通り雨が過ぎた後の空は、ひどく眩しい

 夏休みの最終日。
 ジリジリと肌を焼くような日差しの中、遠くで鳴くツクツクボウシの声が、過ぎ去っていく季節を惜しむように響いていた。

 陽炎が揺れる、田舎の無人駅。東京へと帰る湊を見送るためにホームに立つ俺は、もうあの夜のような、無理をして飾り立てた服は着ていない。かといって、自分を偽ってガサツな男らしさを纏うこともしなかった。
 さらりとした中性的なリネンシャツに、細身のパンツ。女の子でもなく、ただの男友達でもない。今の俺が一番、俺らしく呼吸ができる服だ。

「じゃあな。また連絡するわ」

 二両編成のローカル線に乗り込んだ湊が、閉まりかけたドアの隙間からこちらを振り返った。
 そして、あの夜の雨上がりに見せたのと同じ、憑き物が落ちたような朗らかな顔で、にかっと笑う。

「あのさ。今年の夏、すげー楽しかった。……ありがとな、ユキ」

 プシュー、と鈍い音を立ててドアが閉まり、電車がゆっくりと動き出す。
 窓越しに手を振る彼に振り返しながら、俺は、今度こそ本当にすべてが終わったのだと実感していた。

 さよなら、俺の狂おしい初恋。
 さよなら、あいつのヒロインになりたかった、泥だらけの夜。

 遠ざかる電車の音に紛れて、俺の右目から一粒だけ涙がこぼれ落ちた。けれど、それは不思議と冷たくはなくて、吹き抜ける夏の終わりの風が、あっという間に優しく乾かしていってくれた。

 カラスの鳴き声が遠くで響き、ふと気がつけば、頬を撫でる風は、雨上がりのひんやりとした匂いへと変わっていた。



 現在、25歳。
 あの時と同じ、激しい通り雨が嘘のように上がり、夕日が差し込み始めた駅前のロータリーに、俺は立っている。

 あの夏から、8年。
 俺は今も、自分のいびつな性別を受け入れながら、決してその個性を殺すことなく生きている。少し長めの髪も、中性的なシルエットの服も、俺の大切な一部だ。時に好奇の目に晒されることもあるけれど、不思議と胸を張って歩くことができている。

 あの日、俺は彼のヒロインにはなれなかった。
 女の子として彼に愛され、キスをして、その隣で甘く笑い合う未来は手に入らなかった。

 けれど。俺の可愛い勝負服を犠牲にして、泥だらけのコンクリートに膝をつき、ボロボロに泣く大好きな彼を力強く抱きしめたあの夜の自分が……俺は今でも、世界中の誰よりも一番綺麗だったと、静かな誇りを持っている。
 彼がくれた「俺のヒーロー」という言葉が、不格好な俺の人生を永遠に肯定し、今までずっと支え続けてきてくれたのだ。

 ブブッ。

 スラックスのポケットで、スマホが短く震えた。
 画面を取り出して目をやると、そこには『湊』という懐かしい文字が表示されていた。

『来月そっち帰るわ。あの神社の裏で、またアイス食おうぜ』

 相変わらず、自分の都合ばかりの無邪気なメッセージ。
 それを見た瞬間、俺の胸の奥に、陽だまりのような温かさがじんわりと広がっていった。

 もうそこに、かつてのような身を焦がす恋心や、息苦しいほどの執着はない。
 でも、だからこそだ。

 恋人なんていう、いつか別れが来るかもしれない、脆くて儚い関係じゃない。あの夜、俺たちが選び取ったのは、誰よりもお互いの傷の深さを知り、弱さを丸ごと受け止め合うことができる『一番の理解者』という最高のポジションだ。

 恋愛として結ばれなかったからこそ、俺たちの絆は永遠になった。
 俺たちは、お互いにとってのたった一人の、永遠のヒーローなのだ。

「しょうがないな」

 自然とこぼれた微笑みと共に、俺は『奢りならいいよ』とだけ短く返信を打ち込み、送信ボタンを押した。
 スマホをポケットにしまい、顔を上げる。

 目の前のアスファルトには、通り雨が残した大きな水たまりが広がっていた。
 そこには、分厚い雲の隙間から顔を出したオレンジ色に輝く夕焼け空が、鏡のように鮮やかに、そして圧倒的な美しさで映り込んでいる。

 ――通り雨が過ぎた後の空は、ひどく眩しい。

 俺はその眩しさに少しだけ目を細めると、水たまりに映る空を力強く飛び越え、新しい季節へと向かって、真っ直ぐに歩き出した。