通り雨が過ぎた後の空は、ひどく眩しい

『明日、祭り行こうぜ! 焼きそば食いたいわ!』

 夏祭りの当日の昼下がり。画面に表示された湊からのLINEを、俺は感情の抜け落ちたような目で見つめていた。
 画面の向こうにいる彼女との上手くいかない現状から目を背けるように、どこまでも無邪気で気安い『男友達』への誘い。数日前に俺の部屋で見せたあの気まずさなど、すっかり忘れてしまったかのようだ。

『うん、行こう。駅前の鳥居に七時で』

 平然と短い文字を打ち込み、送信ボタンをタップする。
 画面が切り替わり、既読のマークがすぐについた。

 焼きそばなんて、どうでもいい。
 俺は今日、お前の隣でへらへらと笑う都合のいい『親友』を殺す。

 祭りの日の夕方。
 西日が赤々と差し込む自室で、俺はベッドの上に広げられた一着の服を、まるで断頭台を見上げるような気持ちで見下ろしていた。

 濃紺の生地に、大ぶりな白い牡丹が鮮やかに描かれた、レトロモダンな女性物の浴衣。
 ネット通販で密かに買い求め、クローゼットの奥深くに隠し持っていた、俺の狂気の象徴だ。

 指先が微かに震える。浅い呼吸を繰り返し、俺はゆっくりとその冷たい布に袖を通した。
 男特有の骨ばったラインを誤魔化すようにタオルを巻き、赤い半幅帯をきつく締める。みぞおちを締め付ける息苦しいほどの圧迫感は、今の俺には必要な痛みだった。
 少し伸びた前髪の分け目を変え、サイドの髪を耳にかけてピンで留め、華奢なうなじを露わにする。
 そして仕上げに、母の鏡台からこっそり持ち出してきた薄付きの紅を、ほんの少しだけ震える唇に乗せた。

 姿見の前に立つ。
 心臓が、肋骨を突き破りそうなほど激しく脈打っていた。

 鏡の中にいたのは、数日前に見た「痛々しい男」ではなかった。
 濃紺の浴衣に身を包み、ほんのりと色づいた唇をしたその姿は、自分でも息を呑むほどに『女の子』としての輪郭を保っていた。

 けれど、ここは閉鎖的な田舎町だ。
 こんな格好で男友達の前に現れれば、確実に浮く。最悪の場合、湊に「気持ち悪い」と軽蔑され、今の心地よい関係すらも永遠に失うことになるだろう。
 足がすくむ。帯を握る手が白くなるほど力が入る。

 でも、これでいいのだ。
 これは、親友という分厚い仮面を脱ぎ捨てるための、そして彼からの拒絶という刃を受け止めるための、俺の最後の鎧だ。

 嫌われてもいい。頭がおかしくなったと引かれてもいい。
 ただ一瞬だけでも、彼女と同じ土俵で、お前の目に『女の子』として映りたい。俺がどれほど狂おしくお前を好きだったか、その目に焼き付けてやる。

 日が完全に落ちた町に、遠くからドンドン、ヒャラリと、祭りの囃子の音が風に乗って響いてきた。

 夜の湿った空気に、ベビーカステラの甘い匂いと、微かな火薬の匂いが混ざり合っている。
 駅前の神社へと続く参道には、すでに多くの人が溢れていた。すれ違う近所の人々が、俺の姿を見てギョッと目を剥き、ひそひそと後ろ指を指すのがわかる。
 それでも俺は、下を向くことだけはしなかった。下駄の音を高く響かせ、ただ前だけを向いて歩き続けた。

 待ち合わせの鳥居が見えてくる。
 提灯の赤い光に照らされたその下に、見慣れた広い背中があった。

 湊は白いTシャツにデニムといういつもの無造作な格好で、片手でスマホをいじりながら立っていた。おそらく、東京にいる彼女からの連絡を気にしているのだろう。
 その背中を見た瞬間、泣きたくなるほどの愛おしさと、どうしようもない絶望が同時に押し寄せてきた。

 立ち止まり、ギュッと帯の端を握りしめる。
 大きく息を吸い込み、俺は震える声で、その名前を呼んだ。

「……湊」

 祭りの喧騒を縫って届いたその声に、湊の肩がビクッと跳ねる。
 彼がスマホから顔を上げ、ゆっくりとこちらへ振り返ろうとした。