「頼む、佐野! 勉強を教えてくれ!」
藤井がそう頼み込んできたのは一学期のテスト一週間前のことだった。
「それがひとにものを頼む態度か? 教えてくださいだろが」
「お、教えてください……」
オレは何も言ってない。言ったのは大智だ。
放課後、藤井が話したいことあるからスポーツクラスの寮に来て欲しいと言ったのは大智なのに、スポーツクラスの寮の一階へ行ってみると、大智は椅子に座って足を投げ出し不機嫌オーラを放っていた。
「オレでよければ全然教えるけど……」
「ありがとう、佐野!」
「なんかあったのか?」
「俺、前回のテストがヤバくて。今回も同じぐらいの成績だったらレギュラーから外すって言われてるんだよぉ」
「そ、それは大変だ」
藤井や大智たちのスポーツクラスも、テスト一週間前は部活動が禁止になる。
そのため、寮一階の共有スペースは勉強するスポーツクラスの生徒で静かに賑わっていた。
「でもオレでいいのか? 同じクラスの武田に教えてもらった方がいいんじゃないか?」
武田はスポーツクラスで一番成績がいいと聞いたことがある。
オレはというと、いつも学年で二十位から十位あたりだった。
「試験前の武田に声掛けるなんて絶対ヤダよ! ずっとピリピリしてんだもん!」
「へえ、そうなんだ」
大智を見ると不機嫌そうなのは変わらずだが、藤井の言葉に頷いていた。
「じゃあ、勉強道具取ってくるよ」
「俺も行く」
大智と一緒にスポーツクラスの寮を出て、隣に建つオレたちの寮に一度戻った。
「ごめんね、朝陽」
「ううん。藤井がレギュラー落ちしたら大智も困るもんな」
開久高校サッカー部の正キーパーは三年の先輩なのだが現在は怪我の治療中で、二年の藤井がレギュラーとして試合に出ている。
中学の時から同じチームの藤井が後ろにいるのは大智としても心強いだろう。
「別に。一年のキーパーも結構うまいし」
「え? じゃあ、なんでオレを呼びに来たんだよ?」
大智はどうでもいいと思ってるやつからの頼みは聞かない。
本当は気に掛けてるんだろ? 正直に言えばいいのに、と思ったのだが、そうではなかった。
「修学旅行の時に、なんでも一つ言うことを聞くって約束したから」
「ああ、あったね、そんなことも」
修学旅行からまだ二ヶ月しか経っていないのに、すごく前のことに感じた。
大智と恋人同士になってからも二ヶ月ということだ。
その前から距離が近かったから大きく何か変わったわけじゃない。
テスト前に一緒に勉強するのだって、いつも通りだ。
勉強道具を持って藤井のところに戻ると、オレと大智も椅子に座ってテーブルの上に問題集を開いた。
「よし、じゃあ始めるか!」
「よろしくお願いします!」
「藤井が心配な科目から勉強しよう」
「ウッス。自分、英語が苦手っす」
「了解! じゃあまずはテスト範囲のワークを一ページ五分でやるぞ!」
「えっ、五分!?」
「文句を言うな。バカは言われた通りに勉強してればいいんだよ」
机の下で大智が藤井の足を蹴った。
「やったな!」
藤井が大智を蹴り返す。
「そんなん痛くねぇし」
「嘘つけ!」
「やめろって」
「そうだそうだ」
「ほら、五分計るぞ。わからないところは飛ばしていいから。はい、スタート」
その掛け声でお互いの足を蹴り合っていた二人がワークに集中した。さすが現役アスリート。
オレも自分のワークに集中した。
五分のアラームが鳴って顔を上げると、藤井が自分の頭を手で両側から挟んで眉間に皺を寄せていた。
わからないところがあったのが、わかりやすく伝わってくる。
「よし、丸付けしよう。わからないところがあったら教えるから」
「佐野ー、ここなんだけどー」
「ん? それは文法のテキストに詳しく書いてあるから一緒に見返そう」
「はーい」
なんて風に時間を測りながら勉強していくと、あっという間に消灯時間になった。
「佐野のおかげでちょっと希望が見えてきた」
「そうか? 役に立てたなら良かったよ」
「マジで佐野にお願いしてよかったよ! 大智があの点数を取れるなら俺も! と思ったんだぁ」
「俺をお前と一緒にするな」
「なんだよ! 中学の時は似たような点数だったろ!」
きっと中学生の頃から、こんな感じだったんだろうな。
ていうか、一生こうなんだろう。
「俺と朝陽の時間を減らしやがって」
「央位のそういう独占欲が強いところ、いつか愛想尽かされるからな!」
「ない」
