眠れぬ夜は、君のせいにしたいのに


 「皆瀬(みなせ)、今回も成績学年トップだ。よく頑張ったな」
 「…ありがとうございます」

 教室のどこからともなく、おぉと歓声が上がった。
 担任から手渡された成績表を一目も見ることなく、賑わう机の間を通って席に戻る。
 席に座ると、隣の席の百田さんが成績表を覗き込んできた。
 「すっごーい、依真(いさな)くんまた一位なんだ!1年生の時からずっとだよね。どうやって勉強してるの?」
 「普通に授業聞いてるだけ。特に何もしてないよ」
 百田さんは振り返って後ろの席の佐々岡さんと「素っ気ないね」「クールだよね」とひそひそと耳打ちをし始めたので、聞こえてないふりをして成績表をしまった。
 「てかさ、普通に顔カッコ良すぎない??」
 「やばい。なんかもう整いすぎてて逆に怖い」「わかる…近くで見ると目合わせられないもん」「あれでもうちょっと愛想良かったらほんとにヤバかったよね」
 「確かに〜そこだけちょっとね」
 聞こえてるし、褒めてるのか貶してるのかどっちか分からない陰口が耳に痛い。
 「でもさぁ聞いた?井埜くんが二位らしいよ」
 「え?!まじ?!あの居眠り転校生が?」
 「しーっ、声デカいよ」
 2人の視線は窓際で机に突っ伏して気持ちよさそうに寝ている男、井埜陽生(いのはるき)に移り変わった。
 百田さんと佐々岡さんはヒソヒソ話すのは諦めて、普通の声量で話し始めた。
 「さっきだって成績表受け取ってちょっと確認したらまた机に伏して寝てるのに。意外だよね」
 「なんか、天才って感じ…よく見ると顔もかっこよくない…?」
 「え〜!!やば〜!!」
 「そこ女子二人、ちょっと声デカいぞ!」
 「あっ碧海(へきかい)先生!ごめんなさーい!」
 担任から注意されて、二人は正面に向き直った。
 井埜は今年の4月に県外から転入してきたやつで、高校で転校生は珍しく転校初日はクラスメイトに囲まれて質問攻めに合っていた。
 確か「家庭の事情で一人で引っ越してきた」とか言っていた気がする。
 少し明るめの髪色はいかにも一軍男子と言った感じで、誰にでも人懐こく接しそうな印象をもったのだが…
 次第に今みたいに寝ていることが増えて、今では話しかけるやつはほとんどいなくなってしまった。
 (かく言う自分は一度も話しかけたことないし、興味もないけど。)
 井埜の色素薄めの癖っ毛がそよそよと風に揺れているのを見ていると、こちらの眠気まで誘われそうになって視線を教卓へ戻した。
 「成績表全員貰ったな?明日から夏休みだけど、みんな生活リズム崩さないようになー。
 あんま夜更かしばっかすんなよ〜」
 担任の碧海先生がそう言い終わると同時に終業のチャイムが鳴り、それぞれ帰りの支度を始めた。
 俺も帰ろうと鞄を持って席を立つと、さっきまで教壇に立っていた担任が俺の方に駆け寄って来た。
 「皆瀬、ちょっと話いいか?頼み事があるんだけど…」
 「はあ、大丈夫ですけど」
 担任に連れられて自習室に入ると、机が向かい合わせられている席に座るように促された。
 「何ですか頼み事って」
 「んー…あのさ、皆瀬って井埜と仲良い?」
 「いや、一回も喋ったことないです」
 「はは、そうだよな。一緒にいるところ見たことないもんなー…」
