眠れぬ夜は、君のせいにしたいのに

 店を出ると、まだ低い位置にあるはずの太陽がすでに遠慮なく照りつけている。
 駅前のガラスがぎらついて、目に入るものすべてが少し白く霞んで見える。アスファルトからは、じりじりと喉が焼けるような熱気が上がっていた。

 「うわ、あちぃな〜…」
 「…井埜の家ってどっち方面だ」
 昨日尾行したことがバレても面倒なので、ここはあえて聞くことにした。
 「ん?あ〜ここ左行って…てかさぁ、井埜って呼ぶのやめて。なんか壁感じるじゃん」
 「そうか…?じゃあ何て呼んだらいいんだ」
 「陽生でいいよ!俺は依真って呼ぶから」
 「わかった…陽生な」
 「へへ、どうした依真!」
 井埜は俺の肩を叩いて、嬉しそうに答えた。
 「…陽生は今日何か予定とか無かったのか?」
 「あー。今日本当はさ、駅の向こう側にあるスーパー銭湯で一日中寝ようと思ってたんだよね。でもあそこ昨日から改装工事始めちゃって…7月末まで行けないんだよな〜マジ詰んだ」
 「スーパー銭湯か、よく行くのか?」
 「うん。なんか人いるとこの方がよく寝れるんだよな〜暗くて静かなところとか絶対無理!」
 「…もしかして越してきてから一回も家で寝てないのか…?」
 俺がそう聞くと、陽生は少し恥ずかしそうに自分の頭を掻いた。
 「はは…実はそうなんだよな〜。夜とか絶対家入りたくなくて」
 「困るだろそれは普通に…寝るとこ確保するにも金が掛かるし…」
 「そうそう、だから夜勤のバイト代ほとんどそれで飛んでくんだ〜」
 陽生はヘラヘラ笑ってそう言ったが、絶対笑い事じゃないだろ…と思わず突っ込みそうになった。



