(……寝れない)
陽生がベッドに戻って、30分くらい経つだろうか。夜勤明けから寝てない陽生に合わせていつもより早めに布団に入ったものの、俺の目は冴え切っていた。
カーテンの隙間から差し込む街灯が、天井に歪な影を落としている。
さっき陽生に怒ってベッドに帰してしまったことが申し訳なくて謝りたかったが、こちらに背を向けていて声を掛けていいのかわからない。
だけどあんなに眠そうにしてたから流石に寝ているだろうし、俺も何とか寝ようと目を瞑った。その時だった。
ガタッ
一階から、何か倒れるような物音がした。音の方向的に、玄関の方だろうか。
その音に呼応するように、陽生の布団がもぞ、っと動いた。
(…起きてるのか?)
陽生の方に視線をやったその時、また何かが倒れた音がした。俺の部屋の真下だから、おそらくキッチンか仏間からだった。
陽生の肩がビクッと跳ねるのを見て、起きていると確信した。
「陽生、大丈夫か?」
「…」
返事は無かったが、陽生は寝返りするようにこちらに顔を向けた。
こちらに助けを求めるような、強張った表情をしている陽生と目が合った。
気休めの言葉をかけようとした時、それを遮るように
ミシッ
と、廊下の床が鳴る音がした。
続いてすぐに階段が ギッ と音を立てた。
「…これさ、二階に登ってきてね?」
陽生の顔から完全に血の気が引いていた。彼は震える手で、布団を鼻先まで引き上げた。
ギッ ギッ ギッ
一段、また一段と、階段を上る音が近づいてくるように聞こえた。
しかし、今家には俺と陽生しかいない。
隣で震える陽生を前に、逃げ出すわけにはいかなかった。
「…俺が見てくる。泥棒だったらやばいだろ」
机の脇にあった竹刀を持って立ち上がると、陽生は布団から腕を出して俺の手首を強い力で掴んだ。
「無理無理無理!行かないで、危ないかもしれないじゃん!ひとりにしないで!」
「そんなこと言ったってーー」
ミシッ
俺の声遮るように、すぐ外の廊下の床が鳴った。
陽生は俺の手首を引っ張って、自分の布団の中に引き摺り込んだ。
狭い布団の中で陽生は俺の後ろに隠れ、可哀想なくらい震えているのが伝わってきた。
ミシッ
遂に、部屋の扉のすぐ前で音が止まった。
布団の中に隠れて、息を潜めた。
2人分の心臓の音が布団の中で煩いくらいに響く。
5分くらいそうしていただろうか、気付けば音も止んで痛いくらいの静寂が広がる。
まだ陽生は震えていたが、俺は布団の隙間から外の様子を伺った。
暗闇に目が慣れずしばらく目を凝らしていると、ドアの方から微かに漏れる外の灯りが床に細い筋を作っていた。
(…ドアが、空いている)
確実に閉めたはずのドアが、指三本分ほど、音もなく開いていた。
それに気がついた瞬間、冷たい視線が刺さるような戦慄が走った。
誰かがこちらを見ている。
人というには輪郭が曖昧で、黒いモヤのようにも見えた。
(なんだ、あれ…)
俺が布団から身を乗り出したその時だった。
後ろから、息を呑む音がした。
「っ……平良、先生…?」
陽生が掠れた声でそう言った。
その名を呼んだ瞬間、ドアの隙間の黒いモヤが、ぐにゃりと歪んだ。
ハッとして振り返ると、陽生は「しまった」という顔で自分の口をバッと押さえた。
ドアがギィと開く音がしてドアの方に視線をやると、モヤが笑っているように見えた。
(!…やばい)
俺は反射的に電気のスイッチを叩いた。
パチン、と乾いた音がして部屋全体が明るくなった。
「……あれ…いない…」
ドアの向こうに居たはずの人影は消えていた。咄嗟にドアを開いて廊下を見渡したが、何もいなかった。
しばらく陽生は呆然としていたが、数秒の沈黙の後、俺は努めて冷静に問いかけた。
「…さっき、平良先生って言ってたよな…?」
陽生はびくっと肩を震わすと、首を横に振った。
「…言ってない。聞き間違いじゃない?」
「いや、絶対言ってただろ。知ってるやつなのか?」
「知らない」
陽生は一切俺と目を合わせる事なく、間髪入れずに言い切った。
「…そうか」
もはや、これ以上踏み込むことを許さない壁を感じて、俺は何も言わずただ電気を消した。
俺が布団に入ると、陽生も既にこちらを背を向けて横になっていた。
その背中が、やけに遠く感じる。
さっきまであれだけ怯えていたくせに、声もかけてこないのか、と落胆した。
目を閉じても、陽生の言葉が頭の中を何度もよぎった。
"平良先生"
あれは、聞き間違いじゃない。
けれど、考えても答えは出ないまま、意識だけがゆっくり沈んでいった。
気がつくと、雨の音がしていた。
細かい雨粒が、窓を叩いている。
ぼんやりしたまま横を見ると、ベッドはすでに空になっていた。