 担任はうーん、と頬に手を添えて考える仕草をした。
 「井埜がどうかしたんですか?」
 「井埜さ、転校してきてから殆ど休憩時間寝てるじゃん。」
 「授業中も寝てますね」
 「うん、でも成績には全然支障がないみたいだから…俺の授業がつまんないのが悪いのかなぁ」
 「そうみたいですね」
 担任は少し拗ねるような表情をした。
 「授業つまんないは否定してくれないの〜?
 まあいいや…普通にあんなに寝てたら心配になるよな?
 体調不良とか、睡眠障害なのかもと思って声掛けても、大丈夫ですって言われて。
 それからしばらくは寝ないように頑張ってるんだけど、ちょっと経つとまた居眠りしてるんだよなぁ」
 「確かに、あれはちょっと異常ですね」
 俺は家の布団でしか寝れないから授業中寝てないだけなのだが、井埜はまず学校に着くなり寝て、朝礼が始まると起きて1時間目の半ばくらいから寝出し、号令の時だけ飛び起きて、業間休みも昼休みもガッツリ寝ている。
 合計すると学校にいる時間の半分くらいは寝ているんじゃないだろうか。
 「転校してきた頃に比べてクマや顔色も気になるし…あいつ一人暮らしだろ?なんか悩みがあって、夜寝れてないのかもしれないなって思って…」
 指先が落ち着かなげにデスクをトントンと叩く。
 「先生が聞いてあげたらいいじゃないですか」
 「井埜も、先生よりクラスメイトのお前の方が素直に話してくれるんじゃないかな?」
 「一回も喋ったこともないのに…?」
 俺がそう言うと、先生は困ったように笑って、両掌を合わせてお願いするポーズをとった。
 「頼むよ皆瀬〜お前にしか頼めないんだよ〜」
 「何で俺なんですか…」
 担任は俺たちと歳が近く、クラスメイトからも友達感覚で慕われている。
 俺なんかに頼むより、先生が相談乗ってやった方が喜ぶんじゃないですか?と言いかけた言葉を飲み込んだ。
 (井埜に仲の良い友達もいなさそうだし、暇そうなやつ捕まえて頼んでるんだろうな…)
 俺は小さくため息を溢した。
 「はぁ…わかりました、井埜の居眠りを改善させたら良いんですね」
 「いいのか?!ありがとう皆瀬〜!!
 俺夏休み中は部活で平日は殆ど学校にいるから、なんか分かったらまた教えてくれ!」
 自習室を出て、部活に向かう担任と別れてから急に冷静になった。
 (……面倒なことになったな…)
 井埜と話したこともないの、に居眠りを直すなんて無理な話だ。…しかも明日から夏休みなのに。
 (まぁ、夏休み明けてから考えればいいだろう…)
 鞄を取りに教室に戻り入り口の扉を開くと、
 井埜が飛び出してきた。
 「わ!!びっくりした、ごめん!!」
 井埜は目をまんまるくして一瞬驚いてから、そのまま俺の横をすり抜けて帰って行った。
 教室に入るとガランとしており、多分井埜は全員帰ったのに気が付かずに寝てたのだろう。
 荷物を取り教室を出ると、既に井埜は30メートルくらい先を歩いていた。
 声をかけるには遠いし、かと言って走って追いつくのもなんか違うなと思い、距離を保ったまま靴を履き替えて校門に向かった。
 学校を出たところでようやく
 (俺、今完全にストーカーみたいになってるよな…)
 と一瞬過ったが、
 (でも、担任の頼みだから仕方ないから)
 と適当に理由をつけて井埜の追跡に専念することにした。

