「派手に割ったなぁ〜」
「今日は外涼しいからエアコン無しでも寝れそうで良かったな…」
「窓開いてたおかげで、ゲロの匂いもほとんど消えてたしな!」
飛び散ったガラスを2人で片付け、ようやくソファに腰を下ろした。
「夕飯どうする?うちカップ麺しかないよ」
「出かけるのもめんどくさいしな…カップ麺何ある?」
「沢山あるから選んで〜俺二個食べる」
「じゃあ俺も同じやつ」
「おっけ」
キッチンに向かう陽生の背中をぼんやりと見つめ、俺はソファに背を預け脱力した。
(……終わった、のか)
ようやく気が抜けてアドレナリンが切れたのか、腕に痛みを感じて袖を捲るとガラスで切れたような切り傷が出来ていた。
もう既に血は止まっていたが、結構ざっくり切れていた。
「わっ、怪我してんじゃん痛そ」
陽生はそう言って、俺の手首を軽く掴んだ。
「ちょっと見せてみ」
「いいって、ただの切り傷だしもう血止まってるから…」
陽生は寝室の方に走って行き、絆創膏を持って戻ってきた。
自分で貼るからと絆創膏を受け取ろうとしたが、傷口を見つめる陽生の目が潤んで見えたので何も言わずに大人しく処置を受けた。
「…よし出来た」
陽生は傷口の上からポンポンと優しくタッチして、「早く治るおまじない〜」と歌った。
それがあまりにも愛おしくて、俺も陽生の頭をポンポンと撫で返した。
「…陽生が無事で本当に良かった」
「え、なになに!照れるんだけど!てか麺伸びちゃう!!」
陽生は耳まで赤くなったのを誤魔化すように、キッチンにカップ麺を取りに行った。
「じゃーん、陽生シェフの気まぐれヌードルでーす!」
「お湯注いだだけだろ」
「まあまあ、食ってみなって」
陽生に促されて一口食べたが、やっぱり普通のカップ麺だった。
それでも陽生がお湯を注いでくれたのが妙に嬉しくて
「陽生シェフ天才だな」
「世界で一番美味いな」
と大袈裟に褒めてやったら、「よせやい」と満更でもなさそうに照れた。
あっという間に2つ平らげ、カップ麺の容器を捨てながら陽生が言った。
「依真、先風呂行く?」
「…今日は一緒じゃなくて大丈夫なのか?」
「え?!いや、うちの風呂依真んちみたいにデカくないしさ!!お湯も張ってないし!」
「そうか。怖くないならいいけど」
「もう怖くねえし!俺先入るからな!」
陽生はやたら早口で捲し立てて、風呂場に向かって行った。
しかししばらくすると、風呂場の扉から顔を覗かせて
「…やっぱ風呂場の前にいて…」
と、しおらしく言ってきた。
シャワーを浴びてる最中も何度も
「依真いる?」と確認された。
たまに無視すると、泡だらけの頭で扉を開いて顔を真っ赤にして怒る陽生が可笑しかった。
その後も何度も「いる?」「いるよ」という不毛なやり取りを繰り返し、陽生はようやく湯気と共にのぼせた顔で上がってきた。
俺もシャワーを借りてリビングに戻ると、先に出た陽生が髪も乾かさずうつらうつらしていた。
「髪乾かさないと風邪引くぞ」
「う〜眠い…もうこのまま寝たい…」
(昨日もこのやりとりしたな…)
と思いつつ陽生の髪を乾かしてやると、耳に指が触れるたびに小刻みに肩が揺れる事に気がついた。
「陽生、耳弱いのか」
「よ、弱いっていうか…ひゃ!!」
陽生の反応が面白くなって耳をつつくと、面白いぐらいに耳が赤くなった。
「依真さっきから意地悪ばっかりするじゃん!」
「ごめんごめん、反応が可愛くてつい…」
「髪乾かすの終わり!さっさと寝ようぜ!」
陽生は立ち上がって、ベッドの横に来客用の布団を準備してくれた。
「陽生、久しぶりに自分のベッドで寝るんじゃないか?」
「わ!本当だ!お母さんが引っ越し手伝ってくれてた時ぶりだ…ほぼ新品のベッド…」
陽生は嬉しそうにベッドの上で大の字になった。
「今日は一緒に寝なくても大丈夫そうだな」
俺がそう言うと、
「依真が興奮して寝れなくなっちゃったら困るもんね〜」
と揶揄うような笑みを浮かべた。
「だから、昨日のは生理現象だって…」
「でもまぁ、そんなに依真が怖くて寝れないって言うなら?手ぐらいは繋いでやってもいいけど?」