「いいや、あるね! 聞いてよ、佐野! コイツ、俺に佐野と連絡取るの禁止してたんだぞ!」
「えっ、そうなの?」
「朝陽は知らなくていいから。もう消灯になるよ」
藤井の話は気になったが、確かにもう寮に戻らないといけない時間だ。
藤井と明日も同じ場所で勉強する約束をして、スポーツクラスの寮を出た。
外に出ると夏の虫が鳴いていた。
七月も中旬を過ぎて、毎日最高気温を更新している。
きっと今夜も熱帯夜だろう。
寮の部屋のドアを開けると、クーラーの涼しい風がオレと大智を包んだ。
「ねぇ、さっきの話どういうこと?」
そう問いかけると、先に部屋に入った大智の肩がわずかに震えた。
「藤井とオレが連絡を取ると何かマズいのか?」
「それは……」
「それは?」
大智は俺を振り返ったものの、視線は斜め下を向いていて、まるで先生に叱られた幼稚園児のようだった。
「前に藤井が朝陽に変なこと言ったから」
「変なこと?」
「俺たちの寮の部屋がおかしいとか、なんとか」
「ああ」
そういえば、そんなこともあったな。
寮の部屋を模様替えして、すぐの頃だ。
藤井は大智がオレに無理強いしたんじゃないかと心配して声を掛けてくれたが、模様替えを提案したのはオレのほうだった。
そう言えば、その日の夜に藤井にメッセージを送ったけれど返信はなく、次に藤井から連絡があったのは大智がオレのスマホを取り違えて持って行った時だった。
「朝陽、怒った……?」
「別に怒ってないけど、もうやらないで欲しいかな。友達から返信ないと寂しいし」
「うん、もうやらない」
そう言って大智はオレを抱きしめた。
翌日も、オレたちはスポーツクラスの寮で勉強した。
最初は昨日と同じ三人だったが、途中から南が加わり、その後で珍しくメガネ姿の武田も加わった。
「あ、そっか! わかったかも! ありがとう、佐野!」
南が椅子の上で飛び跳ねた。
そんな風に喜んでもらえると教えた甲斐がある。
「佐野、マジで教え方が上手いな。参加して良かったわ」
そう話す武田は英語が苦手ではないが問題に慣れていない感じだった。
「なんでそんなに英語得意なん?」
「別に得意ってわけじゃないけど……」
一応サッカー選手になるつもりだったので、海外遠征の時に英語はできたほうがいいかなぁと思うと他の教科よりは勉強に身が入った。
「実はスペイン語も勉強してたりする」
「えっマジ!? すご!」
「スマホアプリでだけどな」
一度始めると面白くてまだ続けていると笑って誤魔化したけれど、現役サッカー部員たちは真面目な顔になっていた。
「俺も佐野を見習うわ。審判に抗議するにも英語ができないとな」
武田はそう言ってワークのページをめくった。その真剣な表情で、本気でプロを目指してるんだなとわかった。
「じゃあ、オレは通訳を目指そうかな? サッカー選手の通訳ってどうやったらなれるのかわかんないけど」
思いつきで口にした目標だったけど、びっくりするほどしっくりきた。
サッカー選手を諦めたオレでもサッカーに関わる方法がある。
そう思うとワクワクした。
「央位ー、そろそろ本気出さないとヤバいんじゃね?」
「さすがの央位でもねぇ~」
そう言って藤井と南は大智を見てニヤニヤと笑った。
「うるせぇ、黙ってろ」
大智は二人のほうを見ずに言った。
「なに? どうしたの?」
「別に、なんでもない」
大智も武田と同じように真剣な顔でワークのページをめくっていた。
消灯時間になり自分たちの寮の部屋へ戻ると、大智がやけに強く抱きしめてきた。
「どうした?」
「……朝陽は俺とサッカーどっちが好き?」
「ええ? どっちも好きだぞ?」
人とスポーツじゃ、比べようがない。
大智はその答えでは満足できないようで、オレを抱きしめる腕の力を弱めなかった。
「う~ん、強いて言うなら……サッカーかな!」
「えっ」
大智はショックを受けた顔で、オレを見た。
そんな顔をされるとは思わなかったので、慌ててフォローを入れた。
「いや、ほら、大智よりサッカーのほうが付き合い長いし」
「そんなのずるい」
「ずるいって言われても……サッカーっていう共通点がなかったらオレたち付き合ってないかもしれないんだし」
「じゃあ、俺がサッカー続けてる間はずっと一緒にいてくれる?」
「なにそれ。サッカー辞めたらオレと別れたいわけ?」
「ちがう……」
これはアレだな。勉強で疲れてるんだな。
デカい体で子どもみたいにぐずるなよと思うものの、そういう大智も可愛いと思えてしまうのだった。
