通り雨が過ぎた後の空は、ひどく眩しい

 テレビモニターから流れるチープな電子音と、コントローラーのボタンを連打するカチャカチャという音だけが、六畳の部屋に響いている。

 数日後の夜。俺の部屋には、夕食後から転がり込んできた湊がいた。
 クーラーが低く唸る部屋の中、俺が床のラグに座って画面と格闘し、湊は俺のベッドに寝転がりながら漫画のページをめくっている。
 言葉を交わさなくても居心地の良い、完璧に気を許し合った「男友達」の空間。昨日、神社で自分に言い聞かせた『一番の理解者』というポジションが、確かにここには存在していた。

 だが、その平和な錯覚は、無残なほど唐突に打ち砕かれる。

 ベッドの上に放り出されていた湊のスマホが、突然、けたたましい着信音を鳴らして震え出した。
 画面いっぱいに表示されているのは「ビデオ通話」の文字。

 着信画面を見た瞬間、湊が「あ、ヤバッ」と小さく声を漏らし、弾かれたように上半身を起こした。
 スワイプされた画面から、スマホのスピーカーを通して、ひどく高くて甘ったるい、女の子の声が響き渡った。

『もしもーし! 湊、今なにしてるのー?』
「あー……わり、ちょっと今、友達の家」

 湊の声が、俺には決して向けない、低くて優しいトーンに変わる。
 俺の視界の端に、彼の手元にある液晶画面がチラリと映り込んだ。

 そこにいたのは、綺麗に巻かれた栗色の髪に、流行りのメイクを施した同年代の女の子だった。華奢な肩口が大胆に開いた夏服を着て、画面越しに首を傾げている。
 それは、雑誌から抜け出してきたような、都会的で圧倒的な「本物の女の子」だった。

 ドクン、と。
 心臓が、冷たくて嫌な音を立てた。

 海辺で彼が吐いた「誰もいない」という小さな嘘が、これ以上ないほど残酷な形で暴かれた瞬間だった。

「……ごめん、ちょっとベランダ行くわ」

 湊が片手で口元を覆い、逃げるように窓の外へ出ていく。
 カチャリとサッシが閉まり、部屋に再び静寂が落ちた。

 ガラス越しに見える、湊の広い背中。
 彼はスマホの画面に向かって、俺には絶対に見せない、甘くて、少しだけ困ったような「男」の笑顔を向けていた。彼女の言葉に頷き、時折、愛おしそうに目を細めている。

 その横顔から目を逸らすように、俺は無意識に部屋の隅にある姿見へと視線を向けた。

 そこに映っていたのは、少し長めの髪をして、中性的な服で身を包んだ、ただの痛々しい「男」だった。
 どんなに服でごまかしても隠しきれない、角張った肩のライン。首元に浮かぶ喉仏。声帯のつくりから違う、あの女の子のような甘い声は、一生俺の喉からは出ない。
 画面越しの彼女の「圧倒的な本物の可愛さ」を見せつけられ、自分がどれだけ背伸びをして着飾っても、絶対に彼女には敵わないという絶望的な事実が、鈍器のように脳天を打ち据えた。

 『一番の理解者』? 『飾らなくていい居場所』?
 ……馬鹿みたいだ。

 東京にいる本物の彼女からの一本の電話で、彼はあんなにも簡単に「男」の顔になるじゃないか。
 俺はただの、彼が息抜きをするための都合の良い逃げ道でしかなかったんだ。

 数分後、サッシの開く音と共に湊が戻ってきた。

「わりぃ、なんか長引いちゃって……」

 気まずそうにスマホをポケットに突っ込み、後頭部を掻く湊。
 俺は喉の奥にせり上がってくる吐き気を必死に飲み込み、ひび割れそうな仮面を顔面に貼り付けた。

「全然。……カノジョ? 可愛いじゃん」

 無理に明るく、男友達をからかうようなトーンを装って笑う。声が震えていなかったか、自分でも分からなかった。

「あー、うん……まあ。色々あってさ」

 誤魔化すように目を逸らし、歯切れ悪く口ごもる湊。
 その明確な拒絶の態度を見た瞬間、俺の中で張り詰めていた何かが、音を立てて崩れ落ちた。

 もう、無理だ。「親友」の仮面を被って笑うことすら、息ができなくなるほど苦しい。

 ゲームのBGMは、とうの昔に止まっていた。
 重苦しい沈黙が落ちた部屋の中、ただ無機質なクーラーの稼働音だけが、体温を失った俺を冷やすように虚しく響き続けていた。