眠れぬ夜は、君のせいにしたいのに


 「ささ、あんまり片付けてないから恥ずかしいけど上がって上がって〜」
 佐伯さんの部屋に上がると、陽生の部屋とほぼ同じ間取りではあるがカラフルな家具やセンスのいい家電やインテリア、観葉植物が所狭しと並べられており、生活感がありつつお洒落で明るい空間となっていた。
 「すげ〜おしゃれ!同じ家とは思えない!」
 「男子高校生二人も家に入れるなんて緊張する〜!お茶とお菓子準備するから座ってて!」
 「あ、お構いなく…」
 佐伯さんはテーブルの上に広がったノートパソコンと資料を手早く片付けると、キッチンの方へ歩いていった。
 一瞬見えた資料を見るに、佐伯さんはインテリアデザイン関係の仕事をしている様だった。
 フワフワとした毛足の長いソファに通され、二人揃って落ち着かずに部屋をキョロキョロと見回していると、佐伯さんが氷の入ったグラスと麦茶のボトルとクッキーの入った缶をトレーに乗せて持ってきた。
 「暑い時は冷たい麦茶に限るわよね〜」
 そう言って俺たちの前にグラスを置くと、ソファの向かい側の座椅子に座った。
 「それでね、さっきの話なんだけど。」
 佐伯さんは麦茶をごくごくとグラスの半分くらい飲んでから話し始めた。
 「陽くんの部屋に前住んでた男の子も明るくていい子でね、大学に入学してすぐから入居してきたから4年くらい住んでたと思う。
 たまに友達とか彼女っぽい子連れて来てたこともあったけど、そんなにうるさいと思った事はなかったな。
 4年生になった頃だったかな、ほぼ毎日同じ男の子が遊びにくるようになって。
 凄い仲良さそうにしてたし、所謂親友ってのが出来たのかなって見守ってたんだけど…」
 麦茶の氷が溶けてカラリ、と鳴った。
 「秋頃かな、教員採用試験が終わったって話してたあたりだったと思うから。
 夜中に隣の部屋から口論が聞こえるようになったの。
 次第にエスカレートして、怒鳴り声とか物音がしたり…」
 佐伯さんは手元のグラスに目線を落とし、声色が少し低くなった。
 「心配になってね、一回様子見にいったのよ。そうしたら何ともないって言われたんだけど…
 でもまた数日後、口論の後に悲鳴とか嫌だって叫んでるような声が聞こえたの。」
 「えっ…」
 隣で陽生が息を呑む音がした。
 「流石に怖くなってね…見かねて通報ちゃった。
 そしたらすぐ警察が来て、お友達は連れて行かれたわ。
 見たこともないような凄く怖い顔をしてたのを、今でも思い出すと鳥肌立ちそうになる…」
 「…隣の部屋の方は無事だったんですか?」
 佐伯さんの表情はさらに暗くなった。
 「警察が来てドアを開けた時にね、その子床に座り込んでて…服が、シャツのボタンも千切れてぐちゃぐちゃで。顔もね、泣いてるのか汗なのか分からないくらいべしょべしょになってて、震えてて。
 詳しい話はわからないけど…無理矢理、されたんじゃないかな…」
 「無理矢理…?」
 陽生が俺の袖の裾を掴んできたので横目で見ると、青ざめた顔をして小刻みに震えていた。
 心配になって背中を摩ってやると、Tシャツが張り付いてじっとりと汗ばんでいた。
 「その子はその後すぐ引っ越しちゃったから今はどうしてるかわからないんだけど…元気にしてるかしらね。アパートに住んでた同じ大学の子の話だと、捕まったお友達の方は退学処分になったみたいだけど。」
 やはりさっき掲示板で見た事件はここのアパートで起きた事だったようだ。
 佐伯さんは残りのお茶を飲み干してまた話始めた。
 「依真くん、事故物件の定義って知ってる?」
 唐突に話を振られ俺は動揺した。
 「え…前入居者が不審死を遂げた物件…ですか?」
 「うん、一般的な定義はそうかもしれないんだけど、例えばお婆さんが家族に見守られながら寿命で亡くなった家と、今話した事件があった家はどっちが住みたくない?」
 「…事件があった家ですね」
 「俺も…」
 「そうよね。事故物件て心理的瑕疵物件ともいうんだけど、心理的瑕疵っていうのは"建物や設備自体には問題がないものの、過去の出来事により住む人が心理的な抵抗感や嫌悪感を抱く欠陥"のことを言うの。
 法律での告知の義務があるのは屋内で他殺、自殺、事故死なんかがあった場合だけなんだけど。」
 「へーそうなんだ…」
 陽生は感心したように呟いた。
 「陽くんの部屋、5年間空き家だったでしょう。5年の間にね、内見に来た大学生は数人いたのよ。」
 「そうなんだ、じゃあ何でやめたんだろう…やっぱり嫌な雰囲気とか感じたのかな…」
 佐伯さんは怯える陽生をあやす様に「違うよぉ〜」と戯けて言った。
 「事件の事知ってる他の部屋の子がね、自分の大学の後輩になる子だって分かると内見の時に捕まえて教えちゃうのよ、かなり話盛って。
 女の子の入居希望者が多いからさ、女の子なら尚更事件のこと知ったら怖がって入居しないよね。」
 「…それで、5年経って事件のこと知ってる大学生は全員卒業して居なくなったから、陽生が知ることはなかったんですね」
 「そういうこと。私的には何も知らなければ普通に住める部屋だと思うんだけど…事件のことを知ってしまうと嫌悪感や抵抗感が起きる人が多いのも事実よね。
 そういう意味では心理的瑕疵物件と言えるのかもね、陽くん。」
 佐伯さんが陽生の方に視線を移すと、陽生は俺の裾を握っていた手を引っ込めて座り直した。
 「陽くん。ずっと思ってたんだけど、もう引っ越したほうがいいと思うの。
 家っていうのは、落ち着ける場所でないといけないの。そういう場所がないと人はいつかおかしくなってしまうわ。
 陽くん今の暮らしを続けて居たら、近いうちに心も体も壊してしまうよ。」
 陽生は返事もせず黙ったまま俯いた。