 井埜は駅の方面に歩いていった。
 大通りから一本入ったところにある3階建てのアパートの前で曲がるのが見えた。
 (ここが井埜の家か)
 結局話しかけるタイミングを作れなかったし帰るか、と思いアパートを見上げると2階の階段から2つ目の部屋の前で井埜が立ち止まるのが見えた。
 あの部屋に住んでるんだ、と思ったが一向に井埜がドアの前から動かない。
 ドアノブに手をかけては引っ込めたり、落ち着きなく周りをキョロキョロ見ている。
 やがて2階の通路を行ったり来たりし始めた。
 (なんだあいつ。鍵でも無くしたのか?)
 そう思い見ていると、急に決心したようにドアを勢いよく開けて部屋の中に入っていった。
 (やっぱ変なやつ…)
 踵を返して家に帰ろうと数歩進んだ時だった。アパートから勢いよくドアを閉める音と階段を早足で駆け降りる音が聞こえてきたかと思うと、井埜が俺の横を駆け抜けていった。
 しかも制服姿のままなのに、手にはぐしゃっと私服らしき布を握っている。
 (まさか服だけ取りに帰ってきたのか…)
 家で着替えてこれば良いのに、と違和感を感じて、俺はまた井埜の後を追っていた。

 井埜は駅の方面に歩いて行き、夕方の人通りに紛れて駅前のファミレスに入って行った。
 俺は少し間を空けて店内に入り、店員に井埜から少し離れた席に通された。
 あいつはドリンクバーの近くの席に座っていて、飲み物を取りに行くついでに様子を横目で見ると、どうやら今日の授業の復習をしているようだった。
 授業で居眠りしてる分、こうやって自習してるから成績は悪くないんだ。と納得すると同時に
 (じゃあ授業中寝なければいいのに)
 と思わずにはいられなかった。
 俺もドリンクバーを頼んで夏休みの課題をやりつつたまに井埜の様子を見に行くと、今度はハンバーグセットを食べていた。夕食だろうか。
 俺も腹が空いてきてポテトを頼み、課題に取り掛かった。
 つい集中してしまい、スマホで時間を確認すると19時を回っていた。
 井埜の席に違う人達が座っていることに気が付き、急いで会計をして店を出たが既に井埜の姿は見えなかった。
 (見失ったし、帰るか…)
 きっとあいつも家に帰ったんだろうと諦めて駅前を歩いていると、ネットカフェに入っていくうちの学校の男子生徒の制服が見えた。
 色素薄めの癖っ毛、間違いなく井埜だった。
 俺は受付でオープン席を選び、適当に漫画を物色して席に戻った。
 ドリンクバーへ行く途中、井埜が個室エリアから出てきて、シャワー室の方へ私服を持って歩いていくのが見えた。
 また10分ほどしてシャワー室から出てきた私服姿の井埜は、受付にいる店長らしき人物と親しげに会話しているのが聞こえた。
 「じゃ、22時になったら起こしてくださーい」
 「いい加減自分で起きてくださいよ…」
 「そんなこと言うと俺マジで起きませんよ?」
 そう言うと井埜は個室に戻って行った。
 (本当によく来てるんだな…)
 1時間くらい経ってから気になって個室の前を通ると、気持ちよさそうな寝息が聞こえた。
 (寝るだけだったら家で寝たらいいのに…こんなところで寝たって、あんまり寝た気にならないだろうに)
 井埜の存在を意識の端に置きつつ、席に戻りしばらく漫画を読み耽っていると、突然後ろから肩を叩かれた。
 驚いて振り向くと、店長らしき人が立っていた。
 「お客さん、高校生は22時までしか利用できないんですよ。ご退店お願いできます?」
 「あ…すいません、じゃあお会計…」
 時計を確認すると既に22時を回っており、井埜もいい加減帰っただろうとレジに着いた時だった。
 控え室の扉から、店のエプロンをつけた井埜があくびをしながら出てきた。
 井埜は目を擦りながらレジに立ち、ようやくこちらを見るなり俺に気が付いて目を見開いた。
 「げ!!」
 「おはよう、井埜。良く寝れたか?」
 「えっと…皆瀬だっけ、同じクラスの…」
 「そうだ。ここでバイトしてるんだな」
 「そ、そうそう!もう上がるところ!」
 「嘘つけ。今入ったばっかだろ」
 「うっ…!」
 井埜は観念したように頭を下げて手を合わせた。
 「皆瀬、頼む!学校には黙っといてくれないかなー?バイト辞めるわけにはいかないんだ!」
 「…バイトは何時までだ?」
 「え、6時までだけど…」
 「そこのマック朝6時からやってるから、終わったら来て。
 来なかったら担任にバイトのこと言うから。」
 「え?ま、マック?ちょ、ちょっと待って!」
 多少強引だが、ようやく話すきっかけが作れた。ひとまずミッション達成としよう。
 俺は料金を支払って、店を後にした。


