通り雨が過ぎた後の空は、ひどく眩しい

 頭上から照りつける太陽が、アスファルトの輪郭を白く飛ばしていく。

 昨日の帰り際、「明日、海に行こうぜ」と無邪気に提案してきた湊を待つ間、俺は何度もショーウィンドウのガラスに映る自分の姿を確認していた。
 昨日の彼の「ユキっていうジャンル」という言葉が、俺にほんの少しの勇気、あるいは取り返しのつかないほどの自意識を与えてしまったのだ。

 風通しの良いオーバーサイズの薄手のリネンシャツに、膝上丈のショートパンツ。細い足のラインが露わになり、不格好な男らしさを極限まで削ぎ落としたシルエット。
 この格好で彼に会うのは、まるで自分の隠し持っていたいびつな心臓を晒すようで、指先が微かに震えていた。

 遠くから、ギコギコと錆びた金属の擦れる音が近づいてくる。

「お待たせ! いやー、ばあちゃん家のチャリ、チェーン錆びまくっててさ」

 日に焼けた腕を剥き出しにした湊が、年季の入ったおんぼろの自転車にまたがって現れた。
 彼は俺の服装に一瞬だけ目を留め、「涼しそうでいいじゃん」と短く笑うと、ポンポンと後ろの荷台を叩いた。

「ほら、乗れよ」

 促されるまま、鉄の冷たさが残る荷台に横座りする。

「振り落とされるぞ。しっかり捕まってろ」

 そう言って背中を向ける湊。
 昔なら、迷わずその広い背中に飛び乗って、首に腕を回していただろう。けれど、今の俺にそんな無邪気な真似ができるはずもなかった。
 迷った末に、俺は彼の白いTシャツの裾を、人差し指と親指でちょこんと摘まんだ。

「行くぞー」

 力強い踏み込みと共に、自転車がゆっくりと滑り出す。
 田舎道特有の、むせ返るような青臭い草いきれが鼻腔を通り抜けていく。頬を撫でる生温かい風の向こうに、目の前にある凑の広い背中から、じわりと汗の匂いと高い体温が伝わってきた。

 シャツの裾を摘む指先に、彼の筋肉の動きがダイレクトに伝わる。
 俺だけが、彼の背中越しに「男」を感じて息を詰まらせている。その事実がどうしようもなくもどかしくて、けれど同時に、たまらなく甘かった。

 海へと続く長い上り坂に差し掛かると、途端に自転車の速度が落ちた。
 ギリギリとチェーンが悲鳴を上げる。

「ヤバい、この坂キツすぎ! 俺、東京行って体力落ちたかも!」

 向かい風を切り裂くように、湊が声を張り上げる。

「だらしないなぁ。昔は立ち漕ぎで余裕だったくせに」

 背中越しにからかうと、湊は「うるせー!」と笑いながらペダルを踏み込んだ。

「お前が重くなったんだろ! ……いや、嘘。お前、ちゃんと飯食ってんのか? 軽すぎ」

 重いと文句を言われる覚悟をしていた俺は、ふいに放たれた予想外の言葉に息を呑んだ。
 男として扱われていないという絶望と、女の子のように華奢さを心配されているという錯覚。相反する感情が胸の奥でぐちゃぐちゃに混ざり合い、熱のやり場がわからなくなる。

 やがて、一番きつい傾斜を登り切った瞬間。
 ふっとペダルが軽くなり、視界の先が一気に青く開けた。

 眼下に広がるのは、太陽の光を乱反射してギラギラと輝く、どこまでも広い真夏の海だった。

 歓声と共に、自転車が下り坂へ突入する。
 急激に増したスピードと向かい風に煽られ、俺はたまらず、湊の背中に額をこつんと押し当てた。
 嫌がられるかと身を強張らせたが、彼は振り返ることもなく「風、気持ちいいな!」と無邪気に笑い声を上げた。

 ごつごつとした肩甲骨の硬さ。じんわりと熱を帯びた、生きた体温。

 昨日のスマホの画面に映っていた、見知らぬ誰かのパステルカラーの爪先が、チクリと脳裏を掠める。
 それでも俺は、今だけは、額に触れるこの熱だけを信じたかった。

 この長い下り坂を、一生下りきらなければいいのに。
 ギラギラと痛いほどの太陽も、錆びたチェーンの音も、何もかもがここで止まってしまえばいいのに。

 そうすれば俺は、彼の隣で笑い合う「ヒロイン」でいられる錯覚を見たまま、息絶えることができるのに。

 白い波の砕ける音が、もうすぐそこまで近づいていた。