眠れぬ夜は、君のせいにしたいのに


 あのお祓いから一週間。

 俺は駅前の喧騒から少し外れた場所にある、落ち着いた佇まいのカフェにいた。
 窓際の席で待ち合わせ相手を待っていると、ドアの開く音の後に、白色のかわいらしいワンピースを身に纏った女性がこちらに駆け寄ってきた。
 「おはよ、湊斗くん!お待たせしちゃったかしら?」
 「いえ、俺も今来たところです。…佐伯さん。お元気そうでよかった」
 「ふふ、今日は誘ってくれてありがとう。
 いつも在宅のデスクワークだから、こうやって連れ出してくれると気分転換になるわ。」
 佐伯さんは俺の向かい側の席に腰を下ろし、アイスティーを注文すると、ふと俺の顔をまじまじと見つめた。
 「そういえば湊斗くん、髪の毛染めたの? 大学生の頃、もっと明るい色じゃなかったっけ。」
 「あー…あれは若気の至りというか。大学デビューして染めてたんですよ…今は高校教師ですから地毛です…」
 「そうだったのね!髪色だけで、結構印象変わるものねぇ」
 「あ、そう言えば5年前…」
 俺が過去の件を感謝をしようすると、遮るように佐伯さんが勢いよく頭を下げた。
 「佐伯さん?」
 「あのね、湊斗くん!私すっごく謝らないといけないことがあるの…」
 「な…どうしたんですか…頭を上げて…」
 顔を上げた佐伯さんは、顔面蒼白で今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 「…前にね、陽くんと依真くんがあの部屋を事故物件じゃないのか調べてた時があったの。その時はまさか湊斗くんが2人の担任の先生って知らなかったから…その…5年前に通報した時のこと話しちゃったのよ…」
 佐伯さんは届いたアイスティーを半分飲み干して、声を落とした。
 「怒鳴り声が聞こえてきて、多分、無理矢理されてたんじゃないかって…それでこの前久しぶりに湊斗くんに会った時、2人の前で、前の住民だって話しちゃったじゃない?!帰ってから、勝手にとんでもないことバラしちゃったって気が付いて…1週間ずっと謝ろうって思ってたのよ〜!」
 佐伯さんは「本当にごめんなさい〜!」と言いながら顔を両手で覆った。
 俺はその様子を(相変わらずよく喋る人だなぁ)と苦笑して傍観していた。
 「はは…大丈夫ですよ。2人には色々あってその話しましたから。それに、佐伯さんがあの時通報してくれた事にはすごく感謝してます。」
 俺が真っ直ぐ見つめて返すと、佐伯さんは「そ、そうなの?よかった……」と胸を撫で下ろした。
 「でもね、私5年前のこともずっと悩んでいたの…あの時通報するのが本当に正解だったのかなって…」
 佐伯さんはグラスに視線を落とした。
 「アパートのA大生の子から聞いたわ。あの…湊斗くんの部屋によく遊びに来てた子。あの後、退学になっちゃったんでしょ?湊斗くんに暴力振るったのだから仕方ないのかもしれないけど
 …ああなる前は、湊斗くんととても仲良さそうだったじゃない?
 壁の向こうから楽しげな笑い声が聞こえてきた事もあったし…だから、そこに私が介入して良かったのかなって…」
 佐伯さんの問いに、俺は学生時代の保利の事を思い出した。
 脳裏に蘇るのは、乱暴に髪をかき上げる仕草や、無造作に火をつけたタバコの匂い。
 実習の帰りに二人で食べた安っぽいラーメンの味や、何気ない冗談で笑い合った帰り道。
 悍ましい記憶をお祓いの後井埜と皆瀬に打ち明けて残ったのは、そんな断片的な「友人」としての記憶だった。
 「…最初は、ただの友達でした。実習先が一緒で…緊張して固まってた俺とは正反対で、あいつは堂々としてて…よく相談に乗ってくれました。」
 俺はグラスの中で揺れる氷を見つめ、記憶の断片を一つずつ繋ぎ合わせていった。
 「実習が終わってからもよく2人で遊びました。
 俺の家で夜中までゲームしたり、朝まで将来の夢を語り合ったり…佐伯さんが壁の向こうで聞いた笑い声も、全部本物です。そんな時間も確かにあったんです」
 脳裏に、夕暮れのベランダで風にあたりながらタバコを吸う保利の姿が浮かぶ。
 殴った跡にキスをして、俺の頭を大切そうに撫でた手も。
 「…あいつ、俺のこと好きだったんですよ。でも、上手く愛せなかったんでしょうね。
 …佐伯さんが通報してくれたからですよ。今ようやくこうやってあいつを許して、友人として振り返ることができるのは。」
 俺が微笑むと、佐伯さんは一瞬泣きそうな顔をして鼻を啜った。
 「…そう言ってもらえるととても救われるわ。
 そのお友達とは、今も連絡とってるの?元気にしてると良いのだけど…」
 「あー……」
 そのお友達が、高校生相手に性犯罪を犯して自殺して化け物になって、あなたのお隣の部屋に現れた。なんてことは、とても話す気になれなかった。
 「…さぁ、どうなんでしょうね。もう連絡も取ってませんから…」
 俺は曖昧に笑って、グラスのストローをかき混ぜた。
 「そうなの?会いに行けばいいのに。今なら友人として対等に語り合えるんじゃない?」
 そう言って窓の外に視線を移した佐伯さんには、何かを察しているような含みを感じた。
 (…会いに行く、か)
 悪霊ではなく、除霊されて成仏した、唯の「保利遼河」に。友人としてちゃんと別れを告げたら、自分の中でも整理がつくような気がした。
 「…そうですね、近いうちに会いに行こうかな。」
 「うん!それがいいわ。」
 佐伯さんは満足そうに頷くと、今度は茶目っ気のある目でこちらを見つめた。
 「前を向くのは良いことね…ところで湊斗くん、あなたは今付き合ってる人とか気になってる人はいるの?」
 唐突な質問に、飲もうとしたアイスティーが変なところに入りそうになった。
 「ゲホッ…な、何ですか急に」
 「や〜ん、鎌かけてみたのよ。私この世で一番恋バナがだーいすきだから!その感じ、何かあるわね?教えて教えて!」
 佐伯さんは楽しそうに身を乗り出してきた。
 一瞬だけ、脳裏を過ったのは
 あの皮肉屋で、どこか寂しげな瞳をした臨床心理士の顔だった。
 「い、いないわけじゃないんですけど…多分嫌われてるんですよね、自信ないです。」
 俺は数日前、皆瀬から何気なく言われた言葉を思い出した。
 『そういえば、吉崎さんと保利さんって昔友達だったらしいですよ。先生とも同じ大学の同期って言ってましたけど』
 (なんか、そんな気がしなくはなかったんだよな…同い年って言ってたし。俺が保利の事相談した時の、無理やり平静を装ってる感っていうか…)
 ただでさえ『めんどくさい患者』だったのに、それに加えて『親友の仇』だなんて…これ以上嫌われる要素を重ねて、どうやって向き合えばいいのか分からない。
 「ねぇねぇ、どこがそんなにその人のこと好きなの?」
 落ち込む俺をよそに、佐伯さんはキラキラした目でこちらを覗き込んできた。
 「…そうですね、一言で言うのは難しいけど…ミステリアスな人なんですよ。いつも涼しい目をしてて、なのに寂しそうで。助けてもらってるのは俺なのに、守りたくなる…でも全部暴いてみたいとも思ってしまうといいますか…」
 そう、吉崎さんの全部が知りたい。
 自分でも引くくらいの独占欲が、胸の奥で熱を帯びているのが分かった。
 「…あ!いまの無しで!!変なこと言いましたね俺!」
 慌てて手を振る俺を見て、佐伯さんは「あら〜」と口元を抑えてクスクス笑った。
 「良いじゃない! 湊斗くん、意外と肉食なのね。」
 「もう、からかわないでくださいよ…」
 俺は真っ赤になった顔を冷ますように、残りのアイスティーを一気に飲み干した。
 「そうとなればあとは当たって砕けるのみね!」
 「あはは…砕けるのは確定なんですね」
 「砕けなかったら儲けもの、くらいに思っておきなさいな。私は応援してるわよ!」
 佐伯さんに力強く背中を叩かれ、俺は苦笑しながら伝票を手に取った。
 「外は暑いですから、家まで車で送りますよ」
 「え、いいの?じゃあお願いしようかしら」
 店を出て駐車場に停めた俺の車に佐伯さんを乗せ、彼女のアパートへと車を走らせた。