 翌朝、開店とほぼ同時に入店してレジでコーヒーを注文した。
 会計を済まし席に着いたタイミングで、井埜が入店してきた。
 こちらに気がつくと少し気まずそうな笑顔でヒラヒラと手を振り、しばらくしてから朝マックのセットをトレーに乗せて歩いてきた。
 「おはよー皆瀬、…休みなのに早起きじゃん。」
 「待ち合わせしてたからな。夜勤明けなのに突然誘って悪かったな」
 「いやいや、いいのいいの!いつもバイト終わりここで朝飯食べてから学校行ってるし!」
 「学校ある日も夜勤してるのか?」
 「うっ…!!そ、そうだよ、ていうか平日の夜はほぼ毎日…」
 「はぁ…だからか、納得した…。
 単刀直入に言うと、担任の碧海先生からお前の居眠りが心配だから夏休み中に改善させてこいって頼まれたんだ。」
 (多少盛ったが粗方間違いじゃないだろう。)
 「先生が?!まじか〜……成績に問題無ければいけると思ったんだけどな…あのさ、先生、俺の親に連絡するとかなんか言ってた?」
 井埜表情がわずかに強張った。
 「…もし夏休み明けても居眠りが治らなかったら連絡されるんじゃないか?
 しかも夜勤のバイトやってるからって。実家に連れ戻されるかもな」
 冗談のつもりでそう言ってコーヒーを啜った。すると井埜は勢いよく立ち上がり、トレーをひっくり返しそうな勢いで身を乗り出した。
 「それだけは困る!!やっぱバイトのことは黙ってて!!夏休み明けたら何とか寝ないように頑張るからさ〜!」
 井埜は椅子の上で丸まって、「お願いします〜!」と土下座をした。
 「いや、夜勤バイト辞めないと無理だろ。
 …それとも何かやめれない理由でもあるのか?」
 「っ…そ、それは……」
 言葉に詰まった。図星だったのだろう。
 「金に困ってるのか?」
 「…別にそういうわけじゃないんだけどさ、仕送りももらってるし…」
 「じゃあなんだ、もしかして家にいたくないのか?」
 それを聞いた瞬間、陽生は目を見開いた。
 「うっ!!な、なんでわかったの!」
 (やはりそうか…)と、これまでの引っかかっていた行動に合点がいった。
 「一人暮らしなんだろ。うるさいこと言う家族もいないし、帰りたくない理由がわからない。」
 「それはそうなんだけどさぁ…うーん…」
 井埜は頭を抱えていたが、しばらくして観念したようにボソボソと呟いた

 「家にさー、…なんか、いる気がするんだよね…」

 思わず、「は?」と言うと井埜はストローを指で弄りながら「だよね」と苦笑した。

 「…転入する前の日の夜だったかな、風呂入ってる時とか、寝てる時とか、誰かに見られてるような気がしたんだよ。自分以外の気配があるっていうか…」
 「気配?何のだ」
 「わ、わからないけど…」
 「それで、夜家にいたくないからバイトして、学校で寝てるのか?」
 「まぁ、うん」
 俺は思わずため息をついてしまった。
 「あ、今馬鹿馬鹿しいと思ったでしょ!」
 「…そうだな」
 正直に答えると、井埜はヘラヘラしながら「ひど〜い」と言った。
 「別に何か見たわけじゃなくて、気がするだけなんだろ?それってお前の思い過ごしなんじゃないのか?」
 「そんな気はしないこともないけどさ〜、でも一回怖いって思ったら、どうしても無理なんだよね…」
 「じゃあ、証明したらいいだろ。お前の部屋に何もいないって」
 俺はコーヒーを飲み干した。
 「え?」
 「今から行くぞ、お前の家。」
 「は…え?いや!!無理無理無理!!」
 井埜は一瞬ぽかんとした顔をしてから、首を全力で横に振った。
 「なんでだよ、俺もついて行くのに」
 「いやだって、もし本当に何かいるって分かっちゃったら、これからちょっとでも帰れなくなるって!!」
 「何もいねえよ」
 「いるって!!」
 「だからそれを確かめに行くんだろ」
 井埜はまだ反論したげにしていたが、店員の視線に気づいてトーンダウンした。
 「…今日じゃなくて明日じゃだめ?」
 「だめだ。逃げるつもりだろ」
 「うっ!そりゃ逃げるよ!!」
 「…今から行ったら明るいし、夜よりは怖くないだろ。俺がいるうちに解決した方が良いんじゃないか?」
 井埜は一回唸ってから頭を掻いた。
 「…わかったよ、後悔しても責任取らないからな…」
 口を尖らせてそう言った声は、どこか安心しているようにも聞こえた。