眠れぬ夜は、君のせいにしたいのに


 驚いた俺と井埜は、同時に「え?」と声を上げた。
 「そんな偶然ある?って感じだよな…俺も井埜が引っ越してきた時名簿見て驚いたよ」
 担任は苦笑して、そのまま話を続けた。
 「平良…保利とは4年の教育実習の時知り合ったんだ。向こうから話しかけてくれて、そこから2人で遊ぶようになったんだけど…」
 少し言葉を選んで言葉に詰まった。
 「…ある日、保利から自分は同性愛者なのかもしれないって相談をされたんだ。
 俺はそんな事気にしないって、保利は保利だろ?って言って…その日を境に、保利が俺を見る目が変わっていったんだ」
 「ちょ、ちょっと待って、碧海先生」
 陽生が突然話を遮った。
 「どうした井埜?」
 「さっきから保利、保利って…どういう事?」
 「あっ…ごめんごめん、さっき依真には言ったんだけど、平良の旧姓は保利なんだ。
 地元に戻って婿入りして、苗字が変わったんだよ。」
 「え、えぇー?!!」
 驚く陽生を他所に、担任は話を戻した。
 「…最初はボディタッチが増えたなって程度で、特に気にしなかったんだけど…遂に付き合ってくれって告白されたんだ。
 冗談だと思って軽く流してたんだけど、次第に俺への愛が綴られた手紙が送られて来たり、本気だから結婚前提で付き合って欲しいって指輪までプレゼントされて、怖くなって距離を置くようになったんだ…」
 (さっきの呪物は、その時の…)
 振られた記憶を思い出したから弱体化したんだ…と少し哀れに思ってしまった。
 「そこから保利は、豹変してしまったんだ…あんまり高校生にこういう話したくないんだけど…身体の関係を強要されるようになったんだ。ほぼ暴力みたいなもんだったけどさ…」
 担任は青ざめた唇を震わせながら、言葉を紡いだ。やはりその姿が陽生に重なって見える。
 「断るのも怖くて、しばらくされるがままの日々が続いてたんだけど…。よっぽどうるさかったんだろうね、お隣さんが通報してくれてさ。保利は警察に連行されて、俺も事情聴取されたんだけど…」
 身体の震えを抑えるように、腕を摩った。
 「どうしても、身体の関係を持ってしまったことだけは言いたくなくて…ただの大学生の喧嘩で片付けられしまったんだ。
 もっとちゃんと調べてもらってたら、保利に前科くらい付いてたのかもしれないのに…」

 「…それで、保利は地元に戻って高校教師になってしまった。だから先生は自分の責任だと思ってるんですか?」
 俺が冷静に問うと、担任は力無く頷いた。
 「…最初に事件のニュースを見た時は、苗字が変わってたから気が付かなかったんだ。嫌な事件だな、としか思ってなくて。
 だけどそのすぐ後に、警察から電話がかかってきたんだ。
 過去に保利との間で起きたトラブルの事で話を聞かせて欲しいって…。」
 先生の喉が、引き攣ったように小さく鳴った。
 絞り出される声は、普段の教壇での明るいトーンとは別人のように掠れていた。
 「自分のせいで、高校生が危険な目に遭った……。そう思うと、頭がおかしくなりそうだった。自業自得だ、全部俺のせいだ、そう自分を責め続けていたところに、井埜が転校してきたんだ」
 先生はゆっくりと顔を上げ、すがるような、あるいは許しを乞うような目で陽生を見つめた。その瞳には、薄く膜を張ったような涙が滲んでいる。
 「転校前の学校から断片的な事情を聞かされた時は、もう震えが止まらなかったよ。保利の執着の深さと、それに巻き込んでしまった井埜への罪悪感で、まともに顔を見る自信もなかった」
 一度大きく息を吐き出し、力なく首を振った。
 「それでも、俺は……自分がされた惨めな過去を、どうしても他人に知られたくなかった。自分のプライドを守るために、卑怯にも皆瀬に井埜の様子を見るよう頼んだんだ。自分では怖くて、君に近づけなかったから」
 そう言い終えると、先生は力尽きたように深く俯いた。
 その細い肩は、教師としてではなく、一人の傷ついた被害者として震えていた。
 「そういう事だったんですね…」
 「ごめんな、井埜、皆瀬…俺の変な意地に巻き込んで」
 隣に座っていた陽生が立ち上がった。
 「そんな事ないよ…!俺だって、みんなに転校前の事バレたくなくて隠してたし…俺は先生の気持ちわかるよ。だからそんな謝らないでよ…」
 陽生は担任の横に寄り添って、背中を撫でた。
 担任は目に涙を浮かべて、少しだけ救われたように見えた。
 「…それにしても、あまりにも偶然が出来すぎてませんか?」
 俺は腹の底に溜まった疑念を吐き出した。
 「何も知らずに引っ越してきた先が、加害者が過去に似た事件を起こした部屋で、しかも担任がその被害者だったなんて…出来過ぎていて気持ち悪い気さえします。」
 「…偶然ではないだろうな」
 柱にもたれ掛かって話を聞いていた吉崎さんが、煙草を揺らしながら口を開いた。
 「それって、保利が全部仕組んだって事ですか…?」
 俺は怒りで喉を震わせ、拳を握り締めた。
 だが、吉崎さんは「違う違う」と手を振った。
 「幽体にそんな知能はないよ。やつらは前世の強固な『未練』のみで動く思念体さ。
 呪縛霊は、死ぬ瞬間の無念の強さでそこに残る。生前に女湯覗きたかったやつは、死後も女湯の天井裏に張り付く。
 理屈じゃなくて、ただの習性だ。」
 「ど、どういうことですか…?」
 陽生が不安げに聞き返した。
 「つまりだ。保利の思念体にとって、あの部屋は『最も歪んだ欲望が満たされ、そして最も無様に挫折した場所』だったんだ。死んで形を失っても、魂がその場所を強烈に求めた。
 だがな、思念体なんてのは大した移動能力を持っちゃいねぇ。だから、遠くへ移動するには『乗り物』となる実体が必要になる」
 吉崎さんは一度言葉を切ると、吸い殻を灰皿に押し付け、陽生を真っ直ぐに見据えた。
 「保利の思念体は、まず自分が最後に執着した陽生くんに取り憑いた。
 それから陽生くんが抱えていた転校への不安、孤独、恐怖……それらをご馳走にして、あいつは力を蓄えていったんだ。そして、本人がそれと気づかないうちに思考の隅っこを支配し、誘導した。…『ここではないどこかへ行きたい』という陽生くんの願望に、自分の『あの場所へ帰りたい』という執着を混ぜ込んで、この町へと運ばせた。…そんなところじゃないかな」
 「霊の本能に操られて連れてこられたって事ですか…。それじゃまるで寄生虫じゃないですか。死んでまで迷惑な話だ…」
 俺が怒りのやり場を失って俯くと、隣で当事者である陽生は「へ〜」と気の抜けた声を上げた。
 「そうなんだ、習性か。そう思ったらあんまり怖くないな。それに、俺は依真と会えた事に関しては感謝するかな。」
 「は、陽生…!!俺も…」
 つい嬉しくなって陽生の方を見ると、吉崎さんがニヤニヤしてるのに気がついて急いで顔を伏せた。
 「…あいつは、あの部屋に戻って何がしたかったんでしょうか…」
 担任は俯き気味で吉崎さんに聞いた。
 「さぁな…。犯した罪を無かったことにしたかったのか、それとも、生前果たせなかった歪んだ愛を完遂させたかったのか…やり直したい事でもあったんじゃねぇの?」
 吉崎さんは冷淡に、けれどどこか寂しげに天井を見上げた。
 「だがな…死んじまったら、生前と同じ過ちを永遠にループし続けることしかできねぇ。…地獄ってのは、案外そういうことなのかもしれねぇな」
 重く、澱んだ空気がリビングを支配した。
 誰もが、保利という男が抱えていた底なしの闇を想像し、言葉を失った。