 「着いた、ここの203号室が俺んち…まじで入るの?」
 「そのために来たんだからな」
 昨日俺がここから駅前まで歩いた時は10分ほどで着いたはずなのだが、陽生の足取りが重すぎて倍以上かかった。俺も陽生も汗だくだ。
 陽生がアパートの階段を登るのが遅すぎるので横から追い抜かすと、速度を上げてついてきた。
 部屋の前に着くと陽生はもたもたと鍵を探して開け、もじもじしながら「依真…ドア開けて…」と頼んできた。
 俺がさっさとドアを開け家の中に入ると、人感センサーが反応して玄関と廊下に灯りがついた。
 玄関を上がり、入り口から一番近いドアを開けるとトイレ、次に洗面所と風呂場、奥にキッチンとリビングでその横に寝室がある。1LDKの、一人暮らしをするには十分な間取りだ。
 築年数は20年くらい経っている雰囲気だが、全体的に綺麗に保たれているなという印象だ。
 何より、必要最低限の家電家具は置かれているが生活感があまり感じられず、陽生が引っ越してきてから4ヶ月近くの間ほとんど家にいなかったことが伺えた。
 「まじで全然帰ってきてないんだな…」
 「えへへ…」
 リビングのカーテンを開けると日当たりも良く部屋全体が明るくなり、陽生が何を怖がっているのか余計わからなくなる一方だった。
 玄関を振り返るとまだ陽生はそこで立ち尽くしていたので、無理やり手を引いて家の中に引き込んだ。
 「陽生、視線を感じた場所はどこだ」
 「うー…浴室と寝室…」
 「現場検証してみるか」
 今朝話を聞いた時、窓から覗かれてた可能性を考えたが、そもそも浴室に窓はついていなかった。寝室には窓がついているが遮光カーテンが閉め切っているし、ベランダ側は大通りに面していて交番があるので、誰かが登ってきたら目立つしすぐに捕まるだろう。
 「これだと人間の可能性は少ないかもな。ひとまず安心だな」
 「え?じゃあやっぱ幽霊って事…?」
 陽生の目に恐怖の色が滲んだ。
 (しまった、安心させるつもりで言ったのに…)
 陽生をソファに座らせてその横に座ると、ようやく少し落ち着いて肩の力を抜いた。
 「まだ明るい時間なのにそんなに怖がるなんて、荷物取りに来た時とかどうしてるんだ」
 「隣の部屋のおばちゃんがいれば一緒に入ってもらうし、いなかったら大声出しながら目ぇ瞑って猛ダッシュ!光の速さで回収して即退散!」
 陽生はおどけて見せたが、その指先はまだ膝の上で小さく震えている。
 「…そんなに怖いなら引っ越したらいいのに、この辺いくらでもあるだろ」
 「ここの部屋契約してるの母親でさ、解約するなら相談しなきゃいけないだろ?…でもあんまり心配かけたくなくてさ。実家に連れ戻されたくないし」
 「そうか…」
 母親に相談できないからって今の生活を続けるのはいかがなものかと思うが…俺はそれ以上何も言えなくなり、一旦会話が途絶えた。
 「…そもそもここって事故物件じゃないのか?借りる時何か言われたり、他の部屋より家賃が安かったりしなかったか?」
 陽生は首を横に振った。
 「大家さんからも何にも言われてないし、家賃も変わらないよ。母親が凄い調べてくれて、学校と駅と交番が近くて、日当たりが良いところを選んでたし。」
 「じゃあ事故物件って線はなさそうだな」
 「…でも、少し気になることがあってさ」
 陽生が声を潜めた。
 「さっき言ったお隣のおばちゃんに事情を説明した時に、ちょっと引っかかること言われたんだ…」
 「気になる事?」
 「おばちゃん、このアパートができた頃から住んでるけど幽霊が出たなんて話聞いたことないって言っててさ。だから、『この部屋って人が亡くなったりした事無いんですか』って聞いたんだ。そうしたらおばちゃんは笑って、近くの大学に通ってる学生さんの一人暮らしばっかりだから4年足らずで元気に出て行くんだって。」
 「だったら尚更…」
 「…だから俺の前に住んでた人はどんな人だったのか聞いたんだ。俺が住むまで5年くらい空き家だったらしくて、少し思い出すのに時間がかかったんだけど…急に顔曇らせてさ、『大学生の男の子だったんだけど、んー…これは言わない方が良いかしら…』ってブツブツ言いだしたんだ。」
 「言わない方が良いこと?それは確かに引っかかるな」
 「だろ?だからもう怖くて、それ以上聞けなくてさ…」
 確かに、そんなこと言われたら家にいる時気になって落ち着かないかもしれない。
 「でも…わからないままにしておくより、調べてみてなんて事なかったらそれが一番良いだろ?このままだと何かあってもなくても同じだ。」
 「う〜…でもな…」
 まだ何か悩んでいる陽生を傍目に、俺はスマホを取り出してここのアパート名を検索した。
 「…何調べてんの?」
 「さっき事故物件じゃないって言ってたけど。もし人が亡くなったりしても、その後誰か一度住んだら申告義務がなくなるって話聞いたことないか?」
 「あるようなないような…って事は伝えられてないだけで事故物件の可能性があるってこと…?!」
 陽生がスマホを覗き込んできたので、検索結果を見せた。どれだけスクロールしても賃貸情報サイトがヒットするだけで、事故があったような話は出てこなかった。
 「やっぱり、何もないのかな?」
 「いや、すべての情報がネットに載っているわけじゃ無いからな…」
 「なんか他に手掛かりないかな〜前住んでた人の名前でもわかったらな…」
 陽生にそう言われて、ハッとした
 「陽生、さっき隣の人が大学生の男の子が住んでたって言ってたよな?」
 「うん、多分そこのA大通ってる人だと思うけど…」
 俺は『A大学 生徒 事件』で調べた。
 検索結果の上の方には事件とは全く関係ない表彰された学生のニュースが並んでいたが、しばらくスクロールすると一つのサイトが目に留まった。
 「A大について語るスレ?」
 「大学非公認の掲示板だな」
 検索タイトルの下のスニペット(説明文)を見ると

 『スポーツ科の4年の保利ってなんで退学になっ
 たの?事件?』

 と書かれていた。
 サイトを開くと、それほど盛んな掲示板ではないようで投稿の間隔が1週間空くのはざらのようだった。
 スニペットに表示されていた投稿の日付を見ると、5年前の2月のものだった。
 「5年前…この部屋の最後の住人が去った時期と同じだな」
 「え、でも偶然なんじゃ…」
 その投稿の後はしばらく関係ない話が続いていたが、2ヶ月後に返信がついていた。

