、入学したばかりの頃を思い出した。
でも、あの頃みたいに大智と何を話せばいいかわからなくてソワソワすることはない。
「二年もよろしくな、大智!」
「うん。よろしく、朝陽」
振り返って手を差し出すと、大智は握り返してくれた。
この部屋で、大智と過ごせるのはあと一年弱。
三年生になると、受験勉強のために相部屋から個室になる。
まだ二年生の四月だというのに、そのことを考えるとさびしい気持ちになった。
家具以外の細々とした荷物を全て運び終えると、あれだけパンパンだった腹が夕飯を食べられるぐらいになっていた。
夕食の時間になり、食堂がある一階に行くと大智は「夕飯が食べきれなくて困ったらメッセ送って。俺が食べるから」と言って寮を出て行った。
「あ、佐野先輩だぁ」
呼ばれて振り返ると、ピンク髪の花山と、彼のルームメイトで大きなピアスを付けている内海が立っていた。
「おう。今日はよく会うな」
「そっすね!」
「いま一緒にいたのって、央位先輩っすか?」
「うん。オレのルームメイト」
少し前に新入生歓迎会があり寮生は全員自己紹介をしたが、大智は部活で参加できなかった。
「えっ、央位先輩ってスポーツクラスじゃないんですか?」
「この前、俺たちサッカー部の見学に行ったんですけど、めちゃくちゃうまかったです!」
「あーうん、大智はスポーツクラスではあるんだけど、二年から転入したんだ」
大智は最初、一般クラスだった。
二年生からスポーツクラスに転入したので本当は隣に建っているスポーツクラスの寮に移らなければいけないのだが、大智は「移動するのがめんどくさい」と言って拒否した。
次期キャプテンの武田が説得して、食事だけは隣のスポーツクラスの寮でとるようになったが、それでも武田は「後輩に示しがつかない」とぼやいていた。
スポーツクラスの寮は三人、または四人部屋で、オレたちの寮よりも色々なルールがあるらしい。
大智だけ「ルールがゆるい普通クラスの寮で二人部屋なんてズルい」と言われれば、その通りなのだが、央位大智に対してそんなことを言う勇気がある後輩はおそらくいないだろう。
「あ、今の話はスポーツクラスの一年にはコレな?」
オレが唇の前で人差し指を立てると、二人は頷いてくれた。
「俺らスポーツクラスに知り合いいないんで大丈夫っすよ」
「接点ないんで」
「だよなあ」
大智が一般クラスで入学していなかったら、オレは大智と話さなかったかもしれない。
大智つながりで話すようになった、サッカー部のエースたちとも会話しなかったのだろう。
今は当たり前のことが当たり前ではないと気が付いて、ちょっと不思議な気分になった。
