喉を焼き焦がすようなアブラゼミの合唱が、古びたトタン屋根の無人駅に反響している。
照りつける八月の太陽は、ひび割れたアスファルトの輪郭をぐにゃりと歪ませ、ホームの向こう側に揺らぐ陽炎を作っていた。
木製のベンチに腰を下ろした俺は、じわっと首筋を伝う汗を拭うこともできず、ただ組んだ指先をきつく握りしめていた。
今日のために選んだ、首元に繊細なレースがあしらわれた薄手のブラウス。足のラインを強調する細身の黒いパンツ。中学の時に最後に会ったあの日から、俺のクローゼットの中身はすっかり変わってしまった。
この服を彼が見たら、どう思うだろう。
気味の悪い奴だと笑われるだろうか。それとも、軽蔑の目を向けられて、二度と隣を歩けなくなるのだろうか。
胸の奥で早鐘を打つ心臓の音が、蝉の声に混じって不協和音を奏でる。逃げ出してしまいたい衝動を必死に押さえつけていると、遠くでカン、カン、と錆びた踏切の音が鳴り響いた。
陽炎を切り裂くように、一両編成の古びたディーゼル車が滑り込んでくる。
プシュゥ、と間延びした音を立ててドアが開き、エアコンの冷えた空気が足元にこぼれ落ちた。
降り立ったその姿を見た瞬間、俺の呼吸はぴたりと止まった。
少しだけ日に焼けた肌。白の無地Tシャツ越しにもわかる、がっしりとした肩幅と腕の筋肉。無造作にセットされた髪は、この退屈な田舎町には似合わない、洗練された都会の風を纏っていた。
記憶の中の幼い「男の子」は、たった数年で見知らぬ大人の「男」へと変貌を遂げていた。
彼――湊は、肩にかけたボストンバッグを直しながら、キョロキョロとホームを見回した。
そして、ベンチで固まっている俺とバチリと視線が合う。
一秒。二秒。
湊は不思議そうに目を細め、ぽかんとした顔のまま俺を見つめていた。瞬きもせず、ただ微かに眉を寄せて。
沈黙が、永遠のように長く感じられた。
胃の腑が冷たく結びつく。やっぱり、間違っていたんだ。こんな格好で彼を迎えに来るべきじゃなかった。
「……湊?」
絞り出すような、ひどく掠れた声が出た。
その音に弾かれたように、湊の肩がビクッと跳ねる。
「うおっ、ユキか。お前、マジか……誰かと思った」
大きく目を見開いた湊が、遠慮のない足取りでこちらへ近づいてくる。
俺は思わず視線を足元のコンクリートに落とし、自らを防衛するようにギュッと唇を噛んだ。
「……悪い。男のくせに、こんな格好してて」
震えそうになる語尾を、必死に平坦な音に偽装する。拒絶される前に、自分で自分を貶めてしまいたかった。
しかし、頭上から降ってきたのは、俺の予想を軽々と裏切る、底抜けに明るい声だった。
「いや、めちゃくちゃ似合ってんじゃん。東京の渋谷あたりにいそうな、サブカル系の女子かと思ったわ。すげー可愛い」
――可愛い。
その三文字が鼓膜を震わせた瞬間、カッと顔中に熱が集まるのがわかった。
おそるおそる顔を上げると、そこには昔と何一つ変わらない、太陽のように屈託のない笑顔があった。気味悪がるでもなく、腫れ物に触るでもなく、ただ目の前の景色をそのまま肯定する真っ直ぐな瞳。
安堵で全身の力が抜けそうになった直後、頭にゴツッとした重みを感じた。
「背ぇ、全然伸びてねえな」
湊の大きな手のひらが、俺の頭をガシガシと乱暴に撫で回す。
鼻先を掠めたのは、よく知っている泥くさい汗の匂いではなく、都会のドラッグストアで売られているような、甘くて冷たい柔軟剤の香りだった。
「ちょっ、やめろよ……髪、崩れる」
文句を言いながら払いのけようとしたけれど、彼の手首は石のように硬く、俺の細い腕では到底敵わなかった。
可愛い、と言ってくれた。
でも、俺の髪を乱すこの無骨な手つきは、紛れもなく『気の置けない男友達』に向けるそれだった。
湊は変わっていなかった。誰にでもフラットで、どんな人間も、どんな変化も、偏見なくただの『個性』としてあっさり飲み込んでしまう。俺がどんな服を着ていようが、彼にとっては「ちょっと趣味が変わった幼馴染」でしかないのだ。
特別扱いされないことが、これほど残酷だなんて知らなかった。
「ほら、行くぞ。ばあちゃん家まで遠いんだから」
歩き出した湊の大きな背中を、慌てて追いかける。
夏草のむせ返るような青い匂いと、彼の背中から微かに漂う都会の匂い。
嬉しくて、苦しい。
ひび割れたアスファルトに落ちた二つの影は、決して交わることのない平行線のまま、眩しすぎる田舎道へと溶けていった。