 道中、佐伯さんは相変わらず楽しげに最近の仕事の話や近所の噂話をしていたが、ふと、駅前の歩道に視線を止めて目を細めた。
 「あら、見て。あれ陽くんたちじゃない?」
 佐伯さんが指差す先に、見覚えのある二人の後ろ姿があった。
 皆瀬と井埜だった。
 皆瀬は相変わらず不愛想な横顔だが、井埜は笑顔で彼の腕に楽しげに絡みついている。
 「本当ですね…仲良いなあいつら」
 「最近毎日のようにお互いの家にお泊まりしてるみたいよ、若いっていいわよね。
 …ところで湊斗くんって、担当教科って保健体育だったりしない?」
 「え、え?俺は歴史担当ですけど…」
 「あ、そうよね、性教育なんて…これは流石にお節介すぎたわね!!あはは、忘れて!!」
 佐伯さんは誤魔化すように大声で笑いながらまた、俺の背中を叩いた。

 アパートの前に車を停めると、佐伯さんは「今日は楽しかったわ!またお茶しましょうね」と微笑んで車を降りていった。

 佐伯さんを見送った後、静かになった車内に一人取り残された瞬間、先程まで取り繕っていた余裕が音を立てて崩れた。
 佐伯さんに吉崎さんへの気持ちを話したことで、改めて自分の『好意』を再確認してしまった。
 「あ〜〜〜もう、絶対失恋確定だよな〜〜〜てか、そもそも男だし…」
 ハンドルに額を押し付け、情けない声を漏らした。

 それでも…もし付き合えなかったとしても、少しだけ距離が縮まったら。
 彼の事を少しでも知れたら、それだけでも満足なような気もする。
 (学生ん時ぶりだよ、こんな気持ちは…)
 皆瀬と井埜みたいな爽やかな青春とは程遠いが、それでもあんなふうにお互いの事を支え合って笑い合える存在になれたら…と願わずにはいられなかった。

 保利への決別と、吉崎さんへの踏み出せない一歩。
 俺は迷いを断ち切れないまま、ゆっくりと車を走らせた。