恐る恐る自室から廊下に出て一階に降りると、昨日の花火の火薬の匂いだけが微かに残っていた。
玄関には陽生の靴は既に無く、何も言わずに出て行ってしまったのだと理解した。
視線を横にやると、家族と映っている写真立てが倒れていた。
(昨日の夜の、何か倒れたような音の正体はこれか)
仏間の部屋に行くと、祖母の遺影も倒れていた。間違いなく、陽生が怯えていた『平良』の仕業だろう。
(…陽生は何故そこまで平良のことを話したがらないんだろう)
あんなに頑なな陽生を見たのは初めてだった。
いつもヘラヘラ締まりのない顔をしてるのに、あの時だけは絶対に言わない強情さすら感じた。
(本人の意思を尊重するなら、これ以上踏み込まない方が良いのかもしれない。だけど…)
答えの出ない問いを振り払うように、俺はリビングに行った。
テレビを付け天気予報を確認すると、今日は一日中雨予報だった。
(陽生、傘持ってないよな…)
気を抜くとすぐに陽生の事を考えてしまう。
少しでも気を紛らわしたくて、家の掃除でもすることにした。
水回りを掃除して、掃除機をかけようとリビングに戻ってきた時だった。
雨のせいか部屋の中は薄暗くて、テレビ画面の光だけがやけに浮いて見える。
ニュース番組のアナウンサーが、淡々と原稿を読んでいた。
『本日未明、○○県で——』
それは小学校教師が盗撮で逮捕されたニュースだった。
(気持ち悪いよな、教師のくせに。あんまり見てて気持ちのいい事件ではないな…)
何となく別のチャンネルに変えようと思いリモコンを握った。
『最近は教師による不祥事が相次いでいますね』
コメンテーターの声に、何となく手が止まる。
『記憶に新しいところでは、△△県の高校教師による、生徒への性的暴行事件なんかがありましたけど——』
(…あれ)
陽生が転校してきた時の記憶が蘇る。
確か、△△県から来たって言っていたような…
ざわ、と背筋に悪寒が走る。
俺はリモコンを置いて、スマホを手に取った。
(流石に考えすぎだろ…でも…)
『△△県 高校教師 暴行事件』
と検索すると、一番上に昨年の9月のニュース記事が上がってきた。
"県立高校教師を不同意わいせつの疑いで現行犯逮捕 生徒の非常通報で発覚"
俺は震える指でリンクを開いた。
"警察によると、逮捕されたのは県立高校の教師、平良遼河容疑者(26)で、同校の男子生徒に対し、校内で不適切な行為を行った疑いが持たれている。"
「平良…遼河…」
思わずスクロールする指が止まった。
『平良、先生…』
陽生の掠れた声が、脳裏によぎった。
"平良容疑者は、生徒に対し薬物を使用するなどして抵抗を困難にした上で、身体に触れるなどのわいせつな行為を行ったとみられている。
また、事件当時、生徒が校内の非常通報設備を作動させたことで発覚し、駆けつけた関係者によりその場で取り押さえられ、警察に引き渡された。
取り調べに対し、平良容疑者は容疑を認めているという。
警察は、同様の行為が過去にもなかったかについても慎重に調べている。"
(偶然というにはあまりにも…)
俺は確信を得たくて関連記事をいくつか開いたが、ある一つの記事のタイトルを見て思わず言葉を失った。
「嘘だろ…これって…」
陽生に確認するべきか、しかし
(…陽生には、聞けない…)
…今の俺には、陽生が頑なに隠したがっていた理由が何となくわかった気がした。
(陽生本人以外で聞けそうな相手なんか…)
俺は少し考えてから、学校へと向かった。
学校に着く頃には、雨は本降りになっていた。
傘を叩く水音がやけに大きく聞こえるくらい、夏休み中の校庭はひどく静かだった。
傘を閉じ、薄暗い廊下を歩いて職員室へと向かう。
いつもなら騒がしいはずの場所が、別の建物みたいに感じられた。
職員室の扉を軽くノックをして、引き戸を開いた。
「碧海先生いますか」
入り口近くの別学年の担当の先生が、碧海先生ー?と呼んでくれた。
「はーい」と気の抜けた返事が聞こえた後、いつものジャージ姿の担任が歩いてきた。
「皆瀬、久しぶりだな〜!日焼けした?