 御堂の外へ出ると、あれほど激しかった雨はいつの間にか止み、夜の静寂が街を包み込んでいた。
 「…もう暗いし、2人のことは車で送ってくよ。
 吉崎さん、今日は急なお願い聞いてもらってありがとうございました。」
 「いいよいいよ、俺も久しぶりに楽しかったわ。帰ったらさっさと寝ろよー。」
 タバコを吸いながらヒラヒラと手を降る吉崎さんに見送られ、俺たちは担任の車に乗り込んだ。

 「ここからだと皆瀬の家の方が近いな、井埜は今日も皆瀬家でお泊まりするか?」
 「それなんですけど…実はさっき陽生の家の窓ガラス割ってしまって…。不用心だし陽生の家に泊まろうかと思ってて…」
 「えっまじで?!依真俺んち泊まってくれんの?!めっちゃ嬉しいんだけど!!」
 「はは、じゃあ井埜の家に送ってこうか」
 「ごめん陽生、俺が窓ガラス勝手に割って…」
 「ん?なんで、依真が助けてくれなかったら俺マジでやばかったじゃん。
 あの時依真超かっこよかったよ!
 特に最後『二度とお前に陽生は触れさせない』って言ってたの、あれまじで惚れそうだった!」
 「お、起きてたのか…!」
 恥ずかしくなって顔を逸らすが、陽生が覗き込んできて「めっちゃ照れてんの〜」とケラケラ笑った。
 「聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらい仲良しだな〜…もうすぐ着くぞ」
 角を曲がってすぐ、陽生の家に到着した。
 車から降りると、車の音が聞こえて様子を見に出て来た佐伯さんが階段を駆け降りて来た。
 「依真くん、陽くん…!!無事で良かった〜!!もう大丈夫なの?」
 「はい、なんとか…ご心配おかけしました…」
 「さっき大家さんに窓ガラスの事伝えたら、明日午後から業者さん来てくれるって言ってたから!すぐ直りそうで良かったね〜」
 佐伯さんは担任に挨拶しようとして3秒ほど顔を注視すると、「もしかして、湊斗くん…?」とおずおず聞いた。
 「…お久しぶりです、佐伯さん。5年前は何も言わずに引っ越してしまって…いつかお礼ができたらいいなと思ってたんですけど」
 「そんな、いいのいいの!立派になったのねえ、もしかして依真くんと陽くんの学校の先生してるの…?」
 「あはは、実はそうなんです…」
 「えー?!!そんな偶然ってあるの?!」
 驚く佐伯さんを見て、俺達3人は目を合わせて苦笑した。
 「今日はもう遅いし、またいつでも来てね。
 元気そうで本当にホッとしたわ。」
 「はい、また近いうちに。
 井埜と皆瀬も、また夏休み明けな〜。」
 そう言って担任と佐伯さんは穏やかな表情で、それぞれ帰って行った。
 「俺たちも部屋に戻ろうか。ガラスの片付けしなきゃいけないし」
 「俺、吐いちゃったから部屋臭いかもな〜…」
 階段を登る陽生の足取りは軽く、ささっと鍵を開けた。
 「ただいま〜」
 玄関の扉を開けると、人感センサーの温かい灯りと、割れた窓ガラスから差し込む月明かりが俺たちを優しく迎え入れた。