藤井がそう頼み込んできたのは一学期のテスト一週間前のことだった。
「それがひとにものを頼む態度か? 教えてくださいだろが」
「お、教えてください……」
オレは何も言ってない。言ったのは大智だ。
放課後、藤井が話したいことあるからスポーツクラスの寮に来て欲しいと言ったのは大智なのに、スポーツクラスの寮の一階へ行ってみると、大智は椅子に座って足を投げ出し不機嫌オーラを放っていた。
「オレでよければ全然教えるけど……」
「ありがとう、佐野!」
「なんかあったのか?」
「俺、前回のテストがヤバくて。今回も同じぐらいの成績だったらレギュラーから外すって言われてるんだよぉ」
「そ、それは大変だ」
藤井や大智たちのスポーツクラスも、テスト一週間前は部活動が禁止になる。
そのため、寮一階の共有スペースは勉強するスポーツクラスの生徒で静かに賑わっていた。
「でもオレでいいのか? 同じクラスの武田に教えてもらった方がいいんじゃないか?」
武田はスポーツクラスで一番成績がいいと聞いたことがある。
オレはというと、いつも学年で二十位から十位あたりだった。
「試験前の武田に声掛けるなんて絶対ヤダよ! ずっとピリピリしてんだもん!」
「へえ、そうなんだ」
大智を見ると不機嫌そうなのは変わらずだが、藤井の言葉に頷いていた。
「じゃあ、勉強道具取ってくるよ」
「俺も行く」
大智と一緒にスポーツクラスの寮を出て、隣に建つオレたちの寮に一度戻った。
「ごめんね、朝陽」
「ううん。藤井がレギュラー落ちしたら大智も困るもんな」
開久高校サッカー部の正キーパーは三年の先輩なのだが現在は怪我の治療中で、二年の藤井がレギュラーとして試合に出ている。
中学の時から同じチームの藤井が後ろにいるのは大智としても心強いだろう。
「別に。一年のキーパーも結構うまいし」
「え? じゃあ、なんでオレを呼びに来たんだよ?」
大智はどうでもいいと思ってるやつからの頼みは聞かない。
本当は気に掛けてるんだろ? 正直に言えばいいのに、と思ったのだが、そうではなかった。
「修学旅行の時に、なんでも一つ言うことを聞くって約束したから」
「ああ、あったね、そんなことも」
修学旅行からまだ二ヶ月しか経っていないのに、すごく前のことに感じた。
大智と恋人同士になってからも二ヶ月ということだ。
その前から距離が近かったから大きく何か変わったわけじゃない。
テスト前に一緒に勉強するのだって、いつも通りだ。
勉強道具を持って藤井のところに戻ると、オレと大智も椅子に座ってテーブルの上に問題集を開いた。
「よし、じゃあ始めるか!」
「よろしくお願いします!」
「藤井が心配な科目から勉強しよう」
「ウッス。自分、英語が苦手っす」
「了解! じゃあまずはテスト範囲のワークを一ページ五分でやるぞ!」
「えっ、五分!?」
「文句を言うな。バカは言われた通りに勉強してればいいんだよ」
机の下で大智が藤井の足を蹴った。
「やったな!」
藤井が大智を蹴り返す。
「そんなん痛くねぇし」
「嘘つけ!」
「やめろって」
「そうだそうだ」
「ほら、五分計るぞ。わからないところは飛ばしていいから。はい、スタート」
その掛け声でお互いの足を蹴り合っていた二人がワークに集中した。さすが現役アスリート。
オレも自分のワークに集中した。
五分のアラームが鳴って顔を上げると、藤井が自分の頭を手で両側から挟んで眉間に皺を寄せていた。
わからないところがあったのが、わかりやすく伝わってくる。
「よし、丸付けしよう。わからないところがあったら教えるから」
「佐野ー、ここなんだけどー」
「ん? それは文法のテキストに詳しく書いてあるから一緒に見返そう」
「はーい」
なんて風に時間を測りながら勉強していくと、あっという間に消灯時間になった。
「佐野のおかげでちょっと希望が見えてきた」
「そうか? 役に立てたなら良かったよ」
「マジで佐野にお願いしてよかったよ! 大智があの点数を取れるなら俺も! と思ったんだぁ」
「俺をお前と一緒にするな」
「なんだよ! 中学の時は似たような点数だったろ!」
きっと中学生の頃から、こんな感じだったんだろうな。
ていうか、一生こうなんだろう。
「俺と朝陽の時間を減らしやがって」
「央位のそういう独占欲が強いところ、いつか愛想尽かされるからな!」
「ない」
「いいや、あるね! 聞いてよ、佐野! コイツ、俺に佐野と連絡取るの禁止してたんだぞ!」
