通り雨が過ぎた後の空は、ひどく眩しい

 クーラーの無機質な稼働音だけが、ひどく冷え切った部屋の空気をかき回している。

 ベランダから戻ってきた湊は、スマホをポケットに突っ込んだまま、居心地悪そうにベッドの端に腰掛けた。
 先ほどまでの、気のおけない幼馴染同士の心地よい空間は、もうどこにもない。俺たちの間には、画面越しの「彼女」という圧倒的な現実が、分厚い壁となって立ち塞がっていた。

 沈黙が耳鳴りのように響く中、湊が床を見つめたまま、ぽつりと口を開いた。

「……隠してて、ごめん」

 その一言で、俺の足元がガラガラと崩れ落ちていく感覚がした。

「東京に、付き合ってる奴がいるんだ」

 懺悔するような低い声。
「でも、遠距離になってからなんか上手くいってなくてさ。……せっかくユキと久しぶりに会えたのに、暗い話したくなかったから」

 胸の奥を鋭い刃物でえぐり取られるような痛みを覚えながら、俺は必死に唇の端を引き上げた。
 ここで泣きそうな顔を見せれば、彼が気を遣って築き上げてくれた「楽しい夏休み」を、俺自身の手で台無しにしてしまう。

「なんだよ、水臭いな。言えよそれくらい」

 俺の口から出たのは、自分でも驚くほど明るく、平坦な「男友達」の声だった。

 その言葉に安堵したのか、湊の強張っていた肩の力がフッと抜けた。
 堰を切ったように、彼の中から抑え込んでいた不安や不満が溢れ出し始める。

「なんか最近、LINEの返事も遅いし冷たくてさ。向こうの大学のインカレサークル? みたいなのに入ってから、遊んでばっかで。絶対、他に男いると思うんだよな」
「あー、あるある。東京の大学生とか、絶対チャラい男多いっしょ」
「だろ!? なのに俺がそれ言うと、『束縛キツい』とか言って怒るんだよ。マジ理不尽じゃね?」
「それは湊の言い方が悪いんじゃないの? もっと余裕見せとけって」

 ――痛い。痛い。痛い。

 彼の口から「彼女」の話が出るたびに、俺の心臓はズタズタに切り裂かれていく。
 けれど俺は、完璧なタイミングで相槌を打ち、的確なアドバイスを返す「良き親友」を演じ続けた。テンポ良く返せば返すほど、自分の存在意義が削り取られていく。
 好きな男の恋愛相談に、笑顔で乗らなければならない。これほどグロテスクな地獄があるだろうか。

 ひとしきり愚痴をこぼし終えると、湊は憑き物が落ちたように深く息を吐き出した。
 そして、俺の方を向いて照れくさそうに笑う。

「サンキュ、なんかスッキリした。やっぱり、お前には何でも話せるわ」

 その笑顔に、泣き出したくなる衝動を必死に堪えていると、湊は俺の肩をポンと叩いて、決定的な一言を放った。

「こういうの、男同士じゃないと分かんねーしな」

 ――男同士。

 その四文字が、脳内で何度も、何度も、残酷なエコーを繰り返した。

 ああ、そうか。
 俺が彼の一番近くにいられるのは、彼にとって俺が『絶対に恋愛対象にならない安全な存在』だからだ。
 彼が俺の前でだけ弱音を吐き、無防備に笑ってくれるのは、俺が同じ「男」という檻の中にいるからに過ぎない。

 特別なんかじゃない。
 この居心地の良い『親友』というポジションは、俺を彼から永遠に遠ざけるための、絶対に破ることのできない呪いの檻だったんだ。

「じゃあ、また明日な。遅くまでわりぃ」

 夜も更け、湊はスッキリした顔で帰っていった。

 一人残された薄暗い部屋。
 俺は、湊が座っていたベッドの端、クシャリと寄ったシーツのシワをただ虚ろに見つめていた。
 部屋の隅の姿見には、先ほどまで「完璧な男友達」を演じきった、滑稽で惨めな自分の姿が映っている。

 嫌だ。
 このまま『良き理解者の男友達』として夏休みを終えるなんて、絶対に嫌だ。
 そんな都合のいい背景のまま、彼の記憶から消えていくのは耐えられない。

 数日後には、地元の夏祭りが控えている。
 毎年、湊と一緒に金魚すくいをして、たこ焼きを食べて笑い合っていた、あの祭り。

 ――一度でいい。
 親友としてじゃなく、『女の子』として、彼の目に映りたい。
 狂ってしまうほど彼を好きだったという爪痕を、彼の心に刻みつけたい。

 俺はゆっくりと立ち上がり、クローゼットの奥へと視線を向けた。
 暗闇の中、決して開けてはいけないパンドラの箱を見つめるように、俺の胸の奥で、ひどく危うく、狂気じみた熱が静かに燃え上がり始めていた。