 「お話聞かせてもらってありがとうございました、お茶とお菓子もご馳走様でした。」
 「いえいえ、あんまり気持ちの良くないこと聞かせちゃってごめんなさいね。
 …陽くん、もし引っ越すならお手伝いするからいつでも呼んでね。」
 「そんな、悪いですよ…引っ越すかどうかはまた考えてみます…」
 「うん。お母さんとも相談してみて。
 それとね、依真くん」
 佐伯さんは俺を手招きして、耳元に顔を近づけて来たので軽くしゃがむと、口元に手を添えてヒソヒソと囁いた。
 「陽くんの事、助けてあげてね。
 あなたのこととても信用してる様に見えたわ。」
 佐伯さんはそう言い終わるとニコリと笑って、「じゃあね〜」と手をヒラヒラさせた。
 佐伯さんが玄関に入ってくのを見届けると、陽生は自分の部屋の前を早足で歩いて階段の方へ向かっていった。
 「待てよ陽生、そんなに走らなくていいだろ」
 陽生は階段を駆け降りるとアパートの前の歩道に出て、自分の部屋を見上げた。
 「…俺やっぱ無理だよあの部屋、もう戻れる気がしない」
 あんな話聞いたばかりだからそう思うのも無理はない。
 いくら怪奇現象とは関係がなさそうとはいえ、良い気はしないだろう。

 「…陽生、今日は夜勤のバイトあるのか?」
 「え、急に何?無いよ。今日に限って休みなんだ…」
 「特に予定もないのか」
 「うん…何も決めてなかった」
 「じゃあ…」
 言いかけて、言葉が詰まる。
 さすがに早すぎるし、俺の柄じゃないな…
 とか一瞬考えた。でも…暗い部屋で一人怯えている陽生を想像してしまうと、放っておく気にはなれなかった。
 「…うち来るか」
 「え」
 陽生は驚いた表情でこちらを振り返った。
 「いやいやいや、流石にそれは申し訳ないっていうか…!!
 てか俺と依真ってさ、まだ今日初めて喋ったばっかりじゃん!そんな奴のこと泊めていいの…?」
 俺は呆れてため息をついた。
 「そんなこと気にしてんのか、嫌なら別にいい。」
 「嫌とかじゃなくて、めっちゃ嬉しいんだけど!でも…」
 「…なら泊まったらいいだろ。俺がいいって言ってるんだから」
 「い、依真…」
 陽生は目を輝かせて、駆け寄って来た。
 「…じゃあお言葉に甘えて、泊まりに行っちゃおうかな…!」