陽生はベッドから手を出して、俺の手を無理やり握った。
「えっ、は、陽生…」
「もう寝る!おやすみ!」
必死に平静を取り繕うが、本当は指から心臓の音が伝わるんじゃないかと心配になるくらいドキドキしていた。
(なんか陽生、昨日と様子が違うな…まるで俺の事…)
いや、そんな事ないか、でも…と自問自答していると、陽生がゴソゴソと寝返りを打ってこちらを向いた。
「…依真、あのさ」
「ん?どうした」
「今日は本当ありがとな…依真がいなかったら俺…」
「もう気にすんなよ。俺は大して何もしてないよ…吉崎さんとか担任の助けがあったから何とか解決出来たけど…」
ふと、平良に乗っ取られかけた瞬間のことが過った。
「それもだけど、そうじゃなくて…」
握る手に若干力が入り、どちらのものかわからない手汗がしっとりと混ざる
「…俺、昨年事件の後初めて学校行った時にさ。やっぱみんな俺が被害者って気付いてて…
優しいんだけど、事件の前と明らかに違ったんだよ。みんなが俺を見る目とか、距離感とか」
陽生は嫌な記憶を思い出すような遠い目をした。
「腫れ物扱いっていうのかな…下ネタで盛り上がってたのに俺が来たら急に黙ったり…
ちょっと手が当たっただけで謝られたり…
そういうのが辛くて、転校して来たんだけどさ。」
「…そうだったんだな」
(だからあんなに隠したがっていたんだ…)
"こんな姿、依真に見られたくない"
と泣いていた陽生の姿が脳裏を過った。
「でもさ、依真は事件のこと知っても変わらず接してくれたじゃん…こうやって普通に触ってくれる事が、本当に嬉しかった。」
陽生は握っていた手の指を絡ませ、目を細めて笑った。
「は、陽生…」
「依真に触れるとなんか、凄い安心感あるんだよな…」
陽生はそのままとろんとした目を閉じて、しばらくすると穏やかな寝息が聞こえて来た。
俺もそれに釣られて微睡み、いつのまにか夢の中に誘われていった。
長い夢を見た。
白い、なにもない空間にいた。
どこからか光が降り注いでいて、そこには一人の男が立っていた。
はっきりとは思い出せない。けれど、どこか頼りなげで、けれどひどく晴れやかな背中だった。
男の足元には、真っ白な羽根が一枚、落ちていた。
それは無残に手折られた天使の羽のようでもあり、あるいはようやく自由を得た翼のようにも見えた。
男がゆっくりと振り返る。
逆光で顔は見えなかったが、小さくその唇が動いた。
『――ごめんな』
短く、消え入りそうな声。
あんなに恐ろしかったはずなのに、不思議と、もう怖くはなかった。
憎しみも、嫌悪も、この白い光の中に溶けて消えていく。
男は最後に一度だけ、誰かを愛おしむように笑うと、そのまま光の彼方へ溶け込んでいった。
あとには、一枚の白い羽がふわりと舞い上がり、俺の頬を優しく撫でた。
場面が切り替わる。
目の前には、いつものように屈託なく笑う陽生がいた。
あんまり覚えてないけど、陽生が笑っているのだから、きっと良い夢だった気がする。
永遠に見ていたいような、そんな――
そんな気持ちを強制的に遮るように、瞼の裏が白く焼けるような感覚で意識が浮上した。
「まっぶし……」
やけに日差しが強い。薄らと目を開けて窓の方に目をやると、差し込む光が高い位置から部屋を照らしていた。
(今何時だ…)
枕元に置いてあるスマホを付けて時間を見ると既に正午を回ろうとしており、思わず目を見開いた。
「おい陽生起きろ、午後から修理の業者来るって佐伯さん言ってただろ…」
「ん〜もう朝ぁ…?」
「朝じゃない、昼だ!」
陽生は渋々身体を起こして欠伸をすると、何かに気づいて吹き出した。
「ねぇ〜…流石に仲良しすぎるでしょ…」
「どうしたんだ」
陽生は繋がったままの左手と右手を「ほら」と見せた。
「俺達さ、手繋いだまま寝てたんだな。」
「手が痺れてて気が付かなかった…」
俺もそれを見て思わず笑った。
「てかさー依真寝癖凄いよ、トサカみたいになってる」
陽生は握ってない方の手を伸ばして、俺の髪に触れて微笑んだ。
日差しのせいもあって、それがやたら眩しく見えた。