「えっ、そうなの?」
「朝陽は知らなくていいから。もう消灯になるよ」
藤井の話は気になったが、確かにもう寮に戻らないといけない時間だ。
藤井と明日も同じ場所で勉強する約束をして、スポーツクラスの寮を出た。
外に出ると夏の虫が鳴いていた。
七月も中旬を過ぎて、毎日最高気温を更新している。
きっと今夜も熱帯夜だろう。
寮の部屋のドアを開けると、クーラーの涼しい風がオレと大智を包んだ。
「ねぇ、さっきの話どういうこと?」
そう問いかけると、先に部屋に入った大智の肩がわずかに震えた。
「藤井とオレが連絡を取ると何かマズいのか?」
「それは……」
「それは?」
大智は俺を振り返ったものの、視線は斜め下を向いていて、まるで先生に叱られた幼稚園児のようだった。
「前に藤井が朝陽に変なこと言ったから」
「変なこと?」
「俺たちの寮の部屋がおかしいとか、なんとか」
「ああ」
そういえば、そんなこともあったな。
寮の部屋を模様替えして、すぐの頃だ。
藤井は大智がオレに無理強いしたんじゃないかと心配して声を掛けてくれたが、模様替えを提案したのはオレのほうだった。
そう言えば、その日の夜に藤井にメッセージを送ったけれど返信はなく、次に藤井から連絡があったのは大智がオレのスマホを取り違えて持って行った時だった。
「朝陽、怒った……?」
「別に怒ってないけど、もうやらないで欲しいかな。友達から返信ないと寂しいし」
「うん、もうやらない」
そう言って大智はオレを抱きしめた。
翌日も、オレたちはスポーツクラスの寮で勉強した。
最初は昨日と同じ三人だったが、途中から南が加わり、その後で珍しくメガネ姿の武田も加わった。
「あ、そっか! わかったかも! ありがとう、佐野!」
南が椅子の上で飛び跳ねた。
そんな風に喜んでもらえると教えた甲斐がある。
「佐野、マジで教え方が上手いな。参加して良かったわ」
そう話す武田は英語が苦手ではないが問題に慣れていない感じだった。
「なんでそんなに英語得意なん?」
「別に得意ってわけじゃないけど……」
一応サッカー選手になるつもりだったので、海外遠征の時に英語はできたほうがいいかなぁと思うと他の教科よりは勉強に身が入った。
「実はスペイン語も勉強してたりする」
「えっマジ!? すご!」
「スマホアプリでだけどな」
一度始めると面白くてまだ続けていると笑って誤魔化したけれど、現役サッカー部員たちは真面目な顔になっていた。
「俺も佐野を見習うわ。審判に抗議するにも英語ができないとな」
武田はそう言ってワークのページをめくった。その真剣な表情で、本気でプロを目指してるんだなとわかった。
「じゃあ、オレは通訳を目指そうかな? サッカー選手の通訳ってどうやったらなれるのかわかんないけど」
思いつきで口にした目標だったけど、びっくりするほどしっくりきた。
サッカー選手を諦めたオレでもサッカーに関わる方法がある。
そう思うとワクワクした。
「央位ー、そろそろ本気出さないとヤバいんじゃね?」
「さすがの央位でもねぇ~」
そう言って藤井と南は大智を見てニヤニヤと笑った。
「うるせぇ、黙ってろ」
大智は二人のほうを見ずに言った。
「なに? どうしたの?」
「別に、なんでもない」
大智も武田と同じように真剣な顔でワークのページをめくっていた。
消灯時間になり自分たちの寮の部屋へ戻ると、大智がやけに強く抱きしめてきた。
「どうした?」
「……朝陽は俺とサッカーどっちが好き?」
「ええ? どっちも好きだぞ?」
人とスポーツじゃ、比べようがない。
大智はその答えでは満足できないようで、オレを抱きしめる腕の力を弱めなかった。
「う~ん、強いて言うなら……サッカーかな!」
「えっ」
大智はショックを受けた顔で、オレを見た。
そんな顔をされるとは思わなかったので、慌ててフォローを入れた。
「いや、ほら、大智よりサッカーのほうが付き合い長いし」
「そんなのずるい」
「ずるいって言われても……サッカーっていう共通点がなかったらオレたち付き合ってないかもしれないんだし」
「じゃあ、俺がサッカー続けてる間はずっと一緒にいてくれる?」
「なにそれ。サッカー辞めたらオレと別れたいわけ?」
「ちがう……」
これはアレだな。勉強で疲れてるんだな。
デカい体で子どもみたいにぐずるなよと思うものの、そういう大智も可愛いと思えてしまうのだった。