夏休み楽しんでるか?」
「まだ夏休み2日目ですよ。そんな冗談は置いといて、陽生…井埜のことで聞きたいことがあって」
担任はそれで何かを察して、「すぐ行くから、教室で待っててくれるか?」と言った。
俺が先に教室で待っていると、碧海先生が滑り込むように入ってきた。
「ごめんごめん待たせたな。…もしかして皆瀬、俺のお願い聞いて井埜の様子見てくれてるのか?」
様子見るどころか、昨日陽生の家にも行ったし、陽生がうちに泊まった事も話した。
「まじで?ちょっと仲良くなるの早すぎない?」
俺はそれには特に触れず、スマホを取り出して先ほど保存しておいたニュース記事のページを開いた。
黙って担任の前に差し出すと、少し目を通して表情が固まった。
「これ、被害者って陽生ですよね。」
担任は何も答えなかった。
「転校前の学校から生徒の情報を何も聞いてないはずがないですよね。事件が事件ですから本人には聞きづらくて、先生に聞きにきました。」
「お前、どうしてこのニュースを…」
「…昨日の夜、うちに幽霊が出たんです」
「…は?」
担任は、呆気に取られた顔をした。
(そりゃそんな顔もするよな)
俺は気にせずに話を続けた、
「陽生と俺の部屋で寝てて、ドアの隙間から何かが覗いてたんですよ。
それで、陽生がその幽霊に呼びかけたんです。…『平良先生』って」
「え、ちょっと待て…それ…」
「だけど陽生はそれ以上何も教えてくれませんでした。それで、気になって自分で調べてたら事件の記事に辿り着きました。」
俺は、もう一つ記事を開いた。
"【速報】逮捕の高校教師、留置中に死亡 自殺か △△県警"
画面を見つめる碧海先生の顔が、みるみるうちに青ざめていった。何故かその表情が、昨夜の陽生と重なって見えた。
「…陽生は心霊現象に悩んで夜寝ることが出来ず、学校で居眠りしていたんです。」
担任は頭を抱えてしばらく悩んだ後、喉の奥から搾り出すような声で
「…井埜の転校前の事件で間違いない。」と言った。
(やはりそうか…)
「…加害者の教師の平良は、俺の大学時代の同期だったんだ。」
「え?」
「大学時代の苗字は保利だったがな。地元に戻ってから婿入りして、平良に変わったらしい」
心臓がドクンと脈打ち、背を汗が伝う。
"保利"
昨日見たA大の掲示板がフラッシュバックした。
(バラバラだったはずの陽生を取り巻く環境が、一つに繋がろうとしている…?)
状況を上手く飲み込めない。
(そんな偶然って…)
俺が呆然として言葉に詰まっていると、担任はスマホを取り出して電話帳を開いた。
「…誰に電話するんですか」
「…元々、井埜の寝不足が夏休み明けても治らなかったら俺が一時期世話になってたカウンセラーを紹介しようと思ってたんだ。」
「カウンセラー、ですか」
「そう。その人なんだけど…カウンセラーは副業で本業は寺の副住職で、霊媒師的な事もやってるんだ。」
「はぁ…?」
「意味がわからないって顔してるな…まあいいか。きっと陽生の力になってくれると思うよ」
色々てんこ盛りすぎではないかと突っ込みたくなったが、除霊を頼めるならこんなにありがたいことはない。
担任は番号を見つけ、「少し席外すな。」といって電話をかけに廊下へ出て行った。
しばらくして担任が教室に戻ってきた。
「今日の夕方からでも除霊してくれるらしい。学校の近くの寺だから、俺も仕事終わってから向かうよ」
「そうですか、じゃあ陽生も呼んできます」
「それなんだけど…とりあえず依真1人で今すぐ来て欲しいって言ってて」
「え?俺ですか…?」
「まだカウンセリングの予約が残ってるから、駅前のメンタルクリニックに来てくれって。住所書いて渡すから、今から行ってきてくれないか?」
「…わかりました…あの、保利って…」
「…その事については後で…井埜も合流した時、詳しいことは話すから」
色々腑に落ちなかったが、俺は担任からメモを受け取ってお礼を言った。
「いろいろ教えてくださってありがとうございました。また夕方、陽生連れて来ます」
「おう。…井埜のこと、頼んだぞ」
担任は喝を入れるように、俺の背中を叩いて送り出した。