「陽生こそ…涎垂らして寝てたんだろ」
俺が指で陽生の口元を拭うと、陽生はかすかに頬を染めた。
お互い目配せをして笑い合うと、どちらからともなく吸い寄せられるように、ゆっくりと顔が近づいた。
呼吸が触れて、唇が重なった。
ほんの一瞬触れただけなのに、唇に触れた柔らかさが名残惜しくて、しばらくお互いじっと見つめ合った。
「…これって夢じゃないよな」
思わずぽつりと漏らした。
陽生は一瞬きょとんとした後、愛しそうにクスッと笑って指先で軽く俺の頬をつねった。
「いて…」
陽生は絡めた指を離して、代わりに俺の首の後ろに腕を回した。
「目が覚めるまで、確かめたらいいじゃん」
そう言って、悪戯っぽく微笑んだ。
さっきよりも迷いのない動きで、もう一度唇が重なる。
角度を変えて、深く、何度も、何度も。
それは、業者がインターフォンを鳴らすまで続いた。
業者がガラスを交換してくれてる間、俺たちは近所のコンビニのイートインスペースに退避した。
「まじあぶなかったね。依真、危うくキスじゃ済まなさそうな勢いだったじゃん」
「そ、そんな事ない…業者来るって頭の片隅にはあったし…」
陽生は寝癖だらけの頭で、朝ごはん兼昼ごはんのコンビニおにぎりを頬張りながらスマホを取り出した。
「あ!!やべ、お母さんに連絡返すの忘れてた…」
陽生が俺に傾けた画面を見ると、陽生のお母さんからの複数の不在着信と、『あんた帰ってくるって言ってたのにどうしたの?!何かあったなら連絡して!!』と、怒りと心配の混ざったメッセージが表示されていた。
「あぁ、昨日実家帰る予定だったんだな…」
「そうそう…でもなぁ、もう帰らなくていいかな…別に家で寝れるし、依真もいるし…
ぶっちゃけ、地元のやつらと顔合わせるのがまだちょっと気後れするって言うか…」
陽生は食べ終わったおにぎりの包みを手でぐしゃぐしゃと丸めながら口を尖らせた。
「陽生、やっぱり一度は帰った方がいいよ。これ以上お母さんに心配かけたくないんだろ?」
「…それはそうだけどさぁ、うーん…」
無かったことにしたい過去を突きつけられる場所に1人で戻るのは、相当勇気がいるのだろう。
「…俺も一緒に行っていいか?」
「えっ?」
陽生の動きがぴたりと止まった。
「え、えええ?!その…俺たちまださっき付き合ったばっかだよな?!いきなり親に挨拶って、それは流石に気が早いっていうか…!」
「…バカ、違う。挨拶もだけど…俺がいたら多少地元のやつらになんか言われてもマシになるだろ。変なこと言われたら俺が睨みつけてやる」
自分で言って少し気恥ずかしくなって、誤魔化すようにペットボトルの蓋を開けた。
陽生はしばらく絶句していたが、すぐにふにゃりと笑って俺の腕にしがみついた。
「…依真、かっこよすぎ。昨日から惚れっぱなしなんだけど、どう責任取ってくれんの?」
「は、はぁ?勝手にしろよ…お前の地元の方行ったことなかったし、旅行兼ねて普通に行きたいからさ。案内してくれよ」
「えー!まじ何もないけど!あっ、でも美味いもんは沢山あるよ、依真の飯には敵わないけど!」
「それは帰ってきたらまた作ってやるから…」
「本当?!やったー!じゃあリクエストいっぱい考えとこ!」
おにぎりの包みをゴミ箱に投げ入れると、陽生はすっきりとした晴れやかな顔で俺に笑いかけた。
「なぁ、依真。最高の夏休みになりそうだな!」
事件のことも、あの悍ましい執着の影も、完全に無かったことにはならない。それでも、この眩しい光の中にいれば、どんな暗闇も恐れることはないのだと思えた。
「…あぁ、そうだな」
「よし!とりあえず実家に持ってくお土産買おうぜ、あと着替え取りに帰って…」
「わかったから、まずその寝癖なんとかしろよ」
「は?!依真だってさっきまでニワトリみたいだったくせに…!」
賑やかな声を上げながら、俺たちはコンビニを後にした。
自動ドアが開いた瞬間、焼け付くような熱い風と、煩いくらいのセミの声が俺たちを包み込む。
見上げた空は、痛いくらいに青い。
俺たちの夏は、まだ始まったばかりだ。
