通り雨が過ぎた後の空は、ひどく眩しい

 防波堤を越えると、視界を埋め尽くすほどの青が網膜を焼いた。

「うおー! 海、久しぶりだわ!」

 自転車を無造作に寝かせた湊は、テトラポットに打ち砕ける白い波頭に向かって大きく両腕を伸ばした。
 そのままTシャツの裾を掴んでバサリと顔の汗を拭う。一瞬だけ露わになった、薄っすらと筋肉の筋が浮かぶ腹部に、男特有の骨っぽさと無骨さが見えて、慌てて視線を逸らした。

 吹き付ける潮風に煽られ、俺は日差しを遮るように片手でひさしを作りながら、乱れる長い前髪を押さえた。
 真っ黒に日焼けして太陽の光を全身で弾き返す湊と、日焼け止めを塗りたくり、少しでも陰を探そうと身を縮める俺。横に並べば、その不格好なコントラストは嫌でも浮き彫りになる。

「暑いからアイス食おうぜ。あそこの婆ちゃんち、まだやってるかな」

 湊が指差した先には、色褪せたコカ・コーラの看板を掲げた、今にも崩れそうな個人商店があった。
 薄暗い土間の隅で唸りを上げる冷凍庫を覗き込むと、霜だらけのアイスが乱雑に詰め込まれている。

「俺、ソーダのやつ。お前は?」
「……じゃあ、バニラのカップ」
「お前、昔からそういう甘ったるいヤツ好きだよな」
「湊が子ども舌なだけでしょ。いっつもソーダ味の棒アイスばっかりじゃん」

 小銭入れを探る俺を制し、湊は百円玉を二枚、店番の老婆の横に置いた。
 「いいよ、おごり。友達だろ?」と笑う横顔に、素直に「ありがとう」と微笑み返す。
 こういう気負いのないやり取りだけは、本当に昔のままで。彼と一緒にいると、自分がただの「仲の良い幼馴染」として完璧に機能していることに、少しだけ胸が撫で下ろされるような気がした。

 防波堤に並んで腰掛け、ギラギラと光を反射する海面を眺める。
 木のスプーンで掬うバニラアイスは、照りつける暴力的な太陽の熱に負け、予想外のスピードで縁からドロドロと溶け始めていた。

 慌てて口に運んだつもりが、手元が狂ったらしい。
 冷たい白い雫が、ポトリ、と俺の頬の端に落ちた。

「あ」

 ポケットのハンカチを探ろうと手を伸ばした瞬間。
 隣から、湊の顔がスッと視界を塞ぐように近づいてきた。

「垂れてるぞ」

 笑いを含んだ低い声。
 鼓膜を震わせる音の直後、俺の頬に、ざらりとした男の指の感触が触れた。

 息が、止まった。

 まばたきをする間も惜しいほどの至近距離。
 湊の長いまつ毛の影が、はっきりと見える。少しだけ茶色がかった瞳の奥には、夏の空と海の青が綺麗に反射していた。鼻先を掠めるのは、先ほどまで汗を流していたはずなのに微かに香る、東京の冷たい制汗剤の匂い。
 俺の頬についた白い雫を、湊の少し骨ばった人差し指が無造作に拭い取る。
 触れた部分から、火傷しそうなほどの彼の高い体温が伝染してきて、俺の心臓は狂ったような早鐘を打ち始めた。

 時間が、ひどくゆっくりと流れていく。
 このまま彼の手のひらが俺の頬を包み込んでくれたら。そんな、吐き気がするほど甘い錯覚に溺れそうになった。

 けれど。

 湊は俺が息を詰まらせて固まっていることなど微塵も気にかける様子はなく、拭い取った自分の指先をペロッと舐めた。
 そして、「やっべ、溶けるの早すぎ」と何事もなかったかのように視線を海へと戻してしまう。

 呆気にとられた俺の脳裏に、昨日の夕暮れ、彼のスマホの画面に映っていたパステルカラーの爪先がフラッシュバックした。

 ――あんな風に自然に、顔に触れられるなんて。

 東京で、誰かにいつもこうしてあげているのだろうか。
 彼女が泣いたときや、笑い転げて髪が乱れたとき、あのざらりとした大きな指先で、当たり前のように触れているのだろうか。

 湊にとっては、俺の頬のアイスを拭うことなど「親友の顔にゴミがついていたから取った」程度の、ただの事務作業に過ぎない。俺が『男』だから、無防備にその領域に踏み込めるのだ。

 期待で跳ね上がった体温が、足元から急速に冷やされていく。
 ひどく甘いバニラの匂いと、醜い嫉妬の混じった自己嫌悪が胃の腑をかき混ぜる。

 ただ、ザザーッという重たい波の音だけが、耳鳴りのように響き続けていた。