 『俺保利が捕まるところ見たわw
 俺が住んでるアパートにパトカーと救急車来てたから外出たら、2階の部屋に警察が入っていってしばらくしたら保利が警察に連れられて階段降りて来たんだけど マジで顔怖かったwww
 今もう空き部屋になってるw』

 俺と陽生は顔を見合わせた
 「に、2階?こ、これって…」
 「…ここのアパートなのかはわからない。学生向けアパートなんかいくらでもあるからな」
 必死に否定しようとしたが、陽生の顔が見る見るうちに青ざめていく。
 「例えばさ、この部屋に保利って人が住んでて…別の場所で殺人事件とか起こしてたらここは事故物件ってことにはならないんだよな?でも…殺人鬼が住んでた家なんて住みたくないかも…」
 「…確かに事故物件扱いにはならないかもしれないが…殺人犯の家だったら、今の時代特定されてこの掲示板で晒されてそうだけどな。
 それに今このアパートは見たところ満室だし、隣のおばちゃんもそんな事知ってたら引っ越してるんじゃないか?」
 一応、念の為に大学名と『保利』というキーワードで検索してみたが、やはりそれらしい記事はヒットしなかった。
 しかし安心させたくて何にもない証拠を探していたはずが、中途半端に不穏な情報を見つけてしまったばかりに、かえって陽生を不安にさせてしまった。
 (陽生は一刻も早くこの場を離れたいだろうな…)
 「…場所を変えよう。ちょっと喫茶店でも行くか」
 俺がそう提案すると、陽生は頷いて早足で玄関のほうへ行ってしまった。
 さっさと靴を履いて外に出ようとしている陽生を追って廊下を歩いていた、その時だった。

 背中に、突然冷たい何かが突き刺さるような感じがした。

 思わず足を止めて振り返るが、そこには何もない。
 ただ、来た時にはあんなに明るく見えたリビングが薄暗く感じた。

 (…気のせいか。)

 言いようのない胸騒ぎを無理やり抑え込み、俺は急いで玄関へと向かった。


 外に出るとジリジリと蒸し暑く、陽生の部屋がエアコン無しでも気にならない位には涼しかったことに気がついた。
 (日当たりは良かったのに、妙だな…)
 どこの喫茶店に行こうか、と話し合っていると、隣の部屋のドアが開いて中から女性が出てきた。
 「あれ、陽くん!帰ってきてたのね!
 今日はお友達が一緒に着いてきてくれてたのね!」
 「あ、佐伯さんおはよう!そうそう、久しぶりに家でゆっくりしたかも…
 依真、この人さっき言ってた、たまに着いてきてくれる隣の部屋の佐伯さん。」
 「依真くんって言うのね、はじめまして」
 「どうも…」
 陽生がおばちゃんおばちゃんって言っていたからつい50代くらいの人をイメージしていたが、まだ30代後半くらいの綺麗な女性だった。
 (確かに高校生からしたらおばちゃんかもしれないが…)
 「お友達出来たならもう安心、私の出番はなくなりそうね!」
 「あ、あのさ佐伯さん、ちょっと聞きたいことあるんだけど…」
 「どうしたの?」
 「この部屋に前住んでた人ってさ…逮捕されたの?」
 かなり率直な質問をした陽生に、佐伯さんは一瞬目を丸くして「逮捕?」と聞き返した。
 しばらく考えた後に「あ〜」と言って、手を顔の前で横に振った。
 「違う違う、ここに住んでた子はどっちかというと被害者ね。
 あの時は、私が通報したの。」
 陽生と俺は驚いて顔を見合わせた。
 「え?!って事は警察とか来たのは本当?」
 「うん、そこの交番のお巡りさんが来てくれたよ。…その様子だと、何かで断片的な情報だけ知ったのかな?」
 陽生は黙って小さく頷いた。
 「あ〜…もうそこまで知ってたら隠しても仕方ないし…立ち話も何だから、うちでお茶でも飲みながら話しましょうか。」
 俺と陽生は頷いて、佐伯さんのお宅にお邪魔する事になった。