照りつける八月の太陽は、ひび割れたアスファルトの輪郭をぐにゃりと歪ませ、ホームの向こう側に揺らぐ陽炎を作っていた。
木製のベンチに腰を下ろした俺は、じわっと首筋を伝う汗を拭うこともできず、ただ組んだ指先をきつく握りしめていた。
今日のために選んだ、首元に繊細なレースがあしらわれた薄手のブラウス。足のラインを強調する細身の黒いパンツ。中学の時に最後に会ったあの日から、俺のクローゼットの中身はすっかり変わってしまった。
この服を彼が見たら、どう思うだろう。
気味の悪い奴だと笑われるだろうか。それとも、軽蔑の目を向けられて、二度と隣を歩けなくなるのだろうか。
胸の奥で早鐘を打つ心臓の音が、蝉の声に混じって不協和音を奏でる。逃げ出してしまいたい衝動を必死に押さえつけていると、遠くでカン、カン、と錆びた踏切の音が鳴り響いた。
陽炎を切り裂くように、一両編成の古びたディーゼル車が滑り込んでくる。
プシュゥ、と間延びした音を立ててドアが開き、エアコンの冷えた空気が足元にこぼれ落ちた。
降り立ったその姿を見た瞬間、俺の呼吸はぴたりと止まった。
少しだけ日に焼けた肌。白の無地Tシャツ越しにもわかる、がっしりとした肩幅と腕の筋肉。無造作にセットされた髪は、この退屈な田舎町には似合わない、洗練された都会の風を纏っていた。
記憶の中の幼い「男の子」は、たった数年で見知らぬ大人の「男」へと変貌を遂げていた。
彼――湊は、肩にかけたボストンバッグを直しながら、キョロキョロとホームを見回した。
そして、ベンチで固まっている俺とバチリと視線が合う。
一秒。二秒。
湊は不思議そうに目を細め、ぽかんとした顔のまま俺を見つめていた。瞬きもせず、ただ微かに眉を寄せて。
沈黙が、永遠のように長く感じられた。
胃の腑が冷たく結びつく。やっぱり、間違っていたんだ。こんな格好で彼を迎えに来るべきじゃなかった。
「……湊?」
絞り出すような、ひどく掠れた声が出た。
その音に弾かれたように、湊の肩がビクッと跳ねる。
「うおっ、ユキか。お前、マジか……誰かと思った」
大きく目を見開いた湊が、遠慮のない足取りでこちらへ近づいてくる。
俺は思わず視線を足元のコンクリートに落とし、自らを防衛するようにギュッと唇を噛んだ。
「……悪い。男のくせに、こんな格好してて」
震えそうになる語尾を、必死に平坦な音に偽装する。拒絶される前に、自分で自分を貶めてしまいたかった。
しかし、頭上から降ってきたのは、俺の予想を軽々と裏切る、底抜けに明るい声だった。
「いや、めちゃくちゃ似合ってんじゃん。東京の渋谷あたりにいそうな、サブカル系の女子かと思ったわ。すげー可愛い」
――可愛い。
その三文字が鼓膜を震わせた瞬間、カッと顔中に熱が集まるのがわかった。
おそるおそる顔を上げると、そこには昔と何一つ変わらない、太陽のように屈託のない笑顔があった。気味悪がるでもなく、腫れ物に触るでもなく、ただ目の前の景色をそのまま肯定する真っ直ぐな瞳。
安堵で全身の力が抜けそうになった直後、頭にゴツッとした重みを感じた。
「背ぇ、全然伸びてねえな」
湊の大きな手のひらが、俺の頭をガシガシと乱暴に撫で回す。
鼻先を掠めたのは、よく知っている泥くさい汗の匂いではなく、都会のドラッグストアで売られているような、甘くて冷たい柔軟剤の香りだった。
「ちょっ、やめろよ……髪、崩れる」
文句を言いながら払いのけようとしたけれど、彼の手首は石のように硬く、俺の細い腕では到底敵わなかった。
可愛い、と言ってくれた。
でも、俺の髪を乱すこの無骨な手つきは、紛れもなく『気の置けない男友達』に向けるそれだった。
湊は変わっていなかった。誰にでもフラットで、どんな人間も、どんな変化も、偏見なくただの『個性』としてあっさり飲み込んでしまう。俺がどんな服を着ていようが、彼にとっては「ちょっと趣味が変わった幼馴染」でしかないのだ。
特別扱いされないことが、これほど残酷だなんて知らなかった。
「ほら、行くぞ。ばあちゃん家まで遠いんだから」
歩き出した湊の大きな背中を、慌てて追いかける。
夏草のむせ返るような青い匂いと、彼の背中から微かに漂う都会の匂い。
嬉しくて、苦しい。
ひび割れたアスファルトに落ちた二つの影は、決して交わることのない平行線のまま、眩しすぎる田舎道へと溶